玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ベルサイユのばら第26話「黒い騎士に会いたい!」出崎統のフェミニズム

あらすじ

http://animebell.himegimi.jp/kaisetsu26.htm
(1787年の暮れ〜1788年の初め頃・オスカル満32歳)


隔週でベルばらの感想を書きますが、プライベートが忙しいし不眠症と過眠症で休日がブッ潰れて時間が無いので粗筋は外注して、感想は3行にします。
細かい所はリンク先の考察サイトを読んでください。


僕の感想を書きます。原作は黒い騎士事件とマリー・アントワネットの息子の病気と、ロザリーのポリニャック家からの出戻りが同時進行してるんですが、アニメは黒い騎士事件に集中しています。
黒い騎士がアンドレなのか?というオスカルの疑いから発展して、アンドレのアニメオリジナルのプライベートの勉強会と共同作戦になって、オスカルとアンドレの一度すれ違った気持ちが、シンクロする部分と、分かり合えない部分と、伝えきれない部分がサスペンス的なドラマを通じて際立っていきます。


で、マリー・アントワネットの母親的なドラマやロザリーが結婚問題に悩んだり平民の暮らしからあっさりジャルジェ家に戻るくだりがカットされたことで、全体的に硬派になっています。また、池田理代子先生らしい歴史講釈やイデオロギーの説明的なセリフが変更されています。原作ではロザリーのスープと自分の食事を比べて、オスカルがイデオロギー敵に貴族としての自分を恥じるセリフがあるんですが、アニメではオスカルは黙ってスープをいただいて、涙することで説明よりも心を伝える演出に変更。
で、歴史講釈の部分はアンドレが自主勉強会で教会でリベラル派の牧師から平民と貴族の経済的不平等や税金問題について教わっているというオリジナルの挿話の追加で補てんしている。


また、ロザリーは原作ではベルナール・シャトレと少女漫画チックに出会ってロマンスをするためにサラッと平民の暮らしを捨ててジャルジェ邸に戻るんですが、アニメ版ロザリーは出崎統らしい宝島のジムや、おにいさまへ…の有倉智子さんのように、テンポの良い口調でさばさばと平民の暮らしを逞しくエンジョイしていると言う風に変更して、ロザリーはジャルジェ家に戻らない。


また、アンドレも自主的に勉強会に参加するし、黒い騎士の偽物に扮するのもオスカルに命じられてやったのではなく、自主的にオスカルに申し出る。オスカルも最初は自分が黒い騎士の偽物をやるつもりだった。


というわけで、全体的にほとんどすべての登場人物が自主的で気風の良い風に変更されているので、フェミニズム運動的な原作のフェミニンな部分が減って、みんな男らしくなっています。


そこら辺が出崎統さんの感性なんですかね。
まあ、出崎さんだけの功績ではないかもしれんけど。
で、アンドレの男ぶりが原作よりも上がっていることで、オスカルのアンドレに対する気持ちの部分での揺らぎの女性らしさが相対的に強調されています。原作よりもアニメのオスカルも行動的なんだが。
だから、周りの男らしさが原作よりアップすることでオスカルは強いんだけど、女なんだ、っていうことがアニメ版では浮かび上がってくるんですね。
原作の少女漫画は少女を対象にしていて、男よりも男らしいオスカルに憧れを抱く読者の気持ちを刺激する、って言う効果が強いけど、アニメはもっと群像劇っぽくなってる。




あと、このアンドレの髪型の変更は、原作では今まで地味で脇役だったアンドレが美形に昇格する所です。で、すぐ片目を潰されるので、原作ベルサイユのばらのスピンオフの続編でも、アンドレが登場するのは大体この黒い騎士事件の最中の一番アンドレがイケメンだったころが多いんですが。
だから、原作は連載作品という事で最初の構想ではフェルゼンが男役で、アンドレは単なる脇役に過ぎなかったけど、路線変更してアンドレがイケメンになったんだな、と言うのが読み取れるんですが。
アニメ版は原作と宝塚版を踏まえて、割と最初からアンドレが主要人物でオスカルの片腕、半身と言う風に描かれています。
そういうわけで、アンドレの自主性と男ぶりが上がっているのも、そういう全体のアニメ版の構成の趣旨に合っていますね。



ちょっと忙しいので、薄味の感想ですみませんね。

  • 重大な追記

粗筋としては、上記のリンク先で完結しているんですが、出崎統のアニメ演出ファンとして独自性を出すために追記します。
重要な書洩らしがあった。最近平日が忙しくて、不眠症と過眠症で休日のアニメブログ感想にかける時間も少なくなり、お座成りな文章になってしまった。申し訳ない。


今回の話でアニメ演出的に重要な所がある。
原作との変更点以外にね。

  • アンドレとオスカルの絆の再確認

今回のオスカルのアニメならではのイメージ的な心理描写は意味がある。それはアンドレとオスカルの絆の再確認です。
粗筋の文字情報とか説明的には、貴族としてのオスカルと平民だが貴族の家で育ったアンドレのギャップの描写があって、オスカルがそれに不安感を抱く、というあらすじです。
オスカルとアンドレの身分と性別の差から起こる不安感、と言うのが今回の話で大事な点。また、終盤に起こるフランス革命の予感や民衆の潮流の代表としての黒い騎士の登場と言う、階級闘争的な70年代らしい題目が今回、目立つポイント。


だが、アニメ演出で匂わされていて、セリフや説明では明示されていない所でのオスカルとアンドレの関係が良い。
今回の前半では、オスカルが黒い騎士の正体はアンドレではないか?と疑って、夢の中で黒い騎士とアンドレを混同する。
Bパートでアンドレがオスカルを平民の啓蒙勉強会に招待して、黒い騎士の疑いは晴れる。それで、オスカルはアンドレと協力して黒い騎士逮捕のための作戦を立てる。二人きりで怪盗の真似事をして秘密操作をする相棒っぽい信頼感はある。
だが、オスカルは「この事件が終われば、勉強会へもどこへなりとも行くがいい」と平民のアンドレを貴族として突き放すようなことを言う。
アンドレは心の中で「俺は自分のためだけに時代を見ているわけではない」と思うが、オスカルには言えない。
そして、黒い騎士を捕縛しに行く前、窓辺で紅茶を飲んでいるオスカルのティーカップになぜか黒いカラスが襲ってきて、カップを割って去る。「何か大切なものを失う予感がする」というオスカル。
この鳥のイメージ演出的な使い方は出崎統っぽい。(カモメとか)
で、その晩に黒い騎士の本物と対峙して、偽黒い騎士に扮したアンドレと黒い騎士が格闘戦になる。
見た目が似ているし夜だし、乱戦になっているのでオスカルは拳銃を撃つことが出来ない。どちらを撃てばいいのかわからない。これは、また前半のように黒い騎士とアンドレを混同しているという心理描写のリフレインですね。
だが、黒い騎士が反撃してアンドレが目を負傷する。そこで、オスカルは「アンドレ!」と叫ぶ。そして次回に続く。
このラスト2分の格闘戦が地味に重要。原作ではオスカルが黒い騎士とアンドレを混同する展開はない。実際、初見では「騎馬戦の作画が面倒だから、アニメでは地上戦に演出を変えただけかな」と思ったんだが。
重要なのは、アンドレと黒い騎士を混同することじゃなくて、混同していても負傷したら瞬時にオスカルが「やられたのはアンドレの方だ!」って気づくところ。ここで、オスカルとアンドレの魂の絆とか、相手の痛みを自分の痛みのように本能的に感じる結びつきの深さが、身分とかそう言うのを越えて本能の感覚的に描写されている、って言うのが今回の白眉なんですねー。



まあ、声が違うんで斬られた瞬間にアンドレが「うっあっ」とうめくだけでオスカルが気付いた、って言う解釈の方が妥当なんですけど。
でも、わざわざアニメオリジナルで黒いカラスの不吉な予感のイメージシーンとオスカルが黒い騎士とアンドレを混同する小芝居を入れて、アンドレが斬られた後にカラスのシーンの回想シーンを入れるという演出なので、やっぱり「オスカルはアンドレの痛みを自分の痛みのように感じる」というのを示したい演出意図があると思うなー。
今回は、民衆蜂起の予感とか、アンドレの自主勉強会とかで、貴族としてのオスカルが平民であるアンドレとの間に溝を感じるという思想的対立を描いた部分もある。が、次回に続くギリギリの1分のオリジナルシーンで「理屈ではなく感覚でオスカルとアンドレは結びついてる」ってイメージさせる芝居を入れるのは、なかなかうまいアレンジだと思いますねー。
こういう細かい所でも気を付けて関係性の描写を強化する演出は上手い。好きです。
フェミニズムとか階級闘争的な所が特徴だって言われがちなベルサイユのばらですし、実際原作は意図的にそこを強調している部分があるけど、出崎統はそういう理屈よりも感覚や体感をイメージ演出で感じさせるんで、演出家なんだなーって思います。
ロザリーが物語の都合でジャルジェ家に戻る原作版は、ストーリーの筋書優先で、「私はこっちの暮らしの方が合ってます」ってロザリーが言って貴族の家に戻らないアニメ版はキャラの性格や体感を重視して行動を変えてる感じですね。なので、女性作家の池田理代子先生よりも出崎統監督の方が感覚的に作劇してる感じで、フェミニズム批評として考えても女性の方が感覚的で男性の方が理論的、と言う風にはならないかなーと。
いや、でも、ロザリーがジャルジェ家に戻ってないので、ベルナール・シャトレとの出会いのシーンはアニメ版ではどうなるんですかね?
まあ、原作ロザリーは結構少女漫画読者の代弁者みたいな所があるので、夢見る少女だし簡単に貴族の贅沢な暮らしのオスカル様の所に百合っぽく戻るし、ベルナール・シャトレともロマンスをする。アニメ版のロザリーの有倉智子さんっぽい気風の良い喋り方は出崎統キャラって言う感じで、あんまり少女漫画の乙女チックな所は感じませんね。ロザリーの描き方だけでもかなり違うなあーと。
しかし、これだけ原作を改変されていたのに、よく池田理代子先生はおにいさまへ・・・のアニメ版を出崎統監督に任せることをオーケーしたなあ。おにいさまへ…もラストの解釈とかアニメ版と原作は正反対だしな。どうなんですかねー。