玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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無敵鋼人ダイターン3第19話 地球ぶった切り作戦 タツノコ要素の裏返し

脚本:星山博之 絵コンテ:石倉山羊 演出:貞光紳也 作画監督:加藤茂

あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/nichirin/story/story19.html


今回はぶっちゃけた話、ヤッターマンだよね。ゲスト敵キャラのポンコツ三人組はオッサンばかりだが、ドロンジョがオッサンになっただけでタイムボカンシリーズ三悪と言える。
落ちこぼれコマンダーのバンチャーの声はテレビ朝日ドラえもん初代のび太の父役の加藤正之さん。バンチャーは太鼓腹が雷神のようになっているが、太っちょチビのオッサンで迫力には程遠いが親しみやすいおじさんぽい。
で、二人の部下は痩せののっぽドビン(はせさん治)とがっちり体型デガラシ(たてかべ和也)のソルジャーの二人組。
どちらも子供向けアニメや人形劇によく出ていた声優だし、たてかべさんはそのまんまタイムボカンシリーズのトンズラー一族。はせさん治さんの演技も八奈見乗児さんのボヤッキーに似せている。
で、この三人組が超長い糸鋸を連結させたメカで地球を真っ二つにする超兵器作戦を実行するんだが、ぼんくら過ぎて予算や人員が与えられず、三人組で火星から地球に侵攻するも宇宙船のエンジンが故障して月で遭難している、と言う所からストーリーがスタートする。
で、彼ら三人組がどうやって地球ぶった切り作戦をドンにプレゼンしたか、とか過去が語られるし、どうやって月を脱出して地球に向かうのか?というふうに破嵐万丈よりも三悪に感情移入するようなコメディー調のシチュエーションが繰り返される。
んで、破嵐万丈からダイターンのエンジンを盗んだ冴えない三人組が破嵐万丈をやっつけて汚名返上と出世街道を夢見て戦う、って言う所では視聴者は完璧に破嵐万丈よりも三悪に感情移入して、三悪がどうなるのか?と言う興味で見る。
今回は作画もタツノコっぽいし、そもそもダイターン3自体が割とタツノコのアメコミ的コメディーアクションの破裏拳ポリマーっぽい雰囲気である。富野監督も大河原邦男先生もタツノコ経験者だし。
まあ、ヤッターマン三悪の指揮官と痩せとデブというテンプレは実は勇者ライディーンの長浜パートの後半の巨烈兄弟から来てるのかもしれない。ライディーンタイムボカンは同じ年だけど。むしろ黒澤明監督の隠し砦の三悪人が元ネタかな?まあ、体型でキャラ分けするのは割と分かりやすいし普遍的な演出手法かも。
んで、そんな風にタイムボカンシリーズのようなコメディーが繰り広げられる。
ギャグとして笑えるかどうかは個人差があるのでともかく、今回はダイターン3の中でも特にコメディー色が強い。三悪のマグネティックレーザー(謎引力)と、破嵐万丈の「カムヒア!ダイターン3」の呼びかけが拮抗して綱引きになる所や、地球をぶった切る超長いリモコン式の糸鋸が破嵐万丈を追いかけてこんがらがる所や無駄に万丈とバンチャーを言い間違える繰り返しギャグなど、非常にドタバタ喜劇。
三悪が間抜けだけどスケールだけは無駄にデカい作戦を立てて、少ない資材をやりくりして作戦を遂行しようとしてドタバタしている間に正義の主人公に成敗される、って言うのがタイムボカンシリーズのテンプレですが。
タイムボカンシリーズ三悪が楽しいコメディーとして視聴できるのは、なんでかっていうと三悪がどんだけ爆発してもシリーズが変わっても、死なないから。安心感がある。
だが、ダイターン3での彼らは単なる性能の低いソルジャーサイボーグに過ぎない。なので、運よくダイターン3のエンジンを盗んで調子に乗っても、ダイターン3を奪還しようと忍び込んだ破嵐万丈の拳銃2発で射殺される。よく考えたら毎回万丈はソルジャーを大量に殺害してるからな。
いつも通りと言えばいつも通り。
「こんなにあっけなくやられるなんて・・・」「ガクリ」とギャグシーンのように死んでいくんだが、主人公の冷めた視点と、ゲストキャラの熱いドラマの温度差で視聴者にゲストの方に感情移入させておいて、その感情線をぶった切ることでコメディーを超えたドラマ性を発生させるって言うかなりテクニカルな脚本と演出。
主人公にとってはいつも通りの殺害だが、やられる側としてはかけがえのない命だった。そして、部下を失ったバンチャーはドビンとデガラシとのギャグシーンを大切な思い出として回想して部下二人のために
万丈に対して仇討をするために巨大化する。
復讐に燃えるバンチャーの回想シーンは泣けるシチュエーションに似せたカメラワークと表情だが、思い出すのはギャグシーンばかり、と言う所で二重に可笑しさと悲しさ、ペーソスを表現しています。星山博之さんの脚本は上手い。
こういう風に、タツノコタイムボカンみたいな調子のリアリティレベルと言うか演出レベルで三悪がコメディーをしていたのに、いきなり主人公の万丈が同じタツノコでもキャシャーンのような冷徹さで殺害する。コメディーにいきなりリアルをぶち込むという、富野監督作品らしい残虐さ。ザンボット3もよくあるロボットアニメテンプレにリアルをぶち込んだからね。
しかも、このエピソードでは冷徹に殺害するのは悪ではなく主人公の破嵐万丈の方、って言うことでさらに脚本構成にねじれが生じていて深みがある。しかも破嵐万丈が特別冷酷じゃなくて、今までと同じように敵をぶっ殺しただけって言う。
だが、たった二人の部下のために冴えないメガボーグのバンチャーがダイターン3に挑み、腹を割かれて死に行くとき、破嵐万丈は彼の気持ちが分かった。破嵐万丈を脅かし、十分な予算さえあれば地球すら破壊したかもしれない超兵器の持ち主だが、メガノイドの首脳部からは充分な予算を貰えなかったのは、バンチャーがたった二人の部下のために命がけで戦える感情を持った男だったからだ。感情を殺すのが理想とするメガノイドの中ではたった二人のソルジャーの命を重く考えるバンチャーは落ちこぼれのクズとみなされるのだ。だが、万丈は彼を斬った時に彼の部下を思う気持ちと予算さえあれば万丈を倒し地球を割ったかもしれない実力が分かった。
だから、万丈は珍しく敵に「お前の名は」と問う。
だが、彼は一言「殺せ!」と叫んで爆発四散する。
そして、万丈は名も知らないまま殺した三人のソルジャーのために月面に墓を建ててやる。


このタツノコプロタイムボカンっぽいコメディー路線からキャシャーンみたいなシリアス路線に乗り換えてから、チャンバラを経て敵と通じ合うという人間ドラマへの昇華が最高にうまい。


しかし、「メガノイドには人を愛する心などない!」と固く信じてメガノイドへの復讐を誓ってメガノイドを殺害しまくる破嵐万丈だが、いろんなメガノイドを殺していく過程で彼らにも人間らしい感情があると知っていく。
これ、Zガンダムの第23話「ムーン・アタック」でカミーユ・ビダンが殺してしまった敵のために無宗教の祭壇を作ったのに通じる。
敵の人間性や価値を殺害と言う行為で徹底的に否定していくが、敵にも感情や人生があった、ということにカミーユ破嵐万丈も気づいていく。
海のトリトントリトンがそれを知ったのはラスト。無敵超人ザンボット3では人間の価値は敵に問いかけられたが、少なくとも敵のガイゾックは無機質な戦闘マシーンだった。
破嵐万丈は富野アニメの中で初めて敵を人間だと思いながら殺していく。むしろ、何度も何度も殺すことによって敵の人間性への理解を深めていく、と言う残酷な展開だ。
さて、シリーズもそろそろ折り返し地点だが、破嵐万丈の精神は大丈夫だろうか?

  • ちなみに

万丈の美人アシスタントのビューティフル・タチバナの父親が宇宙観光事業の社長と言う設定、ものすごく唐突に出てきたな。そして唐突にそのテストパイロットをやってる万丈とか、いろいろ説明を何段階か省略してるドラマスタート。「敵にも人間性がある」という作品全体にかかわるテーマをコメディーとして見せるために、無駄な説明は一切省いてコメディーシーンに力を割く、って言う構成の仕方が実に巧み。
そして、名も知らぬ敵を殺害した後、万丈は何も語らないで軽薄なもうけ主義のビューティーの父の観光事業に付き合う日常に戻るのだ。この温度差もペーソスを感じさせる。


また、月面でタイヤ状の回転のこぎりが連結したメカに襲われる万丈の月面走行車はアポロ計画華やかなりし頃と同時に機動戦士Vガンダムのモトラッド艦隊やタイヤメカやドッゴーラを思い出させる。
やっぱり、富野監督はこういうメカが嫌いじゃなかったんじゃないのか?Vガンダムのメカ関係はかなり揉めたって聞くけど。
富野監督が宇宙旅行が好きだっていうのは今回の冒頭からもわかりますが。