玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

おにいさまへ… 13〜16 追記 出崎統は女子高生に感情移入をしていたか?

出崎統は感情移入する人だったそうだ。
ウィキペディアからの引用

絵コンテ段階で原作や脚本から離れた作品になる理由を、兄の出粼哲は「出粼が登場人物に深く感情移入するため」と語る[11]。
こうして作り上げたキャラクターにさまざまな感情を移入しながら絵コンテを描き進めることで、結果として出粼はストーリーを改変したのである。


本人は絵コンテ制作中の自身の状態について、自分もキャラクターとともに作品世界に入り込むため物語の結末はわからないとし、また登場人物と一体となることでセリフが自然に出てくるまで入り込むと述べていた[13]。だがその一方で、作品世界全体を俯瞰できる視点がないと作品は成立しないとも語っている[14]。

前回の感想では、ちょっとこの部分が語り足りてなかった。文脈の関係上。
と言うわけで追記。
出崎統は、「おにいさまへ・・・」を作るにあたって、原作の台詞を巧みに使ったりしつつ、でも、オリジナルのセリフも入れていた。それはすごく自然にハマっているので、やはり登場人物と一体化することで台詞を引き出していた部分はあったんだと思う。
だが、出崎統はこの当時48歳。おにいさまへ・・・のメイン登場人物は15歳から18歳の女子高生。
出崎統にしてみれば「こいつらは格好付けてるキャラクターだけど、実際は小娘なんだよな」という視点もあったと思うし、実際に原作にないオリジナルパートでサン・ジュスト様や薫の君の「タチ」とか「男役」というカッコよさや「悲劇的ドラマ」の記号性を越えた所で、彼女たちの器の小ささ、女子高生レベルの行動、メンタルを描いていたように見える。


そうすると、出崎統は彼女たちにはあまり感情移入せず「こいつらは小娘だから」と言う風に、俯瞰して描いていた部分もあったかもしれない。
だが、同時に、美少女キャラクターに感情移入しすぎて、逆に「私たちは記号的なキャラクターじゃなくて、普通の女子高生なんだから、自然に喋るよ」と言うような精神とか行動原理を体感として理解して、その上で生っぽい台詞を言わせる事で小娘っぽさを匂わせたのかもしれず。


だから、感情移入しつつ、全体を把握すると言う、役者と演出家の二つの両面の視点を持っていた、まさにそう監督と言える出崎統だ。
そして、おにいさまへ・・・の女子高生たちは生きている。生きていた。
この生命力がアニメーション、アニミズムなんだろうなあ。これが芸術の価値だ。