玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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5年前の昨日の事。

フェイ・ウォン中井貴一のウソコイの最終回だったんですよ。で、いきなり差し替えですよ。で、録画してたんですよね。
で、久しぶりに見返してみたよ。ライブを。いやー、ニューヨークは報道機器が充実してて良いなあ。イラクとは大違い。
見てて頭が痛くなるなあ。生は。
段取りとかみんなグダグダなのが生っぽい。
パレスチナ人イスラムの人がいち早く喜んでた。そう言う態度を取るから戦争されちゃうんだよ。とりあえず誰でも良いから殴っときたい物なんだからサー。ガス抜きの矛先を呼び込むようなことをするなよ。
それほど、イスラムパレスチナのガスも溜まってたってことなんだけども。パレスチナのテロ組織もダミー犯行声明を出したり。攻殻機動隊みたい。
アラファト議長は賢いな。いち早く遺憾の意を表明し、信じられないショックだと声明してた。つーか、アラファトも昔は生きてたんだねえ。
僕も最初は喜んだしね。いつもいつも他人の庭でしかけんかをしないアメリカがやっとこさ戦場になってくれたと思ったんですよね。
だから、昨日見た番組で「命を奪われるいわれの無い人々」という言い方は僕はそうは思わないなあ。そもそもあのビルはムカツクし。帝国主義の象徴めー。そこに巣くう金転がしどもは、無職とかニートとかワーキングプアとか三流駅弁大学生とか抑圧部族の人類からすると、充分殺したい対象だと思う。
まあねえ、そこで働いてる人自体は自分の資質と能力と環境を生かして頑張ってただけだし、恨みを買うなんて思ってないんだけども。僕だって日本でダラダラしているだけで殺されても仕方がないと思うけど。物価の安いタイとかで食べ歩きして御大尽ぶるなんていうことは恐ろしくてよくやるよな、と思う。
ヒロシマナガサキで育ったし、基本的に自分は何時殺されてもおかしくないと思って生きてる。すると、うつ病とかになるわけですが。あはは。
というわけで、立場さえ違って殺意さえ抱く事ができれば、誰もが「殺される可能性を持つ権利」があるし、誰が殺されてもいいとおもうし、大体60億もの人間が生息し、その上誰もが同じ権利を持つと言う建前に従えば、明らかにエネルギーが足りないのだから少しでも多くの人間が死ぬべきだと思う。それか、強固に人種差別を徹底して資源を管理するべきなんだが、民主主義の建前は守らないと人材のフレキシブルな利用も出来なくなるのでめんどくさいなあ。
人種差別と優勢論で管理しようとしたナチスは人材をアメリカに取られちゃったしね。ITにはインド人が必要だし。
何の話でしたっけ?
つまり、アメリカザマ―見ろ、どいつもコイツも死ね!というのが第一印象だったわけです。