たまゆら 〜もあぐれっしぶ〜第6話は主人公の女の子が、早逝した父親の思い出の場所をたどって、父親がいい人だったということを、父の知人の人たちから教えてもらって、温かな気持ちになる良いアニメでした。
佐藤順一監督らしい、穏やかできれいなアニメでした。
でも、僕は素晴らしくもない糞のような家計の機能不全家族に生まれて、ラブライブ!のソーシャルゲームを作るようなブラック企業KLab株式会社にしか内定がもらえず、私は社会恐怖障害や気分変調症、自律神経失調症、身体化障害を患い、それでも障碍者雇用で京都大学基礎物理学研究所に行って仕事をしていましたが、慣れない仕事を頑張ろうとした矢先に、私が家庭から心理的距離を置いたせいで、母親が自殺しました。
だから、母親のいい思い出はないし、あったとしても母親が子供の頃の僕を育ててくれた思い出で、育ててくれたのに、恩返しもできず、クズのような精神障碍者になってしまったので、やっぱり育ててもらった子供の頃の思い出も全部辛い。
『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の主人公黒木智子が激しくSADであることについて思う社会不安障害と向き合う | 社会不安障害と向き合う
わたモテより数百倍酷い精神疾患の30代男性です。
よのなかはたまゆらのアニメで描かれるほどやさしくないし、みんな不況でイライラしてるし、可愛くないし、人生は辛い。
死んだ人の思い出は温かくなく、死んで当然の苦行でしかない。
だから、たまゆらを見て僕は非常に虚構と比べた劣等感と、自分の糞さを実感して気分を害した。
だからと言って、一視聴者が不愉快に思ったからと言って、アニメが規制されたりするべきではないと思う。自分が傷つくか、精神崩壊するかどうかと言うギリギリの博打をしながらアニメを見るのもスリルがあります。
それに、僕のクズ性はたまゆらの中にある、人の温かさや幸せな感じには全く及びもつかないもので、たまゆらは素晴らしいアニメなのです。私は糞ニートだけど。