玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野監督と僕は勉強ができなかった(教育の問題)

 今回の記事はミニコラムです。


 何かのインタビューで、富野由悠季監督が中学生時代に数学ができなかったという話を聞いた。
物理数学(押田勇雄 著) 基礎物理学選書 14


 僕もそうなんだけど。まあ、がり勉のごり押しで、国立大学に入った。
 通知表で他の教科は特に頑張らなくても5だったけど数学は4だった。
 特に頑張らなくても成績が良かった教科はあんまりちゃんとした勉強という気がしなかったので(高校生の判断です)、法学部や社会学の方面には進まず、理系に進学した。まあ、数学が苦手だったので詰んだし実験も下手だったのだが。


 なんで数学が苦手だったのか、高畑勲のおもひでぽろぽろのように考えてみると、まあ、算数の分数の割り算は理解できたのだが、変数はx,y,zで定数はa,b,cほか定点の記号という暗黙の了解がわかっていなかった。なんでかというとそれは教科書に書いてなかったから。
 どの式にどの記号を使えばいいのかわからなかったので、僕はアホだったので甲乙丙丁とか〇とか●とか△とか▲とか×とか使ってテストに回答していた。(一応、教師の温情から正解はした)


 そして大学。シュレーディンガー方程式とか難しくてわからなかった。インバースとかインテグラルとかがわからなかった。なぜかと言うとそれは定義されないまま突然教科書に出現していたので。(また、積分記号は西欧諸国の地域によって記述が異なる)


 そういうわけで大学でも留年したり休学したりひどい有様であった。


 同時に、バイトで小中高の全国学力調査の採点官をしていたり、同じ大学の単位が取れなかった授業を何度も受けたりすると、どうも数学は数学というより独自の言語学なのではないかということに気づいた。
 数学の証明問題なども独自の言語プログラムや様式に沿って記述すれば、高校時代はもっと楽だったと思う。ただし、数学が言語学ということは教科書にも載っておらず、教師からも言われなかった。
 また、「べき乗のべき」がわからなくて図書館で調べたりした。なにかする「べき」のべきではなく、「冪乗」というすごく難しい漢字のものであった。
 また、関数も中学になって突然登場したが、別に「関係する数の話」ではなく、明治期には「函数」と記述されていて、それはもともと「function」の中国語訳という説がある。



 まあ、最近の若者はプログラミング言語学習をしたりインターネットで語源を調べたりしているので、それは分かっている人が多いのかもしれないが。僕が大学のころはインターネットはあくまでお遊びの範囲だったので。(その少し前の時代にパソコン通信で専門的なやり取りをしていた人もいるのだが、それは僕にはリーチしなかった)


 また、数学を駆使した物理学においても、エネルギーや力の計算などは微積分することでスムーズに解けるということに気づいた。ニュートン力学の式も微分することで加速度と速度・位置ベクトルとの関係になる。


 なぜ、大学にならないとわからなかったのだろうか?
 模試の採点官をしていたころのことを思い返すと、問題は、数学と物理学の教育方針が別々であることだと思った。


 数学で教えていないことは物理学で教えるわけにはいかず、物理学の話を数学の授業でするわけにはいかない、というのが教育指導要綱だったのではないかと。だから高校の物理学では微積分を使って計算する方法を教えることができず、持って回った教え方になっていたのだと思う。僕の学生時代は。今のことは知らない。


 しかしながら、西欧の中世アカデミズムと昭和~平成前期の日本の学校教育ではルールが違うわけで。西欧、もっと言えば古代ギリシアからのアカデミズムでは数学も物理学も倫理学も政治学も同時並行的に教えられていたのだと思う。それはそのすべてをだいたい理解している家庭教師によるものが多かったため教育を受けられるのは一握りのエリートだったのだと思う。対して、日本国の近代化の過程では分科教育で多くの学生を短期的に教育する国策があったのだと思う。そのため、数学と物理学は同じように数式を用いる学問でありながら、別々に教育されるようになったのかと思う。(これは推測であり、僕は日本国、およびその他の列強諸国の近代化のための一般人向けの教育の歴史は知らない)


 そういう事情はあれど、やはり自然科学に対する自然は一つのものであるのだから、人間の都合で数学と物理学を分けても、その両方の知恵を統合しなければ自然を理解することはできない。



 同時に、僕は化学もよくわからなかった(一応国立大学の他に私立大学の理系にも合格してセンター試験では9割の得点をしたのだが。センター試験は教科書を読んでいたら解けるようにできている)


 原子核の周りをまわる電子がK 殻 L 殻 M 殻 N 殻と呼ばれる軌道に位置することは分かる。しかし、なんでいきなりアルファベットのKから始まるのか全く理解できなかったし、教科書にも書いていなかった。
 それに鉄は英語でIronだけど元素記号がFeというのもよくわからんが、もとはラテン語らしい。他の元素もいろいろな条件で記号が決まっている。


 それにみんな、原子の周期表を暗記したと思うけど、それぞれの原子の発見時期も違うし、命名の由来も違う。


 そういうわけで、理科と数学は言語学、ラテン語と歴史学など文系に含まれる分野の学問も本来は必須なのだと思う。


 なので、文系と理系は分けられがちだけど、実際に本当に世界を理解するにはあらゆる学問が必要なのだろう。めんどくさいけど。


 そこで、富野由悠季監督の話に戻る。81歳にもなって監督は若者への教育活動をしているらしい。本当に死なないでほしい気持ちと頑張っててえらいなあという気持ちがある。

www.townnews.co.jp
「今やることをやっておけば、10、20年後には一人前の自分になれる。学生の仕事は勉強をすること」とコツコツ努力を重ねることの大切さを伝えた。

 でも、僕が先に書いたことを思えば、学校の教科書を勉強してコツコツ努力をしても、教科書に書いてない科学的数学的作法が多いので、学校の勉強だけをしていても仕方ないと思う。


富野由悠季監督は大学も裏口入学で、卒業も学生運動の時代のごたごたに紛れてという噂を聞く。富野さんが手塚治虫社長の虫プロに入社してアニメ演出家の道を始めたのも、富野さんの御母堂が新聞の虫プロの求人記事を見つけてくれたからということらしく、ほとんど偶然である。今の富野監督がいるのはかなり偶然性に左右されており、そう考えると多次元の多くの並行宇宙ではガンダムのない世界の方が多いのかもしれないので、ガンダムが見れる世界線にいる僕たちは幸せであると思う。まあ、その分、奥田誠二さんが滅茶苦茶売れてたかもしれないけど。



 というわけで、今度は富野監督はG7/G20 Youth Japanで30歳以下の若者に講義するらしい。他の登壇者も豪華だ。


 しかし、まあ、宇宙飛行士になる人とか有能な人にとっては当たり前かもしれないが、やはり学校教育には学校教育のルールがあるために本来一つである自然科学は学校教育の分科によって分断されている。


 そういうわけで、富野監督は「学生はコツコツ努力して勉強しろ」とおっしゃっているが、僕はもっと要求を高く、教科書に書いてない科学歴史学、言語学、数学の文法を勉強するべきなのだと思うのだ。



 まあ、そういう僕はIT企業の過労で体を壊し、親も自殺して精神障碍者として無職になり、ぼんやりとブログを書いて糊口をしのいでいるわけなのだが。


 僕はあまり学校教育を生かせない中年のアニメオタクになったわけだが。若者から賢い人が生まれることを期待する。


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↑グダちん用


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