玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動戦士ガンダム第41話「光る宇宙」シスコンの末路

脚本・松崎健一 絵コンテ・貞光紳也 演出・貞光紳也 作画監督 なし
[rakuten:book:12099554:detail]


バンダイビジュアルの一挙放送でインスピレーションが沸いたのだが、ここまで引っ張ったということは、これを読み解くには、実家にある密会を読み直すために連休を待たねばならなかったということだし、連休中も時間を支配できないオールドタイプという肉体を持ったもののサガである。
やはり、宇野千代の言うように、どこかのぼせていなければ行動できないのであろう。
熱と勢い!
[rakuten:book:10878366:detail]

というわけで、今回はシャアとアムロララァを失う話ですけど、これはシスコンの末路という点でとても興味深いです。


私、ガンダムの序盤はアムロの新入社員ぶりに、自分を重ね合わせていたのですけど、後半アムロ・レイが戦場で生き延びて急激にスキルアップする、その理由付けとしてニュータイプという面が強くなっていくにつれて?アムロよりもシャアに感情移入するようになって来ました。
アムロが必死に戦場の一瞬を潜り抜けて生きようとした結果、ニュータイプになること自体は悪いことではないとは思っています。
ただ、自分でも意外なのですが、最初のシャアは「成果主義のエリート」の典型そのものだったのに、後半のシャアは人間くさい。
確かに終盤もキシリア少将に取り入ったりと出世をしているのですが、キシリアも含めてララァやセイラたち女との絡みという感じ。
アムロへの嫉妬心の芽生えとか、ザビ家や父へのコンプレックスなど、ものすごく人間的な描写が多くなっています。
とくに、シスター・コンプレックスというものをかなり高度に、さりげなく、描いていると思うのです。


っていうか、まあ、密会を読めばいいと思うよ。シャアがシスコンだって言うことは。
終了


では、エントリが成り立ちませんので、まあ、書くんですけど。
つまり、こういうことです。

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words41_Gundam.html

シャア 「ララァ、奴とのざれごとはやめろ」
アムロ 「あっ」
ララァ 「あっ」
アムロ 「シャア」

アムロララァ・スンの魂の共鳴
そこへ、シャアが別の魂の波動をぶつける。
つまり、シャアもニュータイプなのである。そもそも、アムロララァと出会ってからニュータイプ能力が増大した節がある。ならば、ララァの力を借りたシャアはニュータイプだろう。
シャアがニュータイプのなりそこないというのは、シロッコのハッタリだと思う。
すくなくとも、このシーンでのララァアムロ、シャア、ミライはニュータイプだろう。

セイラ 「あそこ…」
  「兄さん」
  「兄さん、下がってください」
アムロ 「ここは危険です、セイラさん下がって」
セイラ 「ああっ。兄さん、私よ、わからないの?」

[rakuten:auc-g-sakusen:10006213:detail]
セイラ・マスことアルテイシア・ソム・ダイクンはシャア・アズナブルことキャスバル・レム・ダイクンに愛されている最愛の妹である。
が、シャアはセイラを愛するあまり理想化しすぎて、「小さい頃のやさしいアルテイシア」という印象のまま、「軍を抜けろ」と繰り返し、一方的に金塊を送ってよこすような優しさしか持たず、セイラの事情や人生を聞き入れてはくれない。
セイラには、それが不満であるし、父の理想を捻じ曲げて、できもしない野望にとらわれて自分のことをわからない兄など、殺してしまえばいいと、そして、それをしてもいいのは妹である自分であると、思う。
それは妹特有の愛であり、傲慢であり、甘えでもある。
キャリアウーマンの典型であるセイラさんだが、シャアに対するこのような妹的感情はとても妹らしくて、妹萌えの私は、とても興奮する。


シャア 「ララァ、私はガンダムを討ちたい。私を導いてくれ」
  「ララァ
ララァ 「…お手伝いします、お手伝いします、大佐」
シャア 「すまん、ララァ
アムロ 「シャア」
シャア 「ララァを手放す訳にはゆかん」

劇場版では、ララァの死後に言う「私を導いてくれ」だがTV版では生前に直接言う。
ここで、シャアはララァアムロと戯れている、浮気をしている、二つ心を持っていると知っているが、その上で自分につけという。そして、「すまん」と。
恥も外聞もない。
人間的なシャア。
成果主義で、自分の手柄を得るために部下やガルマをおだてて脅して、使い捨てにしてきたシャアであるが、ララァはもはや、そのような部下ではない。
女として見ている。三角関係だ。
だが、それでもシャアはまだララァを戦力として使ってしまう。
その割り切れなさがとてもいい。

アムロ 「やれるのか?」
  「うっ」
  「…」
ララァ 「大佐、近づきすぎます」
アムロ 「セイラさんか?」
ララァ 「大佐、いけない」
シャア 「ん?アルテイシアか」
アムロ 「シャア、覚悟」
シャア 「チィッ」

ここ、!
ここがすごい!
セイラ・マスは鬼子の兄を、父に代わって殺す、というファザーコンプレックスとブラザーコンプレックスがない交ぜになった独占欲と愛情!
しかし、パイロットとしてはシャアにはかなわず、シャアのゲルググに、セイラのコアブースターは切り殺されようと!
一年戦争随一、あるいはガンダム世界唯一のニュータイプかもしれなかったララァはそんなセイラのことを感知する!
セイラの愛を、セイラとシャアの関係を、分かってしまう。
そして、シャアの妹殺しを思惟を飛ばしてやめさせる。
この思惟を受け止められたシャアはやはりニュータイプであろう。
シャアは酷いやつで、部下を見殺しにするし、ニュータイプのことも戦争の道具としてみてしまう。
それでも、ララァを見出し、ララァと通じ合うことができたというのはまさにシャアの素晴らしいところであるし、ララァもそのシャアを愛した。
救われたというだけなら、たんに売春窟から出るのに利用したと言うだけだろう。
ララァはシャアに甘えてもいたのだから、愛していた。
ララァはシャアが出世のためだけに人を利用するのみの男ではないと直感していたろう。同時に、人を利用するしか付き合い方を知らないシャアの屈折も知っていたろう。
だから、そのシャアが唯一、歪みながらも持っている無私の愛情の対象であるセイラをシャアが殺すということをさせるのはかわいそう。で、ララァはシャアを止める。


[rakuten:es-toys:10216926:detail]
だが、もはや少年でなく青年となったアムロ(テレビ版ではセイラさんとは寝てないけど、父と別れ、スレッガーを見、ララァと精神的に通じたアムロ)は、仇敵であるシャアを戦士として当然、殺そうとする。
オリジンとは違い、アムロはシャアがセイラの兄であるということを知らない。
むしろ、ララァを手に入れたいという若い純粋な嫉妬の方が強かろう。


そして、シャアは、諦観する。
自分の愛したセイラが自分に歯向かい、妹殺しをさせないようにララァに止められ、戦いの中で戦いを忘れた、そのために自分が仇敵ガンダムにやられて死ぬのは、よい!
ナルシストでシスターコンプレックスのシャアとしては、血肉を分けた妹のせいで死ぬということは、自己完結として、受け入れられるだろう。
そこで、シャアは硬直する。覚悟、する。
[rakuten:hobbyist:10044345:detail]

だが

ララァ 「大佐」
シャア 「ララァ
アムロララァ
ララァ 「きゃーっ」
アムロララァ

[rakuten:jism:10400663:detail]
ララァ・スン専用モビルアーマーエルメスシャア専用ゲルググに体当たりをして押しのけ、アムロガンダムビームサーベルを受ける。
ララァは、たぶん、自分がシャアを愛しているから、シャアに妹殺しをさせなかったが、その為にシャアが死ぬのは妹に取られるようで、自分がシャアを殺したことにもなるし、絶対にいやだったのだろう。
ララァはやっぱり、シャアの一番になりたかったんだろうし、その為には身を投げ出す。
「あたしの男よ!アムロには殺させない!」
ララァは一瞬一瞬の愛の衝動で生きているのか?
そして、命を捨ててシャアを愛しているということを示したララァは、死ぬ。


そして、その瞬間、自分に似た妹を理想化して、世界を憎み、仮面をかぶって生きてきたシャア・アズナブルは、自分以外の人間に命がけで愛される、ということを初めて知ったんだろう。
ブックマークコメントで、女性の読者のid:florentine さんに

「100字でなんて語れない シャア様は「王子」なので自分の愛するものは強く気高く清らかな「姫」や「女王」でいてほしくて、貧困家庭に生まれたララァのもつ他者に利用されてきた弱さや娼婦性(穢れ?)を許容できなかったのでは?」

と言葉を頂いた。
その気高い自己完結の繭にいた王子が、奴隷であったララァから命がけで愛され、それに気づいたときにはもうララァは死んでいる!
テレビ版のシャアは慟哭し、コックピットを殴りつけるしかない。
「うわああああああっ!!!」
後にも先にも、ここまで感情的なシャアはこれだけだ。
ここで、赤い彗星は地に落ちたように見える。
同時に、人間として生まれなおした産声だったのかもしれない。
そういう意味で「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」というのは、穿ちすぎであろうと自分でも思う。
この台詞は謎過ぎる。


テレビ版の激昂の代わりに、劇場版と密会での
「今の私ではガンダムは倒せん、ララァ、私を導いてくれ」というのは、少し冷静すぎる台詞だ。すこし、説明くさいかな。
とにかく、シャアはララァの愛に捕らわれた。


だが、だが、!
ララァの魂が寄り添うのは、アムロ・レイの方なんだ!
ララァという女は!


密会によると

ララァアムロは、いつでも私と遊べるわ」
アムロ「シャア大佐には、いいのか?」
ララァ「大佐は、生きながら、遊びたいと思っている人」
そのあとの、チンとした沈黙。
アムロ「・・・・・・?どうして口をつぐむんだ?」
ララァアムロは、分かっているでしょう。それは、やめさせて欲しい」

ララァはシャアの脆く美しく、良い人間的な所も知っているが、現実で立身して野望を果たしたがる冷たい王子である所もまた、知っている。だから、死んで楽になってから、シャアとは違った意味で愛せるアムロと一緒になってシャアを止めようとするのか?
それは、アムロを利用して、シャアを導こうとすること?
やはり、ララァはシャアの方を愛しているのだろうか?
しかし、アムロララァの交感もまた、愛情なんだろう。


現実で遊びたいと思ってしまうシャアは、やはり、アムロララァほどのニュータイプの高みにはいけず、そのララァの魂には触れられず、慟哭するしかない。
が、シャアは「ロンリーソルジャー」なので戦ってしまうしかない。
ガンダムは切ないなあ。


まったく、ララァという女は底知れないし、そこから始まる人間関係も、やはり私にはよく分かりませんので書ききれません。


ただ、密会を読んでも漠然としていた部分が、今回、バンダイチャンネルの一挙放送でガンダムを見直して、はっきりした。
映像としてシャアの諦めとララァがシャアを突き飛ばす様を見ると、ララァが愛を示すためにやってしまったのだと了解できた。
うーん。ガンダムは何度見ても、何度読んでも、深いなあ。
と、恋愛経験が全くないくせに言ってみるのだ。
ふふふふふふふふ。


にしても、テレビ版のアムロララァを殺したあと、休憩室で一服してセイラに「大丈夫ですよ」とか言ってるんだよな。
テレビ版のアムロは少し鈍感?
四六時中ララァと一緒というわけでもないんだろう。