玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

輪るピングドラム第18話3「だから私のためにいてほしい」と願う多蕗の心 映像解析

先週金曜日の昼の話ですが、関東の人よりも早く輪るピングドラムの18話をインターネット裏流通を使って視聴したと思しき外国人のツイッターを読んだのです。

TABUKI. You have to go with Momoka. TO THE OUTSIDE WORLD. #penguindrum #utena
(多蕗は桃果と一緒に世界の果てに行っちゃいな!)
@revolutionaryjo about 9 hours ago


Tabuki you fucking asshole douchebag redeeming your stupid self like that
(多蕗の愚かな自己を回復する最悪膣洗浄器との肛門性交)
https://twitter.com/#!/Fang_Meme/status/134830467047370752

アメリカ人から多蕗はあまりにも嫌われている・・・。
なかなか、 fucking asshole douchebag redeemingと言う悪口は出てこないと思うのですが、そういう事を言われるくらい、多蕗は世界的なインパクトがあったのでしょう。アスホール。


だが、待ってほしい。多蕗は単純に悪いだけの人じゃないという事は、演出を見ると分かるのだ。
まあ、メリケン的価値観からすると、ピアニスト崩れのマザコン理科教師はマジFUCKなギークメガネでサイコ野郎でもあるんだけども。単純な悪ではない。


と、いう感じの多蕗の心の動きと、それに対抗する冠葉を輪るピングドラム第10話 だって好きだから輪る映像の原則を解析する - 玖足手帖-アニメ&創作-のような感じで解説していこうと思う。それと、山内重保絵コンテの素晴らしさも付随して書く。ちょっと、もう火曜日も終わり、正直感想ブログとしては時期を逸した感じはしなくもないのだが。(僕だって私生活の仕事くらいある)
長いですよ。


とりあえず、話の流れの段取りは、前回のエントリを見てください。
輪るピングドラム第18話2「だから私のためにいてほしい」舞台的段取り - 玖足手帖-アニメ&創作-
↑プロットの大雑把な流れの図と、多蕗の4発の爆弾による舞台の変化の俯瞰図を載せています。



↑そして、いつもの映像の原則はこれです。
(引用元落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>
映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)


まず、冠葉の動きから。ビルに向かっている冠葉は、上手からスタンダードに登場。

ここでカメラワークが斜めになってるから冠葉が無理矢理下手側のビルに向かって落ちるような引力を感じるレイアウトになってて、良い。それでいて、夕日の影が水平になっているというのも、憎い。


その後、多蕗の子どもブロイラーでの回想を挟んで、CMが明けて

Bパートの頭は冠葉の走ってる足音から入って、ここでビルを登る冠葉が一回ケータイを落として、取りに戻ってから下手側の階段を上る。単純に上手から下手に行くんじゃなくてケータイを落としてターンすることで、冠葉が試練に遭っているという事とかを表現してて上手い!いいねー。山内重保絵コンテ、しびれる!
また、冠葉が下手の弱い位置に移動するというシークエンスを、単なる段取り、位置移動として描かないで、ワンアクション入れるて演出として昇華するのが上手い。ちゃんと、「冠葉が転ぶくらい慌てているから下手の弱い位置に移動してしまう」という心情に即した意味のある演出だ。
(ちなみに筆者は代々木アニメーション学院やアニメスタジオで専門教育を受けておらず、映像の原則とインターネットのアニメ業界人の書きこみをチラッと読んだくらいの憶測で書いています)


で、Bパートの段取りの流れは以下の通り。


(細かく読みたい人はクリックしてオリジナルサイズに拡大して見てください)
まあ、実際の絵コンテではなく、プロットの数直線にちょっと台詞と位置を書き足したようなものです。爆弾が4発あり、晶馬のシーンが時間経過に使われているという事だけ分かって下さい。(ちなみに筆者は素人なので絵コンテを描いた事はありません)
そこで、冠葉が陽毬が捕らわれているビルの最上階に登場します。

(冠葉の体が移る前に、苹果の脚のアップ、冠葉の足のアップが短くカットインして、緊迫感を高めて、説明的な印象を薄めているのも上手い)
というか、カット割りが多い。

@jab_nishii 西位輝実
@YoshiHon さすがに物量はズッシリでした^^;; 400カットコースはキャシャーンの23話以来でしたが、作業自体は本当に楽しかったです。お楽しみに〜^^

https://twitter.com/#!/jab_nishii/status/133568347341197312

400カットは多いらしい。ちなみに、普通のテレビアニメは300カットほどらしい。三割増しです。


18話のアニメーションの本編では、全体像が見える画像は無く、一人一人のアップか2人だけを映したカット割りで、全体像がはっきりしないものでした。もちろん、全体像がはっきりしないということも、映像としての緊迫感や心情的圧力を高めるための芸術的表現です。
整理した位置関係は↓

冠葉は、

歌舞伎の舞台で言う所の花道のスッポンから出てきているという事です。とても舞台的ですね。映像のトリミング的には下手に位置しています。

最初の位置の多蕗は、冠葉に対して、上手の奥に位置しています。つまり、多蕗の方が優位に立っている、しかし奥なのでそこまでのインパクトは無い、という事です。
また、この時点では夕焼けのせいで多蕗の背後のペンギンマークの描いてある壁がピンク色になっているという事も憶えておきましょう。

最初の陽毬はこういう風に、冠葉に対して上手にいます。陽毬は上手なので冠葉からは好意的に見える位置です。冠葉の立場が弱いです。
物理的な高低差では冠葉の上に陽毬がいますが、画面的には陽毬の方が冠葉より頭が下になっています。陽毬の弱さは縦横の位置で示されています。
全体的に俯瞰であるので位置関係を説明する冷静なレイアウトであり、またこの兄妹が見下ろされて弱くなっている印象も与えます。


で、多蕗が「父親は連れて来たか?」と聞き、冠葉は当然「いない」と答えます。多蕗は「そうか」と言って一発目の爆弾を爆発させます。

陽毬はストーン!と縦に落ちます。

爆発のショックで、冠葉は一気に下手にスライド移動で押されます。アップでな。まさか、多蕗が爆弾を使うとは思わないでしょう!冠葉はどんどん下手に押しやられます。敗北、絶望への流れです。


「嘘をつくのはよくないな」という多蕗。上手位置のミドルサイズのカットで言います。
苹果はそれに対して、「警察を呼びます!」と言う。爆弾などを使ったら、それは当然だ。
「僕は良いけど」と言う多蕗。

↑。そう、ここでは冠葉の方が上手に立っていて、「警察を呼ぶ」と言う苹果の方が下手です。冠葉にとっては「警察を呼ばれると困る」と言う事がこのレイアウトで分かりますね。また、冠葉の顔が見えない事で、「冠葉は警察を呼ばれると困る事情を隠している」という暗示にもなってる。
そして、下手側で迷う冠葉のアップを差し挟み、

「警察は呼ぶな」と言って上手から下手に歩いて、カメラから苹果を隠す冠葉は、露骨に演出的な動き。隠蔽しようという冠葉のスタンスが非言語的に演出されています。また、彼が上手から下手に歩くことで、精神的に彼がまた一歩追いつめられたという事も演出しています。

上手側から多蕗は追いつめます。「僕は君の秘密を知っている。君が妹の命を助けるためにどうやって大金を得ているか」強い多蕗。
そして、それを聞く陽毬は下手側のアップです。

自分の命を助けるために兄が秘密の仕事をしていると聞かされて、陽毬の方も下手に押しやられます。陽毬は超ショックです。

その陽毬から見た主観のような冠葉はちょうど顔の表情が見えないようなトリミングです。陽毬からは上手に見えてます。陽毬からは冠葉が何をしているかちょっと解釈できないという混乱した感覚を表現する、良いトリミングです。山内らしいともいえます。また、ここでは冠葉が無言で、多蕗の台詞が表情の見えない冠葉にかぶさっているというのも、不安感です。
苹果は上手奥の「客席」、もしくは「キザハシ」の位置に閉じ込められています。苹果がこの中では観客と言う事ですね。その苹果からも冠葉の表情はよく見えません。

実況する苹果は上手。


で、

苹果は警察の代わりに、多蕗に隠すようにして晶馬に電話をします。(結局は隠さなくなるんだけど)
一番上手の奥の、舞台の端のキザハシに居る苹果が、わざわざ手を伸ばして上手に電話を置いてかけてるのは、晶馬がこの舞台の外に居るという事を表現しています。そして、シーンは地下鉄に飛ぶ。


いつもの地下鉄のロゴを挟んで、シーンのイマジナリーライン方向性をリセット。

画面上手の奥に遠ざかっていくような流れの電車に居る晶馬。この時の晶馬はビルディングに居る人たちとは違う方向に動いているという事。

そこで、眞悧。ここでは中央にカメラが向いているので、イマジナリーラインがまたリセットされます。
そして、眞悧の「写真は普段人が見ようとしないものを映す。だから時には思いもよらない面白い物が撮れたりして・・・」という言葉が入る。ここで、眞悧が超次元的能力で晶馬の通じないはずの携帯電話に苹果の伝言を伝えたという暗示。また、多蕗が持っていた写真も眞悧が情報操作を行って送ったのではないかという疑惑も生じさせている。
眞悧の情報操作は、前回の

「人間の世界では真実は必ずしも本当の事じゃない。

人間は自分の見たい願望や欲望だけを真実という。

人間は真実が口実になれば人だって殺せるんだ。」
輪るピングドラム第17話「許されざる者」を決める口実。言葉が兵器 - 玖足手帖-アニメ&創作-

という眞悧の台詞で暗示されている。前回は眞悧の口車や、真砂子とゆりの口論など、言葉を使った静かな戦いだったな。今回は爆弾と流血だけど。

@92on 辻田邦夫
前回17話は「静」そして今回の18話は「動」を意識した画面に出来ました。どちらもある意味エモーショナルなんだけど、それぞれの人たちの気持ちの温度差がイイ感じに作れたかな?と思い自画自賛(笑)

https://twitter.com/#!/92on/status/135068684975738881

17,18話は前後篇が対になっていますね。


そして、シーンがビルに戻ると、多蕗は上手から下手に歩きながら冠葉に「君は奴らの残党とつるんでいる。そして、奴らを指揮しているのは君の父親だ」と言う。

俯瞰でうつむいている弱さもあるが、冠葉は上手に移動。
多蕗が下手に歩くというのは、彼自身が眞悧に操作されて自動的に動かされている、という暗示かもしれない。(明示されないのでわからないが)
つまり、多蕗は絶対的な悪ではなく、彼自身も何かに翻弄される弱い人間だ。ということです。
多蕗は自分の意思で動いているように思っているが、「桃果を失わせたものに復讐したい」という願望を口実として、「写真」を撮った誰かに操られているのではないか?という人間臭さがあるわけです。
また多蕗の立ち位置が、ずっと上手では無く、舞台の上をうろうろしていることからも、彼にも迷いや人間らしい葛藤があるという事がわかります。

↑最初の図より、多蕗が舞台の下手に歩いています。


この時、カメラワークで切り取られた画面の中では冠葉は上手に映り、陽毬は下手から冠葉を見上げている。冠葉の位置が相対的に強まっている。冠葉と父親の秘密を、自分を監禁している多蕗からいきなり聞かされた陽毬の気持ちが弱くなっているという事。

そして、「写真」という(おそらく眞悧から与えられた)弱い根拠に対して、冠葉は上手に立って強気になって「こんな写真で何が分かる」と言います。上手に立っていますが、目線は下手から上手へ→という「弱者が反抗する方向」になっているという事もポイントです。多蕗に秘密を暴露された時に、顔がフレームの外に出ていたり、陰になっていて表情が描かれていなかった冠葉の決意がにじみ出るように、目がギリギリフレームの中に入っています。
冠葉のそんな強気の発言を受けて、多蕗は静かに「そうか」と再び呟いて、二発目を爆発させます。
この「そうか」と言うのが、彼が「そうか(なら爆破してもしかたない)」という受動的な態度ですね。自分の攻撃性を理由にして高倉への攻撃を能動的に行うのではなく、冠葉の態度や剣山が来ないという事を自分への言い訳にして攻撃しています。彼の人間性であり、また弱さでもあります。おそらく無自覚です。

陽毬はまた下手奥に落ちます。


冠葉の方は上手クローズアップから上手奥に移動して

「親父に会って何をしたい?」と問います。こういう客観的な問いかけをする時は、アップよりもミディアムサイズの構図の方がいいのかも。



「罰を受けてもらうのさ」
山内らしい腰のクローズアップで、多蕗の「腹の底からの暗い気持ち」を出す。多蕗が下手になっている事で、彼の精神が弱い物になっていると示す。多蕗が腹の底の本音を言う時は、下手から暗い気持ちを発散させます。

カット割りでカメラが上がって、「僕はこの世で一番大切な人を君達の両親に殺された被害者だ」と、下手から。多蕗の桃果とおそろいの左手の傷と胸のアップで、彼の心からの呪詛だと。ここで話している多蕗の顔を映さない事で、多蕗の本当の表情の恐ろしさを想像させるのが山内演出らしいクローズアップ主義だ。顔の表情で説明しないのだ。こういう演出は今回多いですよね。顔のない母とかも。

言い終わった多蕗の顔が短く映る。無表情で、このカットは短い。顔を映して長く話すと、多蕗の憎しみが抽象的な具体的で俗っぽい物になって弱まるという判断だろう。また、下手側に居るんだけど、最後の顔のカットは中央に近くなっている。本音を話す時は下手で顔を隠して腹から言うけど、顔の表情には現れない、と言うのが多蕗の成人男性の外面と小学生の時の恨みに捕らわれている精神の二面性である。(多蕗が自分が大人になった事の空漠感について、小説版では記述がある)
感情を下腹から出す、と言うのは山内重保氏が参加したブレンパワードの下腹に在るコックピットに似てますね。山内コンテのブレンパワードの「愛の淵」も18話で、物語中盤のターニングポイントだった。


陽毬と冠葉のリアクション表情のカットを挟んで、

「桃果は本当に特別な女の子だった」
ここで、桃果の話を始める時に、いきなり多蕗が上手で横顔になっているというのが、演出的にすごい!「桃果」が多蕗の中では上手に行くほど自分を正当化できる大義名分と言う事。桃果がどれだけ特別な女の子かと言う事も、表現されている。しかし、カメラワーク上は多蕗が上手に居るが、客観的には多蕗は冠葉から顔をそむけて、ひとり言のように桃果の話をしているという事でもある。映像にはいろんな意味合いが圧縮してつまっているんだ。
で、ワンカットで多蕗が勝手に振り返って

下手に移動して、
「彼女がいればこの世界に起こる陰惨な不幸のほとんどが回避できたはずだ」と言う。ここで、桃果に対する意見を述べる多蕗は桃果に依存していて、桃果を見上げるような表情をする弱い人間だと暗示。一つの台詞の中でも言いながら言葉に合わせて立ち位置を変えるのが、演出って感じだな。あと、斜めってる。

「彼女は僕たちの・・・」
ここで冠葉のカットと、風に舞う写真の遠景を挟んで、

「・・・いや、人類の救世主になるはずだったんだ」
アップで「僕たちの・・・」と言っておいて、風の「ひゅぅ〜〜〜」ってカットを挟んで、小さくなって「・・・いや、人類の救世主になるはずだったんだ」と、言い直すのは、ギャグマンガみたいなカット割りだ多蕗の「僕のためにいてほしい」という本音を隠す言い訳みたいに見える。「人類の救世主」と大きな事を言っているが、映像は逆に多蕗の人間的な小ささを示すレイアウトだ。そして、上手から冠葉が「なんだよ、それ」ってツッコミを入れる。ギャグマンガだ・・・。
多蕗先生は人間的だなー。冠葉の「なんだよ、それ」ていうツッコミも火に油っぽいんだけどな。
で、また多蕗はキレて、下手から睨みつけるように「君の父親が起こした事件だってそのひとつだ」と言う。
この場では多蕗は主導権を持っているが、わざわざ下手から冠葉を見上げるように上目遣いで言うのは、冠葉に対してだけでなく、高倉剣山に対しての反抗心の表れだろうか。


追記:こういう風に、台詞に呼応した動きで感情を非言語的に体を使ってあらわすというのが、アニメの芸術的表現の醍醐味って言う感じがしますね!小説版では人物の気持ちが直接書き表されているけど、アニメの場合は説明でなく動きで感情を表現している!いやー、やっぱりメディアの違いに自覚的な作品は良い。
また、山内重保さんは特に顔を見せない演出で逆に感情を暗示させるのが上手い!書かない事で書くという、漠然とした雰囲気作りが上手い!すごい!
幾原邦彦監督は、印象的抽象的象徴的演出が結構あるよね。
いやー、山内演出と幾原作品のコラボ、マジですごいわー。


池袋を走る晶馬や、冠葉と陽毬のアップのカット、プラスチック爆弾の取り付けのカットに載せた多蕗のオフ台詞を挟んで、画面中央バストアップで客観的に言うように「全ての人は救えなかった」と説明する多蕗。

そこから上手に一歩踏み出して「そして桃果は消え・・・」と、また桃果の話題では上手に

今度は下手に足を踏み出して「僕だけが残された…」と自分の事を言う時の多蕗は下手に行って表情を隠す。自分の事を言う時の多蕗は弱く、表情を描かずにダメっぽさを表現。してるのかな?色々と余韻を持たせてる漠然とした山内トリミング。やっぱり、こういうジグザグにフラフラ動いている表現は心理的葛藤って感じで、上手い演出だと感嘆するなあ。台詞に合わせているし。



ビルを見下ろす遠景で三発目の爆弾がさく裂する。

冠葉は爆弾のショックで、また下手に移動。冠葉はすっかり弱気な顔に。顔が半分しか映ってないし。

逆に陽毬は上手に振れる。位置関係が揺らぐ。



多蕗。「これでも父親は呼べないというのか」
下手の冠葉もワイヤーで顔が隠されているが、多蕗の方もロープで体が分断されているような絵。おそらく、根が善人の多蕗は高倉剣山を呼んで復讐したいし、そのために手段も選んでいないが、無意識的には陽毬を殺したくはないのだろう。だから、多蕗は行動と思考と欲求がバラバラになりつつ、始めてしまった脅迫行為を止める事も出来なくなって焦り始めているようだ。多蕗は受動的だから、自分の行動を冠葉や剣山に任せているという側面もあるんだろう。
それから、穿った見方だけど、多蕗は母親と新しい父親と、その間に生まれた天才の弟という家庭で育った。だから彼自身には深い所で「本当の父親に助けてほしい」という気持ちと「父親は子供を見捨てる物だ」という実感と、二つの感情が葛藤しているのだろう。だから、冠葉の父の剣山を呼び出すという事で、何かを確かめようとしたのかもしれない。


段取りのプロットには書いたけど、キャプチャーはめんどくさくなったのでしないけど、多蕗は上手の方に立つが、画面の外に顔を出して、背中だけ映して「さっきの強気はどうした」と言っている。上手にいるので多蕗は爆弾と言う暴力を持っている表現だが、背中を向けて逃避の姿勢で冠葉を見ていない、自分でも暴力に戸惑っているようだ。
そして「さっきの強気はどうした」と、敵が強くなって欲しいような事を言ってしまう。弱い者いじめはしたくない。桃果を奪った強い悪人に復讐したいのに、今多蕗がやっている事は弱い少年少女を傷つけているだけだ。
しかし、冠葉にはなすすべは無く、「本当に親父の行方は知らない。もし、知っていたら…」と振り絞るように言う。冠葉だって父に助けてほしい。でも、できない。


俯瞰で小さく見降ろされた多蕗は、悪役なのに小さくなってしまい
「そんなに妹が大事か」
と静かに言う。しかし、BGMはここで転調して一気に不穏なムードとなる。

この時、多蕗の頭上には陽毬を支える滑車が映る。つまり、滑車は妹の命の象徴。それが多蕗を見下ろしている時に「そんなに妹が大事か」と言ってしまうのは、多蕗が弟に本当にコンプレックスを持っている、弟より自分を大事にしてほしかった、という表れかもしれない。(新世紀エヴァンゲリオン放送当時の考察厨はこんな感じで画面のレイアウトがどうとか言ってたんですよ)


だが
「当たり前だっ!!!」

と、ガチのシスコンで陽毬を愛している冠葉はそれを中央上手よりからのドアップという強い構図で一喝する。妹が大事、と言う事に関しては高倉冠葉には一片の迷いもなく、即答だ。弟にコンプレックスを抱く多蕗圭樹にはそれが許せない。

そして、このキャシャーンSinsのような背中と背中での向かい合いで、憎しみを溜める。「そうか・・・」また、「そうか」だ。彼は他人を憎む口実を得た時、「そうか」と言って憎悪を暴走させる。
「では、きみたちに罰を受けてもらう事にしよう」

「父親の罪を、その子供たちが償うんだ」
上手奥から振り向き、弱い下手の冠葉を睨む、完全な悪役の顔になった!
手を下すことに迷いはあったが、冠葉の迷いのない心にコンプレックスを刺激され、憎んだ多蕗の中で、高倉剣山を呼び出すという理性的な計画が、「兄妹同士の絆を、自分と同じように引き裂いてやりたい」という外道の欲望に変わってしまった。感情の幅が揺れる。


そして冷酷な罰を言い渡す。
「妹を助ける方法はただ一つ。最後のワイヤーが切れた時、それを君がつなぎとめるんだ」
兄妹の絆を確かめさせて、その上でそれを粉々にしてやろうという多蕗の暗い欲望は、もはや元々の目的を忘れている。
だが、冠葉はガチのシスコンなので全く不安ではない。決意を持って「陽毬、しっかりつかまっていろよ」涙目だった陽毬も冠葉の落ち着いた様子を見て、しっかりと彼を見つめ返す。


逆に、多蕗はそのような信頼関係に結ばれた兄妹から目をそむけながら、爆弾のスイッチを押す。やはり、弱いのだ。



陽毬を乗せたゴンドラの重みで一気に上手の上に引っ張られる冠葉。下手から上手への動きは、無理やり引っ張られるような動きだ。
だが、ここで冠葉が自分の意志では無く簡単に上手に立ってしまうと、作劇上、演出が盛り上がらなくなってしまう。だから、そこで、ペンギン1号だ!

マスコットキャラのくせに、聖闘士星矢のように小宇宙を燃やす山内演出のペンギン1号!これはすごい!まさかセイントセイヤをこんなギャグ動物でやるとは!!!!
5話「だから僕はそれをするのさ」で冠葉がトラックに引っかかったペンギン帽子を取り戻すために命がけで引きずられた事の逆構図リフレインだ。5話でも、冠葉が頑張るという事を強調するために、1号がマジックハンドを使ったり、それを冠葉が掴み返したりして、頑張ってた。
今回もペンギンが本気を出して冠葉を引っ張ることで冠葉を支えた。ペンギンは高倉兄妹のスタンド、つまり魂の表れなんだよね。だからペンギンが頑張る事で、ワイヤーに翻弄されている冠葉も頑張っているという風にかなり強引に力強く描いてるんだ。スゴイ!
握力の表現をこういう風に描くことができるのがアニメだよな!!!!



陽毬のゴンドラから投げ出された毛糸の玉、これを踏むように、兄妹の絆、ライフラインを切ろうとするように現れる多蕗の足。

「痛いかい?」冠葉に言う。

「分かるよ、愛は痛みだからね」自分に言い聞かせるように遠くを見て顔をあげる。が、ここで多蕗は下手に移動し始めている。自分の事になると下手に行く多蕗。


「君の手がダメになってしまうよ」

「知るか!」

「家族だからって、君が責任を感じる事は無い」

「かつて僕の母が僕にしたように」
自分の事を話す時は下手の弱い位置に立つ多蕗。

「嫌だ!絶対離さねえ!!」上手の上方から多蕗を見下ろすという、映像的には最強に強い構図で、言い放つ冠葉。陽毬の事を愛している冠葉には、絶対に迷いがない。

「桃果・・・ッ」
冠葉の姿にあの日の桃果を思い起こした多蕗。この時、彼は下手の下と言う弱い位置。そして、これまでのシーンでは本音を言う時は顔を隠されていたのに、「素」の表情を見せる。ここ、すごく、対決として重要。
冠葉の強烈な陽毬への愛に多蕗は負けたのだ。


これは、

この日の桃果と多蕗の繰り返しだ。多蕗はこの桃果を冠葉の中に見たから負けたのだ。
だが、吊り下がっている向きが左右対称的に違う。桃果が多蕗を引っ張り上げるのは、上手から下手へ引っ張り上げる向きなので、自然に多蕗が桃果に近づくような感覚である。桃果の強さだ。
冠葉の場合は、上手から下手に重力に任せて落ちて行こうとする陽毬を、必死に冠葉がつなぎ止めようとするという関係だ。(映像の原則の上手下手論だとね)


しかし、多蕗的に重要なのは、



という変化だ。
少年の日、無垢だった多蕗は、今は逆の方向に立っている。手を汚した事に、彼はここで気づいたんだ。自分が自分で救われた自分を、今、汚した事に。


だから冠葉の眩しさから目を逸らす。
「苹果ちゃん、今の僕は醜いだろう」

ここで、多蕗は陽毬の毛糸から足をどける。「あの日、桃果があんなにまでして助けてくれたのに」
足をどける時、彼は桃果に助けられる価値を失った自分を自覚したか。自分のしていた事があの日の桃果を否定して事だと気付いたのか。

「僕はすっかりダメになってしまった」
構図的にも、下手で背中をさらして、上手の女の子にすがりつくのはすっかりダメだ。

「ここにいるのは、僕を内側から喰らいつくした、一個のモンスターだ」
完全に下手でフラフラだ。


↓「僕だけが残された」と言った時と似たような構図だが、

↓「一個のモンスターだ」と言う時の多蕗は

さらに下手寄りになって、顔が暗くなっている。(山内レイアウトは効果的だが、構図の種類の手数は少ないのかもしれない。基本的とも言える?アップの深さは細かく変わってるかな?)



舞台の位置的に上手でも、喋る時はほぼニュートラルな角度だった苹果だが、この時は多蕗を上手から見下げるような顔になっている。
この、「百年の恋も冷めた」ような顔!
キャシャーンSinsの達観した女のような顔!
カエル人間になった多蕗から逃げた苹果ではない。彼の本音を見て、そして醒めた。苹果は観客のように閉じ込められて晶馬を待ちわびて泣いているだけかと思いきや、多蕗に声をかけられたら、この初恋から醒めた女の顔になる。
誰かに取られたのでも、逃げたのでもない、醒めたのだ。
(小説版の苹果はちょっと心情描写が違う。ちょっとやさしい。というか、晶馬の事を考えてる)

輪るピングドラム 中

輪るピングドラム 中


ここで、物語のスポットは冠葉と陽毬に移る。これについては別の項目に譲る。



多蕗は見つめ合う冠葉と陽毬に背を向けるしかできない。

だが、陽毬は「多蕗さん。罰は私が受けます。だから冠ちゃんと晶ちゃんは許してあげてください」と言った。

陽毬の言葉の圧力に押されて小さくなる多蕗。

一気にカメラが逆向きに成る多蕗。おそらく、ここで何かが切り替わって決意したのだろう。



そして、陽毬を助ける。

不本意ながら、という顔をしながらだ。しかし不本意な顔だが、バストアップで構図的には安定したように見える。止め絵パンだし。王子様のポーズだし。
やはり、彼も色々と画面を行ったり来たりしていたが、悪にはなりきれなかったんだろう。それで、陽毬を助けることで自分の中の何かの安定を取り戻そうとしたんじゃないだろうか。
桃果が多蕗を選んだように、やはり多蕗の暗い心のもっと底には光があったんじゃないだろうか。
幾原監督も「輪るピングドラムには悪人を出さない」ってインタビューで言ってたし。
ギリギリだけどね。冠葉の手はズタズタになったし。






「僕のようになっちゃだめだ」
多蕗は罪を自覚する。そして自分の強い意志で上手に移動する。
だが、恋から醒めた苹果と目を合わせる事はない。

苹果の顔は映らない。

そして、多蕗はまたエレベーターと言う鳥籠に籠る・・・。桃果と出会う前の鳥かごに。

柵越しに去っていく多蕗を見る時に苹果の顔が出る。この表情はニュートラルで、僕はよくわからない。



エレベーターを降りた多蕗は、また鳥籠のような金網の中で、自分と同じく桃果と言う因縁に捕らわれた妻と対面する。


多蕗はゆりをこの復讐の場所に招待したけど、ゆりはその着信を無視して真砂子と戦っていた。
多蕗はゆりにも復讐を願っている事を隠していたし、ゆりは多蕗をつまらない夫だと思って着信を無視していたのだろう。仮面夫婦の心は最初から離れていたんだ。
二人とも桃果の方だけを見て相手を利用することしか考えていない偽の夫婦だった。

それを告げた時、ゆりは初めて激昂し、心を曝して多蕗を打った。初めて同志だと感じたのかも。下手から上手へ意志をぶつける。

だが、もう遅い。多蕗は自分の意思でゆりとは違う方向に、ゆりの意志の方向と直角に、画面下の右手に去っていく。

転じて、ラストカットは最下手から退場する所が小さく映るのみ。もう、彼は演劇的には終わった存在、去っていくだけの人と言う事だろうか。金網の奥へ、彼は落ちて行く。
桃果に救い出される前の鳥かごに戻る。
彼はもう、子どもブロイラーで少女に助けられる事もなく、何者でもない大人の男として余生を過ごすのだろうか。


追記:多蕗は「私のためにいてほしい」と言ってくれた桃果に去られてしまい、その恨みを高倉剣山にぶつけようとして呼んだのに、「父親に来てほしい」と幼少期のトラウマも絡んで呼んだのに、桃果も剣山も来なかった。高倉兄妹や荻野目苹果とも、妻とも別れ、一人ぼっちの鳥かごに戻った。彼の願いは聞き届けられなかった。


悲しい男だ。多蕗は。
でも、人生ってそんなものかもしれない。親の因縁を断ち切ろうとして無茶をやっても、自己完結する限り、結局は鳥籠の中に戻るしかないのだろうか。眞悧のような世界の声を聞けるものに操られる個人でしかないのだろうか。
では、他のキャラクターはどうだろうか。
真砂子はこの金網の外にいる。


しかし、こいつ、多蕗って母親の関心を引こうとして甘えて指を折ったり、桃果を気にして小学生のころから自分の時間を止めていたけど、なんだかんだと言って公務員には成れているんだよなー。
仮面夫婦とは言え、豪邸に引っ越したんだし。
なんか、ぜいたくな悩みって感じがしなくもない。
生活できるんだったら、別に心に引っかかる所があってもそのままダラダラと生きて行けばいいんじゃないっすかね。
で、生活にリアルに困窮しているのが冠葉である。と言う事は次のエントリで書く。


ていうか、次回、多蕗は爆弾事件の後、学校に行けるんですかね。小説も出てないし、わからん。