玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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おにいさまへ…第36話蛍火、恋に燃えて…第37話回転木馬(メリーゴ−ランド)

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  • 36 蛍火、恋に燃えて…

脚本:森雅美 金春智子 絵コンテ:出崎統 演出:野上和男 作画監督杉野昭夫


終盤であり、名作であり、心が震えて、自然に涙がこぼれた。僕は出崎統が好きだし、このアニメの芸術性も気に入っている。だから大切にしたい作品だ。だからたくさん感想を書きたい。
悪いが、私も先日身内に不幸があって、妹の朝霞れいを亡くした一の宮貴や、親友のサン・ジュストを亡くした折原薫のように、心が参っている。
だから、あんまりきちんとした感想は書けない。特に、こう言う、生と死と、家族や対人関係を題材にした物語はきつい。気力が湧いてこない。
というか、勝手にうつ病になって、助けてやれることができなくて、家庭を崩壊させて、母親に目の前で自殺された僕みたいなクズにとっては、こういった物語で泣いたり笑ったりする資格すらないんじゃないのか?
物語の中の美しい人々に比べて、なんて自分は劣っているのだろう!と感じて辛いです。


でも、美しい人たちも親しい人の自殺に近い事故死に苦しんでいる。(私の母の自殺も半分は精神錯乱による事故的要素が強い)罪の意識に苛まれている。
だから、そこは共感する。そこで、心が震える。涙が止まらなくなる。
僕だって薫の君の乳がんとは違うが、パニック障害や気分変調症ストレス障害などの病気を長く患っていて、仕事もなかなかうまくいかず長くは生きれないし、ましてや家庭を持って人を幸せになどできないという予感を持っている。
だから、薫の君の遺族としての苦しみ、自己否定、病めるものの不安、人生への恐怖、過ぎ去った過去の思い出から受ける痛み、などが、出崎統の超絶に才気走った演出のリズムに乗せて打ち込まれると、本当に辛い。
でも、見るのをやめてしまうと、アニメを見るということもやめてしまうと、本当に自分が死んでいるのと同じになってしまうから、苦しくても見る。修行か。なんでテレビアニメごときで修行をしてるんだ。俺は?オタクだからか?


一つだけ考察めいたことを書くと、このアニメは現実の90年代初頭の日本を舞台にしながらも、主人公奈々子のモノローグが空想と手記の両方に曖昧にまたがっているアニメであるし、演出にも象徴的な手法が多く用いられているので、全くの写実主義ではなく、むしろ浪漫主義や感情主義の雰囲気で演出をチューニングしている作品だと思う。
だから何が言いたいのかというと、薫の君が野外で全裸になって恋人の辺見武彦氏に乳がんの傷跡を見せるが、それは本当に全裸になったのではなく、精神的に全裸になったことを、「全裸の絵」として見せたのではないか?という気がするので、薫の君は痴女じゃないと思う。
仮に全裸になったとしても、それは彼女の覚悟と情熱の表れであって、「女が脱いだ!変態だ!」という奇異の目で鑑賞すべきではないと思う。真摯に彼女と彼の恋を受け止めたい。

脚本:金春智子 小出克彦  絵コンテ:出崎統 演出:廣嶋秀樹 作画監督:内田裕
私の家庭は崩壊しているので、こういう父と息子の13年ぶりの和解を見るのは本当に辛い。しかも私は辺見武彦氏のような才能もないし体格も悪いし精神は不安定だし女性にもモテていない。だから、イケメンへの嫉妬よりも、自分の劣等性を突きつけられるばかりである。


アニメオタクとして考察めいたことを言うと、28話の信夫マリ子の父との会話と、今回の辺見武彦と離婚した父親である御苑生教授との13年ぶりの再会の会話は対比的だと思う。
メディアの違いを理解せよ?おにいさまへ…28話をヒントに - 玖足手帖-アニメ&創作-
で、信夫マリ子とマリ子の父の樋川信夫は、たくさんの言葉を重ねてもそれはエゴのぶつけ合いで、愛があっても、家庭は壊れた。父は離婚して愛人のもとへ去った。
逆に、十数年前に家庭が壊れて再開した辺見武彦氏と父の会話はぎこちなく、言葉少なの男同士の会話だったが、それでも二人の愛が絆を取り戻すんじゃないか?という予感を感じさせる、そんな情熱が伝わってきた。
特に、面会した研究室から丁寧に挨拶をして去っていこうとする辺見武彦の背中に向かって、不器用な父が必死の思いで声をかけたことが伝わる、出崎統の渾身の画面分割&時間差カット割りは僕の心を打ち、揺るがした。




(↑ここで声をかける)

父「駅まで一緒に行くか?」

息子「はい!」

父「そうか、では」
この父親のカメラからの距離の微妙な揺れは演出的にすごくギリギリで、撮影の失敗とも思われそうなものだが、明らかに父親の揺れる心を痛切に描いていると感じられ、素晴らしい。


駅の中でまた辺見に父親として声をかけて留学していく息子を必死に励ます父親の姿を羨ましく思った。

励まされるほど頑張っている辺見武彦氏に劣等感を感じた。
僕は、こんなふうに熱を持った家族のコミュニケーションができるのだろうか?いや、できない。こんな優秀で落ち着きと知性を持った息子として育つことはできなかった。それが、辛い・・・。
いや、私の父も全くの悪人というわけではないだろうが、僕は悪いからな・・・。


ちなみに、こんなふうに男同士の男泣きで通じ合った情熱は、原作よりもかなり増えている。



それから、薫の君と辺見武彦氏の悲恋だが、辺見武彦氏の幸せを願っているから、病気の自分は身を引いていこうとする薫の君は、クズゆえに生涯誰にもモテないであろう自分と重なり合う部分と、それでも愛されている美しさを持っているアニメの中の人に対する劣等感を感じて、いろいろと心が引き裂かれそうです。それに、原作を読んでいて薫の君の不幸も知っているので、辛いです。
辛いんですけど、やっぱり僕はアニメオタクだし、家事や仕事をしている時は全然感じ得ない生きている実感を、名作アニメを見ている時にだけ感じるので、生きるためにアニメを必死に観ます。滑稽な姿かもしれませんが、これしかできないんで。


そのように傷を負うようなアニメの見方をしているですが、辺見武彦氏が御苑生奈々子嬢と兄妹の契りを結び直してデートする所などは心が温かくなった。
やっぱり、可愛い妹っていうのは本当に大事なものなんだ。妹萌えは大事なことだよ。