玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

バンナムの若者向け富野由悠季You Tubeを見て、好きとは?

とりあえず、監督が喋っているので見てもらうとして
www.youtube.com

www.youtube.com


 まあ、富野由悠季監督のことが好きなんですけど。
 30分程度の短いインタビューですけど、やっぱり僕は格が下なので富野監督の言っていることの全部を解説できないんですが。


  • 富野由悠季監督と人生

 このバンダイナムコの就職活動でエンタメ業界を目指している宮河恭夫社長の連続インタビューだけど。


 僕は僕で、大学時代の勉強が上手く行かなくて研究者になれなかったので多少好きだったのがコンピューターと富野アニメくらいだったし、当時は安田朗さんとミクシィのマイミクで調子に乗っていたのでバンダイビジュアルの就職面接を受けて二次面接で落ちたけど。
 そしてラブライブ!スクールアイドルフェスティバルのアプリで倒産から救われたKLab株式会社に入社して過労死寸前になったのでラブライブは嫌いですけど。アイドルマスターには60万円くらい取られたんですけど。(いや、ライブ全部行ってる人とかに比べたら少ないほうだけど)
 ちなみに僕がKLabに対して明確に敵対行動をし始めたのは恩があった先輩社員が辞めたことを確認してからですからね。俺のことをパワハラした上司が社長や取締役になっているのでなんとか不幸になってほしい。


 まあ、それはそれとして、富野由悠季監督のお言葉ですけど。


 今回もまた若い人を叱咤激励している感じで、強めのワードも出ているんだけど。


 今回一番インパクトがあるのは「今おまえたちが好きなものが10年100年先にエンターテインメントとしてもつと思うな」と言うお言葉ですが。


 じゃあ単にバンダイナムコに就職したいとか思うオタク気味の若者が好きなものを年寄りの立場から批判しているわけじゃないと思うわけよ。


 っていうのは、よくよく話を聞いて考えてみれば昔は映画は第7芸術だと言われていて建築や彫刻よりも低いと扱われていたという話もあり。で、今はデジタル的な技術があって、You Tubeで富野監督が喋っているリアルタイム特撮合成スタジオも普通のできるようになったということで。50年前のスーパーマン映画(おそらくウルトラマンやゴジラやスター・ウォーズも含むだろう)のセンス・オブ・ワンダーはCG技術によって映像が進化しすぎて驚きとして受け止められなくなったという話。
 で、CGが進化しすぎたために逆にライブが重要になっているというバンダイの事業部の事情もあり。
 その反面、黒澤明監督や宮崎駿監督、そして富野由悠季監督の文化功労賞やガンダムのブランドの評価の変遷の時間差の話もあり。
 富野由悠季監督は自分が文化功労賞をもらったと言っても、自分で威張るのではなく、文科省の審査をする役人がガンダム世代になったという外部要因のせいだと言っている。


 つまり、個人の好き嫌いはあるが、それよりも外部環境の変遷というものが大きく、黒澤明監督や宮崎駿監督のレベルでも社会的な他者によって評価されるかどうかに左右されるのが世の中だということ。


 黒澤明監督、宮崎駿監督のレベルでも社会的な他者に評価を左右されるのであるのだから、バンダイナムコに就職したいとか思う若者が現在好きだと思っているアニメとかゲームとかVTuberとかの環境や社会的評価は変わる。10年100年のレベルでの流行は激変する。その変化を何度も経験してきたのが80年も生きていた富野由悠季監督の実感なのだろう。


 ただし、そこで変化する社会的な流行に対して個人は全く無力なのかと言うとそういうわけでもないという話。


 富野由悠季監督は若者は部活とかをして社会に適応できる私、世の中との整合性をつける私を鍛えようと仰っているわけだが。それは社会に屈服し隷属するというわけではなく。
 富野由悠季監督は大学は裏口入学だし宇宙旅行オタクすぎて高校も裏口入学だし、大学時代も学生運動をしてちゃんと勉強してなくて虫プロダクションに入社できたのもほとんど運だし、サラリーマンとしての就職活動も全くしていなかったし成り行き任せに生きてきたという、かなり駄目な人間だったと思う。


 しかし、だめな自分というのを自覚するがゆえに、虫プロ時代はアニメーターに命令できるような演出家になるにはどうするのか、とか、ガンダムの著作権をプロダクションに売り渡してしまったけどガンダムの原作者は自分だと主張するためにノベライズを書いて、断られたとしてもSFマガジンに持ち込んだりソノラマ文庫で出版させたり、「社会の中でサバイバルする行動」をしてきたというお話。


 富野由悠季監督は学生時代まではロケットオタクで、かなりだめな人だったと思う。まあ、僕も似たようなもので、小学生の頃から百科事典を読んでいたりSFオタクだった割に大学では壊滅的に数学ができなかった上に実験が下手でKLabのような怪しげなベンチャー企業にしか就職できなったという感じですが。(まあ、富野監督は単に過労になって潰された僕と違って鉄腕アトムで最多演出という実績を残したのだが)


 自分が社会的にダメな人間だとしても、それを自覚した上で、サバイバルする生存戦略の努力や計略をしていく、というのが「社会と自分の整合性を付ける」と言う話だと思うんです。自分がダメだから社会に従うというわけでもなく、社会が変化するから諦めるという話でもなく、変化する社会の中で、その時時に応じて自分を生かす手を打って常に生き残り作戦を講じるという処世術です。すごい昔の人の言葉で言えば、敵を知り己を知れば百戦殆うからず、です。
 と、まあ、ダメ人間の僕としては今回の富野監督の話をそういうふうに解釈したのだが。


 しかし、臨機応変に世の中に対処するというのにもやはり基礎体力や能力は必要なので、富野監督は部活をしろと言っているのだろう。エンタメ業界志望者に世界一周旅行をしてほしいという富野監督の発言は飛行機の燃料の問題から全肯定はできないのだが。僕は自転車で四国八十八ヶ所を野宿で巡礼した結果、大学を休学してカリキュラムがグチャグチャになった上に神も仏も救ってくれないというグノーシス主義者になったので。長期旅行は休学しないで1,2回生の夏休みにした方がいいですね(僕はアホだったのでその程度の判断もできないくらい世界に呪われていると思いこんでいた)。百回以上仏に祈っても親は自殺します。夏は暑いけど。富野監督は2,3年世界旅行をしてからバンダイナムコの就職試験を受けてほしいって言ってたけど、大学を出たあと2,3年もフラフラしている人を受け入れる会社があるかどうかは各自判断してください。


 とりあえず、富野監督はすごい才能があるとか努力したからとかではなく、社会の中でそうなってしまったのでこうなったという自己認識があるようです。まあ、社会の環境に応じて悪手を打たないでサバイバルするというだけでも大したものですが。


 ただ、富野由悠季監督の「自分が社会的に完全な人間ではなく偏っているし駄目なやつだと自覚しているうえで、それでも生き残る努力を惜しまない」という妙なポジティブさは作品にも現れているし、そういうエネルギッシュな生命力を僕は好んでいます。

だから僕は…―ガンダムへの道 (角川スニーカー文庫)

  • 本気の好きを奨励する企業社会の怪しさ

 バンダイビジュアルの二次面接で落とされたけど、バンダイビジュアルの説明会や試験で「落ちてもバンダイのアニメを嫌いにならないでください」みたいなことを言われたんですが。


 このYou Tube動画のタイトルが「本気の好きが10年後のエンターテイメントを創る」というわけですけど。
 なんか、僕も40歳になって老獪になったのか、「自分が本気で好きだと思うことは正しいことではない」と思っている面がある。


 代々木アニメーション学院とかモード学園とか、「自分が本気で好きなものを仕事にしよう」みたいな広告を出す専門学校がある。


 しかし、富野監督が前述のように「社会情勢は変転する」のであるから、若い頃に自分が「本気で好き」だと思っていることも「その時点の社会環境から好きになるように仕向けられている」のではないだろうか?好きだと思わされているオタクが「君の好きは大事な本物だよ」とアニメや声優の専門学校にそそのかされてカネを払う鴨にされているのかもしれない。(まあ、一流大学を出て一流会社に入社したら、っていうのも割と嘘くさい世の中ですが)


 って思う。


 僕も宮崎勤事件の被害者世代であり、同時にオタク批判世代であったこともあり、「自分が好きなことは社会的に認められるものではない」という後ろ暗い自意識がある。
 ただ、VTuberブームやエヴァンゲリオンや新海誠や鬼滅の刃の売上という金の論理で「エンタメが好きだと思う自分の好きを優先しろ」という風潮がある。その着せ替え人形は恋をするとか。
 オタク文化もマジョリティになったしオタク文化が好きなことは恥ずべきことではなくむしろメジャーで、富野由悠季監督も文化功労賞をもらいましたっていう社会状況がある。


 でも、よく考えるとさあ…。エンターテイメントや娯楽を好きになるのは当たり前だろ。エンターテイメントの語源を調べる。
entertainment
enter-「間の」tain「つかむ」-ment「こと」
心をつかんで離さないこと


 また、アトラクティブというのもある。これも人を引きつける、牽引する(トラクションする)という意味であり、つまり、アトラクションやエンターテイメントはそもそもの語源や概念から人を引き付けて好きにさせるように作られているものであり、そんなものを好きになるのは当たり前に誘導された結果に過ぎない。


 それを「自分の本気の好き」だと思って最優先にしてしまうのは若者にとって軽率だと言わざるを得ない。


 政治家やお笑い芸人、アイドルもそうだ。彼らは大衆が自分を好きになるように振る舞っているだけなので、そのような人々を好きになるのは全く当たり前のことであり、社会が認めなくても好きを貫く個性的な自分、なんてものはなく、没個性的に従わされているだけのことなのである。そういう心理的な誘導方法は大人の世界にはいくらでもある。(制作会社ではなく、広告会社がなぜこれほどの規模の金額を動かしているのかということを考えるだけでも分かるだろう)


 もっと広げると綺麗な服を着て美しくしている人を好きになるとか、脂質過多な食品を美味しく思うとか、僕がラムコークを飲みながらじゃないとブログを書けないとか、パチンコやタバコをやめられないとか、お金に価値を感じるとかも、全て幻想で、その場の快楽に誘導されているだけです。
 だから、僕がアニメとか富野由悠季作品を好きになっているのは、僕自身の意志ではなく「作品が面白がらせるように作られているので、その誘導に乗っているだけ」なんです。



 そして社会の狡猾なところは「好きなことをしているんだからそれで満足だろう」という風潮があるところです。なので、漫画家や声優志望の人は「自分の本気の好き」を貫いているのだから正しいと思わされているし、周りから低賃金で悪い待遇を受けていても「好きなことをするため」と納得させられ、アニメーターの賃金は低い。


 そして、エンターテイメント業界以外のクッソつまんねー仕事をしている人たちも「エンタメ業界の人は好きなことを仕事にしているんだから我慢できるだろう」と言う態度に出たり「嫌な仕事を我慢してやっている俺は偉い」と卑屈な自尊心を持ったりするわけです。
 でも、エンタメ業界じゃなくても農業漁業など一次産業で自然に関わる仕事で自然に対する愛情があったりとか、加工業の二次産業で職人の技に誇りを持ったり、文学や法律や科学の分野で理論に美しさを見出す人もいるとは思います。
 そして、エンタメ業界じゃなくても世界には美しいものはあり、それを職業にしている人も含めて社会を形成しているので、アニメは映像やゲームなどのエンタメだけを好きでいるというのは片手落ちであるので、エンタメやアトラクション以外の事柄も知っておくべきでしょう。


 まあ、バンダイナムコの会社グループとしての採用方針までは僕は諜報活動してないので「(エンタメに対する)本気の好き」を奨励することにどのような裏の意図があるのかまでは調べてないですけど。


 僕のようなアニメブロガーが言っていても全く説得力はないのですが、アニメやゲームなどの娯楽は「好きに思わせる作り」になっているのが大半なので、それを好きになることは全く個性的ではないです。
 僕はこのブログで富野由悠季監督や出崎統監督の作品の面白さを増幅させるような文章を書くようにしていますが、もともと面白いものの面白いところを指摘しているだけなので、それほど大層なことをしているわけではないです。


  • 富野由悠季監督の祝祭

 富野由悠季監督は映画やデジタルなどの10年100年でのスパンの芸能の流行は変化するという話をしていますが、数百年、千年のレベルで受け継がれている民族芸能や、その集大成である土着の祭りは人間の本能的な部分を継承していると評価しています。


 しかし、祝祭に浮かれてその快楽に従うのも、果たして本当に人間として判断力を発揮していると言えるのでしょうか。
 戦争もある意味での民族的な祝祭ですが、その愛国心や正義の熱狂に従うのは、果たして文明人として正しいのだろうか、と僕は疑問には思う。


 子供の頃に感じたお祭りというのは、家族の幸せな思い出とセットだろうし、それは愛国心や民族愛にもつながるだろう。しかし、僕の家庭はあまり幸福ではなかった。
 子供の頃に親が教えてくれた宗教や社会道徳や地域性に従って命をかける戦争というのも、どうなんだろうと思う。


 まあ、偶然、僕は京都という現代の首都機能がないのに過去の集積だけはあるし過去には映画スタジオも栄えていたという異常な都市(の中央と被差別部落地帯の緩衝地帯)に住んでいるので、割と美術館や博物館にもよく行き、現代のアニメと古代の美術品を割と同レベルにフラットに見る経験をしている。
 で、見比べた結果、やっぱり富野アニメのほうが面白いと思ったのでオタクをしている。


 子供の頃の原体験はたしかに強烈なのだが、しかし、それをその後の人生の指針にするのは環境の因子に従い過ぎではないかと。


 しかし、やはり人間は社会性動物なのだから、子々孫々と受け継がれてきた「良いとされるもの」を無視することもできない。


  • 自分の好きは絶対ではない

 僕は確かに富野由悠季監督のアニメがすごい好きですし、それについてブログで文章を書いていると同好の士の人から一年分以上の食糧支援やプラモデルや書籍をもらったり、よくしてもらっている。
 でも、絶対的に富野由悠季監督のアニメが素晴らしいからそれについて書いている僕は正しい、とまでは言えない。むしろ、単に時間が足りないので富野アニメについて書いているだけで他のところまで手が回ってないだけかも。


 ていうか、僕は確かに幼稚園の頃からガンダムが好きだったんだけども、作家性を感じていたのはミヒャエル・エンデや筒井康隆の方が先なんですね。富野アニメについて明確に好きになったのはターンエーガンダム以降なので、むしろ遅い方。
 で、ミヒャエル・エンデや筒井康隆の作風は「虚構」という、割とテクニカルな感じです。学生時代も横溝正史などよりも夢野久作とか嘘くさくて現実を突き放した小説のほうが好きだったし。
 グノーシス主義でイマジナリーコンパニオンの脳内妹と結婚するような僕なので、現実よりも虚構が好きな性分だと自覚しているのだが、かと言って、実は、虚構はどこまでいっても虚構なので真実ではないと思っている。(もちろん、現実世界で真実に到達することも非常に困難だと思っているし、それは諦めている)


 だから僕がアニメとかアイドルマスターとか好きなのも、単に現実がクソなので、それよりは多少見栄えがきれいな虚構に惹かれていると言うだけなのかも、という自己評価の低さはある。(それとは関係なく、脳内妹が”居る感覚”はあるのですが。しかし、臨死体験した時に脳内妹が三途の川に来たのも単なる脳の防衛機制に過ぎないのかも)


 なので、エンタメ業界やアニメ、ゲームの分野に仕事を選ぼうと思っている若者の人に対して、僕としては「エンターテイメントやアトラクションの惹きつける演出がどういうふうに仕組まれているものか、冷静に分析した上で、”自分が好きだと感じたことは絶対だ”などと熱狂して思わずに、引いた視点で一度、考えるべき。それでも好きだと思った方を選べ」といいたいのですが。


 僕は嘘を嘘だとわかった上で嘘を愛するし、むしろ愛する女を嘘で創るような人間。


 これはジェンダーとか政治的ポジションや恋愛にも言えることなんですけど、「自分が好きだと思ったことは絶対的に正しい」ではなくて、「全てがよくわからない中で自分が好きなことを敢えて選択して動く」という方が僕の好みですけど。しかし、自分が好きだと感じることも絶対に正しいわけではなく外部の環境や時代性や他人の誘惑に左右されているわけで。情報戦の現在は世の中の色々なものが自分の陣営の味方を増やすように広報をしているわけで。政治家もホストやキャバクラ嬢も漫画家も好感度を稼ぐような行動を向けてきている。それに対して好きだと思っているのか、好きだと思わされているだけなのか。
 しかし、そのように世の中に対して一歩引いて冷めた態度で居ることが正しいとも言い切れないわけで。
 衆生は迷いの中で生きるしかないのです。
 だいたい、機動戦士ガンダムでスレッガー・ロウがミライ・ヤシマに言ったことの受け売りですけど。


 と、若者の就職活動向け動画についてウダウダ語る程度には僕も中年になってしまったのかねえ。


  • ほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
↑グダちん用


 著者へのプレゼントはこちら。特に返礼もないけど、特に報酬もないのにブログを書いてる僕はオタク。


匿名で住所を伏せてプレゼントを送るための、つかいかた
nuryouguda.hatenablog.com
 このブログは最後まで無料で読むことができますが、著者に物を送ることは出来ます。特に返礼はないです。



note.com
noteでは金銭のサポートができます。


https://jp.mercari.com/user/profile/653113502
↑メルカリのコレクション出品



(この記事が良いと思ったら読者登録お願いします!)