玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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怪人による #仮面ライダークウガ 第21、22話 感想

 土曜日のゼロ時にチェンソーマンのジャンプ早売の感想を書いたわけだが。土曜日21時に仮面ライダークウガの配信を見て、その晩に感想を書いてしまいたかったのだが。三連休は先週とはうってかわった気温の降下とグラブルとFGOイベントのやりすぎによる眼精疲労により、筋収縮性頭痛を発症してしまった。まあ、僕は怪人(電気羊種怪人)なので、特定の条件で弱点が出るのは仕方がない。


Episode21”暗躍”、22”遊戯”
www.youtube.com


 それでなくても、今回のメ・ガルメ・レ戦は、ガルメからリントの戦士たちに対してゲゲルが殺人ゲームであるという通告がなされたり、未確認生命体第3号ズ・ゴオマ・グが妙な動きをしたり、ヌ・ザジオ・レが工作したり、ゴ集団から初登場したバダーがクウガを挑発したり、バラのタトゥの女と一条薫刑事が接触したり、人間ドラマもゴウラムとガルメの事件を中心にして色々とあったわけで、情報量が多い!(まあ、2話前後編構成なので忙しない感じはないのだが)
EPISODE 21 暗躍


 そういうわけで、体調不良で休載するか、概論にとどめて軽く書くかしても良かったのだが、やはりグロンギ怪人としてはルールに従って全話感想を書く、というゲームをしたいので書く。虐殺文法をブログに混ぜてリントをゆっくりと大量に始末すると言うゲームをしている。(ヌ集団だったので、ジャーザのインターネット環境を作ったり、リントの社会に溶け込むための手続きとか、アナログ派のザジオが出来ない、リント文化の研究とかインターネットとか、そういう雑用をしていました。武闘派の他の怪人からはいじめられていたのでダグバがクウガに執心しているスキを突いて適当に粛清から逃げたので、クウガにはちょっと感謝している)
 ゴセパ・ボドダゼ・ダダバグ・ヌ・リョウグ・ダザ!(俺は言葉で戦うヌ・リョウグ・ダだ!)


 この20年間で生き残りのグロンギ達もリントの戸籍をとって人間社会に潜伏しているのだが。(小説版仮面ライダークウガ参照)僕も健康保険に加入して普通に精神科に通院している。古代にはハルシオンとかSSRIがなかったので。
小説 仮面ライダークウガ (講談社キャラクター文庫)

 んで、精神科で前回の受診では「グダちんはセミプロだから自分語りを減らしたほうが受ける」って言われたし、11日の記事で自分語りを減らした富野監督のアニメ作品の分析で180ブクマ行ったが。


 今日の受診では「自分の論を浅くして、雑に書き飛ばした記事のほうが受けるんです。多分、僕は多重分割思考で考えすぎるオタクなので、考えが浅いシンプルな構造の文章のほうが読者にわかりやすい。カネ目当てに受ける浅い記事を書くか、自分の考えを出し切るのか、どっちがいいのか」って聞いたら、
医者によると「セミプロはアマチュアだから自己満足が優先でいいのでは?お金や広告収入をプロみたいに意識したら、それはそれでストレスになる」とのことです。
 忖度なしのアニメオタクブログをやります!雑誌編集者にはできない、アマチュアだからできる蛮行で戦うぞ!


 今回のクウガの感想も色々と複雑なので難しいのだが、自分の思いを吐き出すのがオタクのブログだから!
 クワトロ大尉も「個人的な感情を吐き出すことが、事態を突破するうえで一番重要なことではないかと感じたのだ」って言ってたし。僕も殺人ゲームよりオタク活動してるほうがたのしいと思ってリント社会に潜伏した怪人なので。むしろシャンゼリオンのダークザイドに近い。(まあ、怪人なので虐殺文法は掲示板に混ぜたりする)


 話の枕が長くなったけど、とりあえず、重要度から、人間、グロンギ、クウガの順番で書きます。

  • 責任感が高すぎる人間たち

 未確認生命体が1月に出没し始めてから、衣替えの季節になるまで週2くらいのペースで殺人ゲームが行われていて、外出自粛など社会への影響が出ている。
 子供の登下校も保護者同伴。しかし、科警研の科学者の榎田ひかりは未確認生命体の研究をするために徹夜して、ちょっと寝るために帰ってくる子供部屋おばさん。未確認生命体の事件が起こる前から研究熱心すぎて夫と離婚するというガチガチの科学者だが、息子と自分の写真を枕元に置くという、ブレンパワードのアノーア艦長みたいなバリキャリだ。
 登下校のときに他の子どもは母親に見てもらっているが、ひかりの子供の小学校低学年っぽい冴(さゆる)くんはひかりの母のおばあちゃんに付き添ってもらっているので、気まずいらしい。もうちょっと大きくなったら自分の母親が未確認生命体の研究をしていて、他の子供の親よりも事件に貢献しているということがわかるのかもしれないが、低学年なので「約束を破られても我慢する」という子になっている。


 前回、五代雄介は戦いでピンチになって、一回心停止して、妹が務める保育園の園児に芸を披露する約束を破った埋め合わせをした。復活したら自分の体調よりも園児たちの笑顔のためにあらためて保育園に行ってストンプを披露した。
 仮面ライダークウガは警察の描写が詳細だし、怪人もガチの殺人集団で怖いのだが、あくまでニチアサキッズタイムの番組なので、子どもとの約束を破るのは殺人よりも悪行かもしれない。(子どもは死の概念が薄いため)


 それで、外国人留学生にして考古学者のジャンは科警研でゴウラムを見学して古代文字の採取などをしたときに、ひかりが子供との約束を破ったのを彼女の携帯電話での会話で目撃して、ちょっと「よくない」と思う。まあ、ジャンも考古学者としてゴウラムの破片を見てはしゃいでしまって、未確認生命体第0号に父の夏目教授を殺害された夏目実加を傷つけた件があるので。研究熱心が時に周りの人を傷つけるということは身につまされている。あと、彼はルーマニアからの留学生で郷里を離れているということもあるし、本編ではあまり描かれていないが子供時代には鍵っ子だったらしい。
 そういうわけで、キッズ番組として子どもを困らせる榎田ひかりは母としては重罪人なのかもしれないが、彼女たち科警研のチームがグロンギの犯行と並行して即座に科学的な対策を打ち出すことで人間とクウガを助けることになっている。
 なので、子どもの視聴者にとっては榎田ひかりは子どもを困らせる母という面と、クウガを助ける才女としての面があって、ちょっと子どもには難しいかもしれない。(前の年の同じ枠は対象年齢が低いロボコンやぞ!)
 でも、子どもの時に一長一短というか、二律背反というものが人間社会にはあるという事を見て、その時に子どもがはっきりと善悪を裁けなくても、そういう世の中の難しさを見せるというのはある意味では正直な番組なんだよね、クウガ。


 ただ、人間社会は複雑怪奇なだけではなくて、ジャンに一度傷つけられた夏目実加が、ジャンとの共同発掘作業を経て仲良くなって、桜子さんとジャンの研究室にプリクラ付きの中学生らしいお手紙を送る、という人間関係の回復も描いている。
 人間は傷つけるときもあるけど、人間関係は修復されることもあるという。夏目実加は親をグロンギに殺されているけど、泣いているだけでなく笑ってプリクラを撮ってもいい。そういう人間の回復力というのかなあ…。


 で、メ・ガルメ・レが夜間に犯行をしないで、犯行予告を次の日の午前十時だと明言したことで、警察は戦いではなく操作をする猶予ができた。(理由はよくわからない。カメレオンの視力は夜間でも高いはずなのだが。普通に眠かっただけなのかもしれんが)杉田刑事は自分たちが撃った弾丸を回収して、そこに付着したメ・ガルメ・レの体組織のサンプルからカメレオン種怪人の光学迷彩を発光スタングレネードで麻痺させる作戦を作れた。
 撃った弾丸を回収するのは特殊部隊っぽくてかっこいい。杉田刑事たち警察官は戦闘の後にそういう現場の後処理もしていてスタミナがすごい。
 ニューナンブ拳銃は第一話からグロンギ怪人に対しては無力で跳ね返されているが、コルト・パイソンのマグナム弾は皮膚で跳ね返されていてダメージは与えられていないが、表皮組織を削る程度の威力は出しているのか。(メ・ビラン・ギ戦では一条薫刑事がライフルで怪人態に濃縮毒弾を撃ち込んでダメージを与えたが、今回はライフルの装備がない。というか、メ・ビラン・ギ戦でボートを運転しながらライフルによる迎撃も一人でやっていた一条薫刑事は異常。ボートの運転手くらい用意しろよ・・・)
 でも、コルト・パイソンが支給されているのは捜査本部のレギュラー刑事たちだけで、モブの制服巡査たちはナンブなのでかわいそうというか無力。
 ちょっと調べたけど、コルト・パイソンはアメリカでは20万円くらい1999$で買える。東京の所轄の巡査たちに20万円のコルト・パイソンを支給できるかどうかは謎。未確認生命体捜査本部にどれくらい予算を出されているのか…。ちなみに、ニューナンブはクウガの放送後に生産終了して、現在警察官が持っている拳銃のM360サクラはニュースサイトの試算ではだいたい9万円くらいらしい。コルト・パイソンが20万円なので、その半分の値段の拳銃を支給されているとしたら、費用対効果としてはコルト・パイソンをもっと持たせてもいいような気がするんだが。まあ、一晩でスタングレネードを用意する科警研もヤバいんだけど。警察も公務員なのでいきなり出てきた未確認生命体のために予算を組み直して拳銃を大量購入するのは難しいのかなあ。
 連射力が高いマシンガンとかコルト・パイソンよりもっと強力な銃はあるんだけどそれは警察が所持するにはリアリティがないという感覚なのかなあ。まあ、お話の都合上、モブの警察官が殺される描写も必要なのかもしれないけど、殉職手当も馬鹿にならんよなあ。いや、警察の銃による神経断裂弾が怪人に勝てるようになるのは終盤での盛り上がりのためにとっておいているという演出論はわかる。


 しかし、スタングレネード弾がメ・ガルメ・レへの対策兵器なんだけど、ガルメが指定した午前10時には少し間に合わなくて、警官に何名かの殉職者を出した。これもやっぱり、寄生獣とともにクウガに影響を与えたであろうパトレイバーと同じく、「警察の仕事は基本的に手遅れの対処療法」ということなんだろうなあ。警察も科警研も連日徹夜でがんばっているけど、少し間に合わない。つらいところだ。


 しかし、まあ、僕も一時期京都大学の付属研究所に務めていたのだが、めっちゃハンコ文化。何をするにも判子と上長の許可がいる。なのだが、メ・ガルメ・レが犯行を停止している夜間に一条薫刑事は特に上司に報告もせず独断で五代雄介と分担して未確認生命体のアジトを第3号の超音波から推理して単独で潜入調査して、バラのタトゥの女に返り討ちに遭う。(バラのタトゥの女はゲゲルのプレイヤーではないので一条を殺さないが)
 一条薫刑事の行動力も警察官としての責任感を超えてヤバいな!ゲゲル中のメ・ガルメ・レはアジトで休んだり他の怪人と口論したりしているのに、一条薫刑事は徹夜で捜査。深夜勤務手当を申請する気配もなく、単独でアジトに潜入。頑張り過ぎでは?それをバラのタトゥの女は「リントも変わったな」と評するのだが…。一条さんはリントの中でも突出してヤバい人なので…。
 それで、一条さんはバラのタトゥの女にやられて倒れていたところを第2話の夜明けのように五代雄介に救助されて覆面パトカーに載せてもらっている。クウガである五代雄介がグロンギのアジトの近くに行ったというのはグロンギ的にはヤバいかもしれないが、グロンギは一条薫刑事に見つかったことで五代雄介が来る前に撤収したのかもしれない。話の都合もあると思うけど、クウガが複数の怪人が居るアジトで戦いになったらやばいよな。(五代雄介がクウガだと知っているグロンギはこの時点ではバラのタトゥの女とゴオマくらいなので、五代雄介が一条薫刑事を介抱していても放置していたのかなあ)ここもちょっとBLっぽいよね。


 まあ、色々と変な部分は突っ込めるけど、とにかく未確認生命体の対処に係る研究者と警察官は労働者や組織人の枠を超えて頑張り過ぎな気がする。いやまあ、子供番組だけど。僕も過労経験者なので過労は本当に体を死に追いやるので…。それくらい怪人が危険ってことなんだけど。それまでのヒーロー物ではヒーローだけが怪人に対処してたけど、クウガは警察組織の一般人もがんばる。いや、まあ、その後の平成ライダーではあんまり既存の組織人による怪人への対処は描かれてないので、結果的にクウガが警察もの要素が突出してリアルな作品、という評価になっているが…。(響鬼の猛士はむしろ秘密結社)


 しかし、この時点でも一条薫刑事は五代雄介のことを対策本部には秘密にしていて、「警察としては表立って協力できないが、君の方で我々の作戦を利用してくれ」ってすごいふわっとした作戦立案。そして、五代雄介も「緑になった時に銃を貸してください」っていう。緑のクウガになった時に一条薫が近くにいなかったらどうするつもりだったのか?(クウガのモーフィングパワーはある程度形が似ているものでないと作れないので、小さな装飾品から武器を作るゴ集団より弱い?)まあ、五代雄介に事前にコルトパイソンを渡していて、五代雄介が職質されたら詰みですけど。
 まあ、結果的にちょうどよくペガサス・フォームのクウガにコルト・パイソンを投げ渡せたけど。一般人への重火器の無断貸与。うーーーーん。一条さんもギリギリのラインを攻めてるなー。というか判子で承認する文化の警察で…。ラストシーンがビルの屋上だったのも、クウガが空を飛んでいたというのもあるけど、バレないように拳銃を返してもらうために人気を避けたんだろうなあ。
 で、今回のラストシーンはガルメを殺して直後の五代と一条さんが屋上で語り合うワンシーンだけですぐに終わるんだけど。雄介は知らないけど、ガルメによってポレポレのおやっさんの姪の朝比奈奈々の演技レッスンの先生が殺害されていて、クウガの戦いも基本的に「手遅れ」ということなので。勝ったは勝ったけどあまり後味は良くなくて、怪人を倒したら、すぐに終わる。


  • グロンギ

 メ・ガルメ・レはズ集団で唯一ゲゲルを成功させてメに出世した上にゴ集団への出世も視野に入れていてすごい調子に乗っている。「舌から生まれたメ・ガルメ・レだ!」という名乗り文句の通り、他の怪人よりも日本語を覚えるのが早く、流暢にしゃべる。そして、ゲゲルの目的は狩猟ゲームで娯楽だと警察官にしゃべる。その情報は許可なくリントに言っていいのか?まあ、ガルメは調子に乗っているからなあ・・・。
 予告殺人をする割に、自分の姿がスタングレネードで晒されると逃げの一手。卑怯。だが、自分の戦い方を合理的に自覚しているとも言える。(実際、それで消え続けたまま一回成功してるし)
 でも、ガルメは卑怯者なんだけど、透明化出来ない状態でクウガに見つかった時は「舌から生まれたメ・ガルメ・レだ!」と名乗って一対一の格闘をする。グロンギ怪人って一人ひとりにキャッチコピーがあるみたいだし、クウガには名乗って戦うというような戦士としての最低限のプライドはあるようだ。
 マイティフォームなのに10メートル以上伸びるガルメの舌の打撃を初見で全部かわすクウガは超強い。
 しかし、透明化能力を復活させたメ・ガルメ・レは赤のクウガから離れて逃げているところを感覚を鋭敏にした緑のクウガに見つかって、上空からのブラストペガサスの射撃で爆死する。寄生獣の島田戦みたいだなあ。

バンダイ S.H.Figuarts(真骨彫製法) 仮面ライダークウガ ペガサスフォーム 約145mm 塗装済み 可動フィギュア

 ズ・ゴオマ・グも長野と東京を行ったり来たりしてゴのプレイヤーの武器の材料などを集めている。ゴオマはゲゲルの権利を取り上げられたが、結果的に飛行能力で移動距離が長い裏方として割と役に立っている。
 まあ、闘争本能は強いのでクウガを見つけると戦うのだが。マイティフォームのクウガのほうが強いけど、一方的にクウガがゴオマをボコボコにするというわけでもない、微妙なライン。
 あと、東京にグロンギが集まったのはバラのタトゥの女によると人間が多いからではなく、グロンギ自身の手がかりがあるから、ということらしい。長野の遺跡での素材回収も必要だけど、東京にも何らかの素材があるのかもしれない。(長野の遺跡跡も警察が警備しているはずだが、九郎ヶ岳遺跡とはちょっとズレたところにゴオマが探す素材があったのだろうか。よく殺人衝動を抑えたものだ)


 そして、ゴオマとクウガが戦っていると、驚異のライダー、ゴ・バダー・バ人間態が割って入る。弟のバッタ種怪人のズ・バズー・バ以上に初代一号ライダーを意識させるようにマフラーをなびかせてバイクを乗り回す。怪人なんだけど、明らかに格好良く見えるように演出されている。実際、バダーが今回登場して、クウガに倒されるまではこの後10話以上かかる。ゴ集団の実力者として印象的に活躍するバダー。
 未確認生命体に憧れる蝶野さんの考え方はビランに裏切られて間違いだったけど、仮面ライダークウガという番組の怪人は一人ひとりにキャラが立っていて、演出的にも格好良さをアピールしている。人間をゲームで殺すのは悪いけど、独自の文化と美学を持っていて、決して単なるサディストではない。(ジャラジみたいに獲物が苦しむ表情を見るのを楽しむ奴もいるけど)で、実際クウガの怪人はカッコいいのでソフビ人形やガチャポンフィギュアも割と売れた。(その後の平成ライダーはライダー同士の抗争が主になって、怪人のグッズはあんまり出ないのだが)
 ゲーム感覚で殺人をする怪人を格好良く映すのは倫理的にどうか?という疑問もあるが、怪人がかっこよいほうが、それをやっつけるクウガの格好良さが更に引き立つという演出論もある。実際、バダーのゲゲルでのバイクチェイスバトルは伝説。
 それに、オタクや引きこもりやキレる17歳のゲーム感覚の殺人と違って、グロンギの怪人たちは独自の文化と掟に従ってゲームをしている。
 そして、彼らは自分の強さに誇りを持っている。クウガと戦うときも、(大ダメージを受けて撤退するとき以外は)あまり逃げたりせずにタイマンをする傾向が強い。
 なので、同じ戦闘民族のサイヤ人みたいなところがある。サイヤ人はフリーザ様の下請けみたいになってしまっていたが…。
 なので、強さが正義なのか?というバトルものへの疑問点も仮面ライダークウガという番組は提示している。
 ただ、人間たちが時に無自覚に傷つけあっても関係を修復したり、相手の気持ちがわからなくても、「当たり前じゃないですか。人の気持ちになるなんて誰にもできませんよ。思いやることならできますけどね」というふうに尊重する気持ちがあるのに対して、怪人たちは自分自身の強さには誇りを持っているけど、相手には平気で悪口をいう。今回、メ・ガルメ・レは鎌状の武器を手にしたメ・ガリマ・バに対して「武器を持っているだけではゴとは言えない」と悪口を言い、ガリマに「数にこだわってばかりの時代遅れのメ」と言い返されて喧嘩になり、バラのタトゥの女に怒られる。
 人間たちも確かに近代化して重火器をもって戦うので、リントもグロンギに近くなったと言われても仕方のない面もあるのだが、グロンギと人間の違いは他人を思いやる気持ちの違いなんでしょうね。グロンギは自分より弱い奴は同族でもいじめるし、役割が終わったら殺害する。
 ゴ集団の怪人の一部は人間の文化を楽しみ、カミュの小説を読んだりピアノを演奏したりするが、「こういう文化を生み出す人を殺すのは良くない」という発想にはならない。リントの文化を楽しむけど、自分の殺人ゲームが一番楽しい。
 でも、殺人をしないにしても利己的でイジメや他人を蹴落とす出世が好きな人間は現代社会でも多くいる。


 しかし、グロンギにはグロンギの文化がある。ゲームで人を殺すのは人間社会の側から見ると悪いのだが、逆に考えるとゲームのプレイヤーになってない怪人は人間を殺さないという規律が徹底している。(ゴオマはそのせいでめちゃくちゃイジメられる)
 グロンギは腹部のゲドルート(ベルト)の奥にクウガのベルトのアークルに内蔵された霊石アマダムと同質の物体の魔石・ゲブロンを持ち、それで肉体を強化されている。(どうやって他の動植物の能力を何故取り込んだのかは不明だが、デビルマンや初代仮面ライダーからの伝統ではある)
 で、アマダムもゲブロンも隕石とか外宇宙からの何らかの影響で生み出されたオーパーツらしい。桜子さんが解読しているリントの古代文字でもアマダムについては畏れ多い神様のものという扱いで、あまり詳細に記述されていない。


 もし、グロンギが魔石による身体改造を個人ゲームではなく集団戦争に使っていたら、古代の人類は滅んでいたかもしれない。グロンギの魔石ゲブロンと同質のアマダムで強化された戦士クウガはグロンギに対する抑止力としての役割で、彼らを封印した。
 リントの方も霊石戦士やゴウラムのようなロボットを作って、グロンギのような強敵がいなかったら戦争になっていたかもしれない。グロンギもクウガも、身体改造のレベルは古代で平和に農作業をするため、というレベルを超えている。
 というわけで、グロンギもクウガも宇宙からもたらされた霊石という超エネルギーオーパーツを扱いかねて、振り回された被害者なのかもしれない。グロンギは戦争になって人類全体が滅亡しないようにゲームというルールを作った。(ラスボスのダグバは数日で三万人を殺害するが、他のグロンギのゲゲルが終わるまで我慢していた)
 リントの戦士クウガも力をグロンギに対する抑止力として使うという使命を持つことで、リント同士の戦争を回避した。
 そう考えると、グロンギもリントも神の気まぐれで生まれた強化人間同士の戦争による人類全滅を回避しようとして、ルールのある戦い、一種のプロレスとして霊石の武力をコントロールしたとも見える。なら、武力を振るって大量に殺人をしている現代人の戦争のほうが悪辣なのでは?という考えもできる。


 話は変わるけど、バラのタトゥの女、ラ・バルバ・デも人間の衣替えの季節に合わせたのか、ゴ集団が来たからなのか、ここらへんから白いドレスを着るようになって、髪型も凝っている。
 ズ集団やメ集団の衣服は人間から窃盗して雑にちぐはぐに着ているような感じだが、バラのタトゥの女やゴ集団は人間に近い服装、あるいはもっと凝ったおしゃれな服装をしている。特にバラのタトゥの女のドレスはかなり体のラインに合わせたドレスなのだが。人間に化けてオーダーメイドして買ったのか???ちょっとお茶目だな・・・。それか、ヌ・ザジオ・レみたいな裏方の怪人が衣装を作ってたりしたのだろうか…。(怪人は酒を飲んだりするらしいけど、普段の食事はどうやって調達しているんだろう。捕食殺人は2話のゴオマ以降は、あまり行われていないようだが。)


  • クウガ

 今回のクウガはゴウラムの飛行能力に助けられて勝った。しかし、五代雄介は最初は「ゴウラムの甲羅のどこに足を置け、みたいな古代文字はないですか?」って桜子さんに訪ねていて、乗るつもりだったのだが。実際は「戦士としもべ、手をつなげ。さらば大いなる飛翔あらん」ということなので、ゴウラムの前足を右手でつかんで左手で射撃をするという結果に。
 うーん。ペガサス・フォームは握力が弱いし、片手が塞がるのは…。まあペガサス・フォームは他のフォームより筋力は弱いけど人間よりは強いのだが。(ゴウラムに掴まる前にペガサスボウガンを引いてチャージしている)
 やる気になったらトライゴウラムで飛翔することもできる気がするが、そうすると戦いが一方的になりすぎるかもしれないのかなあ。戦闘機になってしまう。


 それはそれとして、高寺プロデューサーとは相互フォローだけど、五代雄介がどれくらいグロンギ語を理解していたのか確認していないんですが。
 五代雄介はズ・グムン・バがグロンギ語で自分のことをクウガ!と呼ぶのを聞いて、「そうか、(オレは)クウガか」と分かったので、もしかしたらクウガに変身しているときはグロンギ語がわかるのかもしれない。
 ちなみに、グロンギ語は日本語を置換文字しているけど、ゴウラムがしゃべるリント語(オダギリジョーさんの声を加工している)は英語がベースらしい。ちょっと調べたらファンサイトが出ますが、今回は飛んできた時に「I'm coming, sir.(おまたせしました、ご主人さま)」と言っているらしい。リント、イギリス人なの????


 で、ここからは僕の憶測なんですけど、なんで最終回に五代雄介が泣いたのかっていう伏線の積み重ねがあると思う。
 超全集や大百科のスタッフインタビューによると、杉田刑事が後半に殉職するという案もあったけど、テーマにそぐわないということでやめたらしい。テーマとは?
仮面ライダークウガ超全集 <下巻>

 その代わりと言ってはなんだが、五代雄介が下宿している喫茶カレー屋のポレポレのおやっさんの姪の朝比奈奈々の演技の先生が今回殺される。五代雄介が怪人から自分の命を守るために変身したのは白の不完全なグロウイングフォームのクウガだったけど、父を殺害された夏目実加のお通夜での涙を見て、人のために戦おうという、(Fateの赤アーチャーみたいな)自己犠牲の正義の味方になる決意をしたら赤のマイティフォームのクウガに成れた。
 なので、五代雄介が顔見知りの誰かを殺された個人的な恨みとか自分の感情や損得で戦うのはテーマにそぐわないということなのだろう。仮面ライダークウガは古代の先代クウガも含めて、世のため人のため、およばずながら、全力を尽くして人間の自由のために戦うのだ。


 で、今回、グロンギの目的が世界征服とか利益獲得ではなく狩猟ゲームという異質な古代人特有の文化であると明かされた。超常の力を持つ第0号、ン・ダグバ・ゼバのベルトを賭けたザギバスゲゲルを目指して儀式的に殺人をして力を示す、という祭事でもある。
 ここで、五代雄介の学歴と経歴が重要になっていく。
 五代雄介の父親は戦場カメラマンをしていて、雄介が小学6年生の時にアフガニスタンで紛争に巻き込まれて死亡している。(アルカイダによるとされるアメリカ同時多発テロ事件(9.11という言い方は気取った感じがするので個人的には好きではない)はクウガの放送の後に発生)
 そこで、雄介は外国人を憎む少年になる可能性もあったが、担任の神崎先生から「古代ローマで、満足できる、納得できる行動をしたものにだけ与えられる仕草」、 「お前もこれにふさわしい男になれ」とサムズアップを教えられ、母と妹、そして周りの人を笑顔にするために頑張る男になる青年になった。
 そして、18際の時に母親が死亡した後は父の親友で同じく海外で冒険をしていた過去を持つおやっさんの世話になって城南大学に進学。そこで考古学研究室の沢渡桜子さんと親しくなる。(年齢は桜子さんのほうが2歳下なのだが、五代雄介は放浪癖があるので浪人か休学で冒険していたのかもしれない)おそらく、五代雄介も大学では海外の古今東西の文化を勉強していたのだろう。(桜子さんの本来の修士論文は古代アッシリアの文字について)
 で、五代雄介は物語の開始前は海外を冒険していて、第1話で帰国して、インドネシアの魔除けのお面を桜子さんに見せびらかす。
 そして、決戦を終えた最終回ではキューバに旅行に行っている。
 また、ポレポレという店の名前の意味はスワヒリ語で「ゆっくり行こう」という意味。


 つまり、五代雄介は「外国人に親を殺されていても、他の文化を持つ外国人を恨んだりせず、特定の政治的な主義主張も持たず、フラットに地球全体の人間を見て回って差別なく笑顔にしたいと思う人類に対して博愛主義の青年」なのだ。
 最近はネトウヨとかサヨクとか自国第一主義とか地政学的対立とかあるのだが、五代雄介は超ノンポリで多文化主義。
 なので、奇妙な外国の風習とかについても五代雄介は許容できる素養がある。が、グロンギ、そして、その頂点のダグバは殺人ゲームで楽しみや誇りを感じて笑顔になるという文化。現代日本人の社会や人々を守りたい雄介としては、いくら異文化と言っても、それは許せないし、クウガとして殺さざるを得ない。
(古代のクウガは怪人を封印していたらしい。クウガの他に封印エネルギーで麻痺した怪人を長野県の九郎ヶ岳に埋葬する係のリントもいたのかも? でも、現代では封印システムはない。ダグバも古代ではゲドルートが完全になっていなかったからか、究極態には変身しなかったらしい)


 五代雄介は多文化主義で、他者を尊重して、他者のために命をかけることができる青年。だが、他者を殺害して、自分の楽しみのために命をかけるグロンギの文化はどうしても否定せざるをえなかった。
 五代雄介はグロンギ怪人を殴り、蹴り殺す時の感触で精神的なダメージを受けていた。雄介にとってはグロンギも同じ人間だと思える。有害鳥獣や害虫を駆除するとか、憎しみを持って殺害する、という気分ではない。クールに抹殺して平気というわけではない。
 人の気持ちになることは無理だけど、思いやることはできる、という信条の五代だが、思いやってもグロンギは殺すしかない。


 五代雄介が涙を見せるのは最終決戦だが、多文化主義の思想と、それを否定せざるを得ない戦いの相克が五代雄介を蝕んでいく。そういうのが、第20話以降、怪人も日本語を操るようになり文化的になっていく展開の中で見えてくるようだ。
 だが、五代雄介が多文化主義で、グロンギも違う文化を持つ同じ人間だと思って苦しんでいるからこそ、心が枯れ果てた真っ黒なアルティメットフォームにはならずに済んだ、ということなのかもしれない。
 仮面ライダークウガの放送後、20年経っても世界は協力できず、コロナウィルスという共通の敵を得ても「自分の国の対策は正しい、他の国は間違っている」という競争みたいになっている。
 そういうわけで、未だに仮面ライダークウガは現代社会への問いかけとして力のある作品だし、現実社会はなかなかドラマのようにスムーズにはならないと反省させられるものでもある。


 (という、小難しいことを考えたせいで、土曜日の夜に配信を見ても感想をすぐに書けず、頭痛になり、木曜日の夜に書き上げることになった。あさってにはまた次の配信である)

  • ほしい物リスト。

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