決戦ディスピア!
グランプリンセス誕生!
先ほど、「今週の機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズはレイアウトや展開がどこかで見たような感じで演出も低温だったので、定番と言えば定番だがあまり自分としては盛り上がれなかった」と批判めいたことを書いた後、ゴプリを見た。(朝は国立博物館へ刀を鑑賞しに行っていた。やはり人生は粗製乱造されたコンテンツではなく本物を見なければいけない。)
最終回の50話を前にラスボスのディスピアを倒す話だが、これもまた定番中の定番。
プリキュアも正直10年以上やっていてテンプレートができてしまっている。最終回前の決戦で人間界がピンチになったり、プリキュアの正体が同級生にバレたり、まあ、子供向け番組のラストとしては定番の作劇だ。
また、どうも次回作の魔法つかいプリキュア!にリソースを割いているのか作画も汚くはないが精緻ではない。絵コンテワークとしても下手に鎮座しているままのディスピアに向かってプリキュアたちが進む、というだけのものであまり大きな動きはなく平坦と言える。
だから安定感とともに平凡な出来という印象ではあったのだが。
いやあ、しかし、その定番で王道のプログラム番組の終盤決戦において「変身シーンこそが戦闘シーン」というひと工夫を入れることでこんなに面白くなるとは!
いや、まあ、仮面ライダー王蛇とかイデオンとか変身や合体の途中に戦う番組がないわけではない。
でも、「変身することそのものが戦いであり精神の高まりだ」という今回のプリンセスプリキュアのグランプリンセスへの道は女児の変身願望というプリキュアの本質を上手く戦闘シーンに生かしていて上手いと感じた。また、変身シーンに時間を使うと戦闘シーンの時間が減るというジレンマをプリキュアや仮面ライダーは抱えている。しかし、変身シーンは見せたい、しかし、作画リソースはあまりアクションに使えないという事情をも昇華して「グランプリンセスに成る」という一大イベントを必須ノルマの戦闘シーンに上手く込みこんで作劇したという印象。
まあ、そういう巧さの部分もありつつ、やはり演技もよかった。
ていうか、カリスマJKギャル城ヶ崎美嘉(佳村はるか)ちゃんがあえて地味子を演じているかに見えた七瀬ゆいちゃんがめっちゃ強くて(ゼツボーグ慣れしてて)かっこよかった。ゆいちゃんの声の演技が強かったし、はるかの一番の友達のゆいちゃんがそう言うんならグランプリンセスになるのも説得力があるな!って。
すごいなあ。今週、メインの4人は最後以外一切自分の感情を言葉にしてない。必要なところは周りが、それを言うのが当然といった積み重ねを背景にして代弁して、それが語り部的な盛り上がりをさらに強化してる。一緒に「見てきた」ことで語り部たちの言葉に感情移入しちゃう。 #precure
— 堀井とき (@toki_holy) 2016, 1月 23
高貴なプリンセスだけが偉い(というのは前半のトワイライト)のではなく、それを支える友達や臣下や折伏した敵やみんなの承認があってこそグランプリンセスなのだ、という立憲君主制という感じで現代的だった。
そして四人はグランプリンセスになった!
これは感動するでしょう!
しかし、あと1回残ってるのか…。何をするんだ?エピローグに1話まるまる使うのは贅沢だけど子どもは飽きるのでは?いや、予告のあの黒い人とは?そして4人の夢とは?戦いに勝って終わりではなく、それぞれの女子中学生の夢が現実に適応していくのをラストにもっていくというのも現代的ではあるんだが。でも、剣とか銃とかを喜ぶ男児玩具に比べると服飾や化粧品や携帯電話や料理を題材にした女児玩具アニメは現実的な方向性があるんですよね。