玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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Gのレコンギスタ第15話「飛べ!トワサンガへ」富野からソシャゲー世代に向けて!

監督=富野由悠季/脚本=富野由悠季
絵コンテ=斧谷稔/演出=河村智之
キャラ作画監督=玉川真吾
メカ作画監督=中谷誠一
戦艦作監=戸部敦夫


粗筋は公式サイトにすごく詳細に書いてあるので。そちらを。
http://www.g-reco.net/story.html


成人式ですね!20年も生き延びてやっと成人になるとか、犬に比べると人間はダラダラしていますね!石器時代の寿命は25才だったらしいですがね!僕も干支を1周してしまいましたね!
ところで、ガンダム Gのレコンギスタに対しては若者のファンはいるんですかね?僕みたいなオッサンのガノタしかいないんですかね?でも僕もガンダムファンの中では若手のSDガンダムVガンダム世代なんですが。


で、先日のブログで今回の15話に向けて色々と書いた。
誰が何と言おうが、富野とGレコには富野らしくいてほしい。しかしそれも錯覚か? - 玖足手帖-アニメ&創作-
クッソ長く書いたが、まとめると
「わかったわ。Gレコは世代間闘争ね」

です。

「富野さんが好きだったら、みんな止めようよ!」って思うんですよ。
Gのレコンギスタは富野由悠季監督が好きだったら、みんな止めようよ! - FREEexなう。

結果ははっきりしている。「老人が若者向けに作っても、若者は見向きもしない。」
発想がそもそも若者とズレている。
Gレコは、富野監督が基本的な勘違いと、設定に酔って道を間違えた作品 - Togetterまとめ

「引っかかるフックを1つでも2つでも盛り込んでおけば、子どもたちの記憶に残るアニメになる。記憶に残り、この業界に興味を持てば、子どもたちの中から必ず、次の才能が現れるはずだから」。自分の作品が、次の世界全般を牽引する才能につなげるきっかけの一つになればと願う。自らの人生を費やし携わってきたアニメ業界の未来に、思いを馳せ語る眼差しは、テレビの向こう側に向けられていた。
http://in2mistletoe.blog.fc2.com/blog-entry-275.html
富野由悠季、地元小田原とGレコを語る」

(将来)政治家や経済人になる子供たちに、10〜15歳のあいだに、「お前ら、根本的な考え違いをするなよ!」っていうことを刷り込んでおくんです。そうしたら50年後に首相になってる奴に「お前が今やってることは馬鹿だろう!」って言えるでしょ?

そういう物語を作っていきたいということで、「Gのレコンギスタ」(の制作)を始めたということなので、(客席の大人たちに向かって)皆さん方は見る必要はありません!!(笑)

子供たちに、(皆さん方の)お子たちに見せてやってください!! 本来、アニメというのはそんなもんだろう!!(笑)
シャア専用ニュース 【速報】富野由悠季監督、新作「ガンダム Gのレコンギスタ」を語る!「子供、孫たちが見るものに陰々滅々とした、人類が絶滅していくような物語を作るのがお爺ちゃんとして嫌なんです。だから『明るく楽しく』っていう命題を掲げた作品として『Gのレコンギスタ』を作りました」


フムン。
全部、世代間のコミュニケーションやギャップの話ですね。
富野監督が「見てほしい」と言った富野監督が想定する「お子たち」像と、富野作品の中の「若者たち」の創作と、僕らが見ている「お子たち」と、僕の上のアラフォーのガンダムマニアが考える「お子たち」像と、現実の「お子たち」の実態は全て微妙にジェネレーションギャップや想定のずれがあります。


でも、「老人が作るものは老人向けにしかならない」と断定してしまえば「童貞には恋愛は描けない」「女性には男性の心理を描けない」などの思考停止に接続してしまうので、僕はそうは言いたくない。
僕は「創作と言うのはいかんせん不完全ですが、出来るだけやってみて作品を投げてみれば水面に波紋も起きるでしょう」「とりあえず、やってみてください」と言う意見ですね。
だから、富野監督の創作技法や富野監督の世代間認知がどれだけ正しいのかは分からない。というか、多分かなりの部分間違っているだろう。間違ってもいいからやってみろ。と言うのが僕の意見で。
「富野監督はアニメ界の重鎮だから正しい作品しか作らないはずだ」と言うのも「富野監督が間違うのは悪いことだから止めさせる」と言うのも、彼を過大評価しすぎですね。


ただ、それもまた当然と言えば当然で、年上の人に「お前ら若い奴に俺が一言言ってやる」と言われたら、「それは違うよ!」って反発したくなるのも当然の話です。
で、岡田斗司夫さんのような五十代、逆襲のシャアまでのファンの40代、僕みたいな30代のオタク、まとめブログで富野を叩く2ちゃんねらーTwitterでGレコの考察やプラモデルやイラストを楽しんでいる20代やティーンの若者の意見もガンダム Gのレコンギスタに対して、好評にしろ不評にしろ、叩くにしろ褒めるにしろ、いろいろあるのはGレコがそう言う世代間の本能を刺激する程度の力は持っているということかな?

  • 富野アニメはいつも若者向けだった

富野喜幸という人間が老化するのは当たり前だ。だが、富野監督の作品がそれで老成してしまっているのか?と言うとそうではないと思う。
やっぱり、あきまんさん、吉田健一さんだけでなく形部一平さんなど新しいデザイナーや若いアニメーター、役者などのオーラ力を吸って監督個人は老人でも作品は若い要素を持とうという気持ちはありそう。(個人的には全話斧谷稔も見たいし、京田知己さん、菱田正和さん、荒木哲郎さん世代の連名コンテ演出がもう一回ずつくらいあってもいいかなとも思う)
富野監督もガンダムエースの対談やアニメージュの人生相談などで、偉い人だけでなく自分より年下の新進気鋭の実業家やダメなアニメファンとも話し合う機会、若者を見る習慣を持っていたここ10年です。なので、僕みたいな引きこもりとは全然違うんですが。
で、振り返ってみると富野アニメはやっぱりその時々の若者に向けていたと思うし、それが主人公の造形に現れていたと思う。


僕なりに適当に書いてみると、


トリトン(親が従軍していた戦後世代)
ひびき洸(超能力ブーム)
神勝平(親に超合金を買い与えられるキッズ世代)
破嵐万丈(親が超合金で嫌になるスタンリーかぶれ世代)
アムロマイコン世代、ネクラ世代)
コスモ(ネクラへのカウンターで開拓民)
ジロン(開拓民路線であり、人工新人類世代でもあり、岡田斗司夫さんたちとイデオンで知り合いアニメおたくのメタパロディもあり)
ショウ(おたく第一世代の裕福なボンボンだが家庭は冷たい)
ダバ(うる星やつらなどのラブコメ主人公でもあり、スター・ウォーズなどの若者の類型でもあり、永野護世代でもあり)
カミーユ(富野から見た狂ったアニメオタクの若者、後にキレる世代へ)
ジュドー(理想的な元気な子供だけど周りの大人がクソ)
シャア(歳の取り方に失敗してキレる30代、後にオウム真理教へ)
シーブック(見本でもあり、バブルでミスコンに興じるリア充)鉄仮面(悪い見本でもあり自画像でもあり)
ウッソ(詰め込み教育パソ通世代)カテジナセーラー戦士に成れなかったバブル崩壊女子)
クリス(90年代のモラトリアム浪人生で精神分裂(多重人格)症)
勇(世紀末思想のオウムの幹部の子供でエヴァ世代)
ロラン(当時話題の北朝鮮工作員イスラエル人のメタファー 20世紀の総括であり、21世紀に向かう理想であり、神経質だった当時のガンダムへのカウンター)
ゲイナー(キレる世代 ネトゲ引きこもり世代 格ゲーウメハラ世代チャンプ)
カミーユ(キレる世代への健やかなカウンター)
エイサップ(2ちゃんねらーの友だち。歴史認識と現状に出生レベルで困る。娘婿)迫水王(自画像)
エイジィ(娘婿)
ベルリ(右翼の公務員志望 ソーシャルゲーム世代)


と、常に時代の流行の若者像を入れてきたと思う。僕はウッソ、勇、ロランと放送当時の年齢が同じで、大学時代はゲイナー君やエイサップにも近かった。
いや、富野アニメは重層的なので、この一言ではまとめきれないんだけど。


今回何を言いたいのかって言うと、「Gレコはソーシャルゲーム」ということ。

「最低限のベーシックインカム(バッテリー、空気と水の玉)はログインボーナスで運営(キャピタル・タワー)から無料でもらえる」
「昔、宇宙世紀と言う大規模MMOがあったけどやり込みやリアルマネートレードとか戦争しすぎてして滅んだ。ニュータイプとかキチガイユーザーもゲームシステムを破壊したし」
「リギルド・センチュリーは宇宙世紀のMMOを新ルールのタブーで縛って、拡張を禁じて、ぬるいポチポチゲーのもやしのような箱庭ゲームの世界」
「MSは課金レア装備。基本的に運営しか使えないはずだった」
「課金装備を過去データ(ヘルメスの薔薇)を見てチートで作った騎士団(アメリア、ゴンドワン)が抗争したり、運営とも対立してる」(モンテーロはR+、エフラグがノーマルくらい)
(グリモアとかカットシーとかアリンカトとか、神話をモチーフにした名前が多いのもソーシャルゲームっぽい(いや、ダンバインスプリガンとかダーナ・オシーとかもあったわけだが))
「主人公は親が重課金だったので、すごい強い重課金ロボ(G-セルフ(レジェンドレア))を動かせる」(G-アルケインはSSRくらい(でもステータスを守備に振りすぎて攻撃がクソ))(パックも課金装備)(あきまんさんもソシャゲーの絵を描いてた)
「主人公は親が運営で恵まれてるし運営の養成学校に通っていて優秀すぎる」
「海賊はソシャゲの騎士団バトルをする気分で好きな女とか親とか地元のために好き勝手やるマイルドヤンキーっぽさもあり」
「運営(キャピタル)の方針も同時進行で抗争して流動的に自体が変わる」
「運営会社(キャピタル)の裏に企画会社(トワサンガ)、スポンサー(ヘルメス財団)などがいる。運営の中にも情報を漏らすハッカー(クンパ大佐とかレイハントン家)がいる」
「ユーザー同士の抗争が激化したうえに運営も分裂を始めて困ったので、諸悪の根源っぽい企画会社やスポンサーまで事実確認の凸に行く」
「行ったら企画会社(トワサンガ)も部署ごとに派閥争いがヤバかった」(今ここ)


例えですけどね。
「Gレコはアーレントの書いた全体主義個人主義の話ですよね」ってTwitterに私が書いたら、

ゲームの世代で言えば今はパズドラでしょ、と。そこにはmmo的な全体主義から、一人遊びへの回帰があるわけで。
https://twitter.com/nakaharamei/status/553558122720006144

ゲイナーはゲームチャンプだが、他の生徒はmmo的な全体主義エクソダスというクエストをこなす。 その対立軸自体が古い。 パズドラ・艦これの一人プレー感覚がない。
https://twitter.com/nakaharamei/status/553558616699990016

こう、ウメハラ好きの中原芽衣さんに「だからGレコは古い」って言われて気づいたんですが。


じゃあ新しいゲームのムーブメントを果たしてGレコは全く取り入れてないのか?と思案して見た所、むしろベルリがレジェンドレアロボで俺TUEEE!!!しまくって周りの評価を得たがっているのはソーシャルゲーム世代を意識していると言えないかな、と思いついた。


富野監督が直接ソーシャルゲームについて語ったことは少ないので、推測でしかないのだが。

人口増が一番いい例です。(中略)第二次世界大戦後で今の状態です。これをまさに異常としなかった大人の認識が何かというと、経済論です。大量消費ができる、ネットが普及して――つまりfacebook以後の流れで言えば、スマートフォンでもiPhoneでも1,000万台規模で瞬時にして売れていることを「儲かったぜ! やったぜ!」と言えるのはおかしいということです。


しかし、ここ数年でそう考えることは一切なくなってしまっているでしょう。大人たちが言っていることはものすごくズレている、ズレているってレベルを超えています。ということを、我々自身が今発表していることに他ならない……ここまで思わなくっちゃ。繰り返すけど、こういう話を『G-レコ』だと、パパパッとできるのです。
http://news.mynavi.jp/articles/2014/09/06/tominogreco/003.html

大人が『G-レコ』を見る必要はなくて、子どもに見てほしいのです。


――『G-レコ』の対象年齢は?

10歳から15歳。だって、それ以上の年齢の人は見ても役に立てられないと思いますよ。みんな、黙ってスマホやってるだけでしょ?
https://akiba-souken.com/article/21122/?page=2

と言う監督の話もある。
また、スマートフォンのアニメ視聴アプリのdアニメストアやガンダムチャンネルでもGレコが配信されているのを受けて予告でベルリが「歩きながら見るなよ!」と言ったりしているので、やっぱりスマートフォン世代、スマホゲーム世代の若者への意識はあると思う。


ベルリには「みんなで叶えるスコード教」って言う全体主義な面があるが、
「みんなを出し抜いて飛び級」「レアアイテムで、おれTUEEE!!」「フレンドに自分の強さを見せつける」っていうソシャゲ課金装備的な「周りの評価を気にしながらの」個人主義がある。

インベーダーゲームマイコンのころのアムロみたいな「誰にも評価されないけど(むしろオタクとして距離を置かれるけど)一人でプログラムを組んでる」とは違って、「チアガールや女に褒められたい」「周りよりもレベルを上げて目立ちたい」欲がある。
「ノレドみたいなレア度の低い女より、アイーダみたいなレアな彼女が欲しい」って言うのも、ソーシャルゲーム的な価値観だ。いや、幼馴染を軽視してるのは富野作品の習い性でもあるが。


また、クリム・ニック大尉の「アメリアが建造した宇宙用ジャハナムってのぁ、宇宙世紀の成果とも言うぞ!」と言うのも、「宇宙世紀に開発されたSR機体をアメリアの課金でドロップした」というソーシャルゲームの神モンスター召喚の例えになっている。リギルドセンチュリーのモビルスーツは開発したのではなくヘルメスの薔薇の設計図などを解読して古代文明の技術を再現して召喚しているものなので、妖怪ウォッチっぽさもある。


ロックパイなどから見ても宇宙世紀ニュータイプヘラクレスのような紀元前の伝説的英霊と思われているらしい。ゲームっぽい。
ガンダム自体がGジェネレーションとか、ガンダムトライエイジなどのゲームを持っているので。


また、トワサンガのシラノ-5にサラマンドラとメガファウナが入港するが、一番明るい4番桟橋にサラマンドラが入って、メガファウナは寂れている1番桟橋の方に入る。で、ルアンは「罠なんじゃないかな?」と言って、入った所が違うとサラマンドラ部隊はトワサンガのモビルスーツにいきなり襲撃されて捕獲されて、逆にメガファウナの方は運よくラライヤの知人のフラミニアという女性に出会えて次はベルリとアイーダの秘密を知る人物と会う。ので、RPGっぽい。入った入り口で展開が分岐するの、すごい分かりやすいRPG

  • 富野の脳内の若者代表のベルリ

今回、非常に印象的だったのはベルリの言訳の数々

「そっちが攻めてくるんだから……死なないでよっ!」
「死ぬんじゃないぞ、撃っちゃうから!」
「追いかけてこなければ!」
「パイロットは脱出してよ!爆発させてないんだから!」

「僕にライフルを使わせないでください!」
「僕にライフルを使わせると、皆で死ぬぞって言ってるでしょ!」
「これは牽制なんだ!誰も死ぬな!」


カミーユやウッソも同じようなことを言っていたので、ガンダムっぽいセリフなんだが。
「これは牽制なんだ!誰も死ぬな!」と、敵兵には絶対に聞こえていない宇宙空間の遠距離射撃のコックピット内の独り言を叫んだあとに、ベルリには見えてないだろうけどモランが吹き飛ばされて死んでますよーって言う絵の入れ方は、非常に批評的だ。ベルリには見えてないし、ベルリは殺したとも思ってないのに殺してるということを視聴者に見せるのが非常に作為的。


で、Gレコを世代間縦断アニメだとしたら、こういうベルリの行動の見せ方は「富野監督から見て、若者や世相はこう見える」という意思表示なんですね。
カミーユとか、ウッソやカテジナはそういう意思表示でキャラクター造形されたわけで。で、カミーユカテジナは本放送の時は「なんだこのキチガイは」「こんなやつはいないよ!」と総スカンを食らったんだが、のちのち「僕らの世代はあんな病気な面があった」と再評価された。僕も伊佐未勇の「俺、17歳になってしまった」やジョナサンやクインシィの「自分が生まれたことを素直に喜べない」エヴァ世代の辛さには共感してきた。
で、まあ、今回も富野監督の世相批評が的中しているのか、それとも全く老人の筋違いで見たて違いなのかは後の歴史の評価を待たなければならない。
だが、今は分からないでしょう。若者に「若者のお前らはこうだ!」って見せると反発を呼ぶ。しかも、富野監督の見せ方は「若者の願望を充足させて共感、感情移入させてファンにさせる」という見せ方とは違う。
むしろ自分たちの嫌な部分、認めたくない若さゆえの過ちを見せて反省を促すという罰ゲーム的な作風。
アムロガンダムで生きるために戦争していたら可愛い女子に「あなたには守るものが無いのに何で戦うの?それは不自然なのよ」って怒られた上に彼女を殺してしまうとか、罰ゲームすぎる。
海のトリトンもそうだし、無敵超人ザンボット3とか長浜忠夫ロマンロボットに夢中になっていたキッズに対して「君たち、ロボットで戦うのは好きかな?でも本当に戦ったらみんなの友だちも家族も死んじゃうんだよ―――!」と、投げてきたので。もう、リアルロボットだからどうのこうのじゃなくて富野の作風がそうだから。そういう生き物だから。
僕も小学生の時に「ガンダムの新作だー」ってVガンダムを見て「わーい、きれいなお姉さんが仲間になった・・・ぞ?」ってなったからね。基本的に罰ゲームだし嫌がらせに近い。なので、本放送の時には過激すぎて「なんだこの嫌なことを言うアニメは」と思われがちで若者は冷静に自分のことをつつかれているということを評価できない。若者以外の大人は若者の当事者じゃないので、これまた「何を問題にしているのかわからない」と思う。
だから、Gレコが「わけわかんないアニメだ」って思われるのは情報量が多いという理由もあるけど、「見たくないものを見たくなくても見せる」という作風自体から自然に導き出される結論でもある。数年後に再評価されるかどうかは終わってみないとわからんのだが。
(ちなみに、僕みたいな30代のオッサンはGレコだとカーヒル大尉やデレンセン大尉みたいに若者に思想を言うだけ言って死んじゃうとか、システムに飲み込まれるか、ハッパ中尉みたいにメカオタクとして若者を戦わせるか?Vガンダムのオリファーくらいのクソい位置。あきまんさんが50歳なので、ドニエル・トス艦長はそのくらいなんだろうか。)

じゃあ、そのベルリが若者のどういう面なのか?
僕も最近の若者ではないし若者文化は分からん面もあるんだが、どうも最近は俺TUEEE!!!でコミュニティの中で評価されるソード・アート・オンラインや魔法科高校の劣等生おにいさまへ…などが流行しているらしい。

そして、社会に対する認識は進撃の巨人まどかマギカやゆゆゆみたいに「世界は残酷だし大人はクズいけど俺たちは悪くないし立ち向かって生きるんだ」って言うのが流行っているっぽい。
すごいザックリした僕の独断と偏見の認識だけども。
で、僕らが若いころはエヴァとかバトルロワイヤルとかデスノートとかでセカイ系やサバイブ系が流行ったんですが。
まあ、不況やゆとり教育のせいなんですが。
「大人の勝手な経済活動や教育方針の転換で俺たちは右往左往させられてるけど、俺たちは悪くないんだ」みたいなのがあった。ファフナーとか。
で、さらに不況が長引いて好景気を知らないヤングばかりになると魔法少女まどか☆マギカ新篇反逆の物語や進撃の巨人とか「悪い大人の作った社会で生き延びるには悪魔や巨人の力を使ってチートしても自己正当化できるよ。だって大人が悪いんだし。っていうか、良いことなんか何にもないんだ」みたいなのが流行る。サイコパスとかのノイタミナディストピアものが恒常的に作られてるのもそう言う背景があるっぽい。で、「残酷な世界で愛を手に入れるにはかわいいアイドルになる」っていうアイドルアニメとか輪るピングドラムとかガッチャマンクラウズ女装男子とかが出る。アイドルの代わりにコミュニケーション能力が問われるのもある。仲間との絆。
ガンダム世代とワンピース世代って言う本が数年前に出たけど。GレコはONEPIECEも参考にしている。
で、富野の酷い所は若者たちが「大人は悪いけど若い僕たちは間違わない新しい正しい生き方で生きて行こうね」と言う所に「いや、お前たちのそう言う所がクズなんだよ。お前も大人たちと同じ呪われた人類の末裔なんだ!」って冷や水を浴びせてくるところ。
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱

「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱


で、どうもベルリを見ると、脱ゆとり教育を受けてる、今の若手社会人のゆとり世代よりももっと下のティーンを参考にしているように見える。


世代を見てみよう。
世代 - Wikipedia
ゆとり世代 - Wikipedia
新人類世代の視聴者の時代にはアムロやコスモの世代がニュータイプとかをやっていたのが富野アニメ。
で、僕はキレる17歳、酒鬼薔薇聖斗世代で失われた世代で詰め込み教育と世紀末ムードで思春期だった。社会に出ても氷河期世代で引きこもりニート世代。(ゲイナーやエイサップなど)(エイサップは一応大学受験をするつもりはあるらしいが、浪人でダラダラしている)
その後ゆとり教育があって、今は脱ゆとり教育らしい。

脱ゆとり教育 - Wikipedia
ゆとり教育とは2011年度から学習指導要領の改定に伴って始まった教育。ゆとり教育でも詰め込み教育でもなく、生きる力をはぐくむ教育とされる。

これ、キャピタル・ガード養成学校のデレンセン大尉の教えそのものですよね。生きる力。
「はい!常日頃、臨機応変に対処しろとは、大尉殿の教えであります」
で、ベルリが若者っぽいというのは、そう言う大尉を信頼しきっているんじゃなくて、どこかなめているという所。授業もあんまり真面目に聞いてないし。「臨機応変に対応しろって大尉が言ってるから俺は悪くないよ」みたいな所がある。
あと、ベルリは「分かり切ったことを言うのが嫌い」という癖がある。1話の授業態度もそうだし、9話でアイーダに「正規のパイロットにわかり切ったことを言っちゃって」と先に謝った。
なんか「ググってwikiればわかるんだから何で授業なんかするんだよ」というネット世代の世の中をなめた所がある。あと、「分かり切ったことを言わない態度で知ってる俺の評価を上げたい」みたいな処世術もある。「スマートな俺を演出するコミュニケーション能力」。魔法科高校のおにいさまへはそういう態度を「カッコいい!」って言う風に書いたんですけど。Gレコはそういう主人公の無自覚な悪意をじわじわと描いているように見える。

さとり世代は物心ついたころには既にバブルが崩壊しており不況しか知らないし、インターネットを利用して育ってきていることから現実もよく知っており、無駄な努力や衝突は避け、大きな夢や高望みも無く、合理的な行動を心がけていると言われている。
バブル景気を経験した親に育てられ、消費者としては児童期からすでに成熟している。一方で受験戦争や就職氷河期に遭遇した1970年代生まれやポスト団塊ジュニアも知っているため、強烈な自己主張は持たない。彼らの最大の特徴とは『仲間や大人の評価を適度に頭に入れ、こざっぱりした服を着こなし、現実的な目標に向けそれなりに努力』することである。
さとり世代 - Wikipedia

で、そのくせ、ベルリはフォトンバッテリーの仕組みなどスコード教の教えを全く疑わないでいた。
ここら辺のベルリの知識のラインの引き方はどうも「ネット上で情報化されている知識には詳しいけど、その出典の事実は確認しない若者」を批判的に描こうという意図が感じられる。こうやってwikiを張り付ける僕もね。
そういう富野監督の見たてが正しいのか、単なる老人の見当違いなのかは、僕も統計を取ったわけではないのでわからん。
ただ、若者を描きたいのだろうなーと言う雰囲気は伝わる。正しいかどうかは知らん。


だから、
Gレコは、富野監督が基本的な勘違いと、設定に酔って道を間違えた作品 - Togetterまとめ
で、アラフォーで自称ガンダムを卒業した人が

スペースコロニ―も全部ゴミ、らしい。が全く活かしてないし。 http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-25708.html … 宇宙エレベータも設定しただけで、演出上何の役にも立って無い。
https://twitter.com/HAKKB/status/552643291007557632
例えばだが、冒頭で数百のコロニーの残骸を写して、ガンダム時代は終わった事を一瞬で観る人に悟させる。1stガンダムのこの絵に相当する訳で、とても重要な役目を持つと思う。
https://twitter.com/HAKKB/status/552643697632739328
そして(俺設定は恥ずかしいものだが) 海賊が現れた最初の戦闘でエレベータを壊滅させて、地球に落とし、半分は月に落とす。(真ん中でブチ切れて飛んでいく。) かなりのダメージを受けた月はフォトンバッテリーに仕組んだブラックボックスで全てのバッテリーを停止させ地球は大混乱になる。
https://twitter.com/HAKKB/status/552644105524625408
冒頭からコロニ―落としをやれた人間が、なんでエレベータ落としくらい出来ないのさ。これら全て演出道具。作って転がして壊す。
お孫さん視点でガンダムに必殺技使わせたって、中学生は見ないから。
https://twitter.com/HAKKB/status/552645972904271872

と、自己流の「こうすればよかったのにGレコ」を書いているんだが、それはその人がアラフォーで逆襲のシャアみたいな大量破壊をガンダムだって思い込んでいるのを引きずっているだけでしょう。その、宇宙エレベーターの倒壊とかコロニー落としは些末なことなんですよ。じゃあ、何が大事なのかと言うと若者の気分を描くことで、ファーストガンダムだと「核戦争がいつ起こるかわからないよね」→「コロニー落とし」で、逆襲のシャアノストラダムスとかに乗っているし、Vガンダムの環境汚染やブレンパワード地殻変動も世紀末ムードだった。
それを乗り越えた富野は同じ事をやりたくないというのもあるし、何より、ベルリのような脱ゆとり世代からバブル崩壊(これが宇宙世紀崩壊に当たる)を見た場合「そんなのは生まれる遠い前のことだから知らない。」「差別もあるし配給も世界的には充分じゃないけど、ベルリはリギルド・センチュリーというタワーとタブーによる安定した世界にそれなりに適応している」というゆとりの後のさとり世代や脱ゆとり世代の若者の気分を描くのが重点。だから、アラフォーの逆シャア好きから見ると冒頭の破壊が足りてないんだけど、むしろ「ベルリはタワーが宗教レベルで不変のものだと思っている」社会認識がテーマなので。バブル崩壊後の若者から見て、停滞したままの社会が生まれた時から当たり前、というほうがリギルド・センチュリーの設定理由なんじゃないかな。
だから、はっきりと物理的に宇宙エレベーターを破壊したら劇としてダメなんですよ。物理的に宇宙エレベーターが変わらなくても、外の世界を見てきたベルリが宇宙エレベーターやタブーに対しての認識を変えるかどうか?というのがキーポイントなので。
スコード教については、

スコード教も進撃のカベ教と同じで空っぽだし。
自然現象を精霊に見立てて物語に仕立てるのが多神教
神と対話するのが一神教、自分と対話するのが仏教。
https://twitter.com/HAKKB/status/552647838924951552

という意見もある。僕としてはスコード教は諸星大二郎先生のマッドメンで描かれたカーゴ・カルトに近いものだと思っている。

マッドメン 1 (創美社コミック文庫)

マッドメン 1 (創美社コミック文庫)

カーゴ・カルト(cargo cult)とは、主としてメラネシアなどに存在する招神信仰である。いつの日か、先祖の霊・または神が、天国から船や飛行機に文明の利器を搭載して自分達のもとに現れる、という現世利益的な信仰である。
メラネシアの人々のこの信仰は、突如現れた旧来の常識では理解不能な異文明を、旧来の常識をもってどうにか止揚した彼らなりの解釈のしかたであり、この思考自体は何ら突飛なものではなく全世界普遍の反応であって「カーゴ・カルト」とは人類普遍の考え方の一部を切り出して名前を付けただけのものである
カーゴ・カルト - Wikipedia

リギルドセンチュリーの宇宙エレベーターの人は千年もカーゴ・カルトをして、バッテリーをくれる国(メラネシアから見たらアメリカ)とエレベーター世界の果てで聖なる外交をしていたのだ。
なので、スコード教という人工宗教も、全くあり得ないとも言い難い。むしろ、そういう人工的な常識を親から受け継いだ伝統で常識だと思っている若者を描く、と言うのが狙いなんじゃないかなあ。


また、ベルリが沢山ぶっ殺しておいて「自分はキャピタルガードのままです!」ってクリムに笑うのはマイルドヤンキーっぽい。海賊について行く時に「メガファウナに帰ることを母も許してくれます」って言うの、これまでの「母親から離れたい!」という富野主人公とは非常に異質。異質なので意図があるはずなんだが、どうも「キャピタル・タワーという地元の利益になるために俺は行動してるんだから俺は悪くないぞ。むしろ地元のために功績を上げて褒められたい」というマイルドヤンキーやネット右翼寄りの行動。

ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体

ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体

ベルリは元々公務員のキャピタル・ガード志望だったので体制寄りでやや右翼傾向のある青年だったと思う。
キャピタル・ガードとキャピタル・アーミィの違いも微妙なんだが、警察(保安庁)と自衛隊の争いみたいなものか。


リーンの翼の朗利(米軍基地にコンプレックスがある山口県民)と金本(在日韓国人)がネット上でテロリストになって米軍に攻撃したり東京を空爆して「東京は田舎者の集まりだから殺してもいい」と言うのは、右翼なのか左翼なのか意見が分かれる。右翼団体でも在得会とかヤクザ系とかネトウヨとか派閥争いや切り捨て作業がある。


で、富野監督も元々は60年安保闘争あたりの日大で大学執行部という右翼の学生団体に所属していた。なので、右翼系の団体に動員される若者のぼんくらさとかそれを利用する政治家など大人の振る舞いは経験があるんだろう。
じゃあ、富野監督は右翼なのかって言うと、安倍晋三政権に対して「夢も希望もない」と言ったし、かと言って鳩山由紀夫政権にも「友愛とかふざけている」という発言があった。


組織に若者が利用されるの、15話で言うと「トワサンガへ行く!」と言うのはアイーダやクリムやベルリの若さゆえの独断のように見えて、サラマンドラの艦長やスルガン総監やニッキーニ大統領などの父親たちや大人もそれを利用して地球での権力争いに使おうとしている作戦があるという台詞で描かれている。だから、「ボーイスカウト気分でベルリたちが戦争をしているからGレコは富野が勘違いしている」と言うのは読みが浅くて、「ボーイスカウトを既成事実作りのための鉄砲玉に利用する大人」まで含めて「若者を取り巻く世間」に対する批判なんですね。


そして、これが今回一番、目だったのだが、「自己責任」。
ベルリの
「そっちが攻めてくるんだから……死なないでよっ!」
「死ぬんじゃないぞ、撃っちゃうから!」
「追いかけてこなければ!」
「パイロットは脱出してよ!爆発させてないんだから!」
「僕にライフルを使わせないでください!」
「僕にライフルを使わせると、皆で死ぬぞって言ってるでしょ!」
「これは牽制なんだ!誰も死ぬな!」
という発言の数々、これは「俺は撃つけど死ぬかどうかはお前たちの自己責任だし、弱いお前が悪い」という自己正当化に聞こえた。
で、氷河期世代の僕から見ると、これは脱ゆとり世代の若者っぽい。
ネット上でも「ゆとり世代は教育や不況のせいで仕事が無い?は?自己責任でしょ」「不況なのは当たり前でしょ?努力してないお前が悪いよね?死ねよwww」「先に攻撃したのはそっちでしょ。自業自得w」みたいな若者からの書き込みを目にする。
で、そのベルリ自身は恵まれた環境で育って飛び級して親から無敵ロボの操縦権利を貰う。
スーパーサイエンス学科とか、私立進学高校の学生みたいな。ウェイ系でコミュニケーション能力と学力も高いテニスサークルの学生みたいな。


でも、ベルリは自分の立身出世のための努力はするんだが、逆に「友達やガールフレンドがクンタラとして差別されてるけど、それを変えようとは思わない。それは自分の問題じゃない」という割り切り方をしている。自分の利益は追及するし社会にもスマートに適応したいけど、他人が社会から不利益をこうむっていても「それは自己責任で自分の問題じゃない」「社会がそうなってるんだからそうなんだろ」「そういう社会に負けるのはお前が弱いからだろ」「俺は努力して強くなったから」と言う態度。
それが、マスク大尉には滅茶苦茶許せないわけですよ。殺す!!!学年主席になるくらい努力しまくっても社会のせいで私は差別されている!私はクンタラ全体の代表として頑張っているのに、飛び級したお前は自分のことにしか力を使わない!みんな私を見下しているんだ! 何の苦労もなく、持って生まれた力を誇ってな!! だからお前たちは、みんな平然と…人を踏みつけにできるんだ!
元気のGだ!だし、実際ベルリは元気なんだけど、元気に行動している主人公が見落とすものって言うのもあるんだ、と言うのは表現されている。それがベルリよりも自信家で周りが見えてない天才のクリムとか、逆に周りの世間での評価を気にしすぎて仮面をかぶるマスクだったりで描かれてる。


でも、今は時かけの消火器の人とかサマーウォーズの一族以外の人踏みつけにする側に立った細田守監督の映画がめっちゃヒットしているわけですからね。そういう世間なんだよ。


幸田露伴も努力論で書いているんだが、「即ち成功者は自己の力として運命を解釈し、失敗者は運命の力として自己を解釈して居る」のである。

努力論

努力論


実際の調査でもそう言う結果が出ている。

 2013年卒の多くの学生が高校生を卒業する時点に行った「高校生のいま〜価値意識調査2009」のなかで興味深い結果が出ています。「今の社会はけっこう良い社会だ」「社会人になる頃の社会は明るいと思う」という問いをしたところ、それぞれ「そうは思わない」と回答した人が半数以上となりました。
ところが、「自分自身の将来が明るいと思う」に対しては、74.9%の人が「明るい」と答え、「将来は自分のがんばり次第で決まる」「今こつこつ頑張れば将来成功する確率が高くなる」にもそれぞれ80.5%、75.5%の人が「あてはまる」と回答しているのです。世の中に対して楽観はしていないけれども、自分たちでなんとかしていくしかないという意識があるのでしょう。
「認められたい」若者たちをどう扱うか“さとり世代”新入社員の取扱説明書――リクナビ岡崎仁美編集長に聞く|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

世の中は悪いし変えられないけど、自分の人生は自己責任。


まあ、現代の若者が俺TUEEE!!!して、ぶっ殺す相手は「お前が悪い」「悪人はキモいし殺してもいい」という思想に染まっているのが事実かどうかはわからんのだが。グリザイアの果実も面白かったんだけど、俺TUEEE!!!主人公の櫻井に殺される前に大人たちが醜態をさらしていたからなあ。魔法科高校とかまおゆうもそう言う悪役にわかりやすい演技をさせるところがあったし。別に醜態をさらしてなくても殺さざるを得ない時は殺すよ。
どうも今回のGレコのベルリの自覚のない殺人シーンは若者のそう言う無自覚な自己責任論を描いている。クロスアンジュとかは「私が生きるのは私の当然の権利だ!」「殺されるお前たちは生きる価値のないクズだ」(まあ、ドラゴンは人間なんだけど教えられてないから自分は悪くないよ)みたいに、無自覚に他者を踏みにじって俺TUEEE!!!無双する爽快感を娯楽として提供しているんだが。


Gのレコンラジオでもベルリ役の石井マークさんが「デレンセン大尉をあやめた後、ベルリはMSを撃破しないで手足を狙うようにしている」(だから僕は殺してない)って言っているんだが、無自覚に殺している。マークさんの自覚はどうなのかわからないけど、殺してると自覚してないけどやっぱりミサイルとか大砲を撃つと殺したり大けがさせるだろ。って言う話。種のころからさんざん言われてきたことですが。



富野作品は、その俺TUEEE!!!をする若者も、それを許す世間も俯瞰して「人間ってこうだよなー」と「リアルは地獄」を見せようとしている。
ベルリは当然の生きる権利とか「護りたい人のため」として殺人をするんだが、殺される側の「あいつは殺人鬼だ!」という台詞も入れている。
殺すは殺すんだけど、「殺す自分は正しいから殺す権利を持ってる」とか「殺される側が悪い」という言い訳を許さないで「殺す時は殺す」というすごい普遍的で殺伐とした世界。しかも、「人を殺したうえでも、それでも悪人になることも許さず元気でいましょう」と無茶苦茶を言っている。
善悪の逆転だけでなく、もはや善悪も混同されていて「殺し、殺された相手でも政治的な利益のためには笑って連合したり裏切ることもあるのが世の常だし敵味方も流動的」と若者に提示している。(Zガンダムもそうだったけども)


ソシャゲ―とかラノベアニメみたいな単純な爽快感がもてはやされる歪んだ世界を元気に描こうとして、Gレコは「ねじれた爽快感」「自然に観察した結果がこじれている」みたいになっている。73歳の監督から見たティーンエイジャーの無自覚な問題点を30代の僕が見るという構図も捻じれている。
だから、やっぱり変なアニメなんですが。


本当に、どうなんですかね。このアニメ。ベルリは色々と罪を重ねているんだが。つかめプライド、つかめサクセスのバランスを取れるのか、それとも破局するのか。
Gレコのテーマの一つに「大人の言うことを真に受けてはいけない」ってのがあるらしいが、「真に受けてはいけない」って言う作品自体が正しいかどうかも分からん。監督が間違っているのか若者が間違っているのか人類全体が間違っているのか、わからない。
リアルタイム視聴ならではの地獄感があるな。
一応、富野監督は月に行ったりとか設定や展開の大筋は夏ごろにネットや雑誌でばらしているんだが、それを好意的に描くのか否定的に描くのか、突き放すのか温かく見守るのか、温かく見守る振りをして軽蔑しているのか、厳しい振りをして優しいのか?
そして、面白いのか、駄作になるのか?
いや、今のところ僕は、Gレコはすごく刺激的で宗教的にも文化的にも政治批判的にも明るいアニメの振りをして、すれすれの事をやってる気がして、毎回ぞくぞくしています。ギリギリを責めているのにキャラクターにも作り手も言い訳の余地をなくしていく。
さて、あと春までにどうなるんだろう。僕は何を思うんだろう。

  • 追記 ベルリへの思い

正直、飛び級でエリートでレジェンドロボットを操縦でモテモテとか嫉妬しかないんですが。そして、いろいろと上記でボロクソに書いたけども。
「ベルリは自覚が無いし自分をごまかす」とかいろいろ言った。でも、「それも含めて人間らしいよね」とは思うし、人間なんか「好きな女と近所付き合いと与えられた文化圏の常識のためでしか動けない」って言うのも、そうだよなーって思う。だから、ベルリは嫌いじゃない。成功者としては嫉妬してるけど、彼なりに努力しているし、不完全ながら殺さないようにしようという程度の正義感も持っている。クンタラに革命を起こさないけど、自分の才能を公共に生かす程度には意識が高い。だから、最近の若者ではあるんだけど、その中でもかなり上等な方だとは思う。
ただ、やっぱりどうなるんだろう。この話。先が見えない…。