今はネットカフェからアクセス中だ!
いおりんと二人っきりで狭い個室に……。
いおりんは前日に用事があって寝てないので、俺の隣で寝ている。ウホッ!
20時半からまた2回目のクラナドを見るのでそれまで、現時点での感想を書こうと思う。
とりあえず、いい映画でした。よい日本映画でした。邦画として十分に通用するレベルの作品だと思います
。
美少女ゲーム原作のアニメーションなのになあ…。しっかりとしたいい作品だった
家族で見たいぞ。
日本映画として、鍵厨だけでなく普通の人が見れる映画だと思う。
でも、見ないんだろーなー。いや、見ろよ!
地に足の着いた、着き過ぎたストーリーでありながら、フィクションとしての希望、映像としてのディフォルメされた描写がバランスを取り、映画らしい雰囲気になっている。
それはたんなるタイアップものやテレビドラマや役者の人気に頼った映画ではなく、ひとつの短編物語として完成されていると思った。
で、ここ2週間、クラナド漬けだった僕からみると、CLANNADのパラレルワールドやCLANNADの設定を使った二次創作という印象よりも、
ゲームで描かれなかった部分を、別メディアの特性として描いて補完しあうものになっているという感じを受けた。
それにしても、ここ2週間強はクラナドしかやってない生活だったので、これから先どうやって生きていけばいいのか目標を見失いがちです・・・。渚・・・。
いや、勉強しろよ。
以下、ネタバレを含みます。
ゲームの何を補完したのかというと、ゲームでは描かれていなかった、岡崎朋也と春原陽平の挫折のシーンの具体的な描写、古河渚の演劇、そして、だんご大家族。
っていうか、だんご大家族の作詞は出崎統監督本人だとは!スゲーッ!イェー!出崎最高ーっ!
ネットカフェにおいてあったニュータイプ7月号の出崎監督インタビューによると、「まず最初にだんご大家族の歌を具現化しなければ本編は作れなかった」というほどの熱意!すげえ。
歌としてもちゃんとみんなのうたっぽい感じでいい歌だった。中原麻衣の歌もかわいかったよー。
だんごっだんごっだんごっだんごっ♪
うううう。耳からはなれねえ!
京都アニメーションはこれ、どうするのかな?使うの?
だんごっだんごっ♪
芳野祐介の緑川光の歌声もすばらしかった。
ラブスパナが聞けなかったのは残念だが。
あと、全体的な雰囲気としては、劇場版AIRの神尾観鈴のときと同じく、みんなポジティブなんだよね。
渚たんがエロい子になってた。積極的にがんばれる子になってた。
ほかのキャラクターも全体的にゲーム版よりも基本的な生きる力みたいなものが強くなってるという印象。
なんとか自分のできることを精一杯やろうとしていて見ていて好感が持てる。
原作のクラナドは、現代っ子のおたく向けだからかどうかは知らないが、弱さを肯定、というか前提としている。
どうしようもない事や理不尽なことが存在するのは当たり前で、その中でキャラクターが苦しんで何もできないところに切なさや悲しみを感じて、それで感動する。
ヒロインはトラウマをかかえているのがあたりまえで、それをプレイヤーが救済して、擬似的にプレイヤーが救済された感覚を得て、感動する。
まあ、僕もすげこま君とか電波オデッセイとかエヴァンゲリオンとか好きだから、そういう感動が駄目とはいわない。
でも、鍵ゲーって厳しく言うとうじうじしてるんだよな。そんで、ウジウジが自然なことだと思っている。
まあ、僕も思っているけど。
それで、鬱なのが自然だから救済って言うのはなんかオカルトだったりするわけなんだよね。
ゲームをやり直して光を集めたりとか。
でも、出崎はアニメ業界で戦ってきた男だからか、ウジウジする事が自然だ、という僕らとは一線を画する。
だから、渚って最初からトラウマを乗り越えている風に描かれている。僕なんかはトラウマとか精神病である自分に逃げ込んでしまうことが多いんだけど、出崎アニメのヒロインは逃げない。
とまれ、ただ単に明るく軽く振舞ってるんじゃない。
やっぱり、逃げないでいてもどうしようもなくなることはあるし、受け止められないことも多い。
その点もうまく描かれていたなあ。
むしろ、岡崎のほうがよっぽどウジウジしている。ニヒリストぶってるけど。
親父との関係性においてもゲーム版は岡崎が全面的に被害者だけど、映画版では岡崎も普通の子供という風になってて、それは出崎の年寄りとしての責任を持った第三者的な視点なんだろうな、と思う。
それにパンフレットに、出崎は「岡崎は国崎の生まれ変わりだと思って作った。男の子はいつも、苦渋をなめながら人生をやっているんだ。」と、つらい事にあう男を肯定的に受け止めているし、あしたのジョーやエースをねらえ!との関連で、挫折する人間に対する好意的な目も持っている。
これは出崎がアニメーション演出を確立した実績を持つ作家でありながら、宮崎駿ほどの評価も富野ほどの流行もなく、原作に隠れてきたり貸し本漫画家になれなかった経歴もあるんだろうねえ。
パンフレットの編集はAIRに続いてスタジオ雄の小黒祐一郎氏を中心に、スタッフ、キャストインタビューが的確かつ多量にまとめられていて設定資料集も充実してとても出来がいい。
これを読んで、もう一回見てみるぞ。
ちゃんとみんな考えて作ってるんだなーって感じ。
今回は出崎監督は脚本を作る段階から、脚本家の中村誠氏とゲームを録画したビデオを見ながらセッションして、ゲーム版CLANNADの個々のシチュエーションよりも、広いテーマや雰囲気を基本から構築したということで、それはよいなー。
演出や作画に関しては、大暴走作品だったA I Rよりもだいぶんおとなしくなっていた印象。
AIRは光が白く飛んでいたり、暗転を多用したりと、やりたい放題だったが、それをよりはおとなしかった。
普通のアニメに比べると、それでもやっぱり出崎だったけど。
で、前半はギャグや出崎作品のセルフパロディーも多かったんだけど、中盤の演劇シーンから最後までの盛り上がりや緊迫感は圧巻だった。
あの演劇シーンでは鳥肌が立ちまくりで興奮した。ああ、めくるめく出崎のファンタジー。
ネットで感想を軽く見ると、アニメを見るのに慣れた男性にはシニカルな見方をされて、ラブストーリーやイメージとして見る乙女にはちゃんと受け止められているようです。
おれは乙女。
うちの脳内妹は、「朋也が、好きだと自覚すると同時に告って結ばれるのが、かっこよくってうれしかった。やっぱり、男の人にはリードされたいなー」と言って喜んでた。
ラストシーンについては、「愛は大事だけど、愛は二人だけのものじゃなくって、みんな一人じゃないんだよねー。よかったねー」って感動してた。
ネカフェを出ないと駄目だから、この辺で。