玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

無敵超人ザンボット3第5話 原発事故でより味わい深く

今回は避難民の悲惨さと津波が描かれて、非常に東日本大震災津波のニュースで見た映像に似ていて、35年も前のアニメなのに、リアルですごいなーって思った。でも、よく考えたら当時も1960年のチリ地震による三陸海岸津波を踏まえているので、津波は何度でも来るよなーって思った。
そんな5話。

5話(1977/11/05)放送 海が怒りに染まる時 脚本:五武冬史 演出 :貞光紳也 作画:スタジオZ(金田伊功メカブースト怪獣:ガルンゲ

ザンボット3における初めての金田作画回という事も相まって、非常にショッキングであり、初めて見たとき、僕は地震PTSDを思い出して吐き気がして震えが止まらなくなった。まあ、僕自身が気分変調症という慢性うつ病のような体質だから、という事もあるのだが。それくらい体に響くアニメだった。


と、いうか、富野由悠季核兵器を登場させなかった作品がファウ・ファウ物語とガーゼィの翼と王の心とラ・セーヌの星と「正体を見る」くらいじゃないのか?というくらい、核の描写をライフワークにしている。そういうわけで巨大な力=原子力と置き換えても良い。
海のトリトンオリハルコンはエネルギー源と武器に成り、使用した者の健康を損なうという所が原子力のメタファーである。キングゲイナーではオーバーフリーズ鉄道がICBMネットワークのメタファーである。そして富野はそのキャリアをアトムからスタートさせた)
今回はそういう話である。
2011年の3月11日の東日本大震災で、被災した僕もアパートを引っ越して関西に逃げた。その土地にいる人たちは軽く逃げられないので大変だと思う。
それはそれとして、「3.11以降、世界の見え方が変わった」という人も多い。だが、「3.11」という東日本大震災に関連するいくつかの事だけがそれほど華々しいものだとは僕は思いたくない。
だが、2012年に自ら体験した揺れや避難や寒さや停電や不安や津波(これは映像のみ)や人の死(これは伝聞のみ)という最近の個人的記憶がアニメの見方に影響をするという事はある。あくまで、アニメの見方である。
まあ、世界の見え方なんか、それこそ毎日読んでいるものや見ているものや聞いたものなどで変わり続けるし、生物的老化や流行にも左右されるんだけど。


でも、今回のザンボット3地震っぽかった。

  • 避難する所が地震っぽい

そもそも、コン・バトラーVの感想の
超電磁ロボ コン・バトラーV 17〜20話アニメと科学の矛盾の富野 - 玖足手帖-アニメ&創作-
富野回の19話でも書いたのだが、各話完結の怪獣退治特撮やロボットアニメはどんなに甚大な被害があってもヒーローが怪獣を倒して次の週になれば元に戻ってしまうのがセオリーだった。(あー、キャシャーンとかテッカマンとかゴーダムとかタツノコ悲惨系は見てないので、すみません。キャシャーンは見れそうです)
でも、ザンボット3では4話までの戦闘で主人公の地元の駿河湾一帯が壊滅して、そこに住んでいる人たちが避難する事になった。先週までの被害が連続ドラマとして続いているのは、当時としても斬新だし、最近でもあまり見られない。(スタッフ間の連携が難しいからな)
新世紀エヴァンゲリオンが各話完結の戦隊物、トランスフォーマー勇者シリーズエルドランシリーズなどが多かった90年代で「先週の使徒の被害がまだある」という所で斬新だと評価された。
Vガンダムは被害を引きずるけど、ガンダムなので戦場が移動する。もちろん、Vガンダムエヴァに与えた影響は大きい。
被害や世論や状況が毎週ごとに繋がって、緩やかに変動するという大河ドラマ的手法のSFアニメで、成功したのは近年でも少ないのではないかな。ガンダムWコードギアスは国の支配者の変化を強調して割と頑張ってた。ガンダムAGEは70年経った気がしない。


あと、住む場所を亡くした避難民がとりあえず行く所がないので、行った先にもあんまり希望がないけど、とりあえず行列に成って歩くのが、地震の後の帰宅難民や、原発事故の避難民を思い出して、気分が悪くなった。

  • 神ファミリーが穢れとして扱われている

この、神ファミリーが支援物資を避難民に分け与えようとして、断られた上に支援物資を壊されたり、触れることすら、うとまれる、ケガレとして扱われている所が東京電力っぽかった。
「地球から出ていけ」「お前たちがいるから俺たちはこんな目に合うんだ」と罵声を避難民に浴びせられている所が東京電力っぽかった。ここら辺は、原発がなし崩し的に再稼働決定した2012年の6月という今見ることで、味わいが増して面白い。
(僕は原発はキチンと運営できるなら、稼働しても良いというスタンスだが、この星の人類の政治にはその能力がないと分かったので、もう人類には期待せず、アニメを面白くするスパイスとしてだけ利用する事にする。)


基底現実の東京電力と政府は、1年以上たっても実効的な方針を決定公布しておらず、原発事故当時の発言の揚げ足取りに終始し、なし崩し的に原発を再稼働させる。まったく愚かなことだ。
だから、まあ、基底現実の電力会社に対して「原発反対」とシュプレヒコールを上げる事は、アニメの中の頑張っている神ファミリーを排斥する事よりも多少は筋が通っている。ただし、現実の原発事故の収拾には、やはり電力会社なり行政職員なりの実務が必要であるので、完璧に排斥したり処罰して作業効率を下げる事は避けるべきであろう。だが、その命令系統が機能していないと一国民の目から見ても思う。


まあ、基底現実の話は余談だ。アニメに集中しよう。
とりあえず、こういう「力を持っているもの」「被害の原因の近くにいるもの」に大衆が「手当たり次第に鬱憤をぶつける」という感情の発露という現象は、ザンボットでも現実でも似ているな、ということだ。


本当の原因である、宇宙人ガイゾックや原子炉心など、ほとんどの国民は理解していないし、手をつけられないし関与できない。だから手近な神ファミリーや電力会社を穢れの対象として憎む事で精神のバランスを取る。似てる。

大衆はガイゾックの事を知らない。とりあえず「宇宙人の怪獣が人を殺している」「それと地球に潜伏していた宇宙人のロボットが戦っている」という程度の認識。「宇宙人同士で八百長試合をやっているんだろ」という香月少年の言葉は、勝平に個人的に執着する彼の思想だったが、いつの間にか駿河湾一帯の避難民に伝染している。というのは、もちろん今回の事で酷い被害がもたらされたからなのだけど。
このように、人間たちの限定された情報認識能力、情報を理解して自分の行動に役立てる力の欠如は、情報弱者と言ってしまえるだろう。もちろん、情報自体がどれだけ入手されているか、どれだけの通信インフラが確保されている状態なのか?という疑問はある。
勝平達の街は富士山の裾野にあり、観光客船もあったので、とりあえず避難民を乗せて、焼津港で燃料を補給して第一避難キャンプ、第二避難キャンプに向かう、という、意外にも統制のとれた避難活動を行っている。第一、第二避難キャンプを設定したのが行政のどのレベルかという事はわからないが、基底現実の原発事故の後の小学校の体育館にすし詰めに成っていた状態よりは、よりは迅速な対応かもしれない。もちろん、東日本大震災は災害地帯が広かったり、色色したんだけど。
そのような情報計画はザンボットの作中の大人たちには、ある。


だが、ガイゾックは既に今回初めて完成させた1機の戦闘型メカブーストでパリやロンドンも焼き払っているのである。果たして、避難する場所があるのかどうか?地域の避難は頑張っても、地球の裏側の事はわからない、情報弱者としての不安感がある。そして、その事はガイゾックの基地を覗きこめる視聴者しか知れない事で、不気味だ。
富野のロボットアニメ第一作の勇者ライディーンでは一話冒頭の世界同時巨大地震で人類の大半が破滅したのだが、スーパーロボットの文脈に吸収されるにつれ、被害は毎週回復している。だが、ザンボットはそんな事がないリアルタッチのアニメのようだ?なら、絶望しかないのか。このアニメの人々には・・・。

そう、神ファミリーもガイゾックの実際の姿は知らない。大衆よりもガイゾックの生態について詳しい。だが、現実にガイゾックがどういう戦略目標、どういう戦術設定をしているかということは主人公たちも知らず、場当たり的に攻められて戦っているのが5話の現状。
そして、神ファミリーは支援物資を持っているのに、支援物資が人々に受け入れられないという事を知らないで、無駄に支援物資を渡そうとして品物を壊される。また、4話であったように、神ファミリーも不慣れな宇宙兵器を古文書を頼りに無理矢理操作している情報弱者だ。「戦ってみなけりゃあわからん」と、指揮官の神北兵左エ門ですら言う。
ここら辺の泥縄的な対応は、原発事故というわけのわからない異常事態に対応させられている電力会社を思い出させる。もちろん、電力会社のマニュアルの不備は指摘され、今後に生かされるべきだが、日々の業務をこなすサラリーマンであった電力会社の人が万一に備えるというのは難しい事だっただろう。(まあ、原発の危険性はもっと数十年前から検証すべきだった。だが、それができない弱者が人間の限界ということだ。怠惰なんだよ。怠惰にならないと過労死する。人間はもろい)
そういう現実の電力会社と対比すると、神ファミリーは「宇宙人の襲来という万一に備えて、ギリギリのタイミングであるが戦闘ロボットと戦艦を発掘した」というのは賞賛すべき事だ。コンVの南原博士と同じなんだが。ただし、南原博士は科学的権威と国連への影響力を持っていたが、神ファミリーは普通の家族という一面もあり、自体はややこしい。
神ファミリー自身も被災者でありながら、自体への対応に当たらなくてはいけない。ここら辺は電力会社以外の公務員や警察や消防や自衛隊や医師など・・・の人々にもシンクロさせられる。
そこら辺を考えると若い公務員の給料削減は余裕を無くして危機への対応能力への余力を削ぐので危険かもしれないが、不況なら死ぬしかないな。(余談)

  • 精神的弱者としての神ファミリー

今回、印象的だったのが神江宇宙太(ザンブルのパイロット)の母の神江すみ江さんが、戦艦内の部署移動をする時に神勝平の母の神花江さんと「お邪魔いたしまして・・・」「いえいえ、お構いもできませんで」と、まるで日常生活をしているかのように、戦闘の緊迫感のないやり取りをした所だ。格好付けたがりの少年の宇宙太はその母親の行動を嫌がる。
やはり、神ファミリーは力を持っていても、精神的成熟をしていないと言える。戦場という意識が低い。


さらに酷いのは主人公の神勝平だ。こいつは救援物資を巨大ロボットで運んで、人々に投げて渡す。失礼である。当然怒られる。その程度の事がわからない中学1年生だ。
そういう態度を旧友の香月(神ファミリーを憎んでいる)にとがめられた勝平は逆ギレして、巨大ロボットで生身の香月を殴る真似をする。殺人未遂である。だが、勝平は馬鹿なガキなので、「友達をちょっと殴るふりをしておどかせた」としか思っていない。その程度の精神しか持っていないのである。
また、怪獣が襲来した時に、駆けつけた仲間の宇宙太のザンブル、神北恵子のザンベースが的確に怪獣に砲撃した時、「(戦闘を)あいつらだけで楽しんでやがる!」と怒った。彼はロボットアニメの玩具で遊ぶ子供のように「戦う事は楽しい」と思っている。睡眠学習によって恐怖心を虐殺器官の主人公のようにマスキングされているのかもしれない。それとも、ただ単に馬鹿なだけなのか。プリキュアとか、毎週被害が回復するロボットアニメや人が生き返るドラゴンボールならそれでいい。ギリギリ、戦いを楽しむ事はギャグで済む。しかし、実際に人が大勢死んでいるザンボットの戦場で、子供が無邪気に遊ぶかのような事を言うのは恐ろしい。
ロボットおもちゃの宣伝アニメなので、ロボットを楽しく動かすのは子供を喜ばせる。それを逆手にとって不安感を演出するという、非常にアクロバティックな手法。魔法少女まどか☆マギカ魔法少女に憧れるまどかが残酷な物語に落ちて行く所に似ている。
ここら辺、ゆとり教育ゆとり世代のぼんやりとした想像力や現実感の希薄さを感じる。35年前も、若い子供はダメだったんだなーって思う。というか、戦争を知らない子供たち、学生紛争を詳しく知らない子供たち、という事なんだろう。
押井守の映画のような革命に乗り遅れた子供という感覚は、既にザンボットで芽が出ているのだ。


震災以降、ポストモダンの精神論というのは、35年前からあったと感じる。アニメで描かれる習俗を描いたアニメ見る限り。
3.11以降世界が変わったとか9.11以降、95年以降、と言うポストモダン社会学者の人は単にそれ以前の事を忘れただけではないか?という気もする。世界の終わりや国体の危機などと言うのは、有史以来何百回も何百箇所で繰り返されてきた事だ。多少、内燃機関やコンピューターは発達したが・・・。科学も平和が維持されないと、二千年ほど前に焼かれたアレキサンドリア図書館のような暗黒を迎える。石油もいつまでもつか・・・。

  • 戦術的弱者としての神ファミリー

今回、怪獣とザンボットの戦闘の流れ弾が港と避難船に直撃して、怪獣との戦闘による津波が避難船を直撃して人が大勢死んだ。
これは、ある意味不自然だ。大量死による神ファミリーへの怒りと言うストーリーの軸を描くために、取ってつけたような印象を持ってもおかしくない。不自然にザンボットが怪獣をおびき寄せ、戦場が沖合から港や船の近くに移動している。
だが、これはこれで仕方のない事だ。なぜなら、神ファミリーは戦術的に素人だし、メインパイロットは13歳のクソガキだからだ。「敵の弱点が分かった」「敵をやっつける」「そのために敵を引き付ける」という、戦術の小さな目的にパイロットの勝平と一太郎達キングビアルの人々が舞い上がって、戦闘の興奮状態に成り、「人々を守る」という大きな戦略目標を見失ったがために、人をよけて戦うという事を忘れたんだろう。そのための事故。
ここら辺も、原発事故での不手際を連発している政府や電力会社を思い起こさせる。異常状況の興奮状態で平常と同じような判断ができなくなるという事はよくあることだ。
ザンボットの主人公が子供や素人だという事もある。
ちなみに、決して僕は電力会社や政治家や官僚を擁護しているわけではなく、人間は所詮ホルモンバランスに思考を左右される猿に過ぎないから知的行動に限界があると諦めているのだ。


また、ザンボットの動きだけでなく、避難船も港をやられた事で右往左往してしまって、戦場に迷い込んだのではないか?と推察できる場面がある。こういう風に、短く、効果的なカットを連続させて状況を揺り動かすことで、不幸な事故を「ストーリー上必要な犠牲」というドラマツルギーから「人間が人間としての限界を持っているから起こった不幸な事故」というテーマ性に昇華している。これは演出構成の力だ。

  • 弱者しかいない世界

つまり、避難民はもちろん弱者だが、ロボットを操る神ファミリーも弱者であり、万能の救いはないということだ。

でも、メディアは悪い人を見つけようとするばかりでさ。誰の責任なのか、みたいなことばかり言って。そんな悪人はいないこともみんな分かっているのにね。ただ、みんな弱いだけなのに。だから対比的に描いてみたいと思ったんだよ、恐ろしいことに照らされる「愛しいもの」を。
輪るピングドラム東日本大震災について幾原邦彦
引用元:季刊エス10月号(飛鳥新社刊)

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幾原監督はかなりディープな富野ファンなので、感性が近いよね。
TwitLonger — When you talk too much for Twitter
↑94年ころに出た同人誌「逆襲のシャア友の会」に掲載された幾原、小黒祐一郎庵野秀明の談話。


でも、被災者も弱く、ロボットや権力を持つ神ファミリーも政権も弱い人間に過ぎないとしたら、災害で愛しいものを失った事から発生する怒りをどこへぶつけたらいいのか?
そこで、今回のラスト、香月はザンボットを憎む。徹底的に憎む。カイ・シデンの声で徹底的にな。
神ファミリーも完璧な強者ではない。だが、香月の目の前では身寄りを亡くした香月自身よりは強そうに海に浮かんでいる。それは1話から通じる勝平への嫉妬心と混じり合い、強固な怒りに変わる・・・。


香月については、第6話も絡めて語りたい。


とりあえず、本当に人間ってバカだし、弱いし、もろい存在で、かなしいな・・・。弱いくせに戦って、嘘の強さを誇示しないと生き残れない。辛い。寒い時代だ。
暖かいもの・・・見つけられるかな・・・。

  • スタジオZ作画と演出について。

お題目を語るだけで、だいぶん長くなってしまって、割とげんなりしているのだが。絵の面について。
かなりの衝撃を受けた。
超級!機動武闘伝Gガンダムのような表情を持ったロボット、アグレッシブなポーズを取るロボットのアクション、勇者シリーズスーパーロボット大戦にもつながる金田伊功の才気がほとばしっている。だいたい70年代の作画の中でも低レベルだったザンボット3が、金田作画の所だけ80年代のアニメブームを先取りしたような精密かつキマッた絵で非常に印象的。
剣を振るうザンボットの絵としての格好よさが素晴らしい。出崎統的な過剰な透過光と、歌舞伎の見栄のような止め絵。格好いい!
だが、その格好よさが甚大な被害をもたらすという皮肉な残虐性。
まどか☆マギカに似てるなー。やっぱり。
それ以上か?むしろ宇宙戦艦ヤマトベトナム中東戦争へのアンチテーゼ?いくらカッコよく戦っても、市井の民は死ぬ。戦闘の爆発に巻き込まれた女性たちの服が破れて裸になってしまっているのも、お色気シーンと言うよりは普通の爆発現場の死体の山だ。
作画の暴走が、演出的なショッキングを与えている。

金田伊功スペシャル

金田伊功スペシャル

前半や戦うシーンで、勝平は割とギャグ顔、変顔を3コマ作画に割りこませて百面相をしている。この顔の崩し方も80年代のパロディ萬画にかなり引用されている顔のパターンで、正直、ちょっとふざけ過ぎな感じがして好きではない。だが、この逆顔があるからこそ、ラストシーンで勝平がガールフレンドのミチに決定的に拒絶されてショックを受けるシーンが際立つ。
演出的だ。一コマごとのポージングや表情付けにも意味を付加したような作画で、芝居でありつつも演出も兼ねているような、アドリヴの利いた作画が印象的だ。ここら辺はいわゆる、金田作画、と言うものなのだろうか・・・。世代的には金田さんよりも大張正巳さんの世代なので、あまり金田作画は詳しくなくて、氷川竜介先生の講義を1コマ受講した程度。金田作画は作画でありつつも演技はで意味合いすら変える性質があるという事だそうだ。
また、今回は派手なアクションや変顔や上手なイラストタッチの作画だけでなく、小さく描かれた人物の丁寧な小芝居の仕草の描写も多く、富野的だと感じた。富野アニメは小芝居が多いのだ。脇役とか、画面の隅での芝居など。
ここら辺は演出指示なのか、作画のアドリブなのか、相談の上なのかはよくわからないけど、富野アニメのこういう部分は一貫して好きなので楽しかった。

  • 富野コンテじゃないけど、富野臭が強い

今回の絵コンテは表記なし。
演出は貞光紳也さん。コンテも貞光さんのようだ。しかし、絵コンテは貞光さんと明記されていない。富野由悠季全仕事では「演出:貞光紳也 絵コンテ:(貞光紳也)」という表記なのだが。どうも、絵コンテレベルで富野が干渉した気がする・・・。まあ、監督だから直し入れるだろうし、今回はザンボットの中でも前回4話より精神的にハードで重要な回だと感じた。
1,2,4話は斧谷稔富野喜幸)がコンテに関わっている。
放送リストによると、7話以降、斧谷稔のコンテは減る。
貞光さんは、スタジオZの人で、Production I.Gに入って、赤い光弾ジリオン未来警察ウラシマンの演出等の人。強いコントラストの光の演出などは、ウラシマン的だろうか。
タツノコにも絡んでいたそうなので、ゴワッパーなどの悲惨なアニメの流れとして、被災者や都市崩壊を描いたのだろうか。
今回の演出の貞光さんは、はスタジオZ作画だから、絵コンテというよりは作画以降の作業の指示役としての演出、という気がして、絵コンテはどうもトミノ臭い・・・。
(まあ、上記のように演出意図を発生させる作画という側面もあるので、監督だけの手柄には出来ないのだが)


しかし、富野信者としては、脚本とともに毎回エンディングの冒頭に現れる「文芸:楯屋昇」という人物がどうしても富野喜幸ペンネームに思えて、毎回確信犯的にストーリー構成としてまとめて行ったんじゃないかと思う。
だいたい、他のアニメにおいて文芸という役職はあまりクレジットのトップに来る事はなく、実際の業務も広報だったり、アニメ雑誌に対する文章の執筆だったりするらしい。だが、この楯屋昇は影響力がある気がする。
楯屋昇と、斧谷稔(富野の絵コンテのペンネーム)は漢字の感じが非常に似ているし。たてやと、おのや(本当は、よきたに)。
ちなみに、楯屋昇は無敵鋼人ダイターン3の13話「前も後ろもメガボーグ」で、富野が絵コンテ、演出、作画監督を務めたツギハギ総集編の脚本である。非常に富野の偽装の匂いがする。全て富野がやると他のスタッフに嫌われるから偽名を使うと、富野はどこかで言っていた。
ただ、総集編だと複数の脚本家の連名と言う可能性もあり、楯屋昇は富野を中心とした脚本会議の法人格だろうか?東映八手三郎のような・・・。
ディープな富野ファンの子犬さんも、この件については触れている。


ダイターン再開しました | ひびのたわごと
やっぱり、富野がシリーズ構成も兼ねてたのかなー?
20年目のザンボット3で明かされるのかもしれないけど、見終わるまでは読みたくないなー。

20年目のザンボット3 (オタク学叢書)

20年目のザンボット3 (オタク学叢書)

持ってるけど、寝かせています。