玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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逆シャア以後の富野アニメはコックピットをどう描いたか?

 前回のあらすじ
あでのいさんのこの記事が発端。
adenoi-today.hatenablog.com

それに対するコメントを記事にしたのがこちら。
nuryouguda.hatenablog.com

 自分としては割と雑な印象論だと思うので、53もブックマークがつくとは思いもしなかった。(そもそも元は他人さんのブログに突っかかったコメントにすぎないので)(文字数が少なくて雑な方が長文エントリーよりも読まれやすい?)
 しかし、雑に書いたほうが読者にわかりやすいという問題もあるものの、興味を引かれる題材であることは分かった。



 じゃぁ、全方位モニターの発明の後の富野アニメはどうなったのか、それをざっくりと解説して、〆めとしたい。



 僕は80年代の富野アニメの全方位モニターは「パイロットの身体感覚の喪失」とか「機械とパイロットの境界線がバイオ技術によって曖昧になる」「精神的に不安定になるようなZガンダムらしさ」みたいな意見を書いた。


 では、その後はどうか?


 逆シャアのラストシーンはアムロとシャアの二つのコックピットの間の罵り合いで終わったが、これは特殊な例として省く。(アムロもシャアも特殊なキャラクターなので)

 ただ、リニアシートのモビルスーツの全方位モニターは全方位を宇宙の暗闇が覆うためにパイロットを発狂させる危険性があるので、逆襲のシャア以降、コックピットに表示される宇宙はCG補正で明るくなっている。(現実の宇宙に囲まれるとパイロットを発狂させる、という描写のソースは多分何かの小説版だと思うが、出典を調べるのが面倒くさかったので割愛)



 機動戦士ガンダムF91でも実際の宇宙は黒いが、(まあ、装飾的に星星も描かれるが)

 コックピットから見た宇宙は明るい。また、星が表示されるのは三角形のCGテクスチャで処理されている。実際の宇宙の光景ではなくCG処理された見やすい表示に置き換わっている。(これを逆に戦闘に利用しているのがクロスボーン・ガンダムゴーストの序盤だが、それはそれで割愛)


 とりあえず、密閉型全方位モニターコックピットはパイロットの精神に有害な閉塞感があるということはこの時点で富野監督も自覚的ということ。(Zガンダムの時点で自覚した上でアレをやったのかもしれないけど)



 機動戦士ガンダムF91のラストはコックピットの近くにあるバイオコンピュータによって主人公のニュータイプ能力が増幅されてヒロインを助ける、という描写なのだが、絵としては少しわかりにくい。(TVシリーズになればまた違ったのかもしれないが)


 対して、強敵である鉄仮面の乗るラフレシアはコックピットがキャノピータイプで透明素材で外に開かれている。しかし、鉄仮面の心は閉ざされていて、コックピットが外に開かれているのは彼が宇宙服なしの強化された肉体で宇宙に出て、ヒロインのセシリーのMSを襲う、という芝居を円滑にするためかと思われる。
 そして、鉄仮面は強大なサイコミュ能力で数百本のチェーンソー付きの触手を操る能力を持ちながら、眼前に迫ったF91の残像への本能的な恐怖から自爆して負けてしまった。脳波コントロールできることを自慢していたが、脳波コントロールをする本人の精神力が歪んでいたために負けたということか?
FW GUNDAM CONVERGE EX24 ラフレシア & オプションパーツ


  • 機動戦士Vガンダム

 あでのいさんの元の記事では「コックピットから身を乗り出す」ということが重視されている。キャラクターがコックピットから身を乗り出すことで、ロボットとの大きさの対比などの芝居が描かれるという。

 私はこれはもう一つ心理的に踏み込んで「狭苦しいロボットのコックピットから出て、一息つく芝居」だと考えている。
 富野ロボットアニメの戦闘は装甲に包まれたロボットの内部のコックピットで、架空のCG画像に取り囲まれて行われるものである。そして、そこにバイオコンピュータやサイコ技術など、パイロットの精神をメカニズムに組み込むような狂気的なガジェットもある。


 というわけで、Vガンダムのコックピットが同時に戦闘機のコア・ファイターのコックピットであり、コア・ファイターのキャノピーを開いて外気を吸ってリフレッシュする、ということがVガンダムの重苦しいドラマに対抗するために必要な行動だったのではないかと思う。
(コックピットのキャノピーについては高橋良輔監督の太陽の牙ダグラムやレイズナーでやっている、と言われそうだが。僕はGレコが落ち着くまでボトムズを見れないので、申し訳ない。睡眠時間が病気のせいで多すぎるので、なんとかしたいのだが。見てないのは仕方ないので富野アニメを中心にして書いていこうと思う)


 逆に、ザンスカール帝国のMSは序盤はヘリコプターをモチーフにした物が多い。これはウッソが外気を吸ってリフレッシュする、という健康のため、という理由よりは現実の東欧内戦をモチーフにして、肉眼で見た敵のレジスタンスを空爆する、という残虐さの描写だった気がする。(まあ、ゲリラもひどかったけど)
1/144 トムリアット (機動戦士Vガンダム)

 ザンスカール帝国のMSはヘリコプターからバイクやタイヤになっていき、ここらへんのテーマ性の主張が散漫になった印象もある。バイク乗り、バイクに乗ってるけどコックピットは内蔵型だし。


 ともあれ、Vガンダムのコックピットが戦闘機のキャノピーでもあるというのは「ロボットの内部のコックピットでの戦闘は息苦しい」という、Zガンダムのカミーユが訴えたような精神を削る辛さに対して「外気を吸ってリフレッシュする」という要素を入れたかったのではないかと邪推する。(ZZのコア・ファイターや序盤のハッチオープン戦闘もそんな気持ちだったのかなあ)
 Vガンダムの戦闘は非常に圧迫感があり、息苦しいものであるので。外気を吸わないとやってやれない。(恐ろしい拷問の回でのウッソがコックピットからハロの風船の中に入って宇宙船に乗り換えるというギミックもある)

  • 機動戦士クロスボーン・ガンダム

 富野監督がアニメから離れていた時期の漫画原作作品。これもコア・ファイターが特徴的なガンダム。
 クロスボーン・ガンダム同士で戦うこともあり、コア・ファイターで姿を晒すシーンなどもある。
 また、クロスボーン・ガンダムのコア・ファイターで印象的なのは、コア・ファイターに乗って宇宙を漂流することになった主人公のトビアが宇宙での速度などを計算して、味方の母艦に見つけてもらう位置取りをしたところ。賢い。これは彼の未来を予測するニュータイプ能力を示す描写でもあるが。宇宙に広く心を開く元気さともいえる?


  • ブレンパワード

 ブレンパワードの子宮に当たる位置のコックピットは生き物でもあるブレンパワードの顔から離れている、というのは元記事のあでのいさんのご意見。

MECHANIC|ブレンパワード 公式Web



 ブレンパワード(番組名)のブレンパワードとグランチャーのコックピットは基本的に人間が取り付けた機械部品でモニターや操縦桿が設置されている。
 だが、2クール目から登場する、よりオーガニック的なネリーブレンやバロンズゥは操縦のための機械部品を必要とせず、モニターも不要でコックピットの内部のプレートの表面に外部の景色を映し出す。結果、ガンダムの全方位モニターに近くなっている。
 また、当初は機械部品で操縦していた宇都宮比瑪のブレンパワードだが、勇のネリーブレンに触発されたのか、特に説明もなく機械部品を排除して全方位モニターになっている。これは宇都宮比瑪が自分のブレンパワードと気持ちを通じ合わせることの度合いが増して、機械が必要にならなくなった、ということだと思う。
 また、ブレンパワードの内部プレートにはブレンパワードの意思が文字で映されることがあり、単なる機械ではなくコミュニケーションのためのインターフェースという側面もある。
 機械を取り去ったヒメ・ブレンやネリーブレンは、パイロットが子宮に当たるコックピットの内部で卵管の位置にあるような機関に手を当てて意思を伝えるような操縦をしていた。
 ガンダムの全方位モニターやサイコミュ技術はパイロットを疲弊させたり、狭いコックピットに押し込めて精神疾患を誘発するような機械だという描写がうっすらとあった。

 対して、ブレンパワードは撫でてやると喜ぶ生き物でもある。それで、子宮の中からパイロットが擬似的な胎児として愛撫してやることでブレンパワードを気持ちよくさせて、心を一つにする、という描写だったのかもしれない。
 ブレンパワードの内壁のプレートは柔らかいので乗っていて不快感はないらしい。むしろ、精神的にギスギスした暗い生い立ちのキャラクターたちがブレンパワードと触れ合うことでドッグセラピーみたいな感じになるという面も。
ブレンパワード スパイラルブック
ブレンパワード・フィルムブック (3) (ニュータイプフィルムブック)


 ただ、ガンダムの全方位モニターのような精神的な閉塞感がブレンパワード(番組名)でなかったわけではなく、伊佐未勇はグランチャーを操縦する時に「リクレイマーとしてオルファンのアンチボディ(抗体)という部品にされる感覚」を感じて精神的失調を感じた。ブレンパワードはグランチャーよりも寄り添ってくれる感じらしいが・・・。
 また、比瑪はヒメブレンと仲良くなったことで機械部品を排除して操縦できるようになったが、エッガ・グランチャーや最終回のバロンズゥなど、パイロットとの同化が進むと、オーガニックマシンはパイロットを取り込もうとしているのか、パイロットの脳を潰すように内部プレートを圧縮させる。ここらへんは蒼穹のファフナーの同化現象に影響したのかもしれない。
 ブレンパワードは人に寄り添ってくれるものだが、あくまで異星人なので危険性はある、というのはイデオンの名残かもしれない。


 また、パイロットが押しつぶされるのとは逆に、オルファンの人型のフィギュアにクインシィが同化するという精神の異常な拡大もあった。これはエヴァの影響だろうなあ。


  • ターンエーガンダム


 ターンエーガンダムのコックピットは外付けである。これはメカデザイナーのシド・ミード氏がアメリカ人ということが影響しているのかもしれない。アメリカ人は巨大ロボットについてロボットの体内の密閉型のコックピットよりも、キャノピーで外が見えるデザインを好む傾向があるらしい。(要出典)股間にコックピットをつけるのは富野監督の要請だとか。
 しかし、ターンエーガンダムのモビルスーツのコックピットはホワイトドール以外にもキャノピータイプが多い。ターンエーガンダムとの類似点の多いスモー、小型MSのウァッド、コレン・ナンダーのイーゲル、コレンの部下だったブルーノとヤコップのゴッゾーなど、(半)透明キャノピーのモビルスーツが多い。
 やはり、これはZガンダムなどで精神が機械に取り込まれる狂気を半ば露悪的に、ロダンの愛人のカミーユを引用して表現して、また富野監督自身もうつ病を患ったことで「閉塞感」を連想させる密閉型コックピットを避けようとしたのではないか。同時に、人間キャラクターの芝居を見せるには、キャノピーのコックピットが便利ということ。ガンダムZZから登場したカプルに乗るソシエたちもしばしば操縦席の蓋を開けて身を乗り出して会話する。
 密閉型コックピットのフラットやウォドムも登場するが、これらはこれらで、大型であるためにコックピットブロックがかなり広い(ウォドムのコックピットブロックは最大で6個のゴンドラを載せられる観覧車のようなもの)。閉塞感を避けようとした演出意図が感じられる。マヒローはギンガナム部隊の戦闘マシンなので密閉型コクピットだが、腰にコクピットが内蔵されているのは他のガンダムのMSとは違う特徴。
1/144 No.02 モビルフラット(ターンエーガンダム)


 ターンエーガンダム自体のコックピットはかなり広く、ロランとソシエが二人乗りできる。(MGのプラモデルはかなり出来が良いが、コックピットはちょっと狭く作られている。シルエット優先かもしれないが)(シド・ミードさんは180センチくらいの身長の体格のいい白人男性のパイロットを想定してコックピットをデザインしたので、ある程度大型のコックピットだと思うが、劇中では作劇を優先して大きさが変化してるかも)
MG 1/100 WD-M01 ターンエーガンダム (∀ガンダム)

 VRヘルメットもターンエーガンダムには付いているが、キャラクターの顔が見えなくなるので、序盤にちょっと出ただけで廃止されたようだ。やはり、「人間を見せる」というのが世界名作劇場みたいなガンダムと言われるようなターンエーガンダムの雰囲気のようだ。


 コックピットから見える景色もコンピューター画像ではなく、透明のガンダリウム合金(らしい)のキャノピーを通した実景というのも自然描写の多いターンエーガンダムらしいと言えばらしい。
 実はターンエーガンダムはキャノピーで前と横と上が十分見えるし、後ろはポップアップウィンドウで出るので、背面まで全天周モニターにする意味はあまりない気がするのだが。作画を省略するためか、自然の景色を見せていきたいからか。(全周囲モニターが本当に作画の省略になっているのか?)
 劇としてはなんの意味もない機械の背面を描くより、ロボットを透けさせて後ろの状況も見せるほうが情報量は上がるよね。



 また、80年代の科学技術がまだ希望だった時代と、20世紀末のマシーンの哲学も富野監督の中で変わっていて、サイコミュ技術で人の認識を広げようとしていたガンダムとは一線を画して、ターンエーガンダムではコックピットブロックはキャノピーでマシーンには外付けになっていて「人とマシーンは別々であるべき。人がマシーンを道具として叡智を持って冷静に扱うべき」という思想も見える。アメリカ人のミードさんの考えかもしれないけど。
MEAD GUNDAM [復刻版]
Syd Mead's Sentury II



 そして、だからこそ頭部に狭いコックピットを持ちつつギンガナムがマシンと同化しているようにも見えるターンXの異常性が際立つのだ。
MG 1/100 ∀ガンダム/ターンX[ナノスキンイメージ]


 と、いいつつ、過去の宇宙世紀戦争のなごりの核兵器を巡る争いに巻き込まれて地下に閉じ込められて破滅するボルジャーノン(ザク)や、コックピットが棺桶であるというキャノン・イルフートなどの「密閉型コックピットの恐ろしさ」も描いているのが∀ガンダムの怖いところだ。(敵にやられて宇宙漂流することになるスモーのコックピットブロックもある)


 また、ターンエーガンダムのコクピットブロックはコア・ファイターとして戦闘機になったり、他のMSの操縦系を乗っ取ったりする。航空機好きの富野監督の趣味のようだが、コア・ファイターの変形ギミックはシド・ミードさんが原案。
 話はそれるけど、アメリカでロボテックが人気だったのはバルキリーが密閉型ではなくキャノピーがある戦闘機で、モスピーダもパワードスーツだったからなのかも。日本のロボットで多い密閉型はアメリカの価値観とは違うのかも。イタリアではダイターン3が人気だけど。あー、エヴァンゲリオンはガチで閉じ込められるシーンがあるけど、海外でも人気かぁ・。世代の違い?マジンガーZはキャノピータイプだけど、海外で人気のグレンダイザーはどっちだろう。
(確認したところ、グレンダイザーはUFO形態では中央にキャノピーがあり、ロボットが分離する時は頭部コックピットに移動して、口の部分が窓になっていて、外からもデュークフリードの顔が見える。兜甲児の目がめちゃくちゃ良いからかもしれんが)(同じく海外で人気でスピンオフ映画も出来た鋼鉄ジーグは主人公がジーグの頭部になる。トランスフォーマーにもヘッドマスターがいたな)


  • オーバーマンキングゲイナー

 ロボットものとしてはかなり小型の部類のオーバーマン。装甲騎兵ボトムズよりは大きいが。ダンバインくらい。
 オーバーマンのコックピットは肋骨の空洞の内側が全方位モニターになっていて、そこにバイクのような操縦席が付いている。胸を透かしているような全方位モニターの割に顔を隠されると視界が失われるという、微妙にガバガバな描写。
 主人公メカのキングゲイナーは小型であることを除けば、割とスタンダードなロボットだが。


 この作品にはオーバーマンの下位互換ロボットとして戦車に手足を付けたようなシルエットマシンというのが出てくる。(というか、この作品のオーバーマン以外の乗り物全般、車に手足を付けたようなものや、ナメクジのような車輪を持つバイクもシルエットマシンと呼ばれる)


 戦車型シルエットマシンのドゴッゾは複座型だが、2人乗りというところで、同じ機体の中で言い争いが起こったりして、そういう面白さがあった。
 ドゴッゾが旧型になって、一人乗りのシルエットマシンが増えるのだが、一人乗りなのにザブングルのように乗降口から上半身を出したまま会話したり操縦したりする描写が多くある。メカの顔をキャラが兼ねているような。足か精神力で操縦してるのか?作風がギャグよりなので、キャラクターの表情が優先で、あまり深く考えてはいけないのかもしれない。


 また、ダブル主人公の片割れである筋肉もりもりスナイパーのゲイン・ビジョウはシベリアの大地を簡単な風防ガラスと幌が付いているだけのシルエットマシン・ガチコで駆け抜ける。ガチコはオーバーマンの半分くらいの全高しかないが、オーバーマンが使用するものに匹敵する大型ライフル砲と、伝説のオーバーマンの左腕を持っており、強い。(あ、でも敵のオーバーマンって意外と銃器は持ってなかったかも。ゴレームのハンドガンくらいか?)
ROBOT魂 OVERMAN キングゲイナー キングゲイナー&ガチコ 約130mm ABS&PVC&PET製 塗装済み可動フィギュア

 ゲイン・ビジョウがスナイパーという性質からか、ガチコが破壊される後半まで、彼は生身むき出しで戦っていた。(防寒コートは着てるけども)


 キングゲイナーの主人公のゲイナー・サンガは両親を殺されたのに犯人を探そうと出来なかった自分に腹を立てて一ヶ月以上引きこもってオーバーマン操縦シュミレーション格闘ゲームで連続200勝してゲームチャンプになって自信を取り戻して、復学した。(そしてその日に敵組織のシベリア鉄道警備隊に逮捕された)


 引きこもりがテーマの一つなのでロボットという外骨格で身体拡張しているゲイナーというゲームチャンプの少年が、小型ロボットに乗りながら生身を晒す強い男のゲインに憧れと嫉妬を向けるという構造がコックピットの違い、性格の違いで表現されていたのかも。(終盤のパワーアップでゲインもガチコからライフルと左腕と顔のパーツを受け継いだオーバーマン・エンペランザに乗り換えるが)


 強敵として立ちふさがるもうひとりのゲームチャンプでゲームクィーンのシンシア・レーンの乗るオーバーマン・ドミネーターの能力は「変形」。刃物になったり巨大な足になったり、トリッキーな戦い方をするが、基本形態はコックピットをそのまま包んだような卵型カプセル。これもシンシアも友だちが少ない引きこもりがちの少女だという描写だろうか。(シンシアは引きこもりというより、オーバーセンスが強い血筋の因縁でシベリア鉄道総裁キッズ・ムントの私兵組織のエージェントとして育てられて囚われているというのもある)
オーバーマン キングゲイナー5 (MFコミックス フラッパーシリーズ)


 さらに、女性器を模したようなデザイン(あきまん談)のラスボスのオーバーデビルのコックピットにシンシアが取り込まれる。シンシアが親代わりのキッズ・ムントを守ろうとして、半狂乱でオーバーマンのコックピットに入りたいと願って召喚したコックピットの幻影を中心としてオーバーデビルは復活を果たす。


 オーバーデビルはアイシングゲートというものから異世界を作り出し、ゲインのライバルで中央政府の腐敗に絶望していたアスハム・ブーンはその居心地の良い世界に引きこもる。(引きこもりつつ、現実世界に攻撃を仕掛けてくるが)


 キングゲイナーの終盤は割とややこしい。
 ゲイナーはオーバーデビルに打ち勝つ精神力を得る特訓のために、コックピットでオンラインバーチャルゲームをしながら現実のオーバーデビルとも戦う。ゲームに引きこもりながらリアルでもたたかうというか。ゲイナーはゲームに引きこもるのが一番リラックスできるので、その状態で現実と戦う力を得ると言うか(ちょっと飛躍している)。


 で、キングゲイナーはオーバーデビルに勝つかと思われたが、キングゲイナー自体もオーバーデビルに取り込まれて、ゲイナーも悪堕ちする。その負の感情の内向を友情パワーみたいなので打ち破って、少年はロボットよりでかい男になったりして勝つというお話。(だいぶ端折った)
 ロボットは少年をパワーアップさせるけど、同時に閉じ込める作用もあるコックピットでもある。その中の引きこもりに声掛けをして、引きこもりも引きこもっているうちにオタク活動をしてパワーアップして、みたいな。


  • 新訳機動戦士Zガンダム


 TVではシロッコの嫌がらせと辛い戦いの連続とくっそ狭いZガンダムのコックピットの閉塞感で精神をやられたカミーユが、「星の鼓動は愛」でZガンダムを人型に戻した上で「脱出」し、好きな女を抱く。
 また、このカミーユとファだけの閉じた関係ではなく、それをアーガマのクルーが茶化しつつも祝福しているような感じもある。閉塞感の打開がテーマの一つだったと思える。


 新訳の第一部「星を継ぐ者」でアッシマーを輸送機で撃破した後、パラシュートで降りていくアムロに対して百式のコックピットを開くクワトロ大尉はTVと流れは同じだが、作画が良くなっているし、空間も広く感じられる。


 第二部「恋人たち」でも、フォウ・ムラサメがサイコガンダムのコックピットを開いてカミーユと語り合うラブシーンも、TV版とだいたい同じ流れだが、風になびく髪の作画が良くなっている分、「(成層圏ほどではないが)高いところで話し合っている」という広がりが感じられる。(しかし、飛行中のサイコガンダムにガンダムMk-IIで乗り込んでいくカミーユの根性というか恋心はすごいな)



 サイコガンダムという人の心を縛るマシーンに乗りながら、フォウが上空のはるか宇宙のアーガマを感知してカミーユには戻るところがあると察するのも広がりを感じる。


 サイコガンダムMk-IIが映画版には登場しないのも、このマシーンが強化人間の残留思念を集めたりする、閉塞感の象徴のようなものだったからだろう。


 

  • リーンの翼

 これもキャノピーである。もともとのバイストン・ウェルを舞台にした先駆的作品の聖戦士ダンバインも胸部装甲が外からは色がついていて、内側から見たら透明であるというマジックミラーキャノピーなのだが。(バイストン・ウェルにはテレビモニターの技術がちょっとしかないため)
 ムック本によるとリーンの翼のオーラバトラーはもともとダンバインに登場した飛行機のウィング・キャリバーが原型で、そこに着地用の足をつけて、その後に格闘専用の上半身をつけた、というのが設計思想らしい。
 新装小説版のリーンの翼では異世界転移した聖戦士迫水真次郎が強権国家ガダバを反乱軍として討った後、一度バイストン・ウェルから地上に戻り、さらにもう一度バイストン・ウェルに転移したところ、オーラの力で空を飛ぶオーラバトルシップ・アプロゲネがメッオという国で開発されていた。旧版小説と新装版小説の前半でサコミズが助力していたアマルガン・ルドルの起こしたシッキェの国では聖戦士サコミズの名前を借りた「サッコウ」というオーラバトラーを開発して強行的な外交と周辺国の小競り合いを起こしていた。アマルガン・ルドルは戦士でありすぎたために反乱軍のトップだったが新国家運営を嫌って去った。メッオの国では地上人の協力により、映画の「メトロポリス」からとった「マリア」というオーラバトラーが建造されていた。
 サコミズは流れ着いたメッオの国の人になり、アマルガンに協力して自分が聖戦士として起こしたシッキェの国と戦うような立場になり、自分と同じようにバイストン・ウェルのメッオの国に転移してきた様々な国の地上人と協力して、オーラバトルシップを大型化させ、サッコウと地上の機械の技術をマリアに応用させて新型オーラバトラーを建造して・・・やがて王になる。


 小説版のリーンの翼には挿絵がないのだが、子宮の位置に張り出したキャノピーがあるという描写はあるので、アニメに登場しない旧式オーラバトラーはともかく、アニメ版と大したデザインの違いはないと思われる。
リーンの翼 コミック 全3巻完結 (カドカワコミックスAエース) [マーケットプレイスコミックセット]


 この項目ではアニメの描写を中心としたいのだが。


 虫みたいな航空機に足と上半身が付いているという機能を優先させたデザインはあまり他のロボットアニメでは見受けられず、異形とも見える。ただし、それ故にリーンの翼のオーラバトラーだな、というシルエットでわかる個性がある。


 F-35とも互角に渡り合う航空機的な性能と、日本刀を振るう怪獣みたいなアクションが面白い。そのアクションシーンからズームインしてキャノピーを透過してキャラクターのアップに繋げたり、キャラクターの顔のアップから逆に引いてロボットのアクションに行く、という面白さがある。
 オーラバトラーの上半身が斬られると、キャノピーも割れてパイロットが体液まみれになったりとか。


 特筆すべきなのは第五話の「東京湾」。サコミズ王と二代目主人公のエイサップはともに自分のオーラバトラーのオウカオーとナナジンを連れて、地上界とバイストン・ウェルをつなぐオーラロードの中を迷い、戦時中の日本の悲惨ないくつかの光景を目の当たりにする。
 オーラロードの中だし、リーンの翼(勇者に飛行能力や加護を授けるなにかすごいやつ。世界の意思を体現しているとか言われるが正体は不明)が発動しているので、ふたりの聖戦士もオーラバトラーもふわふわ浮いている。ふわふわ浮いているので、ナナジンのキャノピーに取り付いていたサコミズ王もいつの間にか自分のオウカオーに乗る。
 一応、機体に乗っているのだけど、ファンタジーだし演出の気分としてサコミズ王がエイサップを背負っているかのようにも見える。


 また、オウカオーのコックピット(ユテルス)がサコミズ王が特攻兵時代に乗っていた桜花を模しているというのもある。
リーンの翼 オウカオー (塗装済 完成品)


 リーンの翼は勇者の靴から羽根が生えるという聖なるものだが、オーラバトラーというロボットから操縦席が張り出しているので、キャノピー越しに何十メートルもリーンの翼が伸びていくというのも説得力があるし、美しい。


 サコミズは剣の達人でもあるし、そもそも小説版の前半ではオーラバトラーは出ないので、「ちょっと空が飛べる程度の能力」で機銃掃射してくる砦を攻略したりして武人として強い。
 なので、「ロボットに取り込まれて内向する」という性格ではないのだけど。


 異世界の王になっても「特攻隊員である日本軍人」という恥とプライドが混ざったような自意識には囚われている。そして最終回ではオーラ力が暴走してオウカオーが巨大化する。巨大化したオウカオーの中のサコミズ王の顔は外からはあまり映されないので、彼が巨大な化け物になったような印象は薄いのだが。マシーンに生気を吸い取られて老化しているようには見える。(異世界から帰った浦島太郎のように本来の年齢に戻っているとも言える)


 その暴走を止めるのがエイサップのナナジンのユテルスのキャノピーを透過して、巨大オウカオーの操縦席に流れ込む大和魂なので。
 富野監督が飛行機好きというだけでなく、かなりテクニカルにキャノピーをドラマに使っている。その他にも、透けてるコックピット越しの格闘が多いので、ロボットに乗ったままコミュニケーションができると言うか。


 ∀ガンダムもキャノピータイプのコックピットを持つロボット同士の戦闘があったが、ロランがローラだとバレてはいけないからコックピットはあまり透けないとか、ターンエーに似ているスモーのパイロットのハリーが善人で明確な敵対にはならなかっただとかで、そこまでキャノピー越しのコミュニケーションしてない。∀ガンダムの第14話「別離、再び」ではホワイトドールのヒゲをゴールドスモーがへし曲げるけど、その戦いの前にロランはキャノピーを開けてウィル・ゲイムに呼びかけている。同じくキャノピーを開けていたハリー・オードはそれでロランの素顔を見るけど「ローラのモビルスーツで叫ぶ少年?」と見間違える。ハリーは第4話でロラン・セアックの身元確認をしたのだけど、遠かったのかな?今からターンエーの全戦闘を見返す時間はない。
 モビルスーツとオーラバトラーの大きさや間合いの問題もあるのだろうか。
 

  • リング・オブ・ガンダム

 実写の役者にCGをかぶせたような作品。アムロのRX-78に似たロボットに男性と女性が二人で乗り込むところや、そのコックピットでの体の接触感に富野らしさを感じるものの、短い作品なので、これ以上、あまり言うことがない。


  • Gのレコンギスタ

 なにしろ劇場版第一作のタイトルが「行け!コア・ファイター」なのである。キャノピーを持った飛行機が大事という気持ちが凄くある。




 コア・ファイターがドッキングして、G-セルフが格好良く立ち上がったら、




 中でコア・ファイターのキャノピーとG-セルフの胴体の内壁との間にハッパさんが挟まってる!!(黒トミノ小説版だったら死んでる)(普段のG-セルフは胴体の中でキャノピーを半開きにして、胴体の空洞の天井につけている)




 ラストバトルも、コア・ファイターのキャノピー越しにベルリがマスクを見て、彼の叫びが届いたのかどうか、微妙なところに情感を出している。
 そして、コア・ファイターが戻っていったような所からアイーダさんの宣言が始まって停戦する。


 なので、Gのレコンギスタではコア・ファイターがかなり重要なのである。(まあ、弱いのでそんなに積極的には出番はないけども)
 飛行機と言うかガラスとかキャノピーの「隔てられているけど見えている」というものの演出効果なー。(逆に外から見てやばかったのがアルテイシアのコアブースターを見てしまったシャアとか)
 「アンテナを通した真実をモニターで聞けだと?」みたいなモビルスーツへの不満感とかもあるよね。


 コア・ファイターが第4話のラストで出てくる前から、G-セルフのコックピットは広い。

 4人乗ってる。


 コア・ファイター自体も結構広くて、コア・ファイターの内壁と座席の間にノレド・ナグさんが立てる。やせてるJKだからか?あきまんさんはG-セルフのコア・ファイターを最初は狭くデザインしてしまって、富野監督に「これでは拷問シート。サンライズがやった最悪のこと」というリテイクを食らった上に、富野由悠季の世界展で展示されている。


 G-セルフのコックピットの黒いラインはキャノピーの縁の厚みの部分なのだが、キャノピーの内側のコア・ファイターの内壁までモニターになっているという。ここらへんは「現実のスマホでも薄くて高性能なディスプレイが使われているので、未来では装甲や内装も画像を映す素材にしていいだろ」みたいな感じか。
 G-セルフは塗装されておらず、全面がディスプレイで色を映しているし変色するらしいので、コックピットの内装も細かくディスプレイになっているのはG-セルフだけかもしれない。しかし、パイロットから死角になっているコア・ファイターの外装にも外の景色が映っているのは、作画を省略するためかなあ。


 劇場版第一作での、描き下ろしのベルリがトイレを終えた後、自動飛行に切り替えてビクエスト島に向かうG-セルフのコックピット内部の絵が良かったですね。
 アイーダさんがシートに深く座って、ラライヤが寝てて、コア・ファイターと内壁の間にベルリとノレドが挟まってるという。(どこから出たのかわからないけどクッションがちゃんとあるのがいいよね。Gレコは何でも小さくできる技術があるんだろ)



 第1話でしか出てこないけど、訓練用レクテンは複座だしちょっとした部屋くらいの広さはある。


 閉塞感を感じさせるような全天周モニターコックピットの心理的な道具としての欠陥を自覚しつつ、使うために、広くしている。(まあ、そのせいでG-セルフの腹部はインナーマッスルがないんだけど。装甲はインビジブルチタニウムがめちゃくちゃ硬いので薄くてもいいのかなあ…)



 そしてトイレ。甲冑とか戦闘機は排泄が困難という最悪レベルの閉塞感がある。富野監督のお父上は日本軍の与圧服の研究をしていたらしく、富野監督も戦闘機に興味があったそうだが、ゼロ戦パイロットの排泄とかは心を痛めていたご様子。
 Gレコでモビルスーツにトイレが付いたのはSF的に必然、というメカニック論もあるけど、これまで見てきた90年代以降の富野作品では80年代の全天周モニターのメカに囲まれる閉塞感を如何に解消するか、という考えがあったと思える。
 なので、居住性を高めるために広くしたり、トイレを付けたり、音楽が流れるようにしたりする。快適さ!
 まあ、「アベニールをさがして」とかトミノ小説だと割と失禁するけど。


 そういう風に、わりとパイロットに優しいGレコ。エアバッグも活躍するし。でも、キア・ムベッキ隊長のコックピットが水漏れからの不具合や漏電で脱出不能になったりとか、ジロッドのコックピットがキア隊長を助けられなかったりとか、そういう残酷展開を入れたりもする。ラライヤ・マンディさんも酸欠で脳がやられたりするし。(治ってよかった)


  • まとめ

 80年代富野アニメの全天モニターコックピットは未来っぽいビジュアルという利点もありつつ、作品の精神的にギスギスした感じとかサイコな感じの閉塞感を強調してしまう面もあった。
 なので90年代以降の富野アニメのコックピットはそういう鉄の棺桶みたいなロボットのコックピットの閉塞感や病気な感じを減らして行きたそうな感じがある。Vガンダムもああいう内容になってしまったけど、初期の構想では過酷な社会でも健気で元気な、世界名作劇場の少年少女たち、みたいなものを目指したかったような気配がないでもない。ああなってしまったけど。


 ただ、作劇上、閉塞感とか機械の残酷さを出したい時は自覚的にコックピットの残酷な演出を使う場合もあって、それは是々非々。というか、作品が面白くなるように、いろんな手札を出していっているんだろうなあということです。



 あでのいさんのブログへの補足コメントっていう軽い気持ちから富野アニメのコックピットの話をはじめて、単に「閉塞感のあるコクピットは辛いので軽減したい」という程度のことを雑に言いたいだけだったのになー。オタクなので長くなってしまった。7時間位ずっと書いてたぞ。本当にこういう生活態度は良くない。睡眠リズムが作れないので。
 デレステも担当の野々村そらちんのイベントが始まったのでやりたいんですけど!!!!なんでこんな雑語りに時間を!



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