玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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坂の上の雲やFate/Zeroやピングドラム等に見る王の喪失

最近見たテレビで思った事をつらつらと書きます。最近、大衆と指導者の事や、愛と暴力の事を考えているので、そのテーマに合いました。
Fate/Zeroというアニメでは死んだ英雄の霊が現代によみがえって戦います。そこで、今週はギルガメッシュ王とアレキサンダー王とアーサー王が語り合いました。
失われた何か Fate/Zero 11話「聖杯問答という名の、王達の格付けチェック回。変わらずのライダー無双!」(感想)
↑画像とあらすじ
アーサー王(セイバー)は「王は孤独」「王は自分の民を救う者」「民を救うために王は清く正義の使徒であらねばならぬ」と言いました。
アレキサンダー(イスカンダル)王(ライダー)はそのアーサー王に対して「貴殿は民を救うだけで導きはしなかった」「貴殿は正義の奴隷に過ぎんのだ」と説教をします。そして、アレキサンダー王は戦いの中で自分の部下の霊たちを魔力で召喚して見せて「我は王として家臣の心を集めている。だから、家臣を呼ぶことができる」「王は家臣や民を救うだけではいかん。民の心を導く強さを見せつけるのだ」「王は清濁併せ持った強さを見せるのだ」と言いました。
ギルガメッシュ王(アーチャー)は「民は王である俺に全てを捧げるのだ」「全ては俺の法によって裁く」と言いました。
アーサー王はそういう二人の王の意見を聞いて「私は人の心が分かっていなかったのだろうか」「私は無力だったのだろうか」と反省します。
歴史的にはギルガメッシュが一番古く、アレキサンダー、アーサー王となります。古い時代の人の方がエゴや魂が強い王のようです。時代が下るにつれて自信が薄くなっているのが面白いですね。


で、最近輪るピングドラムにハマっている私ですが。
最新話の輪るピングドラムでは、冠葉が「自分の愛のために世界を焼きつくす」という戦いを始めました。同時に多蕗は「誰かの愛しているっていう言葉が僕たちには必要なんだ」と言いました。
これをFate Zeroに大雑把にあてはめると、多蕗やゆりを救ったけど導かないで消えた桃果はアーサー王。企鵝の会のメンバーを扇動した高倉剣山はイスカンダル王、全てを自分の力で焼きつくそうとする冠葉がギルガメシュということになるかな。
輪るピングドラムでは、冠葉の敵は「何者にもなれない大衆の世界」で、冠葉は自分を捨てて全世界を焼こうとしています。冠葉の自己犠牲はセイバーにも近いかもしれません。
愛によって大衆を救うか、暴力で大衆を強制するか、ある種の共通連帯意識で仲間を作るか、Fateの王のテーマにもつながりますね。


そこで、また、話はこの間見たNHKドラマの坂の上の雲に飛ぶ。
二〇三高地という、戦略拠点を奪うために、日本軍がロシア軍と戦いました。日本軍は天皇の名のもとに戦いましたし、露西亜軍は皇帝の名のもとに戦っています。二つの正義のぶつかり合いは、愛ではなく暴力で決着を付ける羽目になります。
んで、日本軍の歩兵は高地の頂上に突撃をしてロシア軍から陣地を奪います。けど、そこでの戦いがアニメーションの中の綺麗な戦争ではなく、歩兵同士が砲弾の爆発の中で殴り合って、首を絞め合うという凄惨な暴力の現場でした。普通に殺人でした。
でも、本当の戦場はもっと内臓が飛び散ったり腐臭がしたり、泣きわめく声や砲撃の振動でグチャグチャになる酷いものでしょう。(戦艦に乗っていた人の話では、砲弾の衝撃波を受けると人間は煎餅のようにペチャンコになって饅頭みたいに中身が出たり、手足が人形のように取れるそうです)

ジョニーは戦場へ行った (角川文庫)

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戦闘と言えば大義名分がありますが、やってる事は普通に殺人です。そして歩兵たちは英雄でも何でもなく、徴兵された一般市民です。恨みも面識もない者同士が、社会の命令に従って殺し合います。


で、僕がぼんやりと思った事は、「昔は騎士や武士といった英雄が名誉のために戦おうとしてたけど、時代が下るにつれて戦う理由や戦う人が大衆化してるなあ」と言った所。
あんまりちゃんと理論化できてないけど。
そして、富野監督の「ナポレオン以降、戦争が武装階級から一般市民階級の物になって、さらに現代のテロリズムで一般市民と兵隊の区別がなくなってから、戦死者は急増したし、戦争も外交手段ではなく泥沼化しやすくなった」と言った事の受け売りです。

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ただ、昔は良かったというわけでもないんだよな。アレキサンダー王が言った通り「自分の国は滅んじゃったけど、それも自分が生きた結果だから受け入れるべき」って言うことだし、つまり昔の英雄の積み重ねが、今の世の中の「何者にもなれない者たち」の万民の万民に対する戦い(テロだけじゃなくて経済競争も含む)だったりする。


ほんで、今の日本の世の中には求心力を持つ王はいないねえ。「神は死んだ。王も死んだ」
王は民の生や死を受け止める器だとすると、今の世の中の主義主張が相対化された世の中にはああいうイスカンダルのような人はいない。民主主義の名のもとに、日本は政権の首相がころころ変わり、官僚も部署移動で責任を負わないシステムになっている。
宗教原理主義もほとんどが相対化されているし、アフガニスタンイスラエルやアフリカやアイルランドの長期的紛争に従事する末端の兵士の殺意の理由は、原理主義というよりは「親兄弟を殺された仕返し」という原始的な愛が理由だったりするらしい。あと、失業率が高いので自分の人生に絶望して他人を殺すとかそんな感じが多いらしい。自爆テロをする人が全部宗教書を勉強した僧侶と言うわけではないだろう。
坂の上の雲日露戦争の時代や第二次世界大戦の時代の日本兵も、末端の兵士の殺意は「王に本当に心酔して従っているから」ということではなかっただろう。ただ、「呼ばれたから殺しに行って殺される」「社会の徴兵に応じないと近所の人に怒られる」というようなものだったのではないか。
そして、天皇は一九四五年に人間宣言をして、皇室は人民のかなめではなく、ゴシップの種になった。
王や神を見失った我々は、ただ自分たちの恨みに突き動かされて万民の万民による闘争をおこなっている。
だから、冠葉は個人的な恨みの捌け口で人を殺す。そして、警察は冠葉を殺す事は出来ても裁く事は出来ない。


あるいは、それに対するものが法の支配というものかもしれないが、日本の憲法は未だに暫定版という評価が絶えない。弁護士は法の番人と言うより、弁が立つ口が上手い人、というイメージが強い。

裁判員裁判も法の徹底化というよりは「罪人に対する市民感情のガス抜き」という面が強いように思える。


だが、僕は個人主義者なので、王や天皇や神様のために自分を押し殺して、よく知りもしない人を殺すような兵士の戦い方は嫌いだ。
僕が戦うとしたら、自分の意志でこの世界を焼きつくす。



ところで、最近は他のアニメでも「指導者」をテーマにしたものが多い。
具体的に今期では境界線上のホライゾン、真剣に私に恋しなさい!あたりか。この二つも軍勢を率いて戦う話だけど、割と末端の兵士の「顔の出ない何者でもない奴」は「メインキャスト」に虐殺されている。
メインキャストとエキストラの差別について描いたのは前期のBLOOD-C魔法少女まどか☆マギカもメインキャストの五人の魔法少女のドラマは多かったが、その戦いの巻き添えになる脇役大衆の命は軽かった。(上條君のドラマとかで補強はしてたけど)
だが、我々、日本人に限定しても1億3千万人の大衆のほとんどは何者にもなれない名もなき顔の無い人物だ。我々は虐殺されるべきなのだろうか。
(僕は境界線上のホライゾンを見て「ホライゾンと言う美少女一人を助けるために、名もない脇役が死ぬというのは論理的なのだろうか」と悩みます。まあ、美少女のカッコイイ魔法とかカッコいロボットの動きは見ててカッコいいんだけど)


また、名も無き兵士はただ殺されて終わるものではない。むしろ、中途半端に怪我をして無様に生き延びる余生の方が重要だったりもする。そういうことは、あまりドラマやアニメでは描写されないが、ある。

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今年三月の東日本大震災では2万人ほどの人が津波に押し流されて死んだ。だが、それはドラマやアニメで描きうる人数をはるかに超えているが、その一つ一つに意味と意志と断末魔があったはずだ。そして、残された者の悲しみは今も続くし、悲しみ以上に事後処理が上手く行かない問題も続く。
そして、それをさばくのはもはや王ではなく、民主主義という名の我々自身なのだが。我々はそれほど賢く、そして器が大きいだろうか?
むしろ、坂の上の雲で進軍ラッパや後ろの兵隊に押されて突撃する兵士は、何も考えないで興奮状態のまま殺しているようだった。彼らはメインキャストではなく、人を殺すために自分の意志も殺した「何者でもない兵士」だった。つまり、状況と熱狂に流された馬鹿どもと言うことだ。だが、その馬鹿どもを動員した方が勝つのが民主主義でもある。


Fate/Zeroのイスカンダルの軍勢は一人一人が英雄だが、本当の兵隊はもっとただの人間だ。


だから、王がいない世界は難しい。
だが、王がいようがいまいが地震は起こるし冬は寒いし台風はくるのである。


僕たちはただ、個人の主張を押し通すために生きればいいのだろうか。だが、その個人の主張も社会の潮流に流されて作り上げられた流行とか偶像に過ぎないかもしれない・・・。




と、そんな絶望的状況に対処するために、みんな、∀ガンダムを見よう!

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異なる文化習慣の人民の戦争、個人的恨みによる戦禍の拡大、核爆発事故、文明の技術や経済に翻弄される実業家たち、王の死、王を支える少年の美しさ、パンを得るために働く大衆のたくましさ、全てがここにある!


いまこそ富野作品が求められているのだ!!!



と、強引な結論で締める。というか、なかなかこういう王と権力と大衆の関係は難しいし、昔から議論しても答えは出てない。個人個人の事情も違うし。というわけで、とりあえず富野監督で締めます。


ところで、王といえば、今年の春までにやっていたSTAR DRIVER 輝きのタクトだと王の責任感を持つスガタと「王の力や責任とか役割はどうでもいいから青春を謳歌してきれいな空を見て楽しもうぜ!」という大衆っぽさにあふれたタクトと「王を守る巫女も大事だけど、恋や友情も大事だよねー」っていう女子とか、色々だったなー。うん。
いろいろ、面白いテーマなんですよ。王と大衆。暴力と社会とか。人類はそういう生き物なんだなー。