玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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現代アニメ批判2/4 凡庸化する仮面の価値

  • 前回のあらすじ

nuryouguda.hatenablog.com


 最近のアニメではスポンサーが売る商品がロボットや変身グッズではなく、キャラクターそのもののイラストやらアクリルスタンドや美少女フィギュアになっているので、物語の中でもキャラクターに愛着を持たせようとする流れがある、ということを書いた。


 もちろん、魅力的なキャラクターの造形はアニメだけではなく、小説や萬画でも重要なことだ。


 しかし、人の命のやり取りをする物語の中で、「このキャラクターはメインなので重要」、「このキャラクターは使い捨てのモブやサブキャラクターなので軽視していい」という命の重さに偏りがある場合、それはどうなのだろう?


  • 水星の魔女の場合

nuryouguda.hatenablog.com

 先日の記事で、機動戦士ガンダム 水星の魔女の大河内一楼さんファンのインクエッジ様に攻撃された話を書いた。それほど炎上しなかったのでがっかりだが、それは別にいい。
 何が言いたかったのかと言うと、「インクエッジ様に叩かれていたので水星の魔女の言及を止めていたけど、インクエッジ様が水星の魔女を叩く方に転向したので、私も言及を再開します」という段取りに過ぎない。落語の話の枕です。


 というわけで機動戦士ガンダム 水星の魔女での仮面の使い方について書く。


 主人公のスレッタ・マーキュリーの母親のレディ・プロスペラはガンダムの登場人物らしく仮面をかぶっている。(なぜシェイクスピアのテンペストの登場人物の名前を名乗っているのかはわからないが)
 レディ・プロスペラ、あるいはエルノラ・サマヤは仮面をかぶっている。しかし、正体を視聴者に対して隠す、という意図はあまりない。割と序盤で仮面を脱いでスレッタ・マーキュリーの母親でありプロローグに出てきたエルノラ・サマヤと同一人物らしいと示している。2クール目まで隠されていたのは、むしろプロローグに出てきたエリクト・サマヤがスレッタ・マーキュリーとは別人物ということくらいだが。(これもペイル社のベルメリア・ウィンストン氏によってセリフであっさり暴露されるので、あまり物語として盛り上がらなかったのだが・・・)


 これは、初代・機動戦士ガンダムでジオン・ズム・ダイクンの遺児でありザビ家に復讐したいと思っているシャア・アズナブルが仮面をかぶっていたこととは意味が違っている。
 もちろん、シャアは第二話で割とあっさりと仮面を取っているのだが。しかし第二話のシャアがセイラ・マスの前で仮面を取ったのは、妹であっても何年も会っていないとどうでもいい他人の女と思って仮面を外して蹴りを入れる、と言うシャアの特別なキャラクター性を示していると思う…。
 世代的に私は機動戦士ガンダムのシャアがキャスバル・レム・ダイクンと言うことは知ったうえで見ていたので、1979年のリアルタイムの放送時のシャアがどのように視聴者に見られていたのかはわからないのだが。
 まあ、とりあえず、初代機動戦士ガンダムの作中で仮面を被っている異常人物はシャア・アズナブルくらいなので、彼は特別なキャラクターだった。
 (もちろん、シャア・アズナブルも勇者ライディーンのプリンス・シャーキンから続く仮面の敵幹部と言う系譜を受け継いでいるのだが。ライディーンのシャーキンも第9話で砂場金吾というバレバレの偽名で主人公のひびき洸の学校に転校してくるという蛮行をしていたけど…。ベルサイユのばらの少し前ではラ・セーヌの星という仮面の騎士を描いたアニメがあった)
第38話 再会、シャアとセイラ



 水星の魔女のレディ・プロスペラも仮面をかぶっていることで変なキャラクターであると示していた。だが、仮面は割と早めに外しているし、正体もスレッタ・マーキュリーの母親でエリクト・サマヤであろうということはばらしている。


 あまりにも数が多い歴代のガンダムの仮面キャラクターのすべてについて評論することは時間のコストパフォーマンスが悪いので避けるが。


 機動戦士ガンダム水星の魔女はTwitterやYouTubeなどのインターネットでの評判である広報を重視しているように見受けられる。そして、Twitterでの感想ではおおむね、レディ・プロスペラは毒親としてスレッタ・マーキュリーを支配する悪い女という意見が大勢を占めているようだ。


 そう、過去において仮面のキャラクターは特別な謎、あるいは主人公に並び立つくらいのライバル的な危険性を秘めていて、そのキャラクターを特別に感じて物語の終盤まで注目するような作劇が採用されていたが。現代では仮面を被っているような気持ち悪い奴は異常だ、復讐に狂っている変な奴だ、というアッサリとした理解を促すための記号として造形されているように見える。(メインキャラクターのミオリネの父でありベネリットグループ総帥のデリング・レンブランに対してもレディ・プロスペラはあっさりとエルノラ・サマヤであることを明かしているようにも見える。むしろ第二クール以降は昏睡状態になったデリングの不在が物語を駆動するキーになっているようでもあるのだが)


 水星の魔女の作劇ではスレッタ・マーキュリーとミオリネ・レンブラン、それと御三家の3人のホルダー候補の男性キャラクターが注視されるように作られており、実際にグッズなどの販売や視聴者の興味の誘導としても、5人くらいのメインキャラクターの若者の感情の動きに注目させるように作られている印象だ。
 その一段、格落ちとして、地球寮やグラスレー寮やジェターク社のキャラクターが描かれている。
 メインキャラクターに比べると仮面のレディ・プロスペラはそれほどキャラクター売りをしていないように見える。(プラモデルやアクリルスタンドにもなっていないし、視聴者の興味も若いガンダムパイロットに集中しているようで、中年女性キャラクターの商品価値は低いように見える)


 まあ、仮面を被っている奴は異常者だ、くらいの単純な記号で、仮面で身分を偽っていることのドラマ性は近年、薄れているように感じている。というか、まあ、鉄腕アトム以降、テレビアニメも60年近くの歴史を持ち、仮面を被っているキャラクターが特別に見えるというより、仮面のキャラクターは仮面キャラクターと言うジャンルとして慣れられていて、それほど謎めいて見えなくなっているのだろうと思う。
 仮面キャラクターももはや、謎や新規性ではなく、そういうジャンルの類型パターンになってるのだろう。



 しかして、機動戦士ガンダム水星の魔女の仮面のキャラクターはレディ・プロスペラだけではないのである。
 

 そう、ノーマルスーツのヘルメットである。
(ちなみに、宇宙服をノーマルスーツと呼称するのは富野由悠季監督の機動戦士ガンダムのモビルスーツに対して普通の人間が着るスーツとしてわざわざ差別化されている宇宙世紀の造語である。(平成三部作では地味にスーツの名称が異なる)、なので、宇宙服をノーマルスーツと呼称している水星の魔女は富野由悠季作品ではないのだが、ガンダム名称を使うことに意識的なのだろう。まあ、ガンダムの名前がアナザーガンダムで引用されることが多いのでガンダムSEEDデスティニーでザクやグフが出るのは、ターンエーガンダムの数年後の作品としては割とありそうなものだが)
 と、御託を並べたが。


 水星の魔女ではメインキャラクター以外はノーマルスーツの色付きのバイザーを下ろしたヘルメットを被ったら、だれがだれだかわからないのである。


 これは、レディ・プロスペラの仮面とはまた演出意図が違う仮面と言えるだろう。
 端的に言ってしまえば「モブキャラクター」ということだ。


 いちばん顕著なのは、水星の魔女の第一クールのラストでガンダムエアリアルに「やめなさーい!」って叩きつぶされたアーシアンのテロリストだが。彼も宇宙服のバイザーのゴーグルの深い色で顔を塗りつぶされた無貌の人物だ。
 彼は殺される前に「味方から見捨てられたからミオリネを殺すしかない」と説明セリフ的なことを言って、それからスレッタ・マーキュリーが操るガンダム・エアリアルの平手でたたきつぶされた。
 顔がない彼は、血しぶきをあげて死んだグロい死体、という程度の個性しかないのである。なので、ミオリネはスレッタ・マーキュリーに「人殺し!」と言って、三か月間の放送休止のクリフ・ハンガーに死体が利用されているのである。


 テロリストに名前を与えるべきではない、という政治的姿勢がある。それは現実の政権の生存戦略や政治戦略としての行動ではあるのだろう。しかし、物語でそれをするのはどうだろうか?



 第二クールで単発的に地球に降りてアーシアンのテログループの「フォルドの夜明け」に拘束されたグエル・ジェタークは帰ってこないテロリストの娘の少女と出会い、視聴者は潰された無貌の男にも娘がいたのだろうかと類推できる。しかし、ボブことグエル・ジェタークは無貌の男がエアリアルに潰されたことは知らない。


 視聴者としても、悲劇的に死んでいく被差別階級の少女にはかわいそうだという感情を抱くが、その父親の無貌の男はただのグロい死体として感じるように見える。見せている。そういう演出意図を感じる。僕の主観だけどね。


 ここで問題になるのは、主人公の少女に殺される成人男性の顔を描写する必要がないが、悲劇的に死んでメインキャラクターのグエルの成長の契機になる少女は描写する、との、かわいそうランキング、端的に言えばルッキズムである。


 もちろん、社会性動物であるヒトの本能として、若い雌はかわいくかわいそうで価値を感じる、逆に成人の雄は戦っても殺されても捨て駒として認識される、そういうバイアスがあるのは当然である。



 しかし、本能的なバイアスに従った作劇に誘導されてヘイトコントロールをされて、それで多くの人が死んでもメインキャラクター(それは商品価値がある)の喜怒哀楽に一喜一憂して盛り上がる視聴者で、それでいいのだろうか?


 まあ、単に受け身に徹するというのも一つの視聴態度ではあるのだが。


  • Gのレコンギスタの場合

 水星の魔女との間にある鉄血のオルフェンズでも成人男性や気持ち悪い強化人間に対して「こいつは死んでもいい奴」というルッキズムとかわいそうランキングによる命の価値の偏りはあった。


 オルフェンズについては本稿では前文を以って省略するが、富野由悠季監督作品のGのレコンギスタでもバイザーで顔が隠れている兵士を主人公が殺害する、という描写はあった。主に前半のカットシー部隊やマスク部隊だが。


 主人公のベルリ・ゼナムは人命を尊重する優しい性格だが、彼自身が生き延びるために戦った結果として、彼は認識していないが、デレンセン・サマターの仲間のパイロットを死に追いやった。


 G-レコにおいてはベルリ・ゼナムは認識していないし画面にも映っていないが、デレンセン・サマターは撃墜された一人ひとりの同僚の名前を呼んで死を悼むという観測範囲の差が演出されていた。
 そして、デレンセン・サマター大尉最後の戦いで「貴様は何人の戦友を殺したのかわかっているのか!」という激怒につながるのだが。


 それは物語の演出として使われていると思う。劇場版のラストまで見れば明示されているが、主人公のベルリ・ゼナムが自分の視野の狭さに気づかされるという全体構造の一部に組み込まれていた。
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅰ』「行け!コア・ファイター」 (セル版)


※追記
 マスクのマスクは明らかに彼が素顔だったころよりも異常な精神状態になっており、それによって主人公のベルリを脅かすライバルだ、という強調のキャラ付けがされており、モブキャラクターとは逆だ。



※追記の追記
 第二話のカーヒル大尉はベルリにとっては無貌だったが、アイーダにとっては大切な人だった。劇場版G-レコを見ると、無貌のカーヒル・セイントのことをベルリが少しずつ理解して罪悪感を持ったり、忘れる許しが終盤まで引っ張られていたりした。という風にベルリの視野とアイーダの視野の違いを見せるためにカーヒル・セイントはいたのではないかと。


※蛇足の追記
 私の意見ではないが、Gレコ放送時に「ベルリはサイコパス」と言われた。これもおそらく、アニメの文法としてストレスなく殺せるモブ以外の人格のある人を殺したのに戦い続けたから視聴者にヘイトが溜まったんだろう。殺してもいい人はいないけどバトルアニメなのでベルリの方が現実的なのだが。



 対して、水星の魔女の顔が見えないパイロットはどうだろうか?


 顔が見えない相手を殺しても視聴者はメインキャラクターのスレッタ・マーキュリーに嫌悪感を抱きにくいというヘイトコントロールに利用されているのではないか?
 よしんば、スレッタの殺人を直視するとしても、「仮面を被って変な奴と見える毒親のレディ・プロスペラに洗脳されたから主人公のスレッタは殺人をしても悪くない」という免罪符に仮面が使われているのではないか?
 水星の魔女など、最近の売れ筋バトルアニメのメインキャラクターは商売の売り物になるので、殺してショッキングな場面を作っても、殺した相手のことを描写しないのでメインキャラクターに罪や嫌悪感を抱きにくい。


  • 機動戦士ガンダムの場合

 「相手がザクなら人間じゃないんだ」とは、機動戦士ガンダムの主人公、アムロ・レイがモビルスーツ越しの殺人の嫌悪感をごまかしている名セリフだが。
第2話 ガンダム破壊命令


 初代機動戦士ガンダムのザクの中のパイロットは、意外とジオン軍を映した場面では顔が描かれている。それどころか、指揮官のシャア・アズナブルが一人一人に対して名前を呼んで人格化している。それをアムロ・レイが知らないで殺しているだけで、視聴者には顔と名前がある人間が殺されているということは見せられている。


 敵のジオンにも事情がある、とはガンダムを語る時によく言われているのだが、アムロ・レイが殺す名も知らぬ戦士たちも顔と名前があるということは、割と執拗に描写されていたのではないだろうか。これは、富野喜幸監督の前作である無敵鋼人ダイターン3のメガノイドのコマンダーやソルジャーのエゴの描写から地続きだと思うのだが。
 メガノイドの側の人格描写で端的なのは無敵鋼人ダイターン3の第19話の「地球ぶった切り作戦」や第37話の「華麗なるかな二流」あたりだと思うが。


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 相手の顔を知ったうえでぶち殺す、と言うところに主人公の破嵐万丈やアムロ・レイ(「再会、母よ」以降)の特異な強さと覚悟が描かれていたと思うのだが。



  水星の魔女のスレッタ・マーキュリーの殺人は顔が見えない男を親の教えで潰しただけ、と言うところで覚悟が薄く、そして脱臭されて描かれていないだろうか?


 また、前々回の水星の魔女でノレア・デュノクというフォルドの夜明けの構成員が第一クールのラストのようにアスティカシア高等専門学校で破壊活動をした。
(フォルドの夜明けも地球の描写では記号的に過ぎるように見える。地球は広いのに、反乱組織が一個だけなのか?)
 ノレアはエラン5号とエモい会話をした後にドミニコス隊の、またしてもノーマルスーツのバイザーで顔が見えないドミニコス隊のモビルスーツの狙撃で殺害される。


 ノレアという美少女(最近のアニメでは美少女以外の少女を描くことが困難になっている)がエラン5号と言うメインの美少年の前で死ぬ、と言うところに重点が置かれているので、(これはOVAの第08MS小隊の終盤のジムスナイパーと同じ問題だが)狙撃したドミニコス隊のパイロットの顔は描写されない。(追記訂正、印象に残っていなかったのだが狙撃したパイロットの顔はガンヴォルヴァに襲われるときに映っていたそうです)


 わかりやすくメインキャラクターの生死や悩みに感動とヘイトコントロールを誘導するために、プロの軍人やアスティカシア高等専門学校の警備を担当しているデミギャリソンのパイロットや教員は無貌として描かれている。最新話でクワイエット・ゼロに攻撃される艦隊も、ほとんどキャラクターとしては立っておらず、たんに大勢の人間が殺されたというだけの記号のレベルである。
 もっと言ってしまえば、ドミニコス隊の隊員で顔がまともに描写されているのは司令のケナンジくらいであり、その彼も肥満体の男であり美しく価値があるキャラクターではないというルッキズムに基づいた線引きにおいて、メインキャラクターから一段下として描写されている。


 小説の機動戦士ガンダム閃光のハサウェイでも、冒頭の仮面のハイジャック犯は制圧拘束されて仮面をはがされた後も地の文で

 まだまだ生気があり、軍人とはちがう人種に思えたが、彼等なりに、なにか目的があってやっているという自信が、彼等の目に光を持たせていた。

 と個別の人間として描かれていたのだが。
 アニメの閃光のハサウェイでは仮面を外されたあとの犯人たちはうなだれて顔を見せない止め絵で処理された。
 しかし、仮面を被っている珍妙さはネットで人気が出たので商品になっている。
コスパ 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ カボチャマスク フェイスTシャツ GOLD XLサイズ 綿製


  • マジンガーZの場合

 いや、敵の兵士が仮面を被っているのは巨大ロボットアニメの初期にあたる「マジンガーZ」のあしゅら男爵の部下の鉄十字団のサイボーグの鉄仮面たちも同じだろうという批判反論は容易に想像できる。
 ただ、マジンガーZの鉄仮面たちは

「フフフフフ、この鉄仮面は俺たちの頭蓋骨にあたるのさ………」
「こいつを外すと脳みそが剥き出しになっちまう」
「そうさ、素晴らしいぞ」
「自分で考える必要が無いんだ。すべて命令どおり動けばいい」
「なんの悩みも無くなるんだ。楽なもんだぞ、君もそうなりたまえ」

 と、兜甲児に異常性をアピールしていた。もちろん、鉄十字団兵士は巨大な機械獣に比べたら大量にいるザコのモブ敵キャラであり、マジンガーZの作中での驚異の度合いは低いのだが。
 仮面をつけていることや個性をなくしていることについて「自分で考える必要がないんだ。何の悩みもなくなるんだ」と全体主義的な(マジンガーZ漫画版の時点では現代的課題であったナチス的な)思考放棄をしていて、自分の意志で人の頭脳をロボットにつなげて戦う兜甲児とマジンガーZとの対比関係は作劇できていたと思う。
マジンガーZ 1972-74 [初出完全版] 4


 単に人格も顔もない敵だから殺しても罪悪感がないモブキャラ、と言うだけでなく、鉄十字団の兵士は心を失って主観的な幸せを得ているので、人の心を加えたマジンガーZが神にも悪魔にもなれる、それを扱う兜甲児の葛藤というテーマに沿っていたと思う。
 それは転じて、人の命や人格を重視するというヒューマニズムの態度であり、「顔が見えないモブキャラは雑に殺してもメインキャラクターの人気は下がらない」という態度とは違う。


 ※追記
 他にも科学忍者隊ガッチャマンのギャラクターや仮面ライダーなどの敵の仮面兵士は多いが、凡庸というより異常者として描かれていた気がする。しかし、世代的に僕にはそれらの知識が足りないので深く言及はしない。

  • リコリス・リコイルの場合

 リコリス・リコイルは大人気である。美少女のヒットマンのコンビが大活躍する傑作アニメーションだ。「DA」という治安維持秘密組織が孤児の少年少女たちを殺し屋に育成し、暗殺させることで日本の治安を守っているという設定である。
 しかし、リコリス・リコイルの作中では、なぜ孤児が日本国にそんなに大量にいるのかとか、なぜ既存の警察組織では不十分で孤児を教育したヒットマンで暗殺をしなければ治安が守れないのか?などの疑問はあまり明確にされていなかったように思う。
 リコリス・リコイルのDAの暗殺部隊が発砲した薬きょうも回収する組織がいて、それは逆に非効率なのではないかと思った。
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 もちろん、僕はもう大人なので分かる。リコリス・リコイルは別にリアルな公安組織を描くより、かわいい美少女の人気を上げて商品を売るための作品なんだって、ね。
 リコリス・リコイルでも、ルッキズムはあって、主役の二人を立てるために、DAの他の少女たちの容姿は一段下がるようにデザインされていた。
 かわいくないリコリスは死んでも、ショッキングであるが、メインの二人にはあまり影響しない。


 僕みたいな40代のおじさんにとっては、女子高生なんかみんな子供だしみんなかわいいと思うんだけど。


 メインキャラクターの意匠をコラボレーション企画などに使って商品展開するアニメでは、きれいで美しく、好かれるキャラクターの数を絞った方が商業的に効率がいいのだろう。


 いちばん象徴的なのはメインキャラクターのリコリコの2人が戦う相手としての真島とその一味のテロリストの描写だろう。
 真島のパートナーと言える男性ハッカーのロボ太は特に理由もなくアナクロなロボットの仮面を被っている。(蒸れるだろ)彼は子供じみた性格であると設定されている。馬鹿にしていい悪役と言うことなのだろう。
 対して、味方側のハッカーであるクルミは年齢不詳であるが美少女である。
 劇中でもロボ太はクルミに負け続ける道化となっている。彼自身の心情は特に掘り下げられない。



 アニメでは美少女には価値があるが、それに対する悪役の男は軽んじてもいいし、軽んじやすくするために顔を隠す。真島も割と分かりやすい狂ったテロリストとして、バンドマンみたいな風貌をしている。
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 しかし、真島と共に行動していたテロリストグループの男性が顔を隠すようにサングラスをしていたり、天元突破グレンラガンの双子のような似た顔をしているようにデザインされていたのは、笑ってしまったなあ。
 ギリギリ、アランチルドレンである真島は特別なキャラクターのようだが、彼と行動を共にするテロリストには顔も名前も与えられていない。


 商品になるメインキャラクターの美少女の人気を高めるため、それと戦う悪役の男性たちは粗雑なデザインで個性も個人の名前も顔もわからないようなデザインと演出をしている。
 テロリストに顔も名前も与えないというのが民主主義国家の戦略らしいのだが、歴史学としては、情報を抹消するのはどうなんだろうね?
 もちろん、ストーリーを分かりやすく簡略化するためにやられ役の情報量を少なくするのは一つの演出技法であると思うのだが。
 テロリストや犯罪者は現代日本では迷惑な奴と定義されているが、その一人一人に殺人者になる成育歴とか事情があるんじゃないのかな?それを無視して、悪行をする奴はみんな同じようなモブキャラクターとして、美しい主人公によって殺すことは、表面的な治安は守っているのかもしれないが、テロリストになるしかない人の境遇を無視しているので根本的な治安維持にはなっていないのではないだろうか。



 もちろん、爽快ガンアクションのリコリス・リコイルとしては、カッコいい美少女が悪い悪役男性をとっちめる、というのが娯楽作品の要素として光っている。
 でも、カッコいい美少女を売り物にする商業的企画のために、やられ役の男たちの顔を仮面やサングラスやモブ作画で隠ぺいして暴力の重みを軽くするのは、どうなんだろうね?
 せめて、人殺しの顔をしろ。(スタングレネードでも当たりどころが悪かったら死ぬ)


  • 甲冑や化け物の場合

 もう、枚挙に遑がないのだが、戦闘シーンのある昨今のアニメーションでは仮面による匿名性、それに寄るそのキャラクターの命の軽視が見受けられる。


 異世界転生ものの、小説家になろう系アニメや、僕がBLAME!から愛好している弐瓶勉先生が原作の大雪海のカイナ、ノケモノのたちの夜など、割と多数のアニメ作品でも、「戦闘シーンの犠牲になる戦士、騎士、兵士」は顔を甲冑などで隠されていることが多い。本当に昨今、多い。それはいちいち脇役の顔のデザインをする余裕がないというテレビアニメの制作事情もあるだろう。実際、顔が描かれていてもほとんど個性がない顔のコピペで兵隊が描かれているアニメは多い。
 逆に、不滅のあなたへなどでは敵対してくる怪物のノッカーは顔がない怪物として描写されている。
大雪海のカイナ(1) (シリウスコミックス)
ノケモノたちの夜(1) (少年サンデーコミックス)
異世界召喚は二度目です(コミック) : 1 (モンスターコミックス)



 もちろん、アニメは派手な戦闘シーンで多くの死傷者を出す攻撃を描写するのが娯楽の要素の一つとなっている。
 それは否定しない。


 しかし、前項で述べたように、「作品の売り物になる美しいキャラクターの好感度を下げないため」に、そのメインキャラクターの攻撃や戦闘で犠牲になる脇役の顔を映さないという演出は、どうなんだろうね?


 顔を見せない人間なら殺しても罪悪感を抱かない?


 そう、この段階に至れば、過去のシャア・アズナブルやマッハGoGoGoの覆面レーサーなど、「顔を隠している人物には何か謎がある特別なキャラクターである」ということとは正反対の「顔が見えない人間は顔を映す価値もない凡庸で殺しても罪悪感を抱く必要のない脇役」という価値観が、最近のアニメでは横行しているのではなかろうか。
 明らかに手抜きの作画で特徴のない顔として描かれるモブキャラクターの登場するファンタジーアニメやバトルアニメもそうである。


 それはもちろんキャラクターデザインをすることや個別のキャラクターを立たせる労力が物語の主要なテーマに対してコストパフォーマンスが低いということもあるのだろう。


 同時に「売り物になる美しく華と価値があるメインキャラクターの活躍(戦闘)に巻き込まれる脇役に個別の人格がある描写をすると、メインキャラクターが罪を背負ったように見えるので、殺しても構わないような透明な存在にする」という演出意図を感じる。


 これは僕の主観的な感覚だがね。


 まあ、昔から時代劇の斬られ役の俳優は何作にもわたって出演していても顔を覚えさせない気配の消し方が技術だったりしたらしい。そういうわけで、最近のアニメだけが特別異常とは言えないのだが。
 

  • 余談1 進撃の巨人

 進撃の巨人でも中盤から巨人の正体は巨人にさせられた人間だったということが明らかになるが、主人公たちが爽快で派手なアクションをする際に殺す巨人は非人間的な風貌で描写されていた。
 ちょっと前に放送されていた、ノケモノたちの夜の悪魔やサマータイムレンダの影や四手などでも、主人公たちが戦っている時は、殺害しても構わないような異形で醜い感情移入しにくい化け物としてのビジュアルになっているが、その敵が死ぬときや味方になる時に「悪役にも事情があった」とするときは小ぎれいな顔つきに変化する。

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 昨今に限らず、殺してもいい悪役を描写するときに「わかりやすいキチガイ殺人鬼みたいな笑い方をさせる」「変顔をさせる」という演出は非常に多く、凡庸だ。

 ↑終末のイゼッタ

  • 余談2 輪るピングドラム

 輪るピングドラムは脇役や雑踏をピクトグラムとして描き、「この人たちは個別のキャラクターとは違う」という描写をしていた。これは逆説的にキャラクターの顔を奪うことに非常に自覚的であり、「甲冑やヘルメットで顔が見えないキャラクターをあっさり殺しても構わない」という作風とは違うのだろう。

  • 余談3 あだち充

 MIXのアニメを見ているけど、あだち充先生は70年代から50年近く漫画家活動をしてらっしゃるので、むしろ、オールドタイプな作家として、不細工な女の子を普通に描くのではないだろうかと思う。メインの顔は割といいんだけど。お調子者で顔が美形でないキャラクターも描いている。



  • ヘイトコントロールでの視聴の是非

 しかし、昨今のキャラクタービジネスを見ると、派手なアクションや戦闘で多くの人を殺すメインキャラクターだけど、メインキャラクターが殺人をするような罪を背負った人間として描くと悪いイメージがついて売れ行きが悪くなるので、殺してもいい人間を殺す、あるいは殺されても印象に残らないように敵の顔を描かない、という手法が最近とても、多いんじゃあないかと思う。これが僕の邪推ならそれでいいんですけどね。



 でも、僕もあまり容姿が優れた人間ではないので、ルッキズムや無貌の描写をもってして殺されても顧みられない化け物やモブキャラたちの方に感情移入してしまう。
 むしろ、モブキャラクターを殺してもキラキラしたイメージで売っている美少女や美形キャラクターたちは何かを搾取しているのではないだろうかと思ってしまう。


 僕は、美しくない人間なので、搾取される方の人間ですからね。


 そして、「殺してもいい顔のないキャラクターをザクザク殺しても、メインのキャラクターは美形だから人気だし、商品になる」、「悪い奴は見た目も性格も狂っているから殺してもいい」という商業主義的なヘイトコントロールに従って、アニメを見て、それで楽しんでいる人も、命に対する価値観を誘導されているんじゃあないかって思うんだよ。


 いや、メイドインアビスとか、ゴールデンカムイなど平等に命が重くて軽い作風でちゃんと売れている作品もあるんだけどね。

  • ガン・オーダーズ THE GUN ORDERS ~銃撃請負人~

 ジャンプルーキーに掲載されたガン・オーダーズという萬画の作者の人と僕はTwitter上での希薄な知人関係にあった。
rookie.shonenjump.com


 ガン・オーダーズの第一話を読んで、僕は失礼な読者なので作者に以下のような感想をDMした。
「リコリス・リコイルと同じ轍を踏んでいて、メインのキャラクター二人を立てるために、メインキャラクターに銃殺される脇役の作画が薄い。メインキャラクターが他者に共感しない演出は分かるのだが、読者にも殺してもいい脇役と大切にされるメインを作画で差別するのは、命に序列をつけているようで、気に入らないな」と、感想を送り付けた。僕はひどい奴だよ。


 その僕の感想文が影響を与えたのかどうかは知らないが、第2話では改変が行われた。


ガン・オーダーズ THE GUN ORDERS ~銃撃請負人~ 2話 - ジャンプルーキー!


 無貌で仮面を被っていた無名のテロリストが、主人公に影響されて素顔を晒して死んでいくことで、主人公たちの行動の指針になっていく。
 僕は無貌で無名のテロリストを爽快に殺していく人命を軽視したアクションより、顔を見た人間の死に影響される主人公の方に人間味を感じる。


 ガン・オーダーズの第三話はまだ更新待ちだが…。



 ちなみに、アニメ化された萬画と知人がジャンプルーキーに載せた萬画をブログの記事で同列に語ることの是非については、「画力やキャリアは関係ない。ネットや紙面に公開された作品は全て同じ土俵だ」というのが僕の意見だ。
 いや、僕も脳内妹と僕が結婚するまでの小説の続きを20年も書いているのに、本編は半年くらいしか進んでいないので、俺ががんばれよ、って話なんだけどな。



  • 結論

 このコラムは後2回に渡る予定だけど、この時点で言うのなら「殺されてもいい人間をメタ的なルッキズムや顔の描写の有無で差別するのは気に食わない。人殺しの顔をするのが殺しをするときのせめてものマナーだろ」というのが僕の気持ちだ。


 だけど、人殺しは現代社会にとってはタブーなので、そういうケガレのあるキャラクターは売れにくいので、脱臭して商品化しているんだろうな、とも思う。
 人殺しを脱臭して商品にしているけど、しかし、かつて殺人ミステリの作者の貴志祐介先生の講演会を聞きに行ったことがあるが、読者の興味を一番喚起するのは「キャラクターの死」であるので、そういうものを売っている小説家の生活のために暴力描写を規制するのは反対だ、ということだ。


 しかし、現実の三次元の肉人間に過ぎない小説家の生活を支える収入のためにエンターテインメントとして殺される架空の人物の人権の侵害も憂慮するべきではないかな?(押井守のイノセンス的な)

  • 続く

 「水星の魔女とか最近のアニメって仮面を被ったモブキャラを便利に使っているよな」、という程度の話題のわりに、僕の悪癖で文章が長くなった。
 ルッキズムと価値観の話は次の事項に続く。


nuryouguda.hatenablog.com
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  • ほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
↑グダちん用


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