玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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輪るピングドラム第22話3「美しい棺」を止めるのは何か

前回、前々回の22話についての感想で、「命を捨てて社会と戦う人の美しさ」と「生き残ろうとする社会の何者にもなれない醜さ」について書いた。


だが、真砂子が「全てを捨てた父は美しい棺だった」と、その美しさを全面肯定していない。冠葉が命を捨てて社会と戦って殺すのも、眞悧に陽毬を餌にされて操られているようでもある。陽毬が神様(眞悧?)に「私が見て見ぬふりをして冠ちゃんから奪ってきたすべてを、命をお返しします」と言って命を捨てる自己犠牲も、冠葉を止める事は出来ず、むしろ冠葉の憎しみをさらにたぎらせることになりそう。そもそも、番組開始前から「お返しします」という陽毬に眞悧は「君たちは決して幸せになれないよ」と告げている。
戦いの美しさ、命を捨てる人の潔さを描いているが、それを無条件に肯定してはおらず、その影の部分も描いている。
自己犠牲は美しい。だが、それが本当に良い結果をもたらすのか?
むしろ、自己犠牲や殺人以外で何か世界と折り合いをつける方法は無いものか?


順番に整理しよう

  • まず、ダブルHからの幸福

かわいい。この子たちが良い子で本当に良かった。

最初、前回死んだ覗木記者みたいな色合いの服装をしていたので、この子たちも陽毬を嗅ぎまわりに来たのかな?っていう疑惑が発生したよね!

ちょっと不安になって、苹果ちゃんと一緒になって「怪しい!」って思う。
でも、
帽子を取ったら美少女!


あと、服は着替えてないのに、髪の毛の色でカバーして、カーキ色の服の不審者っぽい印象から、一気に赤と青の美少女って印象に変えるカメラワークがすごい。顔のアップとボリュームのある髪を後ろから映す構図で、色を変えてる。上手い演出。
あと、三宅麻理恵さんは一人二役だけど全然違和感がなくてすごいなあ。


それはそうと、ストーリー的にもダブルHが陽毬とのつながりを持っていてくれたという事は、とてもうれしい事だ。
陽毬は自分の人生に意味がないって思っていたし死を願ったけど、陽毬の知らない所でちゃんとダブルHは陽毬の事を思って家に会いにきてくれた。陽毬はダメな子ではない。良かったね。
意地悪なストーリーなら、ダブルHは犯罪者に育てられた陽毬と知り合いになっている事が嗅ぎつけられたら困るから陽毬を無視する、という選択肢もあった。だけど、ダブルHはそういう危険を分かった上で変装してまでがんばって、家に来てくれた。そして苹果とも仲良くなった。
だけど、ここにも影がある。
彼女達は陽毬には会えなかった。彼女達は間に合わなかった。
また、ダブルHにマフラーを送ったのは眞悧だ。眞悧は高倉兄弟を追い詰めて、特に冠葉を追い詰めるために行動しているようだ。ダブルHのこのような美しい好意も、眞悧が絶望感を煽るために仕組んだ事か?それとも、眞悧が仕組んだのは、ダブルHにマフラーを届けて陽毬に好かれるようにする所までで、ダブルHが陽毬をたずねるのは眞悧の想定外?

  • 晶馬の後悔と、苹果の支え

苹果は「ダブルHが陽毬ちゃんに会いにきてくれたよ!」って明るく教えるけど、晶馬はその話題を全くスルーした。陽毬がいなくなった後に、今さらそんな小さな幸福があっても晶馬は辛くなるだけのようだ。

↑。陽毬の空白と、右側の壁による晶馬と苹果の圧迫感が伝わってくる構図。苹果が明るい話題のCDを置いているのに、右手側には暗い壁があって、喜びを妨害する感じ。アニメの演出ってこういう上手さがあるよね。
「もっと陽毬の気持ちを考えてやれば良かった・・・!」晶馬は後悔する。晶馬は女として苹果とくっついてしまったから、自分を男として見ていた義理の妹の陽毬を失ってしまった。
それに、晶馬は陽毬が死ぬと眞悧に聞かされたけど、冠葉のように陽毬の死を回避する戦いを起こさなかった。裏の仕事をしている冠葉を責めて逆に殴られた。晶馬は陽毬を生き延びさせるのは諦めたけど、陽毬の死を見取る勇気もなく、池辺の叔父さんの所に陽毬を一人で送りだした。晶馬と苹果は死んでいく陽毬とずっと一緒にいてやる選択肢もあった。だけど、晶馬は弱かったのだ。そして、晶馬は苹果と言う伴侶を得たので、陽毬と一緒にいるのは辛かったのかもしれないし、陽毬の価値が下がったのかも。苹果が悪いわけではないけど、男と女だからねえ・・・。
そして、陽毬はそんな晶馬ではなく、自分を女としても妹としても愛しているとわかった冠葉の元に行った。
晶馬が苹果とほとんど事実上夫婦みたいになっているから陽毬は選ばれなかった。けど、同時に陽毬が冠葉を選んだと言う面もある。
だからある意味晶馬は自業自得。晶馬は苹果がいることに安心してしまっていて陽毬の気持ちを考えないで、ただ陽毬と一緒にいるのが辛いって言う一時的な感情で手放してしまったのかも。
また、陽毬も前回苹果と楽しそうに話してたし、「晶ちゃんは私がいなくても苹果ちゃんがいれば大丈夫」って思ったのかも。実際、晶馬は愚痴っているけど、真っ暗な家に一人でいるよりは苹果に愚痴を言えるだけマシだし、苹果も晶馬のそういう辛い話を受け止めようとしてくれてる。「でも」とか「あんたが悪い」とか言わないで、通い妻のように支えてくれてる。
晶馬が冠葉と陽毬を失ったのは暗い事だけど、苹果がそれを支えてくれると言うのは、影の中の光だ。
ピングドラムは明るい事と暗い事を両方描いている。


  • ゆりの罪と多蕗の気付き

時籠ゆりの元恋人(レズビアン)の結城翼(朴ロミ)が、人気のないラーメン屋に入ったゆりを刺した。多蕗はそれをかばった。結城翼はKIGAの構成員と言うよりは、普通に復讐心のように見える。「世界をピース」とか言ってなくて、「君が悪いんだ!君は愛と罪のバロックなんだ!」とゆりに対してだけ言ってるので、世界を憎む企鵝の会とは違うっぽい。
で、そこでゆりをかばって腹を刺された多蕗は、その瞬間「どうして(桃果の友達の)僕たちだけがこの世界に残されたのか」「やっとわかった」。
なぜわかったのか?結城翼の刃に「愛されなかった者の辛さ」が込められていたからだ。そして、彼もかつては親に愛されない子どもだったのだから、同族の臭いで分かったのだろう。(ゆりも真砂子が生娘だと分かったのは、昔の自分と同じ匂いがしたからだろうし)
そして、とっさにゆりを守った時、自分を助けてくれた桃果の気持ちも分かったんだろう。言葉ではなく体の実感で。そうでなければ、あんな刺された時に「わかった!」なんて言えない。
愛されない者の辛さを客観視して、人を愛するために傷つく者の気持ちを実感した。


「僕らはあらかじめ失われた子供だった。でも、みんなそれは世界中のほとんどの子供が同じ。だから一度だけでいい。誰かの愛してるという言葉が必要だったんだ」
世界中の子供たちが愛されていない。だから彼らは子どもブロイラーで自分を殺して何者でもない大衆になる。そして、その大衆社会はまた新たに愛されない子供を生み出す。それに対抗して世界を燃やそうとするKIGAの会もまた、顔を失った者たち。そういう影がある。
だけど、そんな影に覆われた世界に自分が残された意味を多蕗は「誰かの愛してるという言葉が必要だったんだ」と解釈した。
多蕗は桃果を「特別で世界や自分を救ってくれる女の子」だと思い、桃果を失った後の自分は無意味だと思い、ゆりも同じように思っていて、世界を否定して桃果の足跡だけを求めて生きていた。
だけど、多蕗圭樹は、ゆりをかばった時に
「愛されなくて辛いのは自分やゆりだけではない」
「ゆりが愛さなかったせいで翼は歪んだ」
「でも、自分は桃果以外のために行動できた」
「自分は桃果を失った後でも、生きていた」
「桃果からの愛の言葉は一度だけで良かった」
「ゆりとの仮面夫婦は無意味じゃなかった」
と、一気に感じられたんじゃなかろうか。
小説版によると、多蕗は甘い蜜の部屋のモイラのように自分と世界の間に一枚膜があるように感じて、世界になじめない男だった。その膜を凶刃が破ったのが、怪我の功名だったのかも。


だから、多蕗は「桃果や親に愛して欲しいとねだるばかりじゃいけなかった。桃果に愛を貰った僕たちは、世界に残って、世界の他の愛されない人に愛してるってちゃんと言えば良かったんだ」
って、すごくわかりやすい、キリスト教の汝の隣人を愛するような事を、やっとのことで気づいたんだろう。爆弾事件まで起こして。
で、ゆりもそれに納得して、苹果に日記帳を返した。愛を求めるだけでなく、愛する事で、愛を育てていこうと言うこと。


そして、それは陽毬の「キスは消費される」と言うことへの反論になっているし、眞悧の「世界中の助けてって言う声が聞こえていた」「この世界は間違っている」と言うことへの解決策にもなる。
みんなが「助けて!」「自分を愛して!」って赤ちゃんのようにねだってばかりではなく、愛されなかった事に捕らわれてばかりではなく、自分から「愛してる」って言えば、みんなの心があったかくなるよね。って言う。
良い話だなー。

https://twitter.com/#!/highland_view/status/145091098375749632

HIGHLAND VIEW
きっと何者にもなれない人たち全てに、ヴェルタースオリジナルを配った方が早いんじゃないだろうか。こんな素晴らしいキャンディーをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じてくれるよ。そして今度は君が、誰かにヴェルタースオリジナルをあげる側になるんだよ、と伝えればいいよ。

って、おっしゃってるけど、全くその通り。

  • 陽毬は冠葉を止められない

だが、良い話で終わらないのがピングドラム。あと2回の波乱を残している。
陽毬は冠葉に「私はもう助からなくていい」「冠ちゃん、大好きだよ」と、言った。だから、それで冠葉の心は満たされても良いのだ。
だけど、冠葉は「愛された思い出だけで生きていこう」「これからは僕も人を愛していこう」なんて思えない男だ。

↑構図的にも、抱きしめる陽毬の上手側の愛よりも、冠葉の下手側の闇の方が広い領域を占めている。だから、陽毬の愛と別れの言葉は冠葉に届いていない。
むしろ冠葉は陽毬を失うことへの恐れに取りつかれて、「この世界を焼きつくす!」と言う。
冠葉は陽毬と家族になった事を覚えていて、陽毬が冠葉に与えてくれた「愛してるよ」という言葉の呪いに取りつかれていて、それを失うのを恐れまくっている。


そして、真砂子の愛にも正面から向き合うことは無かった。


真砂子と正面から抱き合っても、その後冠葉は撃たれて倒れる。


後ろから愛している、って言っても、届かないのか?苹果は18話のラストで晶馬を後ろから支えたけど。でも、その前に隣り合わせで「私は晶馬君のストーカー」って告白したし、真砂子は暗闇からキスをした。陽毬はプリクリの時に抱きあった。
どうやったら、愛は届くのだろうか?
「愛してる」という言葉は大事。だけど、それを本当に実感として伝えるのは難しい。
それができなければ、「美しい棺」の暴走は止まらない・・・。


陽毬は陽毬で冠葉と同じく自己肯定感が少ない子なので、冠葉を止めるのに「私は死ぬからもう充分」「私のために何かするのはやめて」と言う。でも、冠葉は「陽毬のために生きたい」と言う人だから陽毬が「死ぬ」って言う事は、陽毬が冠葉に「死ね」って言うのと同じ事だ。陽毬はそんなことにも気付かない小娘だ。
それに、陽毬は自分が冠葉を止めると言う自信がなさすぎる。もし、今回の冒頭のダブルHとちゃんと出会って励まされていたら、陽毬はもっと強い気持ちになれたかもしれない。だけど、そこですれ違いを描くのが、この物語の美しも残酷な所だ。


そして、陽毬は冠葉を止められなかったということに絶望し、池袋の水族館の幻惑世界に行って自殺してしまう。
対して、自分に自信を持っている真砂子は、自分の自信をぶつけて冠葉を止めようとするが、その思いも空回りして冠葉と上手く一緒になれない。
そして、冠葉は二人の妹を大事に思っているからこそ、彼女達を幸せな世界に残すために自分をぶち殺して世界を焼きつくそうとする。


みんな愛しているのに、上手く行かないっていうのが、本当に物語として上手い。愛は簡単じゃないんだよ!

  • 御恩と返礼の食い違い。

僕は、「愛されたから愛する」「守られたから守る」という、忠義や礼儀礼節のあるストーリーが好きだ。分かりやすいし、ハードボイルドだし。正義や倫理とは違うけど、やられたらやり返すっていうのは契約の基本でもあるし。
真砂子が「冠葉に助けてもらったから助ける」と言うのが全くそういうこと。
陽毬が冠葉に「もう充分だよ」というのも、それに近い。
だけど、陽毬は今回、冠葉に「俺たちが家族になった時、お前が俺に与えてくれたものを覚えているか」と問われて答えられなかった。
陽毬は自分が冠葉に何かを与えられる人物だって言うことを気付いてない。
多蕗の気付いた「僕たちには愛しているという言葉が必要だ」と言う事なんだが、陽毬は心が消費されているのか、「愛している」って冠葉に言っても、自分が冠葉に与えることができたなんて覚えていない。それは子供の時の何げない絆創膏の絆だから、陽毬は憶えていなかったのだ。
10年前の陽毬にとっては何でもない親切だけど、冠葉にとっては家族として初めて認められた重大な事。だけど、その認識のアンバランスさを冠葉は認識したくなくて、今回、陽毬との話を切り上げて戦場に向かった。


誰かのちょっとした親切が、周りの人にすごく大事な物に見える。こういう食い違いは幸せを呼ぶ事もあるが、不幸も呼ぶ。人間関係の難しさ。
陽毬のちょっとした絆創膏の優しさが冠葉に陽毬への大きすぎる思いを抱かせた。
陽毬は自分がダブルHにあげたマフラーは全然大したことないって思ってたけど、ダブルHは喜んでくれた。でも、陽毬はその事を知らない。
陽毬はお姫様だし、美少女だし、1話は居るだけで家の中をハッピーにする素敵な女の子だった。でも、本人はその自覚がなく、退屈に生きていると思っている。悲しい認識のずれだ。陽毬自身が精神的に本当に支えられていないからかな。晶馬が子どもブロイラーから救い出して妹にした時、陽毬は支えられたのだろうけど、今の陽毬は晶馬との絆を捨ててる。冠葉ともあまり上手く行かない。そして、また死ぬ。何度目だ陽毬の死。
死に芸に定評のある陽毬とケニー(サウスパーク)。


オーバーマン キングゲイナーというアニメが9年前に在った。これはコードギアス 反逆のルルーシュ大河内一楼さんが脚本構成をしたアニメです。監督は富野監督です。大河内さんは幾原邦彦監督の少女革命ウテナの小説版を描いていた人です。今で言うと高橋慶さんの位置です。
そして、キングゲイナーには黒いサザンクロスのゲイン・ビジョウっていう黒い王子と、アスハム・ブーンという白い騎士が出てきます。このモチーフはコードギアスルルーシュとスザクに似ています。そして、白と黒の王子と騎士というモチーフはセーラームーン少女革命ウテナ、(あとプリンセス・チュチュ)にも出ている構図です。
で、今回、ピングドラムキングゲイナーが似ていると思ったのは、「本人ではどうでもいいと思っている事」を他人が非常に大きく評価している所ですね。
貴族のシャルレ・フェリーベにとってゲイン・ビジョウは革命家としての仮の名前だったけど、主人公のゲイナー君はオーバーデビルの力を手に入れてもゲインへの憧れを優先してたし。
それと、アスハムは妹がゲインに妊娠させられた事を重大に思いこんでたけど、当の妹は「別にシングルマザーでもいいし」って思ってたり、認識の齟齬が面白い。
そこら辺の人物位置が、キングゲイナーピングドラムは似てるのかもしれん。ウテナ系譜的に。
ウテナ忘却の旋律を見てないのではっきりした事は言えんが。
ウテナコードギアスは白と黒の王子だってけど、スタードライバー 輝きのタクト輪るピングドラムは赤と青の王子だなあ。
いや、色が即、ストーリーに結び付くって言うわけではないですが。
スタードライバーだと、高倉冠葉がタクト、晶馬がスガタ、苹果がワコ、黒と白のプリンセス・オブ・ザ・クリスタルがニチ・ケイトって言うことになるねえ。いちおう、紫色の石田彰ピングドラムではもう決着したみたいだけど・・・。

自分にとっては虚像でも、他人から見たら憧れだったり妬みだったり、価値観の違いはままならない。
オーバーマンキングゲイナー 2526 エターナルフォース氷の中で望むもの(相手は死ぬ) - 玖足手帖-アニメ&創作-
オーバーマン キングゲイナー 2526 信じろ!君の幸せの青いオーバースキル! - 玖足手帖-アニメ&創作-

ゲインとゲイナーのすれ違いだけでなく、キングゲイナーは「みんな分かり合えないし、誤解ばかりだし、人生は偶然の連続だけど、それでも生きていこう」っていうラストが面白かった。交わらないイマジナリーを描いているピングドラムにも通じるかも?

  • 晶馬の最終決戦とは

「僕たちは全てを失った。それでもお前は続けるのか。 許さないぞ。決着をつけよう」
予告のこの晶馬の台詞。
晶馬は今のところ「個人のために他人を殺すのは良くない」という漠然とした倫理意識くらいしか行動原理がなくて冠葉の「愛のために自分も他人もぶち殺す」という行動を止められていない。
その晶馬が改めて「許さない」と言って戦うのは、どういう力によるものになるのだろうか。晶馬に新しい力が芽生えるのか。
全てを失ったと言う事は、家族や、陽毬の命を失ったと言うことだろう。それとも苹果までも失うのだろうか?
「お前は続けるのか」というのは、冠葉に向けてか、それとも眞悧に向けてなのか。

呪文と言えば、もののけ姫のラストのように晶馬と苹果が日記を合体させて、「バルス!」って叫んで終わったらどうしよう・・・。
あと、ドラえもんと言えばジャイアン木村昴だけど、「ピングドラムもしもボックスで作った世界でした」とかだったらどうしよう。
渡瀬眞悧の声の小泉豊さんはNHKにようこそ!の主人公の引きこもりの佐藤達弘役だったけど、「ピングドラムは引きこもりすぎて頭がおかしくなった眞悧が作ったギャルゲー」だったらどうしよう。
最後に「いつまで寝てるんですか!眞悧さん!」って言って坂口大助が起こしに来たらどうしよう。エヴァ最終回みたいになるwww