玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ第12話 暗礁 悲劇的な格差社会の復讐者

うぁー。あきひろの弟が―かわいそう!


そう言うわけで今回は、あきひろがかわいそうな話だったんだが。
前回からの続きで「大人になる上で社会とどうかかわっていくのか」というテーゼもある。


これを見ながら最近ネットで見かけたこちらの記事を思い出した。

jp.vice.com


何も持たざる男の子がふるう暴力と、何も持たざる女の子が身体を売ることは、実はヨコ並びにあると僕は思っていて。子供のころに凄い虐待を受けた男の子って、自分も暴力をふるいやすくなりますけど、オスの社会ではそれがひとつの価値として認められるじゃないですか。拳の優劣は、口で説明しなくても見れば明らかなので、そういう殺伐とした世界で生きてきちゃっている子たちって……言語が発達しにくいですよね。もちろん例外はありますが。本当に底辺の男の子たちって、とりあえず身体を使った職に就く。足場(鳶職)や解体の仕事をやって、サイドビジネス的に裏稼業をやる子が多いんです。あと、離合集散なんですよね。入りやすくて盗めるとかの情報があると何人かで集まって、ワッとやっちゃう。


どうして取材が困難なんですか?


暴力で解決することが習慣化している子たちっていうのは危ないんですよ。裏切りを抑止するとか、自分に対して一線を引かせるとか、はっきりした目的のためのワイルドカード(万能カード)として行使する暴力なら理解できます。でも、四六時中暴力をふるう人間は単にすぐ捕まるだけですよね。そのロジックがわかっていない子たちは、結構つき合いづらいですね。

こういうリアルギャングに近い青少年が実際にマイルドではないヤンキーとして日本の社会の底辺を支えているというリアルの現状がある一方、宇宙SFロボットアニメである機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズがヤクザ少年兵を題材にしてヤングマンに向けて日曜夕方に地上波テレビ放送をしているという現実がなかなか面白いものがある。


んで、今回、感想として思ったのはあきひろと弟が「人間とは」「家族とは」などと戦場で問答をするのは流石にヒューマンデブリとして暴力しか知らずに育って死ぬマンとしては抽象思考が発達しすぎだろう?
すげー自分の気持ちを言葉に表す知能があるんだなって意外に思った。
でも、弟が死んで悲劇になるのは割と脚本の予定調和として読めるんだけど、あきひろを助けるのか殺すのかは最期に突き放す瞬間までわからないし割とハラハラして見れたし衝撃的な感動的なエモーションも感じられたので、そこは良かった。それなりに泣ける感じだったと思いますよ。(まあ、僕も僕で家庭が崩壊してるんで素直に他人の不幸には泣けないんですけど)


なので、バカで文盲でド底辺のクズの兄弟が粋がってやんちゃした挙句に組織のセンソーで死ぬ話にしては筋道立てた台詞回しだったし、あんまりリアリティーを重視して無い言葉使いだなーって思った。
岡田麿里シリーズ構成での根元歳三脚本のウィクロスっぽいドス黒さはあったので、らしさはある)
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じゃあ、バカの話なのに脚本が説明しすぎで頭でっかちな描写ばかりかって言うとそうでも無くて、決定的なバカさがすごくある。それは何かと言うと、「あきひろの弟のまさひろは悪い組織から助けなきゃいけねーな!」とかオルガが言ってる割りに、昭弘の弟の昌弘の同僚のパイロットとか、その悪い組織の身内の兵士を鉄華団やタービンズはガンガン殺害しているわけです。
バカすぎる!
昭弘の個人的な知り合いの鉄華団はその昌弘には人権、っていうか個別の人間である個性を認めているけど、その昌弘の仲間にも人権があるということは全く想像もせず殺してて、あーやっぱりバカなんだなー。
バカに鉄砲を持たせてるアニメなんだなー。ということが分かって、やっぱりバカに鉄砲を持たせたらよくないし戦争はいけないと思いました。


ヒューマンデブリと宇宙鼠と火星人と地球人と平民と貴族とスペースヤクザの格差社会の復讐というモチーフがある鉄血のオルフェンズですが、その中でも無自覚にオルガや三日月が「知人とそれ以外」に対して決定的に差別意識を持って殺したり守ったりしている。でも、それって差別の根源的な源じゃないっすかねー?仲間を守らなきゃーとか、敵をやっつけなきゃーって言う気持ち自体が争いの元なんじゃないっすかねー?(GATCHAMAN CROWDS insightの一ノ瀬はじめっぽい顔で)


まさひろはあきひろに「家族とは」「ヒューマンデブリとは」とか問答をしていて、それは言語化されていたけど、言語化されてない差別意識とか、まさひろが友達を殺した鉄華団に合流できるわけねーだろって言う雰囲気はアニメの絵として表現されていたので、そこは面白かったですね。歪だとは思う。
カムイ外伝とかベルサイユのばらの昔からこういう社会闘争、階級闘争格差社会の復讐者的なヤクザストーリーは同和問題とかみたいな左翼思想とか自由、平等、博愛の人権思想に行きがちで、「圧政を強いる格差社会の差別が悪いので、それを破壊して平等にする主人公たちは正義なのである」というユートピアニズムになりがちな所がある。でも、今回のオルフェンズで面白かったのは差別されて苦しんでる鉄華団のオルガやあきひろも知ってる身内と知らない他人はメチャクチャ差別して無自覚な所に、「差別されてる方が正しい。差別するのはダメ!」という単純な構図ではない主人公たちの手もメチャクチャ汚いですねって言うリアルな人間の業が描かれてて良かった。(いや、カムイ外伝とかベルばらにも反体制派の愚民は描かれていたわけですが、オルフェンズは主人公たちもどうやら愚民っぽいのでどうなるんだろうね)


そういうわけで、微妙に小難しい台詞回しも有りながら人間の人間らしい本質的なバカっぽさを描いている所はリアルで、なかなか面白いと思った。


なので、クーデリアお嬢様が人工重力のことを知らなくて今回もまたバカを晒して「無能な頭でっかち」として描かれたけどその周りのヤクザとか少年兵もそれなりにバカっぽかったので、クーさまばかりがバカじゃないんだなーって安心した。
なにしろ、人工重力の理屈も知らないのに惑星間航行をしている程度のバカ女の演説に地球人は感動して政治的に重要になったと言われているけど、明らかにクーデリアがバカ女として描かれているので、私は彼女の政治的手腕に疑問を持ち始めていたのだが、どうやら人類の基本的なバカぶりが基礎設定の世界観として持っているっぽいアニメなので、「まー、こんなクズ女の演説に感動しちゃう愚民どもの世界なのも仕方ねーかな」って思いました。


さっきも日曜のサザエさんの裏番組のNHKでフィリピン人の田舎の褐色に髪の毛を染めてるオルガみたいな少年が、「家族のために水銀まみれで砂金を採ってる」ということを誇らしげに語って、それを先進国のNHKのキャスターが「環境汚染と貧困でかわいそうですね。僕たちジャップランドの民は恵まれてますね」みたいに言うけど、ジャップランドもそういう貧困層から金を買いたたいて成り立ってるんだよな…。って言う番組を見たので。
水銀中毒の原理も経済システムも理解してない21世紀フィリピンの貧民のティーンエイジャーと未来宇宙SFオルフェンズのオルガが同じような「なんだかんだ言って家族を守ってる俺は偉い」という程度の知能なのが人間の普遍性を感じさせる。



まあ、学生時代に天文学をかじった僕としてはデブリが密集しすぎだし、お前ら秒速何キロで宇宙を進んでるんだ…とは思ったけど、まあ、そこはアニメのファンタジーな描写ですし…。



なので、台詞回しもストーリーや事件を進めるためのファンタジーなギミックとしての幹の部分と、感情や世界観を描写する枝葉の部分のファンタジーレベルとリアルレベルを上手いこと受け手の側も考えて見る必要があるのかなーって思った。


nuryouguda.hatenablog.com

今年の頭には「Gレコはスマホ世代の達観して頭がスマートな若者に向けたガンダムでは?」と言う感想を書いた私ですが。
今年の暮れになって「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズは脳筋底辺ヤンキーに向けたガンダムなのかな?」とか思ったり。
でも、ヤンキーが裏稼業でサクセスできるのか、とか、裏稼業で稼いだ金で弟を学校に通わせて表社会のスクールやソーシャルのカーストの枠にはめることが社会的成功なのか、って言うと違うっぽいということも描いているのがオルフェンズなので。
表社会の格差社会で社会的地位と教育を受けてサクセスしているであろうギャラルホルンの櫻井が「敵」となる構図なので、裏稼業の金で教育を受けて表に行けたらハッピーと言う構図ではない。


じゃー、何を以ってこのアニメの最終的価値観になるのかなーって言う興味はありますね。特に回答もなくヤクザたちがなんとなく生きて何んとなく殺して、その瞬間瞬間の刹那的なエモーションを楽しむ娯楽として見ることもできるし、閉塞感のある現代日本に対しての問題提起的な作品として見ることもできる。さーてどう戦ってくれるかのう。




そう考えてみると、本当に無敵超人ザンボット3のラストの投げっぱなし感はすげーよな。