玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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まおゆう魔王勇者が何故、虫けらに支持されているのか、ガンダムの歴史から

こんばんは 
僕はアンチまおゆうです。
僕は呪いのメタファーだよ。

そういうわけで、魔王勇者のファンを虫けら呼ばわりすることを許して欲しい。(先に謝罪するだけ、僕はメイド長よりも紳士的だと思うね。)

 「自分の価値観をつかめない存在は虫だ。

 僕は虫が嫌いだ。大嫌いだってね。

 虫で居続けることに甘んじる人をアニメオタクだとは思いません」

(メイド長は魔族の図書館族という怪人なのに、人間に対して「人間だと思いません」とか語るのがすごく面白かったです。噴飯ものでした。怪人は怪人らしくしろ)


まあ、そう怒るな。僕だってガノタという虫けらの一種なんだよ。ガノタガンダムオタク。
ガンダムオタクもはっきり言って虫けらみたいなものだ。そして、まおゆう 魔王勇者の支持のされ方は非常にガンダム的だと思う。
これは言ってみれば同族嫌悪だ。
では、まおゆうファンを華麗に引用。

以下、ネタバレ

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著 メイド姉が目指したモノ〜世界を支える責任を選ばれた人だけに押しつける卑怯な虫にはなりたくない!(4) - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために
開発経済学の分野でも、単なる援助が全体手マクロ的には、基本的に効果がないものであることは、もうはっきり分かっていることです。ようは「外部から助ける、助けを望む」という行為そのものが、自助努力を動機づける「人間としての尊厳」を壊してしまうのです、とはっきりここでは示しているんです。そうなってしまっては、どんなに援助を外部から与えたところで、共依存の腐った関係が成り立ち腐敗していくだけです。援助というのは非常に難しい問題で、援助そのものが、支配と被支配の構造を固定化してしまうということは、マクロ的にはよく知られ始めている事実です。

メイド長

「もう一度云います。

 自分の運命をつかめない存在は虫です。

 私は虫が嫌いです。大嫌いです。

 虫で居続けることに甘んじる人を人間だとは思いません」

姉「わたしたちを、ニンゲンにしてください。

 わたしは、あなたがうんめい、だと――おもいます」

インターネットラジオでも説明したのですが、まず、このメイド姉というのは、素晴らしく頭がいい子なんですね!。


このくだりは、それまで何の教育も受けていない農奴の少女が「人間とは何を指すのか?」ということ、それは「他者に迷惑をかけないで、自己の意思と能力によって社会で立っているもの」を指すとメイド長が主張していることを、この一瞬のやり取りで理解しているということです。

あー、これはアレだー。
これはガノタニュータイプ論で盛り上がっていた30年前に通り過ぎたところだー。すっごい既視感!!!俺たちの過去の黒歴史だー!恥ずかし恥ずかし恥ずかしぃー!

掘り起こさないでくれえー!


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「人の革新のニュータイプを描いたガンダムのファンである僕たちは新世代の担い手だ!」とかはしゃいでいたアニメ新世紀宣言の頃のガノタのイタさを掘り起こさないでくれ!
asahi.com(朝日新聞社):あのとき「アニメ」が変わった 1981年アニメ新世紀宣言 - マンガ+ - 映画・音楽・芸能
人の革新にはしゃいでいた学生時代から30年経って50代に突入しているのに、原子力発電所事故も満足に運転したり掃除したりできない無残な社会を作っているガンダム世代の現在の社会的な糞さを思い起こさせないでやってくれえええええっ!

この世界の人類は、概ね虫です。糞です。



僕は自分が何のファンであるかに頓着はしない。
しかし いかに行えばよいかは わかっているのだよ。
通りすがりの名無しなんて滅ぼす。
なぜなら、I wanna be Anarchy。犬とは違う。


ガンダムとか大富野教に尻尾を振るだけの犬ではないのだ。
だから、コメント欄で

こうやって俺ら富野ファンは排他的だと思われて、ますます御大の評価が不当に下がるんだって、何故わかんないのかな・・・。
21世紀になって放送されない!って本当に不満に思うなら、お願いだからそういう所も考えてよ。
こっちはいいとばっちりだよ・・・。
まおゆう魔王勇者 1話裏話「原作を全部読んだけど丘の向こうなんかなかったよ」 - 玖足手帖-アニメ&創作-

と言われても、僕は聞く耳を持たない。
そういう犬同士の群れのルールなんか知ったことではない。僕はアナーキーにやらせてもらう。「俺ら富野ファン」って言われても、私は最初から裏切ったつもりなどない。私はいつもひとりの男だった。
富野監督には何回かあったけど、おじいちゃんだったよ。おじいちゃんが新作を出せるかどうかはおじいちゃんの努力であり、俺は対価は払うが富野の犬にはならない。(それはクマゾーの役割である)


海燕さんも、まおゆう第一次ブームの3年前には、かなりはしゃいで「まおゆうはガンダムを超えた!」とか書いてる。

『ナウシカ』や『ガンダム』の「その先の物語」とは何か。 - Something Orange
ガンダム』は善悪二元論の世界に「戦争」という概念を持ち込んだ。「戦争」は善と悪ではなく、複数の主観的な善のあいだで行われる。したがって、『ガンダム』の世界において、もはや、善悪二元論は意味をなさない。


 それでは、『ガンダム』は二元論を超克したのか。そうはいえないだろう。『ガンダム』は二元論を廃したために極端に構造がわかりにくくなってしまった。シリーズ第二作『機動戦士Ζガンダム』などは特にそうである。ぼくは一応、全話を通して見ているはずだが、あまりの複雑さにほとんど内容を憶えていない(笑)。


(中略)
こうして見てみると、いわば一方に「歴史(はてしなく続く戦争のくり返し)」というヴィジョンがあり、もう一方に「SF(超人類への進化による歴史からの脱出)」というヴィジョンが存在するということがわかる。


ガンダム』シリーズにおける「ニュータイプ」という概念は、後者をめざして生み出されたものだろう。しかし、じっさいにはシリーズの作中で「ニュータイプ」への進化が描かれることは遂になく、シリーズは「歴史」の物語へ舵を取ることになった。

 その結果、延々と続編が制作されるにいたり、『ガンダム』シリーズはある種の停滞感を感じさせるものとなった。どこまで行っても地球連邦は打倒されることがなく、ただひたすらに戦争が続く。この循環的状況は、見るものを疲労させたことだろう。

 しかし、『ガンダム』を見る限り、いつまで待ったら新人類へ進化する時が来るのかわからないことも事実だ。

 ここまでなら、それほど独創的な展開とはいえない。『ドラゴンクエスト』的な善悪二元論の否定。しかし、魔王は勇者に向かい、いっしょに「丘の向こう」を見に行こうと告げる。

魔王「『あの丘の向こうに何があるんだろう?』って思ったことはないかい? 『この船の向かう先には何があるんだろう?』ってワクワクした覚えは?」

 ここでいう「丘の向こう」とは、「はてしない戦争」という「循環する歴史」の向こう側である。「超人類への進化」という「SF的ヴィジョン」でもなく、「はてしない戦争のくり返し」という「歴史的ヴィジョン」でもない、第三の道。それはルルーシュが夢見た「明日の世界」そのものでもある。


 この「第三の道」を具体的に描写することこそが、「その先の物語」の条件となるのではないかと思う。『魔王×勇者』が具体的にどのようにしてこの「第三の道」を開拓しているかは既に書いたから省略するが、重要なのはそこに「世界救済の具体的なプロセス」が詳述されていたことだ。


ぼくは時代的閉塞感の先の物語を見たいと思う。その火が遂に上がった! そのことにわくわくしているのだ。「丘の向こう」には何があるのか? それはわからないが、いずれにせよ、素晴らしい景色に違いない。はてしない血と泥のかなたにある景色なのだから。

『ナウシカ』や『ガンダム』の「その先の物語」とは何か。 - Something Orange


そっかー。まおゆう、超えちゃったか。ガンダムを。そっかー。すごいねー。
ニュータイプになっても苦しみながら人間であり続けたカミーユを、ハマーンを、アムロを、シーブックを、トビアを、ウッソを、ディアナ・ソレルを、「進化のなりそこない」と言うか!貴様!
メタアニメの名手の高松信司監督がガンダムを通じてアニメ新世紀宣言を総括したアニメ、機動新世紀ガンダムXガンダム自体が「そう、すべては幻だ。たとえどんな未来が視えたとしても、それを現実のものとしようとしないかぎり、それ(未来)は手には入らないのだから」と、「アニメなんか幻だよ」って言ってるのに、視聴者読者という生き物は、物語やアニメに思想的な回答を求めるんだね。さながら宗教の狂信者のようだ。

追記、ガンダムXとアニメ新世紀宣言については、
機動新世紀ガンダムX第39話「月はいつもそこにある」(最終話)すっげーすっげーおもしろかった! - 玖足手帖-アニメ&創作-
こちらで述べました。


そしてまた、「アニメ新世紀宣言の高揚感」「自分が進化したという錯覚」「虚構から得られる優越感」だけを追い求めるんだろう。そういう甘えたファンが嫌だったから、富野は伝説巨神イデオンや戦闘メカザブングル聖戦士ダンバイン機動戦士Zガンダム機動戦士Vガンダムで「人を超えた人の末路」を描き続けたんだろうが!その果に富野は心と体を壊したんだろ!
お前たちが!お前たちが責任を取ってくれるのか!!!

それでも、富野はうつ病と戦いながら、ガーゼィの翼やアベニールをさがしてで、若者のゲーム的リアリズムと科学的リアリズムを結びつけることにチャレンジして、家族の助力でリバイバルして∀ガンダムで生きることを描き、キングゲイナーで復帰して、リーンの翼では原子力やグローバリゼーションの時代に戦いを挑む勇者魔王迫水真次郎の叫びを若者に託した!そして、この現在、軌道エレベーターと次世代エネルギーによる社会構築を正面から描く新作SFを構想中だ!(ビビッドレッド・オペレーションに先を越されないといいよね)
その王の心をわからんテレビアニメ天国など、燃えてしまえ!!!
橙乃ままれ先生程度が、戦い続けてきた富野由悠季監督を超えているものかーっ!


おっと、いけないいけない。熱くなりすぎたようだ。

「感動しました」
「こう見えて経済学部で近代史にはちょっとうるさい俺もオススメ」
「ウブな勇者がカワイイです」
「涙が止まりません……」
「「「「せーのっ、『まおゆう』サイコーッ!」」」」


どうだ、このフォーマットで絶賛すると何もかも馬鹿馬鹿しくなってくるだろう。
https://twitter.com/SiTube/status/290633023957913601

ちょっとれいせいになった。

(眞悧先生は言動はキモヲタっぽいのにスタイリッシュだし、意外と表情豊かだから、アイコンとして使いやすいなーって思います)




そういうわけで、ガノタもまおゆうファンも等しく虫けらです。
自分の価値観を富野監督や、まおゆうみたいな萌え豚畜産農業教育アニメが与えてくれると思ってるやつは虫けらです。
でも、だからこそ、まおゆうがヒットするってことがわかっちゃうんだよなー。ガンダムがヒットした経緯を知ってるので、多分同じような盛り上がり方をしちゃってるんだろう。
虫けらにとって、「君たちは新しい時代の担い手です」って肯定してくれる物語とか宗教ってすっごく気持ちいいもんなあ。「ニュータイプとして洞察力を持って未来を切り開く君たちは新世紀の新世代です」って言われた80年代初頭の世代は気持ちよくてガンダムに熱狂したし。
「僕はここにいてもいいんだ!」って虫けらみたいな扱いを受けていたシンジ君に言わせたエヴァンゲリオンにもいろんな若者が熱狂したし。
ジョンとヨーコのラブアンドピースにもすごいヒッピーどもが飛びついてたよね。あと、オウム真理教とかアーレフとかひかりの輪とか。キリスト教とか念仏とか。
あー、そういうの、何度も何度も歴史の中で繰り返された単なる流行の循環に過ぎないから。若者たちが丘の向こうだと思ったものは、老人にとっては昨日の繰り返しなんだよ。もう、俺は疲れたんだ。


若者は自分を肯定してくれる物語に飛びつくんだよ。でも、そういう態度はやっぱり虫けらだと思う。

メイド姉「“彼女”に……。

 光の精霊にいつまで甘えているのかと問うているんですっ。

 争いを始めるのに“彼女”の名前をいつまで使うのですか?

 人を殺すのに彼女の名前を用いて正当化するなどと云う

 卑劣な責任回避をいつまで続けるおつもりですかっ。」

まったくそのとおりだよね。

メイド姉「望むのは平和。ほんの少しの譲歩。



 それだけで、わたし達は立派にやっていける。

 その後のことは“みんな”が上手く形にしてくれる。

 私はそれを信じています。



 だって信じて貰えなければ、私は人間でさえなかったんですから。

 あの日、あの夜。あの馬小屋の中で

 虫けらのままで死んでいたんですから」

ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ!できないだろう!
愚民どもは今も、目の前の生活に追われ、原発で汚染された水を無責任に垂れ流し、官僚の決めた原子力廃棄物処理ルールは現場では紙くずとして扱われている!
なのに、

 それだけで、わたし達は立派にやっていける。

 その後のことは“みんな”が上手く形にしてくれる。

 私はそれを信じています。

って、虚構の中の子供の女のセリフに「みんながうまくやっていける」なんて書いてあったら信じちゃうわけ?
ちゃんちゃらおかしいね。


実際、僕の母親は自殺したんだが。みんながうまくやっていたら、僕の母親は自殺しなかったはずだよね。サラリーマンの冷え切った家庭と僕を大学に行かせるための借金と、借金をしたら幸せが買えるって誘惑したセールスマンと、痴呆になっても軍人恩給をもらって偉そうにしてる祖母のせいで首を吊って死んだんだよ。
そういう社会に君たちは生きてるっていうことをブログに書いたら、お前らなんつった?お前ら、はてなブックマークでなんてコメントしたよ?

id:zz_sexy
自分のクズさに甘えてる。お前のことなんか知るか、みんな忙しいんだ、と思って途中で読むのをやめた。

はてなブックマーク - フツウの結婚・祝福【生存戦略のレール】家族・呪い - 玖足手帖

id:REV
呪わない特区をつくり、世界を呪うものたちが、呪わなくてもいいような社会構造をつくったらどうだろう。壁は高めにね。
id:amerio ネタ
死ぬ人間が服を買ったりしないのと同様、アフィリエイトリンクをシコシコ貼ったりしないはずだね。
id:chess-news 社会, 人生, life
ネタに見えて読む気がしない。
id:zzteralin 中二病
前ブクマの改訂版.メンヘラの死ぬ死ぬ詐欺に付き合ってたら死ぬほど消耗するから見て観ぬふりしなさいとおばあちゃんが言っていた/
id:akedayo
表現も書いてある内容も非常にキモいんだが;
はてなブックマーク - 純と愛とテレビと政治を嫌悪する - 玖足手帖

って書いたよね。
ちょっとは温かい言葉をかけてくれる人もいたけど、弱い人間を蹴り落とし、社会見学でホームレスを無視する小学校教師のような、君たちの処世術ってやつを憎むことを僕は覚えた。

「そこに自分と同じくらい大切な「他者」が存在するのならば、その人の苦しみをシェアするのが、世界に対する貢献だ!」


ただのメイドであった、、、、いや農奴であった少女は、「世界を背負う苦しみを引き受ける」という覚悟を持った時、「勇者」と名乗り、呼ばれるようになります。

そう、、、、だれもが、「世界を支える苦しみを引き受ける」という覚悟を持った時に、物語の主人公になるんだ!と、言っているんです。これは、抽象的いえば、「個」を自立させ(=内面の自由とナルシシズムのからの脱出)、その「個」を持つ「他者」の存在を認めて、共同で世界を成立させる苦しみを引き受ける時、それは、真の意味で「現実を現実として受け入れて体感している時なのだ!」といっているのです。



魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著 メイド姉が目指したモノ〜世界を支える責任を選ばれた人だけに押しつける卑怯な虫にはなりたくない!(4) - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

でも、僕の苦しみをシェアしてくれる人はいません。僕が辛そうにしてたら肉親でも「お前だけが辛いんと違うぞ!」ってキレてきます。そうだね。僕よりも皆さんの方が辛いよね。そうやって辛いアピールをして、みんな傷つくんだよ。


僕の母親は自殺したわけだが、僕は母親に殺されなかっただけマシだと思ってる。母親に殺されても仕方がなかったもんな。だって、俺は母親を助けなかった虫けらだからな。
「そこに自分と同じくらい大切な「他者」が存在するのならば、その人の苦しみをシェアするのが、世界に対する貢献だ!」
そんなことは出来やしないだよ。「自分と同じくらい大切」なんて条件を満たす相手はいないんだ。僕は母親が苦しんでいることや人生に失敗しつつあることに気付いていたのに、僕は自分が先に精神病になって母親を思いやる余裕をなくした。メンヘラのくせに賃金労働に出て行って「俺は働いて疲れているんだ」っていう感じで、父親と同じような振る舞いをして、母親を阻害して殺した。
僕はそういう虫けらなんだ。


その虫けらの立場から断言してもいいが、お前たちは決して互いに信じあうことも、痛みを分け合うこともしない。その真似事をまおゆうのようなフィクションで読んで、自分がやったことのように錯覚しているだけだ。お前たちに本当の人生などない。お前たちは虫だ。
Your future dream is a shopping scheme.
お前らの人生は単なる消費者行動だ。
僕と同じ、虫けらなんだよ。
君たちは僕と同じ世界で同じ空気を吸った時点で、呪われている!


欲しいものを得るにはいくつかの方法がある
私は最善の方策を取る
私は残りものまで活用する
私は敵をも利用する
私はアナーキーを身につける
なぜなら
 
私はアナーキーを目指しているから
それが 目的のための唯一の手段なのだよ


I wanna be Anarchy
Know what I mean?
 
And I wanna be an anarchist
Get pissed

Destroy!


その割に、シド・ヴィシャスは作り物の麻薬で死んじゃって、ジョン・ライドンは今も変なおっさんとして生きて苦しんで、ロンドンオリンピックにいちゃもんをつけられて苦労している。

「昔と較べて世の中もずいぶんと保守的になったようだね」とジョンは『ビルボード』誌に語っている。「あれだけ俺たちが戦ってきたものがまたしっかりいつの間にか戻ってきてふんぞり返ってるんだ。もし、言葉というものを否定するんだとしたら、それは人間が最も誇るべきものをそのまま否定することにもなるんだよ。俺たち人間の種としての最大の達成は言葉を持ったということなんだからね」
ジョン・ライドン、ピストルズのオリンピック閉幕記念ライヴ出演拒否の真相を語る (2012/05/09)| 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト

さて、シドとジョン、どっちが幸せかな?

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  • まおゆうに戻ると

まあ、魔王小清水亜美がデレているところに萌えて、勇者福山潤の包容力あるっぽい物腰に萌えてニヤニヤしてたらいいだけの萌えアニメだよね。そんなに社会問題とかで憤るような内容じゃないよね。



それにしても、この勇者、複数名の女の尻を追いかけているだけで、なんにもしないな。2話にして、本当になんにもしない。
勇者が魔王城に突入したってのは、イデオンバイラル・ジンに特攻をかけたようなものだから、すごく興奮して戦闘モードバリバリのはずなのに、何故かテンションが低い勇者。俺、もっと勇者って、こう、ノノリリとかバスターマシンみたいな人型決戦兵器だと思ってました。でも、今のところ、猪を屠殺しただけだ。
今のところ、一番テンションが上がったシーンはメイド長が貧乏人のガキをいじめるところのドキドキ感という、この、小さい感じ。

まおゆう魔王勇者 2忽鄰塔(クリルタイ)の陰謀

まおゆう魔王勇者 2忽鄰塔(クリルタイ)の陰謀

まー、クリルタイとか砦の戦闘が始まったら、ちょっとはアニメ的なアクションの見所があるだろうか?でも、このSSは基本的に人殺しに対して腰が引けてるからなあ。特に勇者は人命を尊重しまくるので、せこい人間に見える。
イデオンはもっとガンガン殺してた。ガンガンいこうぜ
富野演出の勇者なら魔族に対して「それは俺達だって同じだ!父を…母を…隣人を殺された!」って泣き叫んでいたと思う。


でも、まあ、まおゆうはそういう本気で殺し合うアニメじゃなくて、おっぱいアニメなので。いや、イデオン戸田恵子のおっぱいは出てたけど。(実の姉が妹を部下にレイプさせるようなところで)


いや、でも、新居昭乃さんのエンディングとか、仮面ライダークウガりぜるまいんのベテラン荒川稔久さんの構成力のうまい脚本はいいと思いますよ。あと、おっぱい。