玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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木曜

葬儀関係の仕事につき、他人の葬式の列にまぎれて市場調査を行なっていた。
悲しむ人々に混じって冷静にデータ取りをしていると人の死というものに鈍感になる自分に気付く。と、同時にこの中でどれくらいの人間が故人の死を悲しんでいるのか疑わしいものだ、と冷笑的になる瞬間も在る。
この日も大きな葬式の喪服の列に混じっていると、父親がいきなり現れ、ボクに、
「弟が死んだ」と告げた。
急な話ではないか。なぜ、あいつが死ぬんだ。どうやら精神的な病を抱えていたらしく、そのせいで多臓器不全を起こしたらしい。
死亡診断書を父に見せられると、64キロあった弟の体重は52キロにまで減っていた。(この数字はおかしいが、夢だからな)
思い返すと先週、弟に会った時に、公務員試験に落ちた弟に何の励ましもしてやらなかった。ああ、何も気付いていなかったんだなあ、俺は。
と思うと涙が後から溢れてきて、仕事中だというのに俺は葬列の中で本当にうずくまって泣いた。
今まで、どんなに酷い葬式でも冷静にこなせていたのに、身内の死になるとみっともなく悲しんでしまう俺はまだまだだな、と思いつつも、体が泣くのだから仕方がない。
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夢日記はてな夢日記
イボを切り取ったせいか?人の死は人生における転機を暗示するらしい。
というわけで、以前俺を引きこもりに追いやった逆カウンセリングをした大学のカウンセラーに呼び出されていたので、行ってみた。
っていうか、木曜しか開きが無かったので以前から行くつもりではあったのだが。
[感想]夢使い
予備校時代に講師がベルサイユのばらを例に挙げて、「説明を説明として演出するのは最低だ!」と言っていました。予備校で習った事はこれくらいしか覚えてない。あとは化学の語呂合わせ抱けだな。あとはビルの屋上で自分の内面を見つめたりしていました。
そういうわけで、ディスコミュニケーション精霊編は丹念にやってたよなあ。
演出はそれとして見るのが辛い話は辛いなあ。原作の夢は思春期の不安定さ、終わらない思春期の夢という感じでしたが、アニメ版の夢は終わらない生活の鬱屈から来る大人の歪んだ夢という感じなんだよな。
かといって、大人がダメってわけじゃない。
ディスコミもだけど、夢を見るのは少年少女だけなのだが、決して「大人になるのは嫌だ!」というだけではない。
ロリキャラの美しさのインパクトやら変態ガジェットに目が行きがちであり、また大人のキャラクターが少ないので、一見、子供世界に閉じているヘンリー・ダーガー的な雰囲気があるんだが。
というのは冥界編のラストで就職、結婚した松笛と戸川に対する暖かな眼差しやら、鉱物の聖母編でのラストの前向きさを見るとわかることだ。戸川の親父とかもなかなかいい味出してるよな。松笛にちょっと似てるし。
つーわけで植芝理一は決して思春期の夢のほうが大人の俗世よりも「良い」とはしてないよなあ。
(良い悪いというのは価値の話で、美しさとか悲しさというのはまた別にちゃんと描いてるのがいいよな)
思春期での心の混乱を全力で混乱して、それを乗り越えたらしっかりと大人になりましょう、そして新しい世界で生きていきましょう、という思想はとてもまっとうなものだ。さすが早稲田大学文学部哲学科(除籍)だ。
だから、アニメ版で大人の悪夢がメインになり過ぎると気が滅入るんだよな。。。芝田顕作博士は大人をやるのを放棄したらちゃんとショタに変身してたのに。
いけませんか!
24歳のダメ人間がこんなことをいって!
でもね、ボクは植芝キャラに大人をやって欲しかったんですよ!
そう言っちゃいけないんですか、大きなお友達が…。
オタク系クリエーターは前から狂気に走る物語を芸術だといって無定見に作っていたし、非オタプロデューサーはヲタが芸術を作っていたって、視聴率とグッズ収益に満足しちゃって、そんなクリエイターを見向きもしなかったんです。現実の経済ってそんなに大切なんですか!?夢か現実かってそんなことじゃないんです。
テレビの前のお友達が社会に出る希望をうばわれちゃあ、たまんないんですよ!