玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野由悠季の世界展 概要感想

 もちろん人間のやることなので完璧なことではなく、良いところもあるし、批判すべき部分もあると感じた。ところで、行き帰りの電車の中で富野由悠季監督が薦めてくださったルネ・デカルト方法序説を読み終わったので、引用する。(ギガをケチっているので無料Wi-Fiスポット以外ではインターネットしないのだ。電車では紙の本を読む。携帯電話の携帯性とは・・・。)

 私が敬意をいだいている人たちで、私自身の理性が私の思想に権威を持つのと同じように、私の行為に権威を及ばせている人たちが、少し前に、ある人によって出版された自然学上の一意見(ガリレオ・ガリレイの地動説)を否認したことを知った。
(中略)
 だれかの不利益になりそうな意見は何も書かないよう、いつも細心の注意を払ってきたが、このような事件があると、それでも私の意見のうちにはやはり誤っているものがありはしないかと心配になった、と。このことは、私の意見を公表しようと思っていた決心を変えさせるに十分であった。

方法序説 (ちくま学芸文庫)

方法序説 (ちくま学芸文庫)

 まあ、僕の富野展に対する意見などはデカルトほど確かなものではないのだが。富野由悠季の世界展を実行している人たちやサンライズの大人たちにとっては僕のように外野から勝手なことを言っている、編集プロダクションなどに属さないアニメ海賊の率直な意見などはビジネス上の邪魔であるということを反省した。私は当たり障りのないヨイショコメントの記事を書くことが富野由悠季監督やそのファンにとって、私の明晰な理性に基づく認識によって導かれた事実や意見を公表するよりも資本主義的政治の面に有益であると感じたのである。


 アリストテレス先生もニコマコス倫理学で徳のある人の振る舞い方を長々と論じたけど最終的に「重要なのは政治的行動」とポリス主義に結論をおいて「政治学」を書いたし、ソクラテスは毒盃を仰いだ。哲学や真実よりも政治的な利益や人間関係や資本の流れのほうが優先されるのが人間社会なのである。
 デカルトも次のように述べている。

 私の思索が私には大いに気に入っていたにしても、他人もまたおそらく、もっとかれらの気に入る別の思索を持っているだろうと思ったからである。

 (デカルトはすべての人が神によって平等に理性を与えられているし、正しく理性を導けば万民が真理にたどり着くという主義を述べているが、そんなことは政治的な現実の前には無力な仮説にすぎないのである)


 もちろん、誰も傷つけない表現はないという意見もあるのだが、私一人が口をつぐめばみんなが幸せになるとしたら、そのほうがいいだろう。誰もが筒井康隆富野由悠季ほどの自由に物を言える天才には成れないのである。
 そういうわけで、具体的に何か批判を書くということをやめて、むしろ消した。


 というわけで、一部のツイッターユーザーから「グダちんが富野由悠季の世界展を見ないのは文化的損失」と言われて私も調子に乗ってしまったが、私のような無責任で無謀な無職のメンヘラアニメ海賊よりも富野由悠季の世界展に関わってこられた正規職員のプロフェッショナルの方やサンライズバンダイナムコの政治的なビジネスのほうが重要だと思ったので、感想は概略を述べるに留める。
 (各作品については次の記事で各論を述べるつもり。22P、ノートにメモした)

 特に僕の行動を書くことに意味は無いのだが、結局20日の金曜日に10時間かけて鑑賞して、Gレココーナーの途中までしか見れなかったので最終日の22日の日曜日に6時間かけてGレココーナーと油絵や設定画を鑑賞した。また、10月のGのレコンギスタ劇場版の先行上映の日に逆襲のシャアの絵コンテを全部読んで、レイハントン姉弟の音声ガイドを聞くのに3時間半かけた。
 なので、総計では20時間弱が富野由悠季の世界展の鑑賞時間です。まあ、最終日は終わるまでいるつもりだったので、Gレコの企画書を2回読み直したり美術品やブレンパワード∀ガンダムとGレコの動画を鑑賞し直したりと、多少時間をダラっと使った。(映像ソフトを持っている作品の動画や図録に収録されていた絵は全部は見なかったけど、ブレンパワードは好きなので見た)しかし、まあ、最終日に物販が混むということも予測していたので、前回買い逃したパンフレットを買うために閉館30分前に会場を出た。
 しかし、閉館時間を過ぎても物販が混んでいたのでなかなかお客さんが捌けなかったり、閉館時間を過ぎてもインスタスポットで記念撮影をする人が多々いたりして、少しマナーが足りない気がした。閉館時間は閉館時間であって、その時間まで会場に居ていい時間ではないのだが・・・。コミケのように閉会の挨拶はなかった。
 しかし、まあ、そういうマナーが低い人も含めて盛況であったので、(コインロッカーも満杯だった)それは良かったと思う。最終日には女子中高生など富野監督が好みそうな若い観客や古くから富野作品を追っているような女性ファンやカップルや親子連れも居て、僕のような気持ち悪いオタクのおじさんばかりでなくてよかった。
 車椅子の観客の人も3日で20人ほど見かけたのだが、展示の高さなどが車椅子の人には少し不親切だと感じた。まあ、それは富野由悠季の世界展に限ったことではなく、美術展全体の永遠の課題だろう。(立位になれるロボット機能がついた車椅子というのも開発されているそうだが)
 なお、日曜日に富野由悠季の世界展を見たのに、感想を書くのが本日金曜日になったのは政治的な揉め事に巻き込まれたせいではなく、冬季うつ病で冬眠モードになって14時間寝ていたからです。冬が来ると母親が自殺した命日によるフラッシュバックや日照時間の減少で明確に理由があって悲しくなります。ものを考えたり書くより寝ている方がよっぽど幸せです。でも、ものを書かないと本当に僕はこの世から消えているのと同じだから…。
 しかし、ベルリ・ゼナム役の石井マークさんもストレスから適応障害になってしまったというニュースは精神障害者保健福祉手帳2級のグダちんにとってショックな事だった。元気のGのとは…。

  • 総評

 まあ、いろいろと「結局この展示は誰向けなのだろうか」「ラストシーンを上映していいのだろうか」「企画書も実作品と大いにずれている部分とスポンサーを騙すための方便の部分があって、全部が全部正しいというわけでもない」「絵コンテの読み方などアニメ制作の前提知識がある人はどれくらいいるのだろうか」など、いろいろと疑問点はあったのだが。(僕もアニメ制作の段取りはガンダム者を読んでSIROBAKOを見た程度のゆるい知識しかない)

ガンダム者―ガンダムを創った男たち

ガンダム者―ガンダムを創った男たち

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 単行本

 富野由悠季監督のアニメを全部見た僕としては特にネタバレもなく、楽しかったのでよかったです。たのしかったですよ。大好きな富野作品に囲まれてテーマパークに来たみたいだぜ。テンション上がるなー。という感じでした。(オトナ帝国かもしれないけど…)
 僕が楽しかったので、それはそれでいいと思う。美麗な美術品や楽しい動画や富野監督の思想の文章とかがあって楽しかった。


 僕と違って富野監督の作品を全部見てない若い人にとってはどうだろうか?とも思ったのだが、僕も富野アニメを全部見たのは2014年になってからで、暇な(本当は勉強すべきだったけどクズのアニメオタクになった)大学生になってから15年近くかけてなのだが、それでも多くの作品で皆殺しになるという噂は知っていた。知っていたが、実作品を見ると噂で知っているあらすじ以上の素晴らしさを感じることができた。なので、まあ、今回ネタバレを食らった人も、ラストシーンを知ったにせよ、ラストシーンに至るまでの紆余曲折が富野アニメの良さであるので、(スペース・ランナウェイの過程とか、ディアナ・カウンターの泥沼化とか)実作品に触れて楽しんでいってもらいたいと思った。


 富野アニメを全部見た僕は、その立場で楽しめたが、富野アニメを全部見てない人もそれぞれの(僕が想像し得ない違う立場の気持ちを持って)楽しんでくれただろうし、それが入場者の多さとして物理的に観測されたので、富野監督の人気は感じることが出来た。

  • 良かったところ

 特に良かったと思ったのが「セル画がきれいに並べられている」です。縦に額装されているだけでなく、背景とキャラと口パクとハイライトとエフェクトのセルのレイヤーがきちんと揃うように重ねられていて、それは本当に難しいので偉いなあって思った。
 ドータップが頑張ったんだろうなあ。本当にセル画をきちんと並べるのは大事なんだぞう!古のアニメ制作の初心者がまずやらされるのはタップの穴をきちんと開けることだったという。


 また、機動戦士Zガンダム機動戦士ガンダムZZ機動戦士Vガンダムの画稿展示が少ない気がしたのだが、それも逆説的に良かった。というのは、機動戦士ガンダムシリーズはメカ設定が多すぎるので、それを多数展示すると「富野由悠季の世界」というよりメカオタクの設定フェチ、みたいな狭いオタクっぽいものになってしまうだろうと思ったからである。
 なので、ガンダムMk-IIガンダムF91グリプス戦役のノーマルスーツやリニアシートの富野修正メモを最小限展示して、メカの羅列ではなく「富野監督はこういうふうにデザイナーとやり取りをした」という「富野由悠季の世界の方向性」の展示にしたという意図が感じられてよかった。
 Z〜Vのガンダムシリーズのメカの設定のゴタゴタはバンダイの商品展開も絡んでいるし、富野監督も制作に追われてデザイナーの意図と作品の登場のしかた(具体的にはディジェの扱い)とかがややこしいので、それを展示するときれいな展示にならない。バーザムの股間とかどうでもいいんだよ!
 富野由悠季の世界の志とか方向性を見せるには、メカは少なくていい。ココらへんの塩梅が、ガンダムのメカオタクという狭い感覚ではなくて、富野監督の作品に取り組む姿勢を見せていこうという感じが見られてよかった。(80年代から90年代初頭のガンダムのメカのイザコザは、まあB-CLUBとかあそこらへんの古書を参照されたし)


 Z,ZZ、F91,Vについても企画書は展示されていたので、それで富野由悠季の世界の方向性は見られるということだろう。北爪先生や安彦良和先生や逢坂浩司さんの美麗原画も展示されていたので、それで良し。

 僕は富野由悠季監督は絵コンテを描くのがちょっと他の人よりうまい程度(この程度がものすごいのだが、)のおじいさんだと思うけど。


 富野監督は世界展のパンフレットのインタビューでYouTuberについて語る。

 ガンダムジブリは同じフィールド。それがYouTube世代の人たちの見方なんです。「富野由悠季の世界」は”全部過去論ですね”と言い切られてしまったんです。でも「つべこべ言わずに富野という神の軌跡を見ろ!」って言わなくちゃいけないんですよって、その人からは教えられました。例えば、YouTuberは一人ひとりが自分を神だと思って配信しているそうなんです。だからほかのものはすべて排除する。自分が発信したいものしか理解しない。「それは神の所業だからです」って言われて、「なるほどね」と思いました。


 しかし、神について現代人よりもよほど気を使っていたであろうデカルト方法序説を帰り道に読み終わった僕はそのラストの文章が気にかかった。

 追随者のだれかがその師を乗り越えたことは殆どなかったことも、人の知るとおりである。そして、現在アリストテレスに最も熱心につき従っている人たちは、自然についてアリストテレスが持っていたのと同じだけの認識を持つなら、たとえそれ以上の知識は持てないという条件がついていてさえも、自分を幸福に思うことは確かである。そういう人たちは木蔦のようなものであって、木蔦を支えている木よりも高く登ろうとせず、てっぺんに達したあとでしばしばふたたび下に降りてくることさえあるのである。
(中略)
 しかしながら、かれらの哲学のしかたは、きわめて凡庸な精神しか持たない人には、きわめて好都合なのである。というのも、かれらが使っている区別や原理が曖昧なおかげで、かれらはあたかもすべてを知っているかのように大胆に話すことができるし、どんなに鋭敏で有能な人を相手にしても、かれらが言うところのすべてを主張し続けることができ、だれもかれらを説得する手段をもたないからである。この点でかれらは盲人と似ており、目明きと対等に戦うために、相手をどこか真っ暗な洞窟の奥に連れ込むようなものだと思われる。

 現代のYouTuberや社会学者やツイッター論客という人も、デカルトの時代から特に進歩していないのではないかと思う一文である。400年程度では人は進歩しないし、ガンダム40年程度でニュータイプになれるわけでもないのである。


 富野監督は150年後の若者に向けてGレコを発信していると言うのであるのだから、富野監督が好きでも、富野監督を超えていこうという気概を持ちたいものである。まあ、無職なので大して役に立たない僕であるが。
 自分の創作をやっていこうという気持ちも少し刺激されたのだ。まあ、14時間寝るようなメンヘラですけど。Gレコのファン活動が少し落ち着いたら自分の創作に取り組んでいきたい。
 ちなみに、10月からダラダラと引いていた風邪だが、富野監督の世界展に全力を尽くしたからか、部屋を掃除してダニを駆除したからか、多少マシになりました。富野由悠季の世界展は健康にいい。いずれガンにも効くようになる。


 しかし、富野由悠季の世界展を実行するような学芸員の人は富野由悠季監督を完璧な神だと思っているのか、どうか?(ちなみに、僕はグノーシス主義

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