案の定、フリクリ信者が荒れているわけですが。
世紀末の思春期にフリクリにイカれちまってオールタイムベストだと思ってる人たちはオルタナにもプログレにも腹を立てているようなツイートを見れる。わざわざ晒したりはしないのだけど。
まあ、いったん落ち着こう。落ち着こう。お互いもういい年なんだから。まず落ち着こう。はい、深呼吸!
ぼくたちが行うべきはすでに起きてしまったレイプを糾弾することより、そのレイプが今後どのような意味を持つか考えることだ。もうレイプされちゃったわけだし。
幸いにして私は思春期にフリクリを見たいと思いながらだらだら19年も過ごしてしまったガンダムのオタクなのでフリクリ信者よりは冷静だ。フリクリはバンダイチャンネルで先週見た。感想も書いた。いつでも見れる状態だったのに見れてなかった人生はつらい。心を失うと書いて労働と読む。
というか、ガンダムのオタク、特に富野由悠季中心のオタクを25年もやっていると(Vガンダムの前は筒井康隆のオタクだった[余計ダメじゃん])、近年の外伝が本筋面しているガンダム界隈の怒号をよく聞いているし、レイプされ慣れてるんだな。(逆に大いに原作をレイプし続けた出崎統作品のファンでもある)
今さらフリクリ信者は18年ぶりにレイプされたくらいでガタガタ言ってるんじゃねえよ。こちとらはガンダムの富野監督の思いを何年も何年もないがしろにされて資本主義に利用されているガノタだぜ。もうガンダムーンだとか奈良茶とか知ったこっちゃねえ境地だし、安彦良和監督もCGロボのORIGINとか作っちゃうしさあ。
むしろ、トリガー勢が抜けたガイナックスから権利をとったI.G.プロダクションも、ガイナックスの文脈も、壮大なセルフ映画だったオネアミスの翼から、サンライズに遅れること10数年で、資本主義のプログラムピクチャースタジオになったんだなあ、という歴史の陳腐さを感じるね。結局、ファンの愛着とか芸術性とかも資本の論理に回収されて行くんだねえ。
で、この作品をどう評するか。英語圏には便利な言葉がある。
「It's not for me.」(趣味じゃない)
趣味じゃない、というだけでなく、「自分以外の誰かには刺さるかもね」「駄作とは言わない(自分は好きじゃないけど)」というニュアンス。
そう、この作品は僕らの方を向いていない。向いているのはアメリカ。外貨が欲しくてほしくてたまらない。ピロウズの全米ツアーの箔付け。
「オッケースティーブ。知ってるか?プログレの日本版のハラハルの声を当てているのはエヴァーのレイ・アヤナミのメグミ・ハヤシィバラなんだぜ?」
「ワーオ。ビル、そいつはクールだね。新作シリーズでは実質4人のハルコを楽しめるってわけだ」
「ハッハッハ!」
米国でプログレ+オルタナの合計12話がすでに先にi-tunesでネット配信された。
とにかく、6話×2を日本で映画で興行するってのは異常です。以上なうえに、苦痛です。6話×2シリーズのOVAだったら、一つ一つを吟味したりエンディングテーマを聞いて余韻を味わって、一つ一つに評判を出したり、それで制作陣が舵取り直したりすることができますが。
アメリカでは12話が配信されてるのに、日本は遅れて劇場公開というのが、なんとも。
また当初は全13話のテレビアニメとして制作し、それを再編集した劇場版を複数回に分けて公開する予定だったが、『シン・ゴジラ』のヒットを受け、焼き直しではない劇場作品を制作することとなった[46]。
『ダ・ヴィンチ』2017年12月号、KADOKAWA、195頁。どうも、アメリカに主な軸足を置いた企画では、日本でのネット配信とかテレビ放送というのが難しくて、シン・ゴジラのヒットもあって「劇場で」となっているような広告会社の政治的な動きが感じられる。アメリカのネット配信会社と電通などの日本のテレビ広告企業のパワーゲームが裏側にあると感じられる。
フリクリは国内よりもアメリカでヒットしたし、そのためにはピロウズは外せない。細かい内容は関係ない。フリクリとピロウズというブランドがアメリカでは重要だ。
また、アメリカの保守化とポリコレにまみれたディズニーやリブートを繰り返すアメコミ映画などのアメリカの映像文化の中では、多少自由に見えるジャパニメーションはまだ売り物になる。
それで、国外のファンにはとりあえずピロウズを鳴らしておけば買うだろうっていう舐めた態度。
で、そういうアメリカを向いた企画に対しては日本の内邦テレビ局は難色を示して、ネット配信も難しくて、結局劇場で、という流れになったのが今回の顛末じゃないのかな。
2時間半もの上映時間で、似たような構成の6話を見せられるのは苦痛だった。だけど、アメリカ様ではテレビ放送1クールするのが商品で、日本人は劇場で北米版より高いBDを買うコア層のオタクだと舐められてるんだよ。
アニメ作品じゃなくてアニメで商売する連中にコアなファンが利用されてるし、コアなファンは愛だとか執着だとか言う理由でホイホイ金を出して思うツボ。
オタクは盲目的に金を出すってみくびってる?
nuryouguda.hatenablog.com
そうだろ?マルコ。
この日本の地方都市を舞台にしているということになっているフリクリなのに、学生、クラスメイトには意図的に南米人、黒人、白人、ゲイ、レズビアン、トランスヴェスタイトが当たり前のように描かれている。
スマホでラインをやってるので2018年時点の日本が舞台だと思うのだが、なぜか市街地の公害にはスラム街が広がっていて、それは日本の風景ではなくむしろメキシコ。(まあ、移民政策いかんによっては日本も今後外国人グループやスラムを発生させる可能性はあるのだが)
(裏設定として遊園地は多国籍軍の拠点らしいので、外国人風の容姿の学生はその軍属の子供という暗喩かもしれないんだけど)
どちらかというと、もう、これは、序盤から「アメリカ向けのグローバルスタンダードなジャパニメーションでポリティカルコネクトレス作品商品でゴザンス」という自己紹介であり、「I’m not for Japanese.」という宣言なわけ。
それで、「ポリコレに配慮したディズニー準拠のアメリカ基準だけどotaku要素やanimeムーブはジャパニメーションとして尖っていて、アメリカのキッズ向けアニメやアメコミとは違った独特のクールジャパン製品でゴザイ」というわけ。
I.G.タツノコとしても、世界的にヒットした攻殻機動隊やアメリカをテーマの一つにしたRe:サイボーグ009の次の弾として、経営難のガイナックスからもぎ取ったフリクリブランドは扱いやすい商材だったんじゃねえのかな。
OVAフリクリは鶴巻和哉監督のプライベートムービーというニュアンスと各アニメーターや演出のアクトと、思春期前の小学生のノスタルジーと女子高生のアンバランスを巧妙に描いた榎戸洋司と、声優たちの熱が入っていたりふ抜けていたりする演芸の妙が唯一無二の者であり、そこが思春期やオタクへの入り口として経験した人がお熱を上げたものである。それは人によってはガンダムだったりヤマトだったりファフナーだったりウテナだったりプリキュアだったりする。
だからまあ、そういうフリクリ好きの人に不評を買うのはある意味当たり前というか、想定内でしょうね。だってビジネスモデルとして明らかに日本で2時間半×2の観客にとって苦痛な興業に対して、アメリカでは堂々テレビ放送ですからね。
っていうか、プログレが続編だとして、オルタナは蛇足というか、アメリカで1クールの枠を取ったけど制作体力としてプログレ6話しかできなくて、作画カロリーが比較的低いオルタナを付け足したんじゃねーのって言う邪推すらできる。
- Against what is not for me.
でも、逆に、それはフリクリらしさを内包しているのではないだろうか?と、フリクリファンとは言い難いちょっと引いた立場の僕は言っちゃうわけ。
去っていくアトムスク、帰らない兄、いない母、違う学校の女、伊達な女、振り向いてくれない美女、何のためにあるのか分からない施設、望まない力。
文豪ストレイドッグスになって我が道を行く榎戸洋司、スーパーバイザーというよく分からない役職の鶴巻和哉、半分しか出ない新谷真弓、権利を売り渡すガイナックス、分離したTRIGGER、制作の途中でいなくなる脚本。日本での興行より外貨を優先する会社。
誰も!私を見てくれないんだ!!
そうだよ。
この世界は君のために作られてはいないし、君以外の人は君に関心を払わない。大人のくせに自分のことで手いっぱいだったと歌った忌野清志郎は代替医療で死んだ。そういうものだよ。
そう思うと、プログレはそういう「not for me」感が強調されていたし、それはTRIGGERの分離や主要スタッフの離脱で取り残されたスタッフの気分なのかもしれない。
オルタナの大人たちの「積極的に悪意はないが、社会的には見捨てられて当然だと諦念が満ちている雰囲気」も、そうなんだろうね。
プログレはプログレで、
いなくなった父親、偽物の母親、特に意味もない奴隷労働、古臭い遊園地、レンタル彼女、偽りの家庭、統一できない自分、溶け込めないクラスメイト、去っていくアトムスク、観客の期待外れのヒロイン、声真似声優などなど、既喪失体験要素が満ちている。
それゆえに、ラストのいくつかの抱擁が救いのようにも見えるし、取って付けただけにも見える。
だが、これはただの絵だ。 しかもこれは海外向けだ。
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だからそう熱くなるな。体をいたわれ。きちんと栄養と睡眠を取れ。君の怒りは君自身の人生で本当に君の自分の武器を取る時のために取っておけ。
そもそも自分のギターで勝負できないスタッフの忸怩たる感情と、それでも名前を売ってやるために演出技術を誇張するような必死さと、それも過去の模倣でしかないのかもしれないという哀愁がある。みんな自分のことで手一杯なんだ。
そういう哀愁は嫌いじゃないし、もしこれが日本でもテレビシリーズとして、或いはネット配信として、各話を咀嚼して感情的に受け入れられやすいインターバルを挟んだ「フリクリに似せた新作」として作れば、「少女歌劇レビュースタァライト」程度の作品には成れたんだろうなあ。残念なことです。でもお金が絡んだらサヨウナラ。
World is not for you.
BUT,
Money is for all of you human.
AND,
Who is freedom for?
全く資本主義万歳だ!!動画を動かすには金がかかるって手塚治虫先生も言ってたんでさぁ!!
自分のために存在しないものをどう扱うか、それはここで語るにはあまりにも時間が足りない。疲れたので眠る。
地球の裏側の俺の知らない国のオタクに売れたらいいね。でも、それは俺とは関係の無いことだ。
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nuryouguda.hatenablog.com
君は僕にプレゼントを贈る世界と贈らない世界を選ぶことができる。
これも資本主義?いや、俺だってもうちょっと糊口をしのぎたいのさ。
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