玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

プリキュアオールスターズにディズニー型民主主義政治を見た

映画 プリキュアオールスターズみんなで歌う♪奇跡の魔法!を見た。おじさんなので平日に見に行ったのだがよく考えたら春休みだから普通に親子連れがいるんだよな。未就学児童向けだしな。

  • 総論的な感想

よかったです。いろいろな個性のあるキャラクターデザインのたくさんのプリキュアを統合している作画監督青山充御大の漠然とした女児向け雑誌のイラストみたいな絵柄でミュージカルって大丈夫か?って思ったけど、なかなかうまくミュージカルしていて良かったです。
ものすごくいい作画の場面もあれば、ものすごくいいCGの場面もあれば、とてもいい板野サーカスもあれば、そうよくもない作画もアリ。ぬるい作画の場面も演出的にぬるくてもいいように処理してあって、そこら辺のカロリーバランスの取り方が子供向けメジャー作品としてきちんとしていたなーという印象。
ゲスト声優の新妻聖子さんと山本耕史さんは森雪之丞先生のミュージカル演出の元、経験を生かしてすごくうまかった。歌も芝居も。山本耕史さんは歌以外の台詞も中尾隆聖さんのフリーザみたいで上手かったんですが、山本耕史さんはドラゴンボールが好きらしいので意識したんですかね。
あと、プリキュアは激しいバトルが見ものですが、実は女児がリアルにケンカしないように、巨大な怪獣や怪人(お父さんのメタファー)にプリキュアが暴力をふるったり殴られたりする場面はあっても、あんまりプリキュア同士でケンカするのは少ないのですが。(プリキュア同士のバトルは割とビームとかが多い)今回、ゲストの魔女のソルシエールに普通にまほプリがけりを入れて壁に叩きつけていて、そこはちょっと地味に痛そうなのが逆にリアルでアレでした。まあ、俺はダークプリキュア戦とか好きだからな…。


だいすきプリキュア! まほうつかいプリキュア!&プリキュアオールスターズ ファンブックはる・なつ (講談社 Mook(たのしい幼稚園))

  • 泣かせることと女児向け

すごい魔法を完成させるためにプリキュアの涙を魔女のソルシエール(新妻聖子)が狙うっていうお話で、なんで魔法にプリキュアの涙が必要なのかとか、なんでそのためにプリキュアに過去の怪人と戦わせるのかとか、あの異世界がなんなのかとか、全然わからない。かなり説明がない。場所や時間の位置関係が分かりにくい。作った人の頭の中にはあるのかもしれないけど、よく分からなかった。というか、パンフレットやプリキュア新聞のスタッフインタビューを読むとミュージカルの歌とシナリオと作画が同時進行だったらしく、あまり整合性などはなさそう…。
でも、まあ、そこも含めて低年齢女児向けなんだろうな。
プリキュアをいじめて泣かせる魔女!」「プリキュアがんばれ!」「魔女は実は可哀想だった!」「歌は魔法なんだよなあ」という、ミュージカルで歌と踊りとプリキュアと魔法はすごいんだなーという太い感情を見せるレビューショウという側面が強く、あまり理屈ではないのだと感じた。


かと言って、子供だましなのかというとそうではなく、オジサンの僕が見てもなかなか力強い映画だったなーという感じはある。
個人的に親が自殺しているので、親がいなくなる話は本当にきついんだけど、プリキュアって女児向けなので、そういう題材が多くて個人的にきつい。女児って基本的にその存在と生命を親に依存しているので親との関係がこじれるとか、親がいなくなるとか言うのに敏感なので、プリキュアのスタッフもそういうのを多く描くので、辛い。
僕は個人的にずーっとフレッシュプリキュアの母親がいなくなった話みたいな気分で生きてるので辛い。
そのせいでGo!プリンセスプリキュアは好きだけど、パンプキン王国のたからものは親子関係の話と聞いたので、つらくて見に行けなかった。
映画 プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだちも養成の話かなーって思って行ったら母親の話だったのできつかった。
映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?は母親が自殺する前だったし、疑似的な父親の話だったので、そこは中年男性として共感できたのだが。


今回は死に分かれた魔女の師匠と弟子の話で、そこも疑似的な母娘関係って感じで、結構つらかったのだが、まあ、ミュージカルの歌と作画の良さで何とか我慢できた。
というか、魔女のソルシエールが顔の半分を仮面で覆っているトラウーマという魔法の伝道師(山本耕史)に入れ知恵されてマインドコントロールされて、プリキュアを異世界に送って苦しめるけど、ソルシエールの深層意識に残っていた彼女の子供のころのピュアな感情が「プリキュアを元気づける歌を歌う謎の少女の幻影」とか「魔女の館に残された魔法の杖」とかになってトラウーマに対する反抗のきっかけになっている。そしてプリキュアたちと戦ったり影響を受けた過去の自分を受け入れたソルシエールは師匠の真実を知り、きれいな心を取り戻して究極の魔法に気づき、世界を無にしようとするトラウーマをプリキュアと共に封印する…。


って、MADLAXバンダイチャンネル月額1080円で見放題)じゃねえか!
www.b-ch.com

マドラックスなあ…。ゼロ年代を代表するふたりはプリキュアシリーズと真下耕一「美少女ガンアクション三部作」は性格真逆なバディものなんだよなあ…。マドラックスが半年かけてやった謎と伏線と女たちの関係性を1時間ちょいでやったのが今回のプリキュアともいえる。まあ、プリキュアは13年もかけてキャラクターを作ってきたのでキャラクターの掘り下げをすっ飛ばしてゲストキャラクターの話や板野サーカスやミュージカルに突っ込めるっていうアドバンテージはあるね。


なので、大人が見てもマドラックス的なハードさを微妙に匂わされているし、女児が見てもマドラックスで表現されたような女性同士の関係性が暗示されているというか、幼児のころに見てはっきりわからない面も大人になると思い出されるというか、マドラックスプリキュアも親と娘の関係っていう人間の根っこの部分の表現としては共通してるのかなあ…みたいな。


そういうハードな展開もあるんだけど、シリアスなストーリーとかソルシエールの過去の悩みとかプリキュアの心の成長みたいなメインのお話はお姉さんサイズのプリキュアがやっているのだが、並行して、ゆるいぬいぐるみのモフルンとパフとアロマが悪いトラウーマ(二頭身の虎柄の馬)に脅かされながら魔女の館でコミカルに冒険するっていうのもやってる。なので、トラウーマは悪いんだけど、そんなに怖くないというかマドラックスのフライデー・マンデーほどシリアスな悪じゃないというか、女児が見ても受容できるような感じ。ぬいぐるみとか妖精でシリアスを女児向けにまろやかにしているのはあるよね。
魔法つかいプリキュア! おしゃべり変身モフルン



んで、まあ、プリキュアの涙がキーアイテムなのでプリキュアを泣かせようとしていろいろといじめたり辛いことを聞かせたりするので、おじさんも泣きそうになりましたよ。まあ、基本的にうつ病だし親が自殺しているので何もしてなくても泣き出すんですけど。で、女児もよく泣く生き物なので「泣くのを我慢してるプリキュアは偉いなあ」とか「人の不幸で泣けるプリキュアは心がきれいなんだなあ」とか女児に訴えかける面があるね。


そんなわけで、すごい女児に対する姿勢が見える映画でした。
ディズニーのアナと雪の女王は3DCGの芝居が好きになれないので見てないけど、あれも女児に向けてミュージカルの根っこの部分を見せてヒットさせたんだと思うし、企画意図として今回のプリキュアもアナ雪を狙ったんでしょうね。魔法つかいプリキュアハリーポッターを意識してるガジェットもあるし。
ゼロ年代でハリウッドのハリーポッター指輪物語ナルニア国の映画で一世を風靡した魔法使いファンタジーがひと段落したところで女児に向けてまた魔法使いを提示しようという東映の戦略も見え隠れする。

  • 鷲尾天プロデューサーのインタビューの政治性とプリキュアと魔法使い

今回、なんで新妻聖子能登麻美子のキュアエコーのようにプリキュアにならなかったのか?という声もよく聞く。
映画の本編やパンフレットやエンディングのダンスの配置を見ると、やはり「映画版プリキュアの正妻はキュアエコー」という推しは明確に在って、「映画初のプリキュアを増やさない意志」は感じた。
キュアエコーかわいいよね…。能登かわいいよ能登。ていうか、子安武人との関係で生まれたプリキュアなのでアイカツ!のレジェンドでもある…。


それはそうとして、今回のゲストのソルシエールは最後にプリキュアにならずに「立派な魔法使いになりたい」と言っていたので、政治的に「魔法つかいとプリキュアは対等の概念」というメッセージがあるんですね。
プリキュアの先輩たちの春の定例お花見に新人として参加したみらいとリコはプリキュアの先輩に対して緊張していたけど、逆に「魔法が使えてすごいね!」って言われる。
これ、結構やばいよね。
プリキュア新聞の鷲尾天プロデューサーのインタビューで

―今後もプリキュアは続いていく
子どもたちが喜んで受け入れて、支えてくれる限りは当然、大人は歯を食いしばって知恵を絞り、ずっと続けて行くべきだと思います。子供の心が離れて、大人の都合でやっても、きっといいことにはならないと思います。

「映画プリキュアオールスターズ」については「これから決めないといけない。今の路線を子供たちが好きというなら、きちんと届けないといけない。もっと気持ちを盛り上げていかなければいけないなら、もっと違うことを考えないといけない」とした。

というわけで、「プリキュアは魔法じゃない!」というところからスタートしたプリキュアシリーズだが、「魔法とプリキュアは等価値」で、魔法かプリキュアかどちらに今後は行くべきのか、子供たちに信を問うような政治的な面も今回の映画で感じた。
おりしもアメリカの大統領選挙の時期ですし、どうもプリキュアにもそういう政治的な意図を感じた。
そして、現実のアメリカとか日本では成人やその大半を占める高齢者に選挙権がある。しかし、プリキュアの選挙権は幼女先輩にある。しかし、東映のビジネスとしては幼女先輩そのものではなく、親がどう財布のひもを緩めるのかっていうところにかかってくる。


そこで、プリキュアを続けるのか、もっと上の世代の東映魔女っ子シリーズを復活させるのか、っていう選択肢がある。
東映的には、仮面ライダー1号を今日から映画をやったり、ドラゴンボール超が昨年からテレビでも始まったり、リバイバルブームは来ている。
また、今回のプリキュアと魔法つかいは等価という面で言えば、日朝のメタルヒーロー枠が「ビーファイターカブト」→「ビーロボカブタック」→「テツワン探偵ロボタック」→「燃えろ!!ロボコン」(石ノ森章太郎枠)→「仮面ライダークウガ」(石ノ森章太郎枠)→「仮面ライダーアギト」(クウガの後日談という初期設定)→「仮面ライダー龍騎」(オリジナル平成仮面ライダー枠)に緩やかに遷移していた90年代終盤を思い出す。(メタルヒーローギャバン戦隊シリーズとコラボしたり、っていうのもあるんだが)


なので、子供たちとその親世代の盛り上がりによって、プリキュアで行くのか魔法少女で行くのか、それとも少女漫画トレンディアニメに行くのか?
日本のコンテンツは新作オリジナルよりも、70年代までに作られたガンダム仮面ライダーウルトラマンなどの名作のリバイバルやリブートで行くハリウッド方式に行くのか、ディズニー名作路線を日アニ名劇路線で復活させるのか、みたいないろんなものをプロデューサーさんたちやおもちゃ会社、コンテンツ業界の人が考えている時期なんだろうなあ。
プリキュア周辺のプリリズとキンプリとジュエルペットもややこしいことになってきてるし。(おもにキンプリの突発的な現象が)


プリキュアもディズニーも資本主義社会で大衆の人気投票という曖昧なもので決定づけられる民主主義なんだよなあ…。そして責任は有権者や子供たちの声という曖昧なものによって希釈される。
うーん。
僕はコスモ貴族主義者!
キュアハート総理大臣みたいな絶対者に統治されたいですね。
映画プリキュアシリーズ オープニング&エンディングムービーコレクション [Blu-ray]
上北ふたご オールプリキュアイラスト集 Futago Kamikita×All Precure