高校2年のころの私は!
体育と家庭科以外の成績は学年トップクラス!(あくまでクラス!)
そして、エヴァ厨!メガネ!脳内彼女はアスカ!
私服の学校だったのでネルフのバンダナを巻き!エヴァTシャツを着て!根性戦隊ガッツマンの隊員証を持ち歩く
キ!モ!ヲ!タ!
もちろん、読書感想文はエヴァンゲリオンの脚本集と尾崎豊である。
ふははははは!
「あんたって奴は典型的な方だなぁ!そこの坊やのほうずっとが人間が出来てる」
もちろん、現在ブログを読むように、アニメ雑誌を読み、アニラジを聞き、竹熊健太郎などの評論本、謎本を読んでいたものさ。
いやー、そのころの僕には評論家と言う人種がとてもまぶしく見えたんだなあ。
つまり、作品を見るだけでは分からない解釈論と言うものを、きらびやかな詩的表現と探偵的な推理で啓蒙する人たちだと!
そのこじ付けを知恵だと思ったのである。
高校生の私は、そのような人になりたくて、そのような人を真似ようと思った。
まー、高校生らしいシド・ビシャスのものまねみたいなものです。今は、ロットンの方が好きです。死んでない所とかが。
そんな気分でいると、夏目漱石のこゝろの主題を読めという問題が定期テストに出た。
その時の私は、エヴァンゲリオン評論家かぶれだったので、エヴァンゲリオン評論のように、アクロバティックな推論を大仰な表現でぶち上げてみようと思った。
エヴァンゲリオン評論表現をパスティーシュしてみようと思ったのである。
理系の進学コースだったのになあ。数学を頑張れよ。数学は4しか取れなかった。まあいい。
んで、書いた。
Kというのは「彼」、彼岸の存在、ということのメタファなのではないか云々
と、自分では全くそんなことは考えていないのに、そう書いた方が大げさに見えるだろうというだけの事を書いた。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3130969.html?ans_count_asc=20
まー、ググッたらこういう意見も在るんで、ありがちな高校生の発想なんだったんだろーと思う。
そういうわけで、テストが帰ってくるまでに、猛烈に恥ずかしくなった。
そもそも、教科書に載っている範囲で夏目漱石の意図を読み解くと言う事自体が無謀だし、それにかこつけてふざけた僕は本当の愚かだと思った。
ぶっちゃけ、Kがメタファーだと言う後に、何を書いたかはもう思い出したくないので忘れた。
テストは点数も見ないで捨てた。
やっぱりね、気取って嘘を書いてもダメですよ。鬱になります。
そーいうわけで、僕は物事を良く分かった振りをするよりはバカになろう、なるべくバカに見えるようなことをしよう、どうせバカなんだから!低リテラシーになりたい!そもそも図書館のほんの1%も読んでない!
と、どんどん自意識をこじらせて行ったのですが、現在のような風体になるまでにはもちろん数年かかったわけです。物理的に。
でも、知ったかぶりはよくします。