脚本:吉川惣司 絵コンテ;八尋旭 演出:広川和之
あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/kingbial/story/story15.html
(あらすじは誰か一人が書けばいいので、僕は省力化のために引用します。ネタバレはします。でもあらすじを書くのは面倒なので外注します。感想だけ書きます。だからネタバレしてても見てない人には良くわからないかもしれません)
- 第3部開始前の単発作戦
ザンボット3は23話の短め2クール作品です。前回までに1クール目の第2部の連続バトルエピソードが終わりました。第1部で敵が出現し、第2部は神ファミリーが人々の理解を徐々に得ていく過程です。
そして第三部と言うのはあの悪名高き「人間爆弾4部作」です。次回からこのトラウマエピソードを見なければいけない…。つらい。その後、最終決戦編になだれ込みます。
私も先週は体調を崩して、ザンボット3を見れてなくて、富野アニメを見ないとさらに精神的にオーラ力が減ってまた体調を崩すので、今週は辛かった。
でも、富野アニメは精神エネルギーをくれるけど、人間爆弾4部作もそれはそれで確実に精神力を削ってくることが予想されるので、来週と再来週に回します。
今日はその人間爆弾四部作が開始する前の肩慣らしとして、見ようと思いました。
しかし、その第2部と3部の間の単発エピソードだと油断していたら、意外や意外、老軍人の特攻、兵站論、原子力など、富野喜幸監督作品らしい要素に満ちていて、濃厚でした。というか、富野作品は大体濃厚です。いいですね。
- 二転三転する物語=ゲストキャラの印象
粗筋を追っていくだけだと、「孤独な戦いを強いられていて物資が不足していた神ファミリーだが、やっと国連の援助を受けることが出来、補給物資を入手した」と言うだけの話です。
ですが、その補給作戦行動と敵怪獣とのバトルを通じて、ゲストキャラクターで護送船団の指揮官・ジェイムス提督の人となりに対する印象や戦局が二転三転、それ以上にコロコロと変わる所にドラマ性の面白さがあります。
今回の脚本は後に戦闘メカザブングルや装甲騎兵ボトムズの脚本やアニメーター、ルパン三世劇場版第1作ルパン対複製人間の監督を手掛けた天才、吉川惣司氏。
そういうわけで、軍人を描くミリタリズムの硬質さと人間の印象のドラマ性の調和が取れた話だったと思います。
1話だけで登場して退場するジェイムス提督の印象は1話の20分の間で何度も何度も変化する。
こういう、厳しい指揮官の大人の軍人キャラクターと主人公のスーパーロボットパイロットとの軋轢を描いた話は、ザンボット3の直前に富野監督が参加していた長浜忠夫ロマンロボットシリーズの超電磁ロボ コン・バトラーV、超電磁マシーン ボルテスVでも描かれたドラマ要素である。そう言う点ではこのエピソードは非常にスーパーロボットアニメらしいエピソードである。
だが、後発作品のザンボット3が先行作品に対抗して一工夫して面白い要素は、ジェイムス提督が完璧超人ではなく、中途半端な軍人だという所です。
先行するスーパーロボット、長浜ロマンシリーズでの指揮官と少年パイロットの軋轢のドラマと言うのは、巨人の星の長浜忠夫監督らしく、「軍記や規律に厳しく、時に理不尽とも思えるスパルタ式特訓や味方の犠牲を厭わない非情で強い大人と見せておいて、実はそこには主人公たちに対する優しさや地球の平和を願う心が隠されていた」という二面性が見どころなのですが。
今回のザンボット3のE・ジェイムス提督も、厳しさを勝平たちに見せるという点と地球のために身を挺して戦う所などは、長浜ロマンシリーズの大人たちに似ています。ですが、ジェイムス提督の印象は二面性だけでなく、もっとたくさんの面があります。
まず、国連防衛軍から主人公の母艦ビアル一世にテレビ電話で補給物資の護衛をする船団があり、作戦の詳細は指揮官のジェイムス提督から聞くように言われるのが最初。
で、ゴムボートで海に出て休暇でのんびりしている勝平を水平線から大船団が迎えてびっくりさせる。ガイゾックかと思う勝平。そして、勝平を機銃で撃つ。驚く勝平。乱暴なお出迎えだと思うが、実はそれは勝平を狙っていた鮫を射撃して勝平を助けるものだった。優しい人かと思わせる。
ビアル一世に乗船したジェイムス提督は神ファミリーの長老、神北兵左ェ門と親しげに握手し、第二次世界大戦前の40年前に国連大学の同級生だった明かし、好感度を上げる。
だが、実際に作戦が始まるとジェイムス提督はビアル部隊を自分の部下のように扱い、神ファミリーに「命令には絶対服従するように」と理不尽なえらそうなことを言い、一太郎に「ワンマンな人」と言われる。で、大学では一時期同級生だった兵左ェ門も軍人になった後のジェイムスの経歴を勝平の母の神花江に調べさせ「やれやれ、友人の経歴を知らんとはな」と嘆息する。
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このように「酷い奴だと見せかけて実はいい人」「いい人そうに見えるけど実際は悪人?無能?」というお題の繰り返しをこの回の中で何回も繰り返している。
ガイゾックと唯一戦える神ファミリーのザンボット3やビアル一世を戦闘に参加させず、第七艦隊でメカブーストと戦おうとして、逆にザンボットに砲を向ける彼の作戦に視聴者も不信感を抱く。こういう風に疑問点をいくつもちりばめているシナリオだ。
だが、戦いが終わって今回の話を振り返って思い出してみると、彼の行動は全部、ビアル部隊の戦力を温存し、神ファミリーに補給物資を渡すという任務に徹していたと辻褄が合う。そのような、ミステリ・サスペンス小説のようなテクニックを使っています。ミステリ作品には最後に答え合わせの快感が視聴者に生まれます。
しかし、彼の行動や想いに辻褄があった時には、彼はもう・・・。という事で答え合わせ以上の感動ややりきれない想いが生まれるわけです。
それを踏まえて、ラストカットで勝平も心理的に成長したんだ、と匂わせることに説得力を持たせる構成になっています。
1話だけ登場の使い捨ての軍人のゲストキャラクターを使って、全体的な構成に生かしていますし、この話の中だけで見てもジェイムス提督に対する心理的価値観や印象が二転三転していて、単なる戦闘行動の成功失敗や勝ち負け以上のドラマ性を生み出しています。
非常にうまいと思います。
「定年間近の老指揮官」という、非常によくあるお題で、一話使い捨てのキャラなのに、よく話を膨らませた物だな、と感心しました。
また、退役間近の老指揮官が補給作戦の指揮を執るという事で、ザンボット3の世界の人類の人材不足や軍の潰滅具合や、ガイゾックに制圧されている海上運輸の困難さ、今回の補給作戦に賭ける人類側の必死さ、それ故に補給物資の大事さ、と言う物が匂わされていて引き立ちます。
蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-のアニメ版も怪獣に制圧された太平洋を横断して運輸するのに何週間もかけましたが、ザンボット3はそういう題材を1話に圧縮して詰め込んできているので濃い。むしろ、ザンボット3は昔の子供向けアニメで滅茶苦茶作画の情報量も少ないし、セリフも難しい言葉が使えないのに、上記の人類の国連軍の事情を言葉で説明せずに匂わせる、雰囲気で世界観を視聴者にとらえさせる工夫が凝らしてあっていいです。
こういうアニメを解読してブログを書くのは楽しいですね。
- 兵站論
補給物資の大事さと言うのは、ザンボット3第9話での海上運輸業者の大滝社長のエピソードのリフレインでもある。
富野監督はガンダムについて
― 富野さんは『機動戦士ガンダム』などで、戦争をアニメーションで描かれていますが。
富野 もともと戦争ものを作るというつもりはなかったけれど、巨大ロボットが活躍できる場を考えたらそれしかなかった。宇宙戦争を通じて戦争ものを作れば面白くなるだろうと考えました。また、どうせ戦場を舞台にするなら、兵站(へいたん)の描写をきちんと入れて見せておこうと。戦時中の陸海軍はともに前線部隊に対する兵站のことを何一つ考えていなかったんです。戦争についてしっかり考えていたらあんな馬鹿な戦争ができるはずがない。だから巨大ロボットアニメでも兵站のことぐらい考えているということを見せようと思いました。
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と語っていたんだが、ガンダムの前の監督第4作にあたるザンボット3でも同じようなテーマを盛り込んでいたんだな。ザンボット3はガンダムよりはスーパーロボットに分類されるんだけど。
マチルダさんも兵站部門の補給部隊でしたねー。(安彦良和先生のガンダムTHE ORIGINではパオロ艦長も兵站部門でホワイトベースの運び屋だったって設定ですね。ORIGINは初期のこういうリアルな改変はハードな感覚で良かったんだが…)
戦いの勇ましさが強調されがちなスーパーロボットアニメにおいて、兵站の大事さを見せるというのは、作り手に確信的な意図が無ければなかなかできることではない。
で、なんでザンボット3やガンダムでそういうことをやったのかと言うと、やっぱり世代間コミュニケーションですね。「大人は死ぬけど、若い子供たちに命がけで遺産を残す」というメッセージを「補給物資の大事さ」とか「ご飯が食べられる喜び」とか、そういう子供にも分かりやすい本能的な所に落とし込んで伝えている。
こういう次世代への希望ってのはガンダムでも、あの悪名高いVガンダムでもやってることで、やっぱり富野監督の本質的に一貫してる部分だと思います。
富野監督ってシャアみたいに「愚民どもは滅べ!」って言うシャアみたいなジェノサイドな部分と「子どもたちに未来の地球を残したい」っていうアムロみたいな優しい部分が同居していて面白いなあ。
- 富野監督の特攻
富野監督は核兵器に並んで特攻作戦、体当たり、自爆攻撃と言うのをほぼ毎回、ほぼすべての作品に入れてくる作風ですが。
(今回は海上第七艦隊戦艦が囮で、原子力潜水艦が本命の補給部隊、と言う面で核を出しています。ザンボット3の後半に核爆弾は出るんでしょうか?)
なんだけど、富野監督は宇宙戦艦ヤマトの後期劇場版のように自爆攻撃を美化しているわけではない。実際、今回、ジェイムス提督が決死の覚悟で機関員以外は退艦させてメカブーストに戦艦ごと体当たりをして胴体に穴をあけたが、撃ち漏らした。そして、彼は炎上した火薬庫の爆発に巻き込まれる。
かと言って、宇野常寛さんの評するところの「富野さんは特攻には意味が無い、自爆攻撃は老人や男のエゴイズムやナルシシズムだと、富野さんは強調している」と言う意見も違うと思う。
宇野さんはエゴイズムやナルシシズムを強調する評論を書くのが習性みたいな所がある。宇野さんの評論はちょっとオタク煽りに走りすぎて作品自体を見ることから逸れていると思う。
僕から見て、ジェイムス提督の今回の特攻は、むしろナルシシズムやエゴイズムや虚無主義ではなく、「せざるを得なかったのだ。せざるを」という一介の人間の大人の、切なさとか、その中でも必死に生きて命を燃やそうという生き様みたいなのを感じた。死にざまと言うより生き様な。
確かに、スーパーロボットに乗れない軍人は怪獣には勝てない。だが、主人公のために命を貼ることはできる。この、全知全能の力を持てない、完璧に敵を駆逐できない情けない大人が、せめて子供たちにしてやれる必死の贈り物の補給物資を守るための、特攻、と言うのは英雄的ではないしむしろ貧乏臭い追いつめられたバカ・ボム作戦なんだけど、それでも銃後の子どもたちを生き延びさせるために、軍人はそういうことをやってしまうんだよ。という、切なさ、割り切れなさ、みたいなのを感じさせる。人間ってちっぽけで宇宙全体を支配する怪獣とか巨大国家組織には勝てないんだけど、一寸の虫にも五分の魂みたいな意地はある。そんな中途半端な力しか持てなかった大人の切なさみたいなのは富野作品にはあるんだよね。コア・ブースターのスレッガー・ロゥもオリファー・イノエも絶対無敵のガンダムを操るニュータイプにはなれないけど、特攻せざるを得なかった、彼ら自身はそれが最善と判断した、そう判断するしかできない状況に追い込まれた。と言う所で巨大な戦争の渦中に巻き込まれた人間のちっぽけさと、同時にそのちっぽけな存在のなかの意志の輝きみたいなのは感じさせて、それは僕は嫌いじゃない。
ジェイムス提督は海上巨大戦艦の囮作戦(本命は潜水補給艦)を盛り上げて、海上で派手に戦って指揮官自らが特攻してまで全滅したとガイゾックに思わせて潜水艦から目を逸らさせるために最初から特攻作戦を覚悟していた様子。
だから、本人も明言していたが、メカブーストを倒せるとは思っていなかったけど、自分の命を散らして補給物資を届けられたら勝利だ!と思っていたようだ。(監督は違うけど、ガンダム08小隊のノリスみたいなね)
自分の命を囮にして、神ファミリーにも半分疑われながら道化を演じてまで最初から死を覚悟する、というのはなまじの精神力ではない。むしろ、第七艦隊を囮任務で全滅させてまでも補給物資を日本の神ファミリーに集めないと人類は滅ぶ、という破滅的な状況の過酷さを強調する特攻死だ。そして、それすらもガイゾックのキラー・ザ・ブッチャーから見たら「大船団を潰せて面白い」という表面的な理解しかされない、いや、そう思わせることがジェイムスの命がけの作戦だったのだ、と言う所で泣ける。
子どもの勝平から見たら、ジェイムス提督が特攻するまでは「大人なんか適当に仕事をして、定年前にちょっと手柄を立てられたら満足なんだろ」という大人全般に対する不信感はある。子供向けアニメだし、子供からそんなことを言われても、それでも子供を守って未来を託すという姿勢が非常にかっこいい。
で、勝平は最後、彼の死を目撃して、神江宇宙太が「俺たちは考え違いをしていたようだぜ」神北恵子が「本当は立派な軍人だったのよ」と言っても、勝平は「ただの頭の固い頑固爺だ!」と叫ぶ。
確かに、ジェイムス提督は最初からガイゾックの目を逸らすために特攻をしようと思っていたようで、その思い込みは頑固で無駄死にかもしれない。
だが、劇中では描かれていないが、彼は20年間第七艦隊の司令官を務めていても平和だった(ベトナム戦争のなかった世界観なのだろうか?)。実戦経験ゼロで初めての戦いで大敗続きで多くの部下を死なせた。だから、のうのうと退役するよりは、少しでもメカブーストに傷を負わせられる特攻に殉じて、そして部下の死に対するけじめを取ろうとしたんじゃないのか?
という哀しみを背負った男のドラマの想像もアニメ本編で描かれた以上に広がる。
(ちなみに、退艦させたり、戦闘中に海に落ちた物の救助を言明したジェイムスだが、特攻する時には機関員は残す。これはリアルだが、宇宙戦艦ヤマトの機関士の徳川さんと沖田艦長の関係を思い浮かべれば、機関員も思う所はあったのかもしれないし、単に巻き添えを食っただけかもしれない)
だから、僕は特攻って言う行為の戦果の効率とか、思想的な意味合いとか、社会学とか文化論とか倫理的な善悪を学者先生のように語るのはちょっと苦手だけど、作品を見て、その中で表現されているものをなるべく注意して見ていきたい。
ただ、極限状況に追い込まれた兵士やゲリラは仲間を守るために自爆するしかないって成ったら自爆するとは思う。人間にはその程度の力しかないって言う虚しさも感じるし、特攻をしても必ずしも完全に勝利できるとは限らないという富野作品の描き方からは人間の人生のままならなさや切なさを感じる。
だから正しいかどうかよりも、そうせざるを得ない人間が最後に命をどう使うかって言うのも、生き様の一つだと尊重したいんですよ。
で、勝平はジェイムス提督の死を「あいつはただの頑固爺だよ。恰好ばっかりつけていてさ・・・・」って父親たちに言ったけど、直接触れ合って取っ組み合いをしてぬくもりに触れた人の死に対して、そういう人生全体の切なさとかままならなさ、でもその中で見せる人の意地の意志力や生命力みたいなのはきちんと感じていたと思う。
兵左ェ門も「ああ見えて、あいつは色々とわかっておるよ」と評した。
でも、勝平はジェイムス提督への思いを外に向けて言うことはなく、胸に秘める。いや、それでいいんだ。それが、人間同士の不器用なコミュニケーションなんだ。そうやって少年は胸に抱えるものを増やしながら生きていくんだ…。
それが人生なんだ。
ザンボット3、深い。
- 余談・ブッチャーの天丼
今回のキラー・ザ・ブッチャーは何故か電気マッサージチェアにハマっていて、(基本的にいつもブッチャーは家電で遊んでいることが多い)、強さを上げ過ぎて転ぶというのを3回もやる。
ギャグの天丼だー。
ぶっちゃけた話、ブッチャーはあんまり話に絡まないバカだし、気まぐれで遊びの延長感覚でメカブーストを地球にぶち込む野蛮人だ。で、あとはふざけてギャグばかりしている。
だけど、ブッチャーがへらへら笑って「地球人の船団を壊滅させた―」って言ってるというのは、ジェイムス提督が命と第七艦隊を懸けてまで隠し通した補給物資の存在にブッチャーが最後まで気付かなかった、だからジェイムス提督は死んだけど勝ったんだ。
という、ブッチャーの不愉快で微妙なギャグシーンだけど、ジェイムス提督の勝利を婉曲的に描いていて、やっぱり今回の構成は細かくて上手い。
- 次回
明らかに金田伊功作画だ・・・。かっこいい・・・。でももっともトラウマ養成度の高い悪名高い人間爆弾四部作だ・・・。これを2週間で、平日に仕事をこなしながら見なければいけない。つ・つらい・・・。来週の日曜日には小説の執筆してアップロードしなければいけない…。働く暇がない・・・。
ていうか、他の富野ファンの人のブログを読む暇もない・・・。しかも不眠症なので寝入るために2時間くらい毎日無駄にしている…。
一生無職でアニメ見て感想と小説を書いて暮らしたい。
う。うう・・・・
時間が無い・・・。でも富野ファンの最後のプライドとして、秋の富野由悠季監督最新作Gのレコンギスタまでに富野アニメ全部、残りザンボット3とダイターン3とエルガイムを見ておこうと思う。
(小説もコンプしていてオーラバトラー戦記(両方バージョン)、シーマ・シーマ、王の心、破嵐万丈シリーズも持っているが、秋までに読むのは事実上諦め気味)
明日はベルサイユのばらを見ます。そろそろベルばら以降のウテナも見ておかないとキャプテンアースの榎戸信者や機龍警察おばさんに怒られるからなあ…。
セーラームーンは実写版合わせの大学生の頃の再放送で見ておいてよかった!(でもスターズは見てないからそこはウィークポイントなんですよね)