玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

無敵超人ザンボット3第13話 果てしなき戦いの道 Gレコに続くハードな子供向けアニメ

脚本:荒木芳久 絵コンテ;斧谷稔 演出:菊池一仁

あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/kingbial/story/story13.html

  • ブログを書く気にならない…

すごいドラマだった…。もうね、しんどい。
秋に公開される富野監督最新作のGのレコンギスタまでに、見てなかった富野アニメのザンボット3ダイターン3エルガイムを見てしまわなければいけないので、ハイペースで見た方がいいのかもしれない。
だが、もう、こってりとして重いドラマなので、一日に何本も見れない…。しんどい…。見てて重っ苦しい・・・。これ、一応子供向けロボットアニメなんだよね・・・。
32歳の俺が見ても気持ちが重くなるんですけど…。これを作った時の富野監督は36歳。
富野喜幸(斧谷稔)の絵コンテもアップとか回想とかショッキングシーンのカットインとか、キレまくっているけど、脚本の時点でドラマ性が高い。



機動戦士ガンダムにも参加した荒木芳久さんの脚本。
荒木さんの自伝を、今回見つけた。
荒木芳久 回想記


荒木さんはザンボットの話題はサラッと流しているけど、こんな重たいアニメを見ていた37年前の当時の子供たちはほんとヤバい。今、45歳くらいか。
子どもには理解されないだろう、ってくらい、映画的な話の作り方や演出による情報や感情の載せ方が非常に高度なんですけど。そして、そんな高度なことを子供向けロボットプロレスアニメでやってるってのが本当にヤバいんですけど。(まあ、ウルトラセブンとかもドラマ性が高い怪獣プロレスでしたけど)
でも、ザンボット3の玩具は売れて、ガンダムダンバインまではクローバーはスポンサーが出来たんだよね。子供はあんまりすごさが分からないままおもちゃを買う、っていう所があったんかなー?
いや、富野由悠季座右の銘として、ガンダムを作るときにも言っていたけど「子どもに向けて大人が本気で話せば、その頃には内容はわからなくても、本気で話しているということは伝わる」ということがある。
そう言うわけで、本当に本気なアニメなので、見よう!月額千円でサンライズのロボットアニメが見放題!
「無敵超人ザンボット3」 | バンダイチャンネル

  • Gレコに続く子供向けアニメというテーマ

ザンボット3は富野アニメの中でも主人公が小さく、年少の作品だ。二次方程式を冬休み中にやっていることから、中学2年生と思われる。
ウッソ・エヴィンが13歳、ジュドー・アーシタが14歳。他は大体17歳が多い。
そして、今回のエピソードでも、また以前のエピソードでも、神勝平の幼さが描かれることが多い。
今回も敵のロボットの攻撃による避難民が、戦時中の空襲で逃げ惑う人のような防災ずきんや防空ヘルメットを被った姿や、空家の農家での米泥棒などが描かれていて、戦争の悲惨さを描いたリアリティ溢れるザンボットらしい描写だ。
こんな悲惨なものを子供に見せてはいけない!と思うような悲惨に空爆で爆発四散する難民キャンプなどが描かれて、正直酷い。戦争のリアリズムをロボットアニメという子供向けジャンルに持ち込んだのが特徴だと言われることも多いザンボット3と言う作品だ。
だが、同時に、今回見られるように「子どもの子供らしい感性」みたいなのも織り込まれていると言える。
そう考えると、富野監督はこの頃から一貫して、今に至るまで子供へのメッセージ性を持っているのだと言える。

子供、孫たちが見るものに陰々滅々とした、人類が絶滅していくような物語を作るのがお爺ちゃんとして嫌なんですよね。だから「明るく楽しく」っていう命題を掲げた作品として「Gのレコンギスタ」を作りました。
科学技術というものをこういうふうに使ったら、これは駄目だぞ!っていうことのサンプルになるような、いくつかの問題を(「Gのレコンギスタ」に)放り込んでいます。



現実の付き合いが難しいのではなくて、リアリズムで話をするときにはリアリズムだけで突破できるかというと、突破できません。特に政治家と経済人がいるところではできません。で、そこで突破するにはどうするかというと、(将来)政治家や経済人になる子供たちに、10〜15歳のあいだに、「お前ら、根本的な考え違いをするなよ!」っていうことを刷り込んでおくんです。そうしたら50年後に首相になってる奴に「お前が今やってることは馬鹿だろう!」って言えるでしょ?

そういう物語を作っていきたいということで、「Gのレコンギスタ」(の制作)を始めたということなので、(客席の大人たちに向かって)皆さん方は見る必要はありません!!(笑)



子供たちに、(皆さん方の)お子たちに見せてやってください!! 本来、アニメというのはそんなもんだろう!!(笑)
シャア専用ニュース 【速報】富野由悠季監督、新作「ガンダム Gのレコンギスタ」を語る!「子供、孫たちが見るものに陰々滅々とした、人類が絶滅していくような物語を作るのがお爺ちゃんとして嫌なんです。だから『明るく楽しく』っていう命題を掲げた作品として『Gのレコンギスタ』を作りました」
ガンダム Gのレコンギスタ

そう言う考えで、子供にザンボット3Vガンダムみたいな幼少期にトラウマになるヤバいものを植え付ける富野由悠季です。


ガンダム者―ガンダムを創った男たち

ガンダム者―ガンダムを創った男たち

リアリズムの問題のメタファーを子供向けアニメに織り込むことで、子供に現実のヤバさをそれとなく見せつけてしまう富野。
僕は年齢的に再放送で幼少期にファーストガンダム逆シャアシリーズを見て、リアルタイムでは機動戦士ガンダムF91Vガンダム(小学6年)∀ガンダム(高校3年)という世代なんですが。
ガンダムF91Vガンダムは全く話しが理解できてなかったけど、戦争とかそこでの人間関係とか人生がすごいヤバいという空気感みたいなのは伝わった。
で、子供を教育するためにアニメを作る富野監督だが、僕は高校の時に受験に失敗して親戚が自殺して親戚関係が悪化して自分自身も鬱病になり「17歳になってしまった…」「なのに、ロランやシーブックカミーユアムロみたいに優秀になれなかった」と、うつ病になった大学時代は黒歴史でしたね。
で、登校拒否になったけど、ガンダムを見直すブログをはじめて徐々に社会復帰したけど、ラブライブ!のゲームを作ってるブラック企業のKLabにうっかり就職して、過労で倒れ、実家に戻ると親が自殺した。
だからやっぱり精神的に死にかけてたけど、Gのレコンギスタが発表されたので、すこし元気になってこうやってザンボットを見る気分になっている。
僕は年齢的には大人だがダメな人間だという負い目がある。だから富野監督には顔向けできないのだが、それでも氏の作品を見ると心躍る面があるということは許してほしい。


だから、富野監督がかつてのザンボット3の視聴者で、ファーストガンダムでは「未来の洞察力に期待します」って言われた今の40代くらいの大人に向って「Gレコは皆さん方は見る必要はありません!!子供たちに、(皆さん方の)お子たちに見せてやってください!! 本来、アニメというのはそんなもんだろう!!」と、言ったのは祖父が孫に期待して子供に冷たくするような、教育の失敗とやり直しの宣言みたいな言葉なんだよな。
だから、マイッツァー・ロナが孫のベラ・ロナに執着してアイドルにしようとして、鉄仮面には人類の9割を抹殺しろって言ったような感じで、中年富野ファンとしては「俺たち世代は富野監督に失敗作だと言われたのか?」と鉄仮面みたいなエゴを強化した絶望的な気分になります。


まあ、富野監督は「Gレコを(皆さん方の)お子たちに見せてやってください!」と言っているので、ガノタの中でも子供を産み、育てている人はいるので、そう言う人は富野監督からは認められた存在なのかな。
だが、「子供を作れたから、親が子の上なのか?子供は、ろくでもない親の負債を抱えて、帳尻合わせに必死になっているんだ!」という気持ちもある。


まー、富野監督も西欧人とのハーフの孫を二人以上産ませて遺伝子を世界レベルでばら撒いているので、ほんと遺伝的エリートなんですけど。チンギスハンですけど。


なのでGレコの宣言に於いて、かつての子ど向けアニメの対象者だった今の大人たちである僕らが富野監督に「あなたたちは見なくていいです」って言われるのは、本当に大人になることに失敗した切なさみたいなのを感じてキツイ。あと、富野監督自身も言っているけど、富野監督の過去の作品自体が子どもを啓蒙して良き大人にすることに失敗したって言う宣言でもあるので、それもファンとして聞いてて辛い。
いや、Gレコがオタクより子供を対象にした真っ当なアニメになるってこと自体は喜ばしいんだけどね。富野監督自身、過去の自分の失敗作を切り捨てて忘れて常に新しいものを作ろうとしている人だし、それは良いんだが。
しかし、ガンダムではアニメ新世紀宣言などをして、新人類世代ファンを盛り上げたのに、今ではガノタと言えば口うるさい老害オタクかプラモデルオタクの代名詞みたいに言われるようになったことは、一ファンとして無念。
そんな大人になり切れないオタクは無視して子供に向けて富野監督が作品を作るのは良い!
だが、俺はダメ人間だけど、富野アニメを見る!



  • 自分語りが長くなった

反省
ザンボット3に戻す。
そんな、子育てに失敗した作品であるザンボット3を見る。色々と作画が残念だし、演出が高度すぎて子供にメッセージが伝わらない部分もあった。
それで、富野監督とファンとの軋轢はZガンダムでのカミーユによるニュータイプ批判とかもあったわけだが。
でも、Gレコのメカデザインのあきまんさんはすごいガンダムファンでザンボット3からの富野ファンで富野の子供世代だけど、50歳になった今も富野作品に携わっているし、まあいいか。

  • 主人公が子供だからこそ生まれるドラマ

で、今回のザンボットですが。
7話以降、久しぶりに神勝平の地元のマイルドヤンキーで友人だった香月が出てきます。彼は裏の主人公ともいえる存在で、彼がいると人間ドラマに深みが増す。
彼は地元の小田原の暴走族集団香月組のリーダーでしたが、宇宙人ガイゾックが日本や地球に侵略してきたので、今は香月組を指揮して(多分盗んだ)トラックを運転して(空き家から盗んだ)補給物資を被災地に届けたり戦災孤児を親戚の家に贈ったりして、青森県下北半島までやってきていた。
そんな田舎にまで、敵のロボットメカブーストは飛来して戦闘になる。
破壊用メカブーストはひたすら自動的に人類の抹殺のためにビル街や道路や難民キャンプを襲い、ロボットのザンボット3は完全に無視している。扇風機とキャタピラをくっつけたようなずんぐりむっくりでユーモラスな形の怪獣ロボットだが、淡々と人の集まる所を攻撃して虐殺を繰り返すところが不気味で恐ろしい。自動的な人類抹殺機械と言うテーマはガンダムF91にも受け継がれていますね。
そして、そんな巨大メカブーストが戦闘中になんとなく地中を移動しただけで地震と地割れと山津波が起きて、人間が虫けらのように死ぬ。宇宙怪獣は人間のことなど虫けら程度にも気にしていないのだ。おそろしい。


それが戦時中の空襲に遭った避難民と同じような絵柄で太平洋戦争のメタファーとして描かれているので、「怪獣が人間を虫けら以下に気にもしない」というのが「戦争をして空爆する敵国兵士は一般市民など虫けらにしか思わない」という歴史的事実とリンクして、リアリティと恐ろしさを倍増させています。だから、「怪獣が怖い」「死ぬのが怖い」っていうロボットアニメだけど、同時に戦争の悲惨さも描いている。


だけど、それを「アメリカが経済封鎖して云々、悲惨な戦争の人権が云々」という理屈や事実では語らず、例え話にしてロボットアニメにメタファーとして潜り込ませて子供に見せるって言うのが、富野流で、それはおそらくGレコでも繰り返されることだろう。

リアリズムで話をするときにはリアリズムだけで突破できるかというと、突破できません。特に政治家と経済人がいるところではできません。で、そこで突破するにはどうするかというと、(将来)政治家や経済人になる子供たちに、10〜15歳のあいだに、「お前ら、根本的な考え違いをするなよ!」っていうことを刷り込んでおくんです。そうしたら50年後に首相になってる奴に「お前が今やってることは馬鹿だろう!」って言えるでしょ?


そういう物語を作っていきたいということで、「Gのレコンギスタ」を始めた

Gレコのメカデザインやキャラデザインや背景は明るく楽しいロボットアニメって言う雰囲気だけど、ザンボット3も明るく楽しいロボットアニメのなかで悲惨さを描いたので、Gレコも子供向けのふりをして富野思想をぶち込んでくるかもしれず、油断がならない。(キングゲイナーも表面的には明るかったが、世界観とか悪魔のメタファーやシンシアの身の上は重かったからなあ)


で、マイルドヤンキーの中高生で両親と妹を宇宙怪獣に殺された香月がザンボット3の裏の主人公なんですが。
今回、彼は神勝平に「戦え!」「生き延びろ!」「メカブーストと戦えるのは神ファミリーだけなんだからな」と檄を飛ばす。
神ファミリーを襲撃したこともある香月だが、友好的になっている。
6話、7話での神ファミリーの父と母に説教されたり平手打ちされたことや、青森まで逃げる間の人生経験が彼をそれとなく変えたのかもしれない。
10話で神ファミリーが副総理を救ったり東京のバンドックを撃退したことを伝聞で聞いたのかもしれないし、自分と同じ被災者遺族の子供を助けたりする中で「自分には戦う力が無いが、神ファミリーにはある」ということを実感したのだろう。


無敵超人ザンボット3第6話 神家の理想と香月家の現実の交錯! - 玖足手帖-アニメ&創作-
無敵超人ザンボット3「7、8話」善き母と悪しき母性。ビアル星人はおおかみこどもか? - 玖足手帖-アニメ&創作-
香月君の家庭環境とか心理状況とか、親との関わりとかガンダムの家族論とか、感想を書いています。
ですが、僕はアニメキャラの家族構成の心理を分析してえらそうに感想を書いていたくせにこの直後に母親を自殺させてるんですねー。僕自身が家族に失敗してるんですねー。本当に僕はクソだな。


自分自身が家族に失敗した恨みや後悔がアニメキャラの家族論を考える間違った原動力になっていると思います。まあ、僕は僕が嫌いだ。富野アニメの話をしよう。


出番のない間に香月が勝平への見方が否定から応援に変わっているのは、アニメだけ見ていると分かりにくいが、演出としては匂わされている。
ロボット戦争の余波の津波で両親と妹と生き別れになって小田原から青森までトラックで人口の多い所の空襲を避けて旅をしていた香月だが、彼はその旅の途中戦災孤児のチーコを拾って妹のようにかわいがって、彼女を青森の祖父母のところまで届ける。
これだけで、香月が自分一人だけの家族を失った辛さに逃げないで、他の子を守ろうという気持ちになるまで成長した、という事が想像されます。出番のない間でのキャラのドラマを想像できる、と言う所がザンボット3がアニメというよりは映画的で小説的な深いドラマ性を持っていると見える所。


前回、「ザンボット3は日米戦争のメタファーで、戦後民主主義の日本への批判的な作品である」と書いていたが、香月は焼け出された戦災孤児と言う点で戦時中や戦後の雰囲気を担っている。
香月のやっている盗品の運搬は戦後の闇市の少年を連想させる。
また、それが単なる戦争のメタファーではなく、生々しい。富野監督自体が幼稚園の時に戦争を経験した世代だからな。
香月と仲間の会話が生々しい。ソ連進駐から逃げる引き揚げ日本人のようだ。
「下北の方は本当に安全だと思うかい?ガイゾックは人間を根絶やしにするって噂だぜ」
香月「噂はうわさよ。生き延びられるだけ、生き延びられりゃあ」
「生き延びて、どうなるのかな?」
香月「じゃあ、死ぬの、怖くねえのか?」
「怖いさ。でもよう、世の中がこんなんなって、生き延びてどうすんのよ?」
香月「そうだな!」


滅んだ世界で生きること自体に意味があるのか?圧倒的な軍事力の前に虫けら扱いされる一般人が生きるモチベーションを持てるかどうか?という非常にシビアな問いを投げかけている。
これは新世紀エヴァンゲリオンでも震災以降のアニメでも描いていない。
セカイ系で君と僕の恋愛関係とかに収束したアニメは多い。だが、ザンボット3は戦後のオイルショック直後の70年代に子供向けアニメで子供に「お前に生きること自体に意味はあるのか?」と問いかけている。


また、その後勝平と香月が殴り合いのけんかになる時の会話も戦災孤児らしい言葉。
勝平「俺だって、好きで戦ってるんじゃないんだぞ!」
香月「俺だってそうさ。下北の方に逃げりゃなんとかなるんじゃねえか、そんなことを考えるので精一杯なんだ。好きで両親や妹と生き別れになる奴がいるかよ」
勝平「お前ばっかり苦労してるんじゃないんだ!お前ばっかりカッコいいんじゃないんだ」
香月「そんな弱虫じゃ、香月組を渡すわけにはいかねえな」


香月は勝平よりは年上のヤンキーなんだが、家族を失っても暴走族の手下を率いて日々生き延びようとしている。ロボットで戦う力もないが、生き延びようとしている。
こういうキャラクターはVガンダムのオデロとか∀ガンダムのキースなどでも出てきてますね。スーパーロボットアニメですが、富野アニメにはこういう中途半端な人間のせつなさみたいなのも表現されてて、心にしみる。
そんな中途半端な力の少年が、スーパーロボットの力を持った主人公の少年と人間同士として殴り合うことの生々しさが、またドラマの質感を豊かにしている。


  • 家族の再生と命の価値

「君は、生き延びることが出来るか?」という機動戦士ガンダムの2つ前の作品であるザンボット3で子ども相手に「君に生きる意味はあるのか?」と問いかけた結構ひどいザンボット3だが、この話の中でその答えも匂わされている。
それを言葉に出さない所がこの話の演出の突出して素晴らしい所なのだが。
妹を失った香月は戦災孤児のチーコという、目の前で親が死ぬところを見て失声症になった少女の面倒を見て、チーコを青森の祖父母まで送り届ける。
チーコに対して香月は「兄ちゃんがいるから大丈夫だぞ」と、何度も言う。
これは、実の妹を守れなかった彼が、戦争のせいで失敗した自分の人生や家庭をもう一度再生させようという気持ちの表れでしょう。で、香月は7,8話で神勝平の両親に説教されたり殴られたりして、彼は彼なりに小さな家族を作ろうとして、それが戦災孤児を拾いながらの避難活動になってる。(これはVガンダム戦災孤児のウーイッグのオデロ・ヘンリークと両親との関係にも似ている)


で、その戦災孤児のチーコだが、彼女もまた地味に泣ける。失声症という、私と同じ病気のメンヘラの少女だが。(私は家庭が崩壊してKLabで過労になって京都大学に再就職したのもストレスだったので、母親が自殺する前から失声症だったのだが)
同じ失声症の患者として、彼女の描写はリアリティがある。
チーコは目の前で親が怪獣との戦闘で焼かれ潰されるところを見たせいで失声症になった。そして、野原で虫を捕まえることしかやらない。
なぜ、チーコは虫を捕まえるのか?
それはチーコの両親が死ぬ時、逃げ惑うチーコが転んで落とした虫かごを拾って避難が遅れ、虫かごごと焼かれたから。チーコは虫を捕まえる事で失った家族をやり直そうとしてるんだな。失声症なので、その事情は香月も勝平も知らない。視聴者にも説明されない短いカットインで両親が焼ける時に虫かごが壊れて虫が逃げたという絵が挿入されるだけだ。
僕も親が自殺して、しばらくはずっと「母さんが自殺してしまった…」としか言えなかった状態があって、今も気を抜くと自動的にそうつぶやいてしまうので、いつもマスクをしている。そう言う点で、富野監督はメンヘル患者を描くのが上手い。カミーユとか。


で、香月とチーコの疑似兄妹は互いに家族をやり直したいと思っている戦災孤児の関係なんですね。説明されないけど。
そこから考えると、香月の生き延びる意味や勝平たちが戦う意味ってのも自然と推測できる。
それはやっぱりVガンダムブレンパワードやGのレコンギスタにも一貫してる富野監督のテーマなのだ。
ウッソ「生き物は親を越えるものです。親は子を生んで死んでいくものなんです」 「僕らができなければ、次の世代がやってくれます」
ヒギンズ「ブレンは花を愛する! 弱い者を守るために、強い命が生まれるのよ!」
富野「子供たちに、(皆さん方の)お子たちに見せてやってください!! 本来、アニメというのはそんなもんだろう!!」
だから、個人個人の人生は失敗したり戦に負けたり踏みにじられて虫けらのように死んだりするから、個人が生き延びることには大して意味はないのかもしれない。でも、世代を繋ぐことの意味を守るために小さい家族を守ろう、という生物としての本能が富野作品に共通したものだ。


あと、ザンボット3は戦後平和主義の大衆を批判して、敵は物量で勝るアメリカやソ連のメタファーで、戦国武将みたいな見た目のロボットのザンボット3で戦う神ファミリーは江戸しぐさだと思っている。
で、神ファミリーもガイゾックが攻めてくる前は一般人だったのだが、戦う。戦わなければ攻められない、という戦後平和主義に対して、「敵国は日本人なんか虫けらにしか思ってないから、力をつけて戦わなければいけないんだ!」という極右思想や愛国精神がザンボットにはある。
この、「力を手に入れたものはアメリカ相手でも突撃して銃後を守るんだ」という戦中世代の一種の理想みたいな作劇でもある。「ロボットさえあれば、俺もアメリカをぶちのめせるのに」っていう。これは鉄人28号から続く思想でもある。
同時に、ロボットを持てない香月が地道に必死に生き延びようとしてるところで、理想ではないリアルさも出している。
力を持って大国をやっつけたい!という願望は日本人にはあって、それは谷口監督のコードギアス大河内一楼さんのヴァルヴレイヴにもつながってる。
でも、ザンボット3は香月と言う脇役を置くことで理想と現実の間とか、戦時中での人の生々しさとか質感を醸し出している。なかなかできることではないし、なかなか出来たアニメも少ないと思う。富野アニメでもできてるのとできてないのがあるし。
で、その愛国精神とか世界平和主義に対する戦国主義の立脚点として、ザンボット3では「身近な子供を守れ!」という反論しにくい本能的なものを使っているのだ。
それが子ども向けアニメとしてのルックスにもなっているし、子供の視聴者に向かっては「お兄さんたちが子供を守るぞ」という頼もしさを感じさせるプリキュアっぽさにもなっている。

  • 子供の勝平

だが、神勝平自身も子供だ。
Vガンダムウッソ・エヴィンスペシャルで嘘っぽい子供だから13歳で「僕らができなければ、次の世代がやってくれます」と言ってしまう天才児なのだが。
神勝平はクソガキなので、そこまで達観できない。だから、非常に子供っぽいのだ。
だが、そういう子供っぽい所が、このアニメを凄惨な戦争を描いただけの残酷物語ではなく、子供向けアニメとしての温かみにしている。あと、子供にも共感できるようにしている。
巨大ロボットに恐怖を抱くチーコがザンボエースを見て怖がると、勝平は「メカブーストと一緒にしやがって!」と怒るし、
怪獣戦闘によって道が寸断されてるのを見たら「道路がぶった切られたのね。じゃあ、助けてやりますか」って∀ガンダムみたいにトラックを運ぶ。でも、運ばれるトラックの香月が「チーコが怖がるからさっさと離れろ」って言うと、キレる。
相手がなんで自分を怖がっているのかわからないし、巨大ロボットを操ることの意味も理解していないし考えが及ばない子供だ。すぐ怒るし不良だし。
戦闘してる周りで避難民がいると、避難民を心配するのではなく「こんなに被害が出たら俺のメンツが潰される!」と怪獣に向かって怒る。
非常に子供っぽく自己中心的で怒りっぽい。で、怒って猪突猛進したところ、敵の反撃に遭い、流れ弾でたくさんの人が千切られて死ぬ。
それを目撃した勝平は「俺はすぐにカッとなるから、戦いに向いてないんだ・・・」といきなりザンボエースを降りる。それも自分の戦闘が人の命を奪った事への責任感とか、重みを分かった上じゃなくて「俺は戦いに向いてないんだよー。勉強できないもんねー」と、バカみたいな事を言うのが、本当にクソガキで子供っぽい。
エヴァンゲリオンのシンジ君だったら、もうちょっと考えて「なぜ殺した」とか悩みまくるんだが、勝平は「俺、向いてないんだよ。勉強できないもんね」だ。子供っぽいし、視聴者の子供と同じくらいの幼いメンタリティだ。勉強できない大山のぶ代というのは、ハリスの旋風みたいな感じで、当時の子供には親近感が沸く。(国松様のお通りだいとは違って、人はモリモリ死ぬ)
同時期で富野監督も参加したロボットアニメのコン・バトラーVボルテスVのリーダーはもうちょっと世界の平和を守ることの責任感とか正義感とかを持っていたけど、ザンボット3の勝平はそう言うことを考えられないバカなので、自己中心的で「俺はイライラしてるんだ!」とか「俺のメンツをつぶしやがって!」みたいな考えだ。
長浜忠夫の主人公たちがお行儀のいい国連主導のエリートだとしたら、神ファミリーの勝平はたまたまロボットの力を手にした小田原の不良少年に過ぎない。行儀の良い長浜ロマンロボットの正義漢に対抗して、主人公を不良にしたのかな、と言う、ニッチ戦略を狙う富野監督のマーケティング戦略もうかがえる。
破嵐万丈も世界ではなく自分のために戦う私立探偵みたいな人だし、アムロ・レイも正規軍から少し離れていた)


で、敵前逃亡してロボットを投げ出した勝平は草原に寝転んでダラダラする。
そこに、虫を集めていたチーコが通りがかかる。
勝平はバカなので、チーコにメカブーストと同じと言われて腹を立てていたのもすぐに忘れていて、チーコと一緒に虫取りに興じる。この、すぐに喧嘩したことを忘れて虫とりをするとか、すっごく子供っぽい!子供が子供らしく描かれている。(でも、そんな子供をロボットに載せて殺し合いをさせる)
チーコと勝平の虫取りによる交流は、世界名作劇場のように和やかだ。
失声症のチーコが勝平と香月との交流を経て、喋れるようになる、と言うのも世界名作劇場の一つ前の、富野監督も演出でたくさん参加したアルプスの少女ハイジみたいだ。
香月と勝平の殴り合いのけんかも、あらいぐまラスカルスターリングとクラスメイトの取っ組み合いの喧嘩みたいだ。
そういう高畑勲系列の人間ドラマ要素を、凄惨なロボット戦争に悪魔合体させているので、ザンボット3は結果的に長浜忠夫のスタンダードなロボットアニメとも世界名作劇場とも戦記ものとも違う個性的な作品になっている。


ガンダムでリアルロボットものというジャンルが確立する前なので、なんだかよくわからないオリジナリティのあるものに結果的になっている。(Zガンダム以降、富野監督自身もリアルロボット路線と言う物に魂を引かれて路線がいろいろ試行錯誤したのだが)


で、香月が「戦争映画だと敵前逃亡は銃殺だぞ」って勝平に言ったり苦労話を聞かせたりして、勝平は「お前ばかりが苦労してるんじゃない!お前ばっかりカッコいいんじゃない!」と殴り合いのけんかになって、それを見てチーコが「喧嘩やめる!」って泣きついて、香月と勝平は喧嘩をやめる。
そして、勝平は再びロボットに乗り、悪いロボットをやっつけに行く。
チーコが本当に怖かったのはロボットではなく、争いそのものだった、ということが示されて、それで喧嘩していた香月と勝平が反省する、という展開で、言葉ではなく行動で平和を願う心とか道徳心みたいな要素が織り込まれている。
言葉ではなく芝居で!演出としてメッセージを入れる!
この作劇の筋立てと演出はなかなかすごいぞ。
戦後の平和主義って言うのは、非常にお説教臭くて子供には好かれないものだけど、それを子供向けロボットアニメでそれとなく入れ込む富野の演出手腕は素晴らしい。
で、神ファミリーと一時敵対していた香月も「(ザンボット3は)良いロボットだよ。あのお兄ちゃん(勝平)はとても優しいんだよ」って勝平本人ではなくチーコに言う事で、親を殺されて曲がった本心を素直にすることが出来た。
泣かせる。
勝平本人に説明しないで、小さい子に説明するお兄ちゃんという体裁で和解を描くというのが、本当に劇として良い。
また、子供向けアニメとして子供キャラに対する主人公のお兄ちゃんって態度を取ることで子供向けアニメで視聴者の子供にも感情移入しやすくしている。(プリキュアのお姉さんと幼女みたいな感じで)
同時に、「戦争の中で次の世代を守る」というテーマ性にもつながっていて、非常に深い。
で、いろいろと大衆に批判されていたザンボット3が香月と幼女のチーコに「がんばれー」って言われることで、リアルでシビアな戦場にプリキュアウルトラマンみたいな子供向けの温かさみたいなのも盛り込んでいて、前半で日本人からボロクソに言われた神ファミリーがやっと認められた、って言う2クール目の充実感みたいなのも感じさせる。

で、戦いが終わって、チーコは青森の祖父母と再会できて、香月はトラックで去る。
勝平は帰還する前にザンボエースでチーコの虫取りを手伝う。



この、巨大ロボットと子供の日常的な交流!
∀ガンダムの洗濯出動より22年前の作品なのに、本当に富野らしいロボットの使い方をしている。
ロボットや力そのものが悪なのではなく、それを使う人に善悪があって、ロボットも優しい人が乗れば優しい使い方ができる、と言う富野アニメらしいロボット観。
それをドラえもん大山のぶ代さんが主人公でやる。素晴らしい。
ドラえもん のび太と鉄人兵団の8年前である。


あと、富野監督はいなかっぺ大将をやってたけど、やっぱりギャグは苦手な演出家だと思う。ザブングルガンダムZZのギャグも滑ってた所があるし。なんか、無理に変な動きでこけて笑いを取るのに失敗するところがある。
そんな富野監督の絵コンテで、ザンボエースがこういう姿勢を取る。ギリギリのラインでユーモラスさと人間ドラマの温かみが同居している。
やっぱり、富野監督は分かりやすいギャグで爆笑させるより、こういう微妙な温かみを持ったユーモアを醸し出すことで笑いに持っていく方が似合っている演出家だと思った。


本当に富野は子供向けアニメで子供に向けてメッセージを発することとか子供を戦争に駆り立てることの意味に自覚的な人だ。
それは、VガンダムにもキングゲイナーにもGのレコンギスタにもつながっているし、一本筋が通っている作品歴の監督だと思う。