玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

ヱヴァQ「アスカの生理が重くない」=「妊娠中」予想

下で、
ヱヴァQのアスカが拾八話時点で成長が止まり14歳のままである=アスカが弐拾弐話で見せたような生理痛が無い=アスカは母になれない=旧版に対してヱヴァQには母性の描写が減少している
という証明を書いたが。


むしろ逆だったのかもしれない。


月経が無い女性と言うのは、初潮前の少女か閉経後の女性だけではないと言う事に気がついた。
「妊娠中の女性」も月経が無いのだ。


と、言う事は、ヱヴァQのアスカは少女でもあり、同時に妊婦と言う風にも解釈できる。エヴァの呪いとは永遠の少女ではなく永遠の妊娠中!頭文字とする言葉「Quickening」には胎動という意味もあるのだ!
ガキシンジは28歳のアスカに妊娠してもらっているのだ!
田園に死す


ヱヴァンゲリヲン新劇場版では、エヴァンゲリオンに母親の魂が宿らせてあって子供とシンクロして動く、という気持ち悪い設定の描写が少ない。(乗り換えが可能だったり)
だから母性の描写が減っているのかなーって書いたのだが、月経の無い式波・アスカ・ラングレーがシンジの母親のように振る舞う、と言うあのラストシーンはむしろ「ヒロインが主人公を妊娠している」というスペシャルに変態的なメタファーとも解釈できる。
「ヒロインが主人公の母親役」という要素があれば、母性の描写が他で減っていても余りあるほど、母性に満ち溢れているではないか。


あの、エントリープラグで胎児のように丸くなってるシンジにアスカが呼びかけるってのは母親が胎児に呼び掛けるのに近い。


うわー、変態だー。
こ、これは旧劇場版に匹敵する気持ち悪さかもしれない!しかもオナニーするとかそういう直接的な変態性ではなく、もっと深層心理的な甘えだ。


しかし、そう考えると「あんた、私を助けてくれないの」って母親が子供に圧力をかけるようなスペシャルな母性の気持ち悪い押しつけにもなる。母親に「私を助けてよ!」って言われるのは実際アダルトチルドレンのしんどい部分なので怖い。
でも他人がすごい怖いヱヴァQの末法的世界観の中では(擬似母親役だったミサトさんも、萌え系ナースのトウジの「妹」ですら怖い)、アスカが「かまってくれる」だけでもすごい嬉しい。それにシンジ君は旧劇場版でも「僕に構ってよ!」ってアスカに懇願してくれたので、世界が滅んでいようともアスカがシンジ君に構ってくれているだけでも理想の世界すぎる。


無気力な碇シンジくんがアスカに手を引っ張ってもらうと言うのは、25話の「アスカ・・・助けてよ・・・」というシンジくんの願望の具現化と言えるのかもしれない。しかも、式波・アスカ・ラングレーはテレビ版の惣流・アスカ・ラングレーのように生理が不安定な女子中学生ではなく、生理が無い女子。血を流さない女。「お母さんって感じがした」
式波・アスカ・ラングレーは、私の母になってくれるかも知れない女性だ!」
(秘密結社「逆襲のシャア友の会」の影)


「傷ついてでも現実の他人の女子と向き合おう」として世界が滅んだのがTHE END OF EVANGELIONなんだが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qでアスカが母親っぽくなっちゃうと、「やっぱり他人の女子と触れ合うのはきついんで、お母さんといっしょがいいです」というガキシンジの発想になってしまうのではないか・・・?
まあ、ある意味「ガキである俺の手を引いてくれよ!」と言うのはオタク男性の理想ではあるんだが。



惣流・アスカ・ラングレーは95年当時のテレビアニメで「アニメでも生理痛の女子を描ける!」というエポック・メイキングだった。もちろん、これはナディアのドラマCDで日高のり子に「バージン」がどうのこうのと言わせた庵野監督らしい背伸びとか露悪趣味とも取れる。
同時に、「生理の無い」、母親のような(母のクローンの)綾波に対して、「生理が重くて精神が不安定な”異性”」としてのアスカ、っていう構造だった。
しかし、ヱヴァ:Qでアスカの生理が無く、その上シンジを引っ張る母親役になるとしたら第拾四話で「どーぉ、シンちゃん、ママのおっぱいは!それともおなかの中かなぁ?」「何よ、みんなしてシンジばっかり甘やかしちゃってさぁ…」と、シンジが子供扱いされる事に嫌悪感を表明した思春期のアスカとはまるっきり違う存在がヱヴァンゲリヲン新劇場版 Qの式波アスカだと言える。


だから、アスカの生理はストーリーのテーマに関わる重要な事で、これに対して考察する事は、決して変態的な興味本位の趣味ではないのである。
「見た目は14歳、中身は28歳、生理が無いお母さんみたいなヒロイン」が「どんなに世界が滅んでも自分に構ってくれる」というのは、オタク男子の弱っちい精神としてはすごく理想でものすごく萌える!けど、ものすごい気持ち悪さも内包してるんじゃないだろうか?


というか、EoEやQのアスカの眼帯・包帯は「アスカの綾波化」の象徴だが、そうやってアスカがアスカを捨てて綾波になってしまうと、もはやアスカと言えるのだろうか?


でも、無意識的にアスカが「シンジの気を惹くためにシンジの母親のようなふるまいをして、シンジに『私を助けてよ!』と言う」のはすごく「王子様を待つお姫様」と言う感じで、戦闘美少女の精神分析として切なくて萌える。そこまで母性アピールをしないと王子様にキスしてもらえないと言う、モテ系愛され系女子を目指すゆるふわ女子の婚活の壮絶さの象徴として読みかえる事も出来る。
そう考えると宇宙に行ったり、ビームを撃ったりっていうアスカのQ全編に渡る壮絶な戦闘シーンは全部「シンジに振り向いてもらうため」のアピールに見えてきて、プリンセスチュチュの終盤のような感動もある。
あるいは少女革命ウテナの決闘シーンのような。



まあ、王子様のシンジ君は他の国の王子様のカヲル君とホモってたわけですけどw


でもやっぱりホモは死ぬ。


「ホモは黙ってて!」


あと、宮村優子さんの母性を描いた作品だと思ってQを見ると、21世紀にもなって安野モヨコ先生と結婚して漫画にもなった庵野秀明監督がどれだけみやむーに執着しているのかって言う事がじわじわ来て、いとをかし。


は、林原めぐみさんも母親なわけですが・・・!シンジくんの真の母親であるユイさんがシンでどういった手を打ってくるのか・・・。
(全人類の母であるリリスは破とQの間のサードインパクトでうやむやに分解されたみたいですが)



こういう母親権闘争として見ると激しい戦闘シーンにも違った楽しみが見つけられますね!
エヴァンゲリオンの母性問題はVガンダムからの系譜でもあるし。
しかし、アスカ若い問題を「女の子は男の子よりも精神年齢が倍になって、その上で俺を王子様扱いして構ってくれ!」というオタクの気持ち悪い魂の叫びだととらえると、本当に気持ち悪いなあ。でも、「気持ち悪い」こそがエヴァだから仕方ないなあ、とも思うわけで・・・。


しかしエヴァにはホント、ろくな男がいないな。加持さんも消えたし。
日向マコトは葛城大佐に手を出せなかったのか・・・?そうか・・・。切ないな・・・。