玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

富野由悠季は老害なのか?誰にとって?

 睡眠障害なので寝てないのに眠れなくなったので書く。

nuryouguda.hatenablog.com



 要旨としては「水星の魔女プロローグはアニメーションとして、かわいくて線の少ないキャラクターと、線が多いメカが同じ画面で情報量が違っていて画面がなじんでない。そして、音楽のつけ方がシリアスであまり楽しそうじゃない。あと泣かせる展開を泣かせる展開にしようとしているのが鼻についた」
 という程度で「富野監督のガンダムではないのでダメ」とは言ってない。


 まあ、今回のプロローグは味方キャラクターもたくさん死ぬんで、喰霊-零の第一話メソッドに近いと思うが。なので、本編が始まったらどうなるかはわかってないし、評価保留にしている。
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 それはそれとして、僕のブログにしては多くのコメントが寄せられた。
 僕が「こういうことを書いたら「ガンダムの」ファンの人に老害扱いされそうですが」と冗談半分で書いたら、マジで「富野氏スキーは基本的に人格歪み多めだから」って初見コメントで人格否定されたんですけど。


 あのさ、「こういうことを言うと老害って言われるかも」と書いたら、それに対して直接反射で「お前は老害だ!」って言ってくる人、人間というより単語に反応する人工無能botっぽい感じがする。


 まあ、僕は自分の人格はゆがんでいるという実感があるのでノーダメージですけど。それはそれとして熱心な学芸員の人によって富野由悠季の世界展が全国の複数の美術館で開かれたり、TwitterでもG-レコや∀ガンダムやその他、富野ガンダムのファンアートを描いている女性ファンもいるのですけど。そういう人の人格も歪んでいると考えているとしたら、ちょっとそれはどうかと思う。


  • 富野ファンは老害?

いまのガンダムを作り上げたのは、連綿と常に新しく作り上げていく制作者達であり、その作品群を観ている、我々である、ならば、ガンダム各作品毎に好きに愛でれば良い、貴方のようなある種の歪んだ独善で好き勝手に語るなら、誰の目にも触れさせないべきである、と、個人的には考える。

 と、年齢層が高そうな文章をもらったけど。あのさあ。このブログは僕のチラシの裏なので、独善で好き勝手に語る場ですよ。最初から。
 別に5チャンネルで他の人の解釈を否定しに行ったり、水星の魔女や鉄血や種のファンの人に「富野アニメの方が高尚だから」とかリプライしてマウントを取るようなこともしていない。

富野氏陣頭指揮制作以外のガンダムが嫌ならば観なければ良い、押し付けは作品を歪め、それをただ楽しんで愛でるユーザーには害悪でしかない。

 まあ、僕はグロンギ族を自称しているし人間の大半はグノーシス主義におけるデミウルゴスが作った自動人形だと思っているので性格は最悪ですが。
 「嫌なら観なければよい」というのは常套句ですけど。自分の好みじゃないアニメについても一応見て世間の風潮を知っておくというのもある程度は必要なんですよ。
 そして、僕はほかの人に僕の解釈を押し付けることはしていない。僕のブログは僕のチラシの裏なので、僕が好き勝手に書いてもいいだろう。というか、チラシの裏ですら自由なことを書けなくなったら本当に恐ろしい。


 また、「ガンダムは富野由悠季監督の手を離れたんだなあ」という嘆息について、「30年間くらいコールドスリープしていたのか」とも言われたけど。
 件のブログ記事では近年のリコリス・リコイルとかブラック・ロック・シューターや甲鉄城のカバネリ等の話もしてるんだけど。


 いや、機動戦士ガンダムは企業の生産物で富野由悠季監督も著作権料を売り払ったという話は聞いているが。

ガンダムは歴とした『企業商標登録作品』であり、また、制作者の人達も富野氏至上で多数派生した作品を作ったわけではない。

 と言われているけど。そういう事務手続きの話じゃなくて、やはり機動戦士ガンダムの制作過程における富野メモの重要性などは富野由悠季の世界展や「ガンダム者」で公表されているわけで。事務手続きや著作権を会社が持っているかどうかではなく、ガンダムについては富野由悠季監督の功績が大きい、くらいのことは言ってもいいと思う。
ガンダム者―ガンダムを創った男たち

 それはそれとして、「バンダイのプラモデル部門というガンダムというビジネス枠だけど、水星の魔女の作品の演出の方向性が富野ガンダムとは違うな」ということを述べる程度のどこが害悪なんだ?
 僕は富野監督の演出方向が好きだけど、だからといって富野監督以外の人が作ったガンダムも富野監督のような演出にしろ、と迄は言っていない。


 それでも富野監督のファンとして機動戦士ガンダムのファンとして、アナザーガンダムの作風がどんどん富野監督の演出法と離れていくことに寂しさを覚える。(まあ、それを言ったらGガンダムにはまだ富野監督の意見が入っていたけどガンダムWは全く独自の味付けだったんですが)
 その程度のセンチメンタリズムも許されないのだろうか?
 「ガンダムの発起人は富野監督なのに、40年以上過ぎれば、富野監督もシリーズ販売としては邪魔にされるのか」と、寂しく思ってはいけないのだろうか。
 コンパチヒーローのウルトラマンの円谷英二や仮面ライダーの石ノ森章太郎とちがって、富野監督は依然存命であり、新作も作っているので、目の上のたん瘤のように感じる人もいるのだろう。


 また、「ガンダムは富野監督のものじゃなくなったんだなあ…」という感想に対して「30年前からガンダムは富野監督抜きで作られていただろ」と言われるのだが。
 事実、富野監督じゃないガンダムが30年前から作られていたとしても、やはり発案者の富野監督の演出やテーマとはずれている作品が増えているし、富野監督もガンダムへの関与を減らしていて、富野監督っぽくないものがガンダムブランドの主流になっていくことについて、ファンとして一抹の寂しさを覚える。その程度のことをブログに書くのも迷惑なんでしょうか?


 ちょっと考えたら、最新ガンダムを楽しみたいという人にとっては、個人ブログで感想を言っている程度でも、「これ、ガンダムでやる意味ある?」とか「富野監督の演出に比べると退屈」と書かれると攻撃されたと感じで老害認定するのだろうか。
 しかし、水星の魔女のプロローグの感想の冒頭で述べたが「ガンダムというビジネススキームが存続することは、作品の内容いかんとは関係なく重要で、ガンダムシリーズが続くこと自体が重要」と、ガンプラ販売部門のバンダイ社員の言いそうなことを、アニメファンが言う必要はないと思う。
 個人的にはガンダムだろうが何だろうが、駄作は駄作として淘汰される方が健全な業界の自然淘汰だと思うけど、ガンダムは(特定の時代や主人公キャラクターに依存せず)派生作品を作りやすいのでヴァルヴレイヴやコードギアスやバディ・コンプレックスよりもスピンオフが作られやすいのだろうと思う。


 しかし、ボトムズとかも頑張っていたのだが、結局はこういう箱庭コンテンツになったのはガンダム(アクエリオンとマクロスは他社?)くらいなので、そんな遊び場を作ってくれた富野監督に多少の敬意をもっても罰は当たるまいと思うのだが、どうも最近(Gレコの公式広報よりも)富野由悠季監督がメディアでインタビューに出ているからか、富野監督のせいでガンダムシリーズという箱庭が窮屈だと思って、富野監督に不満を抱く人も多いようだ。


  • Gレコはガンダムじゃない

 まあ、タイトルにガンダムってついてるからガンダムだという直線的な解釈をする人も多いけど。富野監督にとってGレコはガンダムではないらしい
 モビルスーツが出てるからとか宇宙のシーンが多いからとかそういう設定の話ではなく、物語や演出として何を志向しているか、という点で近年のガンダムとGレコは確実に違う。


 なので、僕は富野ファンだしGレコも楽しんでいるけど、G‐レコはすでにガンダムではないので他のガンダムについても「富野監督の方向性と違う」と言って鉄血やSEEDのファンを叩きに行っていることは、ほとんどないと思う。


 ただ、ガンダムシリーズとGレコの演出とかテーマ性の設定が違うからGレコはガンダムではない、という話も、それはそれで理解されづらい。ガンダムって冒頭についているからGレコはガンダムだ、と素直に思う人が多い。(僕はGレコのガンダムは機動戦士ガンダムの「機動戦士」と同じ程度の重みだと思っている)


 僕は個人的にはなるべく他のガンダムのファンの人にSNSで悪口を言いに行ったり、Gレコこそがガンダムとは言わないようにしていると思うのだが。チラシの裏のブログに書くだけで「押しつけの意見だから誰の目にも触れさせないようにしろ」と鍵垢要請をされるのも、あまり面白くない。


  • 富野監督は老害なりしか?

id:hidecr Gレコこそが富野ガンダムって思い込み強すぎ。あれはキングゲイナーやブレンパワードみたいにガンダム以外でやってほしかった。最近のガンダムは富野じゃないと言うが、逆に富野自身が世界観からズレた老害に

 いや、だから、Gレコは宇宙世紀の設定を借りてるだけでガンダムじゃないんですけど。といっても、富野監督がGのレコンギスタを作った際の心構えを書いた「アニメを作ることを舐めてはいけない」はよっぽどの富野オタクしか読んでないと思うけど。
 

 富野監督の考えによればGのレコンギスタはガンダムではない。Gのレコンギスタの前に合った宇宙世紀も機動戦士ガンダム~~Vガンダムとは違う歴史らしい。
 まあ、こういう過去の設定を上書きするというのはやはり原作者しかなかなかできない行動(他に同じようなことをやったのはFSSの永野護センセー)だし、分かりにくいし、そもそもそこまで富野監督の本とかインタビューを読んでいる人も少ないのだが。


 それはそれとして、Gのレコンギスタは言ってしまえば「富野監督が作ったアナザーガンダム」というのが僕の解釈で、最近のガンダムは富野監督の演出方針と違うけど、それはそれとしてGレコは宇宙世紀ガンダムとはあんまり関係ないし、設定もかなり変えている。
 しかしながら、たいていの人間は権威主義であり原作者の権力はあると思っていても原作者の本やインタビューを自分で読むほどではないし、自分でものを考えないということも知っているので、僕はGレコの「ガンダムのようでガンダムではない」という微妙なバランスを介する人は少なく、ライトファンが「富野監督が作ったからGレコはガンダムと決めつけるし、ガンダムなのにガンダムっぽくないのでガンダムの世界観からずれた老害になっている」と思いついてしまうのも仕方ないかなあとは思う。


 だが、ガンダムってアナザーを含めたら色んな世界観があるのに、「富野自身が世界観からずれた老害」と言ってしまえる感覚は何だろうな?
 格闘物のGガンダムとか宇宙生命体とのコンタクトなどを描いた機動戦士ガンダム00とかガンダムの世界観とはかけ離れた滅茶苦茶なガンダムもあるのだが。
 やはり、そこは権威主義として「原作者の富野自身が違う世界観を描いたら、他の自由なガンダムの世界観を脅かす老害」と思われるのだろうか。


 そういう権威とかルールって僕はそんなに好きじゃないけど。それは僕がメンヘラ無職だから感じていることで、たいていの社会人の人は権威やルールの枠内で生活しているので、意見が食い違うのかな。


 僕個人としては世界観のルールなんて、もうガンダムシリーズにとってはぐちゃぐちゃになっているので、原作者が違う宇宙世紀滅亡後の世界観を作ってGレコを作っても、僕は面白かったしそれでいいし、他のアナザーガンダムも面白いものは面白いし、好みに合わないものは好みに合わないと思っている。


 だから、なぜ富野由悠季監督が老害になっているのかはわからない。
 別に若手の作ったガンダムを見るなとは言ってないと思う。いつまでもガンダムばっかり見たり作るな、とは言っているかもしれんけど。でも、それはそれで具体的にバンダイナムコにガンダムを作るのは禁止、と言って命令しているわけではなく「新しいものを生み出そうとせずに、自分が過去に作った作品に寄生している企業やその周りの作家」に対する苦言、程度だろう。別に強制力はない。

企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態。

 ネットの辞書ではこんな感じ。富野由悠季監督、Gのレコンギスタを劇場版五部作を作るという暴挙をしたが、別に組織の中で実験を握り続けているとは言えないだろう。Gのレコンギスタの公開館数と公開期間はククルスドアンの島よりもよっぽど小規模だったし。富野ファンとしては冷遇されているという声も聞く。

老害: 子ども世代は逃れられない

組織や社会で幅を利かせすぎて言動が疎まれる高齢者、あるいは、傍若無人な振る舞いによって若者に必要以上の負担や迷惑をかけている高齢者などを指す表現。ひらたく言えば迷惑な老人を侮蔑交じりに指す表現。


「老害」の語は、もともとは組織の世代交代・新陳代謝を阻む高齢層といった意味が主流だったといえる。昨今では、組織というよりは世間・社会において迷惑な振る舞いをする老人一般を指す語として用いられている。


老害とよばれる言動は典型だけでも枚挙に暇がない。たとえば、前時代的な根性論を持ち出して若者をこき下ろす、自分を無条件に絶対的に敬うように強いる、自分の気にくわない(意に沿わない)ことがあれば癇癪を起こす、てこでも譲歩しない、あるいは、注意力が衰えつつあるにも関わらず自動車を運転して高速道を逆走し、事故を起こす、場合によっては若者を巻き添えにする、といった振る舞いなどは典型といえる。

 という辞書もあるけど。富野監督は若者に必要以上の負担をかけているのだろうか?確かにGレコは企画段階から15年くらいかかっていたし吉田健一さんも途中で抜けたし、スタッフに負担をかけていたとは思う。
 また、富野監督は癇癪を起すという話も聞く。
 だが、自分を敬うように言うような感じは、インタビューを見る限り、そうとも言えない。
 というか、富野監督って若いころからめんどくさい人だったし癇癪持ちだったので、老いたから害をなすという意味での老害とは違うんじゃないかな。

  • 富野監督がいない方がいいというガンダムの方針

 どうもコメントを見るに「富野監督がガンダムの原作者として存命で、まだ作品を作り続けていて、ガンダムブランドに影響を与えている」というのが若いガンダムファンの中でのご意見のようだ。
 バンダイの社員ではないファンが「ガンダムのブランドが続くべきである」という筋はないとは思うのだが。どうも富野監督を疎んじていても「ガンダムシリーズやガンプラは続いてほしい」と思う人が多いようだ。
 そういう人にとっては、ガンダムの生みの親というか元のアイディアの発案者である富野監督がガンダムシリーズに対して意見を述べることや、富野ファンがガンダムについて意見を述べることはうっとうしいようだ。
 そして、僕の水星の魔女のプロローグの感想で書いた通り「ガンダムの演出方法と富野由悠季監督の演出方法は違う」。
 なので、近年のガンダムの演出方法、かいつまんで言えば「シリアスで、分かりやすく泣けるポイントが明示されいて、ロボットの戦闘シーンの作画に力を入れていて、キャラクター好きはキャラクターを、メカ好きはメカを見ているのが目的で、全体的な統一感は無視している」というのは富野監督とは違っている。僕は個人的に富野監督好きなほうなので、富野監督の演出が好きだ。が、ガンダムシリーズにおいてすべてが富野監督の方針に従うべきとも思っていない。
 ただ、アニメ全般の好みとして富野由悠季監督や出崎統監督の演出法が好きなので、そうでないものはあまり好きではない。


 しかし、ガンダムは大きなビジネスシリーズであり、大きなシリーズはそれゆえに反対意見を嫌う。なので、ガンダムファンにおいては僕が「ガンダムとは関係なく、こういう演出は好みでない」ということは「ガンダムシリーズ全体に対する害」のように思われるのかもしれない。


 また、富野由悠季監督は近年、モビルスーツ好きやスペック至上主義を嫌うようなことを言っている。また、富野由悠季監督の演出方法は分かりにくい、というより、「ここでは感動するのが正解、ここでは泣くのが正解」という風に決まり切った見せ方とは違っている。反面、ユニコーン以降のガンダムはそういうところがある。
 そういう意味で、ガンダムシリーズのファンとしては「分かりやすく戦場の中での悲劇を見て感動したい」という人が多いようで、それに水を差す富野監督はガンダムシリーズの発起人だとしても、邪魔に思うのだろう。


 ただ、じゃあ、そんなに富野監督が邪魔だと思うならオリジナルシリーズを作れよって思うし、富野監督のGのレコンギスタも宇宙世紀とかモビルスーツとか用語をガンダムシリーズから拝借しているけど、ガンダムシリーズとはちょっとずれた世界観だ。
 だからそんなに富野監督のことを老害として嫌がらなくてもいいんじゃないかと思うのだが。


 また、水星の魔女って宇宙世紀ガンダムシリーズから、アースノイドをアーシアンと言い換えたり、ガンダムをGUND-ARMと言い換えたり、細かく言いかえをするのが、何となくみみっちぃ気がするけど。それは好みの問題ですかね。


 まあ、とりあえず富野監督は文化功労者の上にいまだ現役なので、バンダイナムコの社員のみならずガンダムファンの中にも「富野監督という老害がいなくなればもっと自分たちが自由になれるのに」と目の上のたん瘤のように思っている人が予想以上に多いようだな、と感じて、ファンとしては寂しい気持ちになりました。
 でも、本当に自分がその作品を推せると確信できているんなら、富野監督の言動とは関係なく好きな作品を好きでいればいいだけじゃん、とも思う。

  • ほしい物リスト。

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↑グダちん用


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