玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

ヱヴァンゲリヲン破、ネタバレ3 真希波・マリ・イラストリアスは虚ろなライトヲタ

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そもそも名前が空虚。真実が希薄。
挿入されたイラスト。


そしてネタバレ





まあ、ぶっちゃけると便利キャラクターだよね。
旧作のストーリーを破壊するとか大仰な事がパンフレットに書いてあったが、新作で順列組み替えをした隙間を埋めて、破壊するというよりはヱヴァンゲリヲン新劇場版:破の構造を補強している。
隙間に挿入されたイラスト。
自嘲的な皮肉なネーミングだ。
例えば、北極のネルフベタニアベースを描いて、旧作の世界の狭さを改変したり。
新しいエヴァンゲリオンを登場させつつ、庵野秀明監督が好きな特撮ジェット・アローン成分、怪獣成分をを入れるためのエヴァ5号機の機械っぽさやビーストモードの制御棒。
アスカが加持と離れた代わりに、加持リョウジとつるんでいる。
加持のスパイっぽさが増した分、アスカの保護者より、謎のマリと陰謀を巡らせてる。
で、第10の使徒がジオフロントに侵入した時に、スイカ畑にいないでスパイをしたりマリをエヴァに乗せたりする加持の代わりにシンジと会話する。
アスカの代わりにエヴァ2号機に乗るし、首だけだった弐号機の代わりに、少しは動ける2号機でシンジを迎えに行く。6号機を与えられた渚カヲルの代わりに2号機を奪って、量産型の代わりに2号機の目と片腕を潰す。
改変に伴うしわ寄せを一手に引き受けている便利屋という印象も受ける。
しわよせがーあるいてくるぞ♪
(忌野清志郎)

冬の十字架

冬の十字架


(ヱヴァは何故こうも旧作の要素を象徴としてモンタージュにするのかは、興味深い執念でもある。
式波・アスカ・ラングレーをEOEの条件に合わせたいのか。あ、それは綾波レイと合体して命の実と知恵の実の二つのコアを持ったエヴァ初号機とシンジ君も同じか。)


で、あるからマリ本人が新たな課題を抱えていたらダメなんだよな。せっかく他のキャラクターの課題を解決するために改変したのに、マリまでが問題を起こすととっ散らかっちゃう。
だからマリは迷わないし、軽い。
パンフレットには「キャラクターみんなが庵野秀明みたいに考え込んだら、新しくならない。だからマリは庵野監督にはない軽さを持たされてる」と書いてあったけど、脚本の実際的要請も強いんじゃないだろうか。


ただ、それだけではない効果をマリの軽さは生み出している。
それは、「ライトオタク感覚」
マリはすごく現代っ子に見える。
だから、90年代の新世紀エヴァンゲリオンと10年代に向かうヱヴァンゲリヲン新劇場版との隙間をうまく埋めてる。
鶴巻和哉副監督は「かつてのエヴァが描いた自問自答する現代的なキャラクターとは逆に、いいかげんでふまじめな昭和的キャラクターがマリ」と言ってたけど、むしろ今のライトヲタク高校生くらいの感覚に近くないか?自意識の薄さとかさ。
てなわけでセカイ系エヴァから始まって、少しずつライトに変質したゼロ年代の感覚をヱヴァンゲリヲンに取り入れるという効果を、マリは生み出してる。
確かにマリは昭和の歌を口ずさむ。でも、それは昭和を象徴しているようには、僕は感じなかった。
むしろ、ネットで気軽に古い曲を聞ける今の高校生みたいな感じじゃないか。
そして、それはセカンドインパクトで文化が破壊されたから昭和の歌ばかり流れている作品世界と、ヒット曲やヒットアニメを消費してるだけで、結局は昭和を懐かしんでいる現在社会の相似による皮肉に見える。
で、マリは軽く「今の文化がなくてもネットで昔の名作を見たり聞いたりするだけで、十分楽しい」って感じ。
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」とか、言葉使いが古臭いのも青空文庫とかネット取引で古い小説を読んでる若い女の子みたいな感じ。
ただし、図書館や古本屋にいくような、昭和の濃い文学少女ではない。労力を使わないで、ネットやら周りを上手く利用して効率的に楽しむ現代っ子っぽいんだな。


旧、新世紀エヴァンゲリオンのキャラクターはみんな庵野秀明監督の分身だったらしい。つまり、みんなおたくだった。世の中への生き辛さを抱えた恨みをアニメ製作やロボットに乗ることにぶつけるルサンチマンにあふれた監督とキャラクター達だった。
そして、僕たちエヴァ世代はそこに自分を重ねて支持した。
庵野は自分のルサンチマンをキモヲタの希望のように扱われたから、気持ち悪くなって、おたくに「現実に帰れ!」というメッセージにも取れる映画を作った。(僕はあれは碇ユイの独善的な夢のために、シンジとおたくが現実に捨てられる、母と庵野の夢の話だと思う)
それがおたく難民を生んだ歴史である!
だが、ライトオタクやマリは違う。
アニメを見たり、ロボットに乗ることにわざわざルサンチマンや理由は要らないし、そこに自分のアイデンティティーをかけるようなリスキーな事はしない。
ダメなおたくがやらずにはいられない事をあっさりと無視する。
なんでかと言うと、当たり前だからだ。エヴァンゲリオンも、アニメを見ることも、マリや今の中学生にとっては生まれた時からあるものだからだ。



かと言って、マリが全くエヴァらしくない、取って付けただけの現代風キャラかと言うと、そんな事はない。
おたくではない人でもライトにアニメを見る習慣、アニメをオシャレなサブカルアイテムにする雰囲気、芸能人がオタクを名乗っても恥ずかしくない空気、パチンコ層や一般商品との提携、などを定着させたのもエヴァンゲリオンだからだ。
つまり、自意識の薄いライトオタクも立派にエヴァの子供達というわけだし、その象徴としてマリみたいな戯言シリーズ夜桜四重奏に出てきそうな新キャラクターが今のヱヴァには必要だし、合致する。


(アニメにファッションのセンスを持ち込んだのはモンシェリ・CoCo、もといエースをねらえ!だとか、逆シャア富田靖子とかは富野信者のたわ言だから本稿では割愛する)

モンシェリCoCo (1) (KCデラックス―ポケットコミック (794))

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で、いくらライトオタクと言ってもオタクはオタク。
マリは死にそうになっても「楽しいからいい」という。
気分はもう、戦争。
やっぱりオタクじゃん。むしろ自分の命や手足まで軽く考えて好きなことばっかりするのはおたくっぽいよ。
なんだかんだ言って庵野秀明の分身じゃん。
あはははは。
どこが庵野にはない性格のマリだよ!(笑)
マッキー副監督もテキトーだなぁwww


ただ、オタクはオタクでも前世紀の自意識が重たい僕ら第三世代オタクより、ゼロ年代風な自分や命が軽い第四世代オタクって感じます。
それは開き直りのような感覚だ。


世紀末に新世紀を待っていた第二世代おたくや第三世代オタクは世紀末の滅びを恐れていた。その反動で「二千年問題より、自分の夢!」と自意識を強めたりもした。
あるいは、滅びの痛みを意識して、バトルアニメでも人を傷つける事に敏感になり、「不殺」が一つのムーブメントになってた。新世紀エヴァンゲリオンはまさにそういう世紀末のアニメだった。ぼくもその時代に十代だったからね。
しかし、21世紀の若者は滅んだ後に生きてるし、滅びを不安がったり、バブル崩壊や大地震や同世代の猟奇殺人や民族宗教戦争によるパラダイムシフトを経験していない。
それが起きてしまって当たり前になってから物心ついている世代だ。
文化が破壊されたとか、アイデンティティが崩壊したとか騒がずに、それがあたりまえなんだから、開き直って何にもない21世紀を開き直って楽しもうとしている。昭和文化に対しても、単にそれが面白いから見ているだけ。


だから、シンジ君みたいにウジウジ悩まない。安定してる。悩みがあることや悩んでる人がいることも知らない。
自分楽しい事ばかりやることに葛藤のないギーク。(かつてシンジは「好きなことばっかりやって何が悪いんだよ!」と葛藤した)
ギークだからアスカより裏コードに詳しいし、新世代だから発育も良くて巨乳キャラだ。
マリは自分の目的のために相手を犠牲にしたり敵を倒したり、大人を巻き込む事も、自覚してるが厭わない。
自分の死や傷も軽く考えてる。
これもゼロ年代っぽいライト(夜神月)さ。
マリにとっては世界ははじめから壊れているのが当たり前だから、誰が傷ついても自分が傷ついても意に介さない。世界はもう死んでいるのだ。
これは、セカンドインパクト後の子供としては、有りうるメンタリティでもあり、今の21世紀の文化のない日本の子供にもダブルうまい性格設定だ。
(本来の世界の海は青く、それを元に戻そうとする施設を見学したシンジたちと対比されるか?でも、マリも加持と絡んでたしなあ〜)


もしかして、悩みや痛みに気づかないという決断主義の自意識や想像力の薄さの方が、実は深刻かもしれない?
ウジウジ悩んで傷ついたり傷つけたりしないようにするシンジよりも。

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力


それは続編のヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qで語られるであろうマリの目的を見ればわかるのだろうか?


明日は、残りのサブキャラ、ちょっとした総評と予想について語ります。
み〜んなで見てね!


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