玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ベルサイユのばら第32話「嵐のプレリュード」男の世界 後編

脚本:篠崎好 絵コンテ;さきまくら 演出:竹内啓雄 西久保瑞穂 大賀俊二
前回からオスカルとアランの決闘が続く。原作ではアランとオスカルの決闘はオスカルが衛兵隊に赴任した直後にオスカルを罷免するために行われるが、アニメではそれなりに衛兵隊とオスカルがともにいくつかの任務をこなした後に満を持して行われる。また、アニメでは罷免の要求ではなくアランはオスカルが憲兵に仲間を売って銃殺に追い込んだと思い込んでいるので、確実に殺しが目的の決闘だ。
隊長を公然と殺害したら自分もただでは済まないとアランは理解しているだろう。だが、衛兵隊の兵士の精神的リーダー格であるアランは仲間が憲兵に連れていかれて、銃殺が決定したということに怒り、そして衛兵隊の隊の結束のために自分の命を捨ててまでオスカルを殺そうとする。前回から続く話だが、男の世界だ。
アランの剣を折るオスカル。

窮地に陥った彼は「へっ、何を言ってやがる。男ってのはな、いつもここからが勝負なんだよ」なんて、とても少女マンガが原作とは思えないセリフを口にする。
http://www.style.fm/as/05_column/365/365_034.shtml

原作と同じく両利きのアランは中ほどで折れた剣と鞘を両手でトンファーのように振るい、なおもオスカルに切りかかる。
折れた剣でオスカルに切りかかるが、アランのひじをオスカルがおさえ、剣が短くなった分オスカルには届かず傷が無い。だが、アランの体重に押されてオスカルはたまらず剣を取り落す。
アラン、絶好のチャンス!衛兵隊の兵士たちは「いまだアラン殺っちまえ!」と声を張り上げる。
だが、アランはオスカルに剣を返す。「やかましい!ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃあねえ!勝負は終わった…。残念だが俺の負けだ…」
アランが軍服をまくると、オスカルの剣は目にもとまらぬ速さで彼の脇腹の肉を切り裂いていた。だが、筋肉や内臓は傷つけていないようでアランは話す余裕がある。オスカルが手加減したのだ。それを男らしい決闘の中でアランは気づいた。「オスカルは部下を殺すような隊長ではない」と。
オスカルは一応女だが、この決闘を通じて暴力による語らいを通じて気持ちを伝えあうのは「男の世界」だ。
前回も書いたが、アランは「仲間」の線引きを重んじる男だ。だからオスカルは貴族で女で仲間を売ったかもしれないから敵だと思った。でも手加減したので「仲間かもしれない」と思い直した。それがこの決闘だ。
ちなみに、アランの声優は山田俊司キートン山田)氏。ゲッターロボの神隼人のようなニヒルで男らしい演技だ。

  • 死を覚悟した訴え

「負けてこんなことは言いたくねえが…」
と、アランはオスカルに語りかける。そもそも隊長であるオスカルと公然と決闘をした時点でアランも死を覚悟していただろう。それくらい、彼は銃を売った罪で銃殺になる同僚のラサールの命を重んじていたのだ。
その上で決闘に負けた後で訥々とオスカルに訴えるアランの言葉は決闘以上に命をかなぐり捨てている。
「頼む。たかだか銃を売ったくらいで銃殺になる男のことを少し考えてやってくれねえか」「俺だって銃を売ったことがある!しかも1回や2回じゃねえ!」「ここにいる連中もみんな俺と同じさ」
と、仲間のために命を捨てた決闘に敗れたあとに、さらにオスカルに訴えるアランは、なんと自分も他の仲間もラサールと同罪だと自白している。全員銃殺になっても構わないからラサールのことを考えてくれ!とオスカルに懇願しているのだ。その演説を止めることなく喋らせる衛兵隊の他の仲間たちも一蓮托生だ。仲間の結束なんだ。泣ける。
アランがオスカルを殺したら、アラン一人が処刑されてことは収まっただろう。だが、オスカルはアランに手加減をして決闘に勝った。アランは他の仲間をけしかけてオスカルをリンチしようとはしなかった。逆に仲間全員の命を危険にさらしてまでオスカルに訴えた。
「どうしてかわかるかい?貴族のあんたに!」
「家族がいるんだよ皆。うちには飢えた弟や妹が待っているんだ!」
「いいか!俺たちは命がけで働いたって家族を養えねえんだよ!」
「だからよ、そこらへんをよく考えてあんたたち貴族の隊長ごっこをやってはくれねえか…」
と、アランは去る。
前回の記事で書いたことだが、アランは仲間の線引きにこだわって、その信頼関係を守るためなら殺人も許されるし自分の命もかけられると思っている兵士だ。
だから、オスカルが決闘で手加減してくれたので、オスカルに仲間の罪を告白して頼んだ。オスカルに「俺たちの仲間の隊長になってくれ」と頼んだのだ。
「男の世界」なんだが、決して「決闘で勝った力だけが正義」という見せ方ではない。「負けたけど仲間のために頼む」と命を捨てることもまた、「男の世界」だ。
また、「命がけで働いたって家族を養えない」でも自分の命を危険にさらしても家族を支える長男、というのも「男の世界」だ。
しかし、前回アランとアンドレに粛清された男のように「命がけで働いても家族を養えない」ので「新しい時代のために」テロリストになる男もいる。ラ・サール・ド・レッセルが古道具屋に売った銃も革命派のテロリストに流れるだろう。そんな男の悲しさ、男の世界で生きようとしても社会の中では闇の世界とすぐにつながってしまうかもしれない、と言う時代の流れの冷たさ、と言うのがあって、一筋縄ではいかないドラマなんだ。
そしてオスカルは貴族の権力を使って将軍に直談判して憲兵隊に裏から手を回してもらってラサール・ドレッセルの恩赦を願い出る。ここで「部下の不始末は私の責任」と自殺をほのめかしているのは、アンドレが昔、マリー・アントワネットを危険にさらして前国王に処刑されかかった時にオスカルが「アンドレを殺すなら先に私を」と言った事の繰り返しにもなっている。ここに、アンドレとオスカルの絆が衛兵隊全体に命がけでつながったと言えるのだ。原作のエッセンスを上手くここに流用してアニメオリジナルでありつつ強固な仲間意識を新たに描き直している。素晴らしい。

  • 雨上がりの翌日の朝

アランの妹のディアンヌが面会に来て、アランに「私、結婚して幸せになります」と兄に告げる。
名シーンだ。アニメスタイルの編集長小黒祐一郎氏も重視している。

http://www.style.fm/as/05_column/365/365_035.shtml
例えば、32話「嵐のプレリュード」に、こんなシーンがある。ある晴れた日、衛兵隊にアランの妹であるディアンヌが訪ねてきた。ディアンヌは初々しい娘であり、衛兵隊の荒くれ達のアイドルだった。無論、アランは彼女の事を大事に思っている。「ディアンヌ、今日は目がキラキラしてるぜ。どうしたんだ?」とアランが訊くと、ディアンヌは笑ってから、目を伏せて「兄さん……。あたし、結婚します」。そして、アランの顔を見て「結婚するの!」と言う。アランは一瞬だけ驚くが、すぐに笑顔になり、「そうか……、こら、ちきしょう。そんないい野郎、いつまのに作ったんだ」「兄さんに似て背の高い人」「ほう、生意気に」「そして、そして、とても優しい人……」。そう言うディアンヌの目に突然、涙が溢れる。そして、2人は抱き合って感謝の言葉、歓びの言葉を重ねる。このシーンでは、画面に出崎作品でお馴染みの入射光が入り、足下の水たまりは2人の姿を鮮明に写し出し、水面はキラキラと輝く。そして、抱き合った2人の頭上を白い鳥が、何羽も飛んでいく。
 このシーンにグッときた。ディアンヌの目に涙が溢れた瞬間がいい。本放送でも、泣きはしなかったろうけど、このシーンで胸にくるものがあっただろう。ディアンヌの初登場は、ひとつ前の31話であり、その時も出番もほんのわずかだ。彼女の結婚話は、このシーンで初めて話題になる。それまでの描写の積み重ねはほとんどないのに、ディアンヌの幸せな気持ちが、充分に感じ取れた。いや、充分以上に表現されている。

名シーンだ。
同時に、この雨上がりのシーンは、前日の雨の夜にオスカルとアランが殺し合っていたら、アランもディアンヌの幸せな話を聞くこともなかったんだ、と思えば「命とは、生きているとは、かけがえのないことなんだ」と感じさせる。ディアンヌはオスカルとアランが前夜に殺し合いをしたことは知らない。彼女はオスカルに「オスカルとはヘブライ語で”神と剣”を意味すると兄が申しておりました」と微笑む。オスカルかアランのどちらかが決闘で死んでいたらこの微笑みはなかったのだ。命の喜ばしさが端的に美少女の絵として表されている。芸術的だ。
その直後にラサールが憲兵隊にあげられて無事に無罪放免で帰ってきた!
これもまた「生きていて良かった!」という人間賛歌だ!
上手い!うますぎる劇構成だ!
そして、アランは即座にオスカルに礼を言う。いい男だ。
「これでおおっぴらに銃が売れる」「は?」「冗談だよ!ハハハ」「(苦笑)」このアランとオスカルのやり取りもさりげなく仲間としてオスカルを認めた感じでグッとくる。ナイスシーンだ。


  • Bパート 暴民とフェルゼン

ラサール・ドレッセルを助けてもらった礼をするため、オスカルはパリのオペラ座にいるブイエ将軍閣下のところまで兵士代表のアンドレを連れていく。礼を失せぬよう、貴族用の馬車で出向く。
それが貴族を憎むパリ市民に見つかり暴動になる。原作ではオスカルはパリの駐屯地の衛兵隊部隊に通勤するために貴族の馬車を使って行って市民に襲われるという間抜けな所がある。
アニメではラサールを助けてくれた将軍への礼として仕方なく高級馬車を使わざるを得ない、と言うリアリズムを繰り出している。Aパートから伏線が続いているのだ。


しかし、オスカルを集団で襲う暴民は恐ろしい。顔の半分を口にして、ガンバの冒険の野獣のように咆哮して襲い掛かる。アランとオスカルが正々堂々の決闘をしたのとは対照的だ。しかも、これが単に「貴族社会の身分性が悪い」「男が作った旧体制が悪い」という、進歩主義フェミニズムとは一線を画しているのは、暴民の中に女性も交じっているということだ。女性も荒れ狂う民衆と一緒になって野獣のように暴力を振りかざす!実際、史実でもフランス革命の中盤では女性が中心になってデモ行進をするというのがあった。


そこに、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンが登場!
原作ではスウェーデンに帰国する途中の通りがかりだったが、アニメではブイエ将軍の周囲を警護するためにオペラ座まで一個中隊を連れてきており、暴動の知らせを受けてブイエ将軍から鎮圧に向かうよう命令された、と言うリアリズムに書き換えられている。
フェルゼンはオスカルを救い出すが、「私のアンドレが危ないんだ!」と口走ったオスカルの言葉を聞いたフェルゼンは、かつてオスカルに愛されていたことも知った上で、今はオスカルがアンドレを愛していると気付き、最高の友人のオスカルが愛するアンドレのために命を懸けて暴動の中に戻っていく。
「暴民ども!よく聞け!私の名はハンス・アクセル・フォン・フェルゼン!」
と、何者でもないからこそ平然と匿名の暴力を振るう民衆に対して、騎士として堂々と野沢那智ボイスで名乗りを上げるフェルゼンの格好よさはたまらない。
自分の名前がマリー・アントワネットの愛人として悪名高いと分かった上での宣言だ。男の中の男だ。


民衆に絞首刑にされそうになったアンドレはそれで助かる。オスカルは暴力を受けて興奮状態で言ってしまった自分でも気づかなかった本心でフェルゼンよりアンドレを大事にしているという自分に驚く。

  • ディアンヌの死

アランは妹の結婚式のために休暇を取った。そのあと出勤してこないことを不審に思ったオスカルと、給料を届けてやりたいというアンドレは二人でアランの自宅まで様子を見に行く。
だが、アランの妹のディアンヌは結婚式の前日に相手の男に裏切られて、金持ちの娘に乗り換えられて、絶望し首を吊って自殺した。
前のシーンでアンドレが絞首刑にされそうになったのに、助かったのに、ディアンヌは自分で死を選んだ。この対比。
また、オスカルが最後にディアンヌと言葉を交わした時の命の幸せそうなありがたさと、冷たくなったディアンヌの死体との対比。
今回はこの対比のリフレインが非常にうまく機能して、感動を増幅させている。
原作でのディアンヌの死は貧乏貴族と金持ちのブルジョアの歴史的事実を解説する、またジャン・ジャック・ルソーのヌーベル・エロイーズでの「死によってしか結ばれない愛」ということをアンドレに突き付けるという劇的要素だった。つまり、若干観念的だ。
だが、アニメでは連載漫画とテレビアニメのテンポも違うし、このディアンヌの死の前にアランとオスカルの決闘からの生還、ラサールの生還、アンドレのリンチからの生還、と命のあることの素晴らしさを感情に訴えたうえで、それが断ち切られてしまったディアンヌを見せることで哀しみをより深く感情的に抒情的に描いているのだ。演出の計算は巧妙だが、あくまで観念ではなく感情を見せる!人間賛歌なんだ!これが出崎統


そしてアランは「ディアンヌがこの世に居なくなったことをおれが心底納得できるまで、俺はこいつのそばを離れねえ…」と言う。大事なのは「納得」なのだ。これもジョジョの奇妙な冒険スティール・ボール・ランに似ている。男の世界だ。

  • 新しい時代への懐疑

アランの不幸な家から無言で帰るオスカルとアンドレの横を「三部会を開け!」という民衆のデモ行進が通る。
新しい時代の自由・平等・博愛の理想を要求する民衆だが、夕日の逆光で黒く塗りつぶされた彼らには理想の光よりも集団の暴力の臭いがする。


ナレーションも冷たい
「アランの妹ディアンヌの死。それが時代の流れとかかわりがあるとは思えない。が、しかし、オスカルはふと予感した。愛するもの、美しいもの、生きねばならぬ者がある日突然帰らぬ人となる。ひょっとして新しい時代とはそんな悲しい時代ではないのだろうかと…」
アニメのオスカル、新時代の自由主義を決して快く思っていないのかもしれない…。
では、どのようにオスカルは最終回に向かうのか?原作を読んで宝塚も何回か見たのだが、アニメ版、予測がつかないぞ…。
そして、原作のアランは妹の死で正気を失っていた所をオスカルにびんたされて、彼女の愛に触れて彼女を女として愛するようになって立ち直ったが。
アニメのアランは正気のまま「俺が納得するまで動かない」と言った。正気を保ちながら動かない奴は、どこをどうやれば立ち直るのか?
全く先が読めない混乱のフランス革命に突入する…。原作付なのにな。
次回、王太子が死ぬ。男の世界のルールとか、それを壊すかもしれない理不尽な暴力的な新時代の経済主義を見せて、命の重さを感じさせたのが今回。
次回、王太子が死ぬ。王族も平民も命は命なのだ。それをどう描くのか。予断を許さないアニメ・ベルサイユのばら、いよいよ終盤に差し掛かるのだ。