玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

輪るピングドラム第4話[舞い落ちる姫君]記号化するアニメの姫と、青少年を操る監督の王

大爆笑!
いやー、ディフォルメ顔とか、お花畑イリュージョンとか、おジャ魔女どれみのギャグ回みたいな、大胆な絵の崩し方とか、変な動物とか、ふざけてるの?
でも笑えたし、笑うのは健康にいいので、いいと思います!
でも、原作の小説を読んでると、原作は耽美兄妹美少女近親相姦小説だと思ってロマンチックに読んでたのに、この演出!原作レイプだわ!って思う!話も違ってるじゃん!こんなシーンなかったじゃん!でも、小説の原作もアニメのシリーズ構成も、アニメーションの監督もOPや一話の絵コンテも音響監督も幾原邦彦なのだ!

これは困る!両方面白いのがまた困る!しかも両方とも面白さのベクトルやメディアが違うのが困る!
「このアニメはこういうアニメにした方が面白い」「結末とか演出はこうした方が良いんじゃないの」とか、アニメ批評ブログでみんなたくさん語ってるのが流行りだけど、(まどか☆マギカとか)本人が原作レイプをしてるとそう言うのができないので困る!
でも根っこが同じなので困る!
まあ、イクニを批判する気はないし、非難しようと思って見てると人生が楽しくなくなるのでやめよう!って俺は思う!


↑ここまで枕


今回のスタッフは
絵コンテ・演出 金子伸吾
作画監督 田村正文&進藤優



しかし、思うのはこのアニメーションは非常に記号的だと言う事である。人形劇とか。
あと、アニメーションとして、中の動画が少なく、キャラクターのフォルムを印象的に見せるのが、昨今のアニメには少ない感じ。なんか手抜きに見える所もあるが、美術とか、一枚ずつの綺麗さとか、あとテンポとか、脚本とか展開のアップダウンの面白さとか。そこら辺が面白い。


あと、面白いのは、バンク。
3話までのプリンセスオブザクイーンことプリクリの変身シーンの生存戦略シーンバンクでのプリクリや高倉冠葉、高倉晶馬兄弟の表情が、台詞が違うのに全く同じバンクというのが記号的。
これは、富野由悠季が新訳機動戦士Zガンダム劇場版で、20年前の同じ絵を使いながら、全く違うセリフを言わせたのと同じである。
そして、新訳Zガンダムについてブログ界隈では当時、「富野はアニメーターが描いた絵を信用してない」「絵を軽んじている」「トミノひどい」という意見と「演出でここまで印象を変えるのか!すごい!」という富野信者の俺などの意見などで割れたのだった。
ピングドラムのバンクは、まだイリュージョンだし、変身バンクだし、随所に牛とかネタを仕込んでるし、今後も色んな新展開があるので富野ほど批判されないとは思うが。

で、
今回の人形劇とか、苹果ちゃんのイリュージョンとかですよ。
あと、3話にもあった陽毬ちゃんのおでこシャイニングですね。今回なんか陽毬ちゃんの頭から、如来のように光が出てたしなー。ちなみに、この場面、小説版では「陽毬は殺人的にかわいい」と書いてある。
過剰に光る。あり得ないよね。
あと、荻野目苹果ちゃんは3話から空想してた。空想の中で顔芸をしてた。眼が白くなったり、って思ったら、それが「苹果の頭の中の空想でした」っていうフキダシになってフェードアウトしたり。
あと、3話で苹果が時籠ゆりさんの前で「最悪」って言ったのは、ものすごい顔になってたけど、小説版では「『最悪』つぶやいた声は苹果自身のこころにすら届かなかった」って書いてある。つまり、時籠ゆりさんには苹果ちゃんの顔芸、すごい表情が見えてない、という事になる。
だとしたら、もしかすると、苹果ちゃんがカレーの鍋を掴んだ時に手から湯気が出たのは、本当は出てなくて、萬画的な強調表現というイリュージョンだったのかもしれないって思う。実際、火傷の描写はないしね。ぬるくなったものを温め直し始めたから、鍋は酷く熱くはなかったのかも。ただ、苹果の主観としては、湯気が出るほど熱く思えて、アニメの演出も主観的に描いた、と。


ここで、アニメや萬画の表現の不思議さが出てくるのですよ。
萬画とかで感情を表すために出てくるでっかい汗の記号や怒りマークの血管とか、実際には見えないよね。苹果ちゃんの顔の後ろのどす黒いオーラとかも、実写なら映らない。もちろん、頭の中のイリュージョンや人形劇も実際じゃない。
見えない。
でも、それを映すことで、アニメを見る人は「こういうメッセージとか、こういう感情を表現をしてるんだな」とか「このアニメはリアル」「このアニメは漫画っぽい」とか、思うわけだ。


そこで、だ。
この輪るピングドラムというアニメーションにおいて、キャラクター同士の表情はどこまでお互いに認識され合っているのか?という問題が生じる。
ほら、すっごく象徴的なのが、「見えないペンギン」だ。触った感触はないけど、物を動かせる。
それは、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメに出てきた幽霊のめんまが物を動かせることに似ている。が、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」では、その現象は最低限不思議な物だと描写されていた。
が、今回、第四話で頭の上に皿を載せて走り回るペンギンを見た(ペンギンは見えていないはずの)苹果はノーリアクションで、無表情。(・_・)こんな顔。
(・_・)この簡単な顔の描写、ちょいロングのカットで多い。他のアニメなら、もうちょっと書きこむだろうと思う。つまり、省略ではなく、意図的に演出意図を持って、こういう顔(・_・)をさせてるって事。
あと、ペンギンが特に意味もなく頭に蝋燭を載せて我慢していたり。
物凄く、絵が嘘っぽい。というか、嘘を嘘だと分かってやってる。しかも、それがギリギリ悪ふざけでない程度に、すごく面白いのが不思議な所。実際笑えたし。
めんまの超常現象としての考察がちゃんとされてないから、”あの花〜”はよくない」ってネットに書いてる人を見たけど、ピンドラはもっとひどい。整合性、なし。ペンギンはどこかからか殺虫剤を出す。


で、全体的にこのアニメは漫画っぽいなーっていう描写が多い、って思ったのが4話。
で、「萬画だからふざけてるだろー」って安心してる所で、ラストには次のヒロイン夏芽真砂子が謎の登場!スリル!ショック!サスペンス!


この、ギャグとシリアスのバランスの急なアップダウンは小劇場とか舞台っぽいノリに近いなーって思った。
ああ、俺は少女革命ウテナを見てないから、自分の学生劇団員時代に見てたつかこうへいコピー劇団とかの思い出を書いてる。っていうか、ウテナ見ろよ。出崎統おにいさまへ…まで見たら見るよ。
演劇については萬画家の篠房六郎さんも書いてる。

sino6 篠房六郎
話が上手くまとまるか分からんけど、今やってるアニメで「日常」があんなにも生真面目な造りに見えて、「ピングドラム」があんなにもやりたい放題の不真面目な造りに見えるかについて考えた。
7月28日


sino6 篠房六郎
ウテナを仕事中に一気見してて思ったのだが、幾原監督は漫画でも小説でも実写でもなく、アニメになった時に一番面白いギャグ、というのをちゃんと選択してやっている。同じ顔の3人組がリズムに乗って次々現れる、なんてのはまさにそれ。
7月28日
篠房六郎
https://twitter.com/#!/sino6/status/96593721679822848


sino6 篠房六郎
お笑いで重要なのは、舞台に立って、客が退屈してるなと感じた時どれだけ即興で対応出切るか、と言う事。ウテナピングドラムのすごいのは、ふざけたシーンは的確に話の流れ上、間が空いてしまった時に的確にやっているのと、それが本当にアドリブで、適当に遊んでいるように見える事。
7月29日
篠房六郎
https://twitter.com/#!/sino6/status/96604337404526593


sino6 篠房六郎
いざとなれば、脚本と音響をコントロールしてオリジナルでギャグを作って差し挟める監督、というのはやっぱ稀有で、とんでもなくすごいっす。
7月29日
篠房六郎

https://twitter.com/#!/sino6/status/96605355928330240

まあ、上手く出来てるかどうかは別にして、僕も舞台に立った時、お笑いではなくコメディードラマだったけど、「あー、なんか今日は客がつまんなさそうだからなんか目線を変えたりしようー」って演じながら思ってたりした。
アニメを見る上で、演劇経験はとても役に立ってる。
まあ、劇団はものすごい不義理な形で辞めてしまって、申し訳ないと思って、思ってるだけで何の恩返しもするつもりはないが。
いや、イクニが演劇実験場・天井桟敷が好きってことくらいは知ってる。


で、イクニは小説の原作も連名で書いてるし、原案もやってるけど、音響監督もやってるのが劇団っぽいよなーって。
絵とかはバンクだったり、イリュージョンだったり、わけわかんない事をやってたりするし、見ようによってはイクニは絵を信用してないように見えるけど、音響監督って言う芝居の部分で役者さんを操ってまとまり感をつくってる。まとめてる。
実際、同じ絵でも声優の演技が違ったりするだけで、バンクシーンでも違う感情表現に見えるしね。
アニメの絵は、それだけで完成されたものではなく、声によっていかようにもイメージが変わるっていう現代アート的な感じすら受ける。
カオスラウンジよりも、自分の作ったアニメの実在性を自分で壊しているのが、アートとしてとがってると思う。
この、アニメの内部世界のリアルさを破壊しかねないほどに尖った演出については、映画版のルパン三世 ルパンVS複製人間を思い出す。これについては、アニメスタイルの「もっとアニメを観よう」神山健治の「監督をやるなら観ておきたい20本」(2)で語られている。

神山 人それぞれ意見はあるかもしれないけど、僕は『マモー編』は映画だと思ったの。「すっごい映画」だという気がした。「作品が映画になる瞬間」っていうのがあって、アニメもそうなるんだなと思ったんだよね。『マモー編』も『カリオストロ』も映画館で観た時にね、とにかく「映画だな」と思ったわけ。当時、すでに東映長編はなくなってたから、久しくなかった感覚だった。
 『マモー編』は、僕らが劇場作品をやる上で、ひとつの指針にはなると思うんですね。あの作品が持っている大人の香り。それから『マモー編』って、写真とか絵画のコラージュを使うじゃないですか。ああいった手法は今はやりづらくなっているけど、アニメを作る上で、それが2次元であるっていう事を最大限に生かしてたと思うよね。それはマンガ映画としての手法であって、今は失われちゃったものなんです。それを含めてひとつのパッケージとして完結したものだと思いましたね。あれをやろうとすると、僕らの世代は、拒絶反応があるんだよね。
―― 突然写真を入れたりする事について?
神山 うん。質感の違うものを登場させる事に、僕らの世代はアレルギーがあるの。空間が存在してるものを作ってるっていう自負があるから。そこに2次元のものが入れると、キャラクターが2次元の存在であるという事を、観客に教えてしまうんじゃないかという不安がどっかにあるんだよね。『マモー編』には僕の世代にはできない演出がまだ残ってて、それはやりたいくないわけじゃないけど、やれないという感覚がある。そういう意味でも、あれは観とくといいかもしれませんね。そういうアレルギーがない世代が現れて、突然復活するかもしれないから。
―― 『マモー編』の前に、虫プロのアニメラマで『千夜一夜物語』と『クレオパトラ』があるんです。『マモー編』はその血を引いてるように思いますね。
神山 うん。そうだと思います。でも、それは今のアニメの文脈としてはないじゃないですか。
―― あれをやっても、今の観客は理解できないかもしれない。突然、アトムが飛んでくるカットがあって、どこにも繋がらないみたいな。
神山 うん。でも、それって逆に凄く映画的だと思う。その画をとりあえず入れとけみたいなね。そういうコラージュによって、もしかしたら、映画って「映画」になるのかもしれないし、それは分かんない。
http://www.style.fm/as/04_watch/watch21_2.shtml

神山さんが言ってる、映画的な復活をピングドラムはやるかもね。
幾原邦彦監督がアニメに興味を持ったのも、虫プロのアニメラマの「哀しみのベラドンナ」だし。


だけど、コラージュやバンクだからといって、ピングドラムは絵を馬鹿にしているとか、単純に絵を信用していない、という感じもしない。
(力を入れているシーン以外、動画は少ないが、)やっぱり一枚一枚の絵は綺麗だし、レイアウトとかも決まってるし、過剰にカレーが舞い踊ったりするので、アニメーションとしても頑張ってる。1話の陽毬の寝室の美術とか、クリスタル空間のCGもすごい。(ただし、バンクだけ見てたら観客が飽きると言う事もイクニは知っているので、4話ではプリクリは無し)
3話のバンクは牛だけでなく、ウィンクする冠葉の顔をワンカット入れるだけで、違う芝居にしてるしね。そこらへんの感覚がすごい上手い。


そんで、
演劇はやっぱり生の役者というのがある。だから、変なイリュージョンは基本的に入れにくい。
でも、ピングドラムはアニメだから入れやすい。というか普通のアニメの領域を超えて入れてる。
演劇は生で観客の反応を見ながらアドリブを入れていくと言うのがある。
でも、ピングドラムはアニメだから観客の反応をあらかじめ先読みして、どこにアドリブっぽいギャグシーンを入れていくかを天才的に考えてるっぽい。(と、言うか、幾原監督自身や他のアニメスタッフが幾原の原案や、高橋慶さんとの原作小説を読みこんで、違うアイディアをたくさん出しまくっていると思われる)


そして、我が敬愛する富野由悠季も、やっぱり演劇的志向がある。で、富野監督は音響監督としてはクレジットされないが、アフレコにも立ち合う。だから機動戦士Zガンダム映画版は同じ絵に役者の台詞を入れ替えたり役者を入れ替えて演出し直しても、「舞台の再演」の一言で納得させられてしまった。(賛否両論あるけど、僕は好きです)


それと、富野も幾原も絵コンテでのテンポの制御が上手いよね。
出崎統系譜でもあるんだけど。
やっぱり、絵コンテが上手いと、リズムが良いし面白いよなー。
あと、編集のパッチワークで違う意味合いにする所とかも似てる。
もちろん、そこは多かれ少なかれ、映像をいじる人はやる事だけど、特にうまい。



と、言う訳で何が言いたいかと言うと、
輪るピングドラムはイリュージョンである。」3話の晶馬の台詞じゃないけど。イマジン!
そういえば、僕も下手だったけど、演劇でパントマイムをやったことがあった。演劇でパントマイムができたら、すごい幅が広がる。演劇ってマンガみたいな記号やアニメや特撮みたいな特殊効果は出せないけど(まあ、金を出したらちょっとした爆発とかの特殊効果は使えるけど)、パントマイムで観客に「無い物をあると思え」って思わせられたら、宇宙だろうが時代劇だろうが超能力だろうが、全然衣装が違ってても小道具が無くても、あると思わせて楽しませることができる。それが、イリュージョン。手品?
だから、視聴者の方も「よくわからんけど、役者がやってる事を信じて楽しもう」という、演劇を見る時の観客のような気分で輪るピングドラムを楽しみましょうと思う。
楽しんだ方が人生が楽しいからな。



だからといって、「全部が全部、虚構だ」と思うのも違うと思う。
時籠ゆりさんが苹果ちゃんに言った「貴方には勝ち目はないと思うわよ」とかの女っぽい生のセリフは、漫画絵でも、生っぽい物だと思う。それはアニメの絵がディフォルメされたりコラージュされたでイリュージョンであっても、真実。
イリュージョンまみれのアニメから、本当は何が起きているのか、どの部分が真実か感じ取るような、アンテナの警戒心は持っておいた方がいい。
それもまた、楽しみの内。



あ、あと、劇場版ウテナに出演された及川光博王子、宝塚歌劇団の壇れいさんとのご結婚おめでとうございます。
ファビュラスマックスー♪
私は女優ー♪
まさか、多蕗圭樹先生と時籠ゆりさんのモデルってミッチーと壇れいさんじゃないよね?でもなー?イクニだしなー。
ファビュラスなカップルおめでとうございます!


あと、能登麻美子さんの歌はそんなにひどくないと思う、というか面白かったよ。上手いと思うよ。



あと、内容の事を言えば、ピッキングして、恋愛被害者の会をされて被害者があんな目に遭って、修羅場ワールドまっしぐらの兄の冠葉と、荻野目苹果と微妙なパートナーと偶然キッスで清純に少しずつ付き合っていくボーイミーツガールな弟の晶馬の対比が面白い。
今回は陽毬ちゃんの出番が少なくて、苹果デーだったけど、今後、他のヒロインや謎の人物が登場したり、変わってくるのかな。9話までは小説で知ってるけど。
もしかすると、苹果ちゃんは前半で消えるかも。他のヒロインの方が重要になるかも。高倉兄妹は出ると思うけど・・・。
っていうか、小説では、兄たちが駆けずり回ってる間に、陽毬ちゃんはもっと可愛いシーンとか生っぽい孤独なシーンとか有ったんですけど!もう、すごい耽美小説のヒロインらしい萌え萌えな妹描写があったんですけどおおおっ!病弱でしかも孤独で美少女で妹でも絵だったのに!
いくらアニメがエンターテインメントで、耽美な小説とメディアが違うと言っても、陽毬ちゃんの出番が少ないと妹萌えの俺は辛いッ!




あと、エンドカードの「生存戦略ムシケロリン!」はさすがにふざけすぎだろう。おもしろかった。
レッツデスティニー!