玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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負の感情が光る さすらいの太陽 第20・22話 富野絵コンテ

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第20話帰ってきたファニー
第22話のぞみのデビュー


アフィリエイトだのなんだのの話題が続いたが、このブログの本筋は富野アニメなんだよなあ。
いや、富野アニメっていうか、富野絵コンテ参加アニメなんだが。
富野氏は勝井千賀雄総監督について、

「僕自身は虫プロを辞めてフリーの立場でコンテの作業をさせてもらってました。ただ、総監督に勝井千賀雄監督が立ってくださったので、勝井監督の大きな演出をなんとか少女ものに映したいっていうのと、それからこの前に(壇上に)登場した『あしたのジョー』ってのがあったんだよねぇって。あいつらの仕事には負けたくないんだけれども、ギター一本じゃちょっと無理なんだよねってそういう実感をすごく持って、悔しくって悔しくってしょうがないものをとにかくやったら、本数だけバンバンいってしまった、という作品なんです。そういう意味では今ここ(壇上)に関係者がいないってことはどういうことかっていうと、(ここからやさぐれモードへ)虫プロから本当に冷遇されたシリーズでよー!!!(絶叫)おまえらこっちみて少しは『さすらいの太陽』大事にしてやってくれよ!!!!!!!!!……(少し冷静になって)って言いたいっていう、そういう作品でした」

http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3787.html

大きな演出というのは大味な演出ということなのか、壮大な演出ということなのか。

  • 20話の見どころ

開幕から家族会議がものすごく気まずい。
主人公ののぞみが「若手スター歌手としてデビューしても使いつぶされるからデビューを断ってきた」とか無茶苦茶なことを言ったので、家族会議が開かれます。
陰鬱にちゃぶ台を囲むのぞみと両親と弟妹と講演会代表。
「のぞみおねえちゃんデビューおめでとう」と書いた弟妹達の横断幕や飾り付けが無残である。
のぞみが憂鬱そうに、しかし親兄弟の説得を頑固に聞かず、デビューを断った話をしているが、テレビには森進一が映り、おふくろさんを熱唱している。
お茶の間で陰鬱な空気が流れているのにテレビで森進一が熱唱するという、この場違いな、だからこそお茶の間の空気が実に悪いと表現している異様な演出だ。


中盤の見どころ
のぞみが思いを寄せているプロボクサー・ファニー森山がアメリカから帰ってきた。
ファニーはのぞみと自分が血のつながった兄妹だと知っているからのぞみを避けていたのだが、アメリカですごい活躍したので日本で凱旋パーティーを開くことに。
のぞみはファニーのパーティーに行くが、無名の流しの歌手に過ぎないのぞみは門前払いをされる。周囲の冷ややかな目、下っていく異様に広いエレベーターの中でうつむくのぞみなど、表現主義的演出でのぞみのみじめったらしさを強調している。
嫌な気分の演出だな・・・。この貧富の差を強調する陰鬱さがある。
そのファニーのパーティーに、のぞみのライバルの香田美紀にそそのかされて性格が悪いがのぞみの音楽のセンスに惚れている作詞家の野原も出席する。野原は有名人なのでのぞみと違って顔パスできる。
野原はファニーがのぞみの純粋な想いを踏みにじっているのではないかとか、彼女への気持ちを教えてくれだの詰問する。仕方なく、恋人ではなく実の妹だと口を滑らせてしまうファニー。そこに美紀もいて、秘密が知られる。
意地悪な美紀はのぞみがショックを受けるようにそれを教えるのだった。
美紀は野原がのぞみに向けて作詞をしているのが悔しいので、その歌を自分に譲れと、なぜか波打ち際で詰問する。のぞみが歌を譲らないと頑固なので美紀はキレて「ファニーとあなたは兄妹よ!」と言い放つ。防波堤の上にショックを受けたのぞみを置き去りにしてスポーツカーを運転して美紀は帰る。ひどい。
ショックを受けたのぞみは徒歩で交通事故にあいそうになりながらファニーのボクシングジムを訪ねる。ファニーは部屋に鍵をかけて会ってくれない。ドア越しに「自分を忘れて歌に打ち込め」と言われて、またショックを受ける。
「愛していたファニーが兄さんだったなんて!嘘よ!」とのぞみは夕暮れの海に吠える。すごいエモーショナルに海を使うなあ。
野原とファニーの成人男性もギスギスするし、女子高生の歌手志望の美紀とのぞみのギスギスする。美紀は野原に「のぞみが行方不明だ」とファニーに電話するように仕向ける。四角関係のドロドロした感情のもつれがきつい。
歌やボクシングにかける情熱やプライドと男女の恋愛と近親相姦や家族の問題がドロドロとしている。それを盛り上げるように夕日や海や汽笛などの背景が出る。
一晩中海辺で泣いていたのぞみを朝日が照らすと、のぞみはトワ・エ・モワ 「誰もいない海」を熱唱した後泣き崩れる。
そこに、朝焼けの中に(なぜ居場所が分かったのかわからないが)ファニーが駆けつける。朝日をバックに抱き合う二人。ファニーはのぞみの歌を励まし、のぞみは恋した相手が兄だと受け入れて「私はもう一度旅に出ます」と言う。
あー。ここでまた旅に出ちゃうのかー。
そんなエモーショナルな場面にナレーションで「実はのぞみは生まれたときに入れ替えられたので、ファニーとは血のつながりはない。しかし、それを知らない二人は傷つきながら互いを兄妹と呼ぶのだった」と冷酷に言われる。
うーん。
視聴者だけがこの二人は兄妹じゃないと知っているが、本人たちは自分たちは兄妹だと知らされてショックを受けている、というメタ視点がある。子供には理解しにくい複雑な関係だ。
峯のぞみと香田美紀は生まれた日に野原純の姉で看護師の野原道子によって入れ替えられており、
ファニーは貧乏な峯家の長男として生まれるが、育てられず養子に出されたという。
めんどくさい設定だな。


しかし、2016年に見ると、「さすらいの太陽ではこんなに近親相姦や出生の秘密を富野は盛り上げて演出したのに、なんでGレコのベルリとアイーダの関係はそんなに盛り上がらなかったのだろう…」などと思う。
Gレコでは事前のインタビューで富野監督は「好きになった相手が姉だったという韓流ドラマみたいな要素を取り入れます!」と言っていたのだが。あれ、富野監督が30代前半で手掛けたさすらいの太陽の方が韓国ドラマっぽくないか?
まあ、韓国ドラマが日本の70年代ドラマに似て貧富の差や社会や家族の不安定さを描いているということなのかもしれないのだが。
あと、70代になった富野監督は「もう昔みたいにギズギスとした人間関係を描きたくない」と思ったのか、「近親相姦とか悲恋ってそんなに大したことじゃないしそんなに盛り上げて演出しなくてもいいんじゃないの」と達観したのか?
まあ、若い頃の富野監督のアニメはプリティリズムレインボーライブやキンプリの菱田正和監督のような殺気がある。菱田監督は富野監督の弟子の一人だからなあ…。
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  • 22話の見どころ

旅に出て21話で漁村で口がきけないメンヘラの女の心を持ち歌「こころの歌」で救ったのぞみは、地方都市の飲み屋街で流しの歌手をしていた。
流しの歌手としてさすらうのぞみだが、香田美紀の30万枚突破ポスターを見せつけられたり、客に美紀の歌を歌えとリクエストされたり、非常に悔しい想いをする。
こういう劣等感とか嫌な雰囲気が富野の持ち味だなあ…。


流しをしていたのぞみはとある酒場で労働者風の男に自分のオリジナルの歌の「心の歌」をリクエストされる。「自分の歌を知っている人がいた!」と喜び、心を込めて歌うのぞみ。
しかし、歌い終わった時、店に警官が駆け込み、リクエストした男は暴行傷害容疑で逮捕された。優しそうに見えた彼は逃げていた犯罪者なのだ。
逮捕された男は手錠をかけられて去るときに、のぞみに「君、負けんなよ…」と言い残す。
のぞみは「あの人は負けてしまったけど、後悔しているんだわ」と謎の納得をして、その人の分も歌に打ち込もうと思うのだった。
あと、逮捕された男が酒場とのぞみへの代金として集団就職の時にもらった時計を刑事さんに外してもらっておいていくというのがまた、70年代の悲哀を感じさせる。


酒場を去って夜の街を歩くのぞみは、先ほどの酒場にいた若者たちに強引にジープに乗せられる。あっこれは暴力展開か?
と思わせて、実は彼らはヒッピー的な音楽ゲリラバンドのザ・ゲリラーズだったのだ。出会ったばかりののぞみを山道に連れ出して車がパンクしたと言って川辺で野宿する若者たち。キャンプファイヤーを囲んで心の歌を歌うのぞみ。
うーん。
女子高生の流しを男4人が車に乗せて、誰もいない河川敷に連れ出して一夜を共にするとか。いいのか?
でも、なんかゲリラーズはいいやつなので音楽論でのぞみの歌をほめたりして友好関係を築く。ここら辺の風来坊の一団との出会いはザブングルっぽさがある。
しかし、さすらいの太陽は作画がものすごくへぼいので、ゲリラーズの顔はピカソの抽象画のような感じで、善人なのか悪人なのか読み取りにくいので、拉致からの友好関係は非常にスリリングだった。
優しそうな青年が逮捕されるのを見て、ゲリラーズが「人は見かけによらねえな!」と言うのも構成として面白い。


ていうか、なんかよくわからんけど、ゲリラーズは嵐山ホープフェスティバルという自称ウッドストック的なイベントにのぞみを誘う。あ、京都かな?ていうかウッドストックって言っちゃっていいのか?ローリングガールズの京都篇っぽいな。
のぞみがふらふらしていると、香田美紀がなんか白い壁の石垣のお城っぽいところで撮影会をしているのに出くわす。すごい強引な出会い。美紀は唐突に「峯さん、あなたのお父さんの具合が悪いそうよ」と告げる。美紀は大体嫌なことを告げる人。
親を心配に思うのぞみは自分が親不孝だと自覚しながら、京都行の電車に乗って嵐山に行く。
なんか、のぞみは頑固で歌を歌うことにこだわっているくせにいちいち「私は親不孝かもしれない」とかウジウジする面がある。ここら辺が、おなじさすらいの旅でもさっぱりとした矢吹丈あしたのジョーとは違うところなんだよなあ。
やっぱり出崎統監督は根っこの部分でさっぱりしているが、富野は根暗なのかもしれん。


ウッドストックのクライマックスで「地下で伝説の心の歌の歌手」として喝さいを浴びて歌うのぞみだが、素直に歌う喜びを表現するというよりは、旅を通して出会ったメンヘラ女やアル中トランペットマンから漁師にジョブチェンジした新田さんや目の前で逮捕された労働者など、社会の底辺の人のことを思いながら歌うのだ。
ゲリラーズに「客のことを気にするんじゃなくて自分に向けて歌えば?」と説教されたのだが、やはりのぞみは社会の底辺の人の悲哀みたいなものを代表している感じがある。藤圭子がモデルだからな。
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んで、その会場には「地方の地下芸能界で噂になってリクエストされている心の唄の歌手を探しに来たプロデューサーのおじさん」がいた。
彼はひどく感動するのだが、「お、俺がこんな小娘なんかに泣かされるなんて…!でも絶対こいつを東京に引っ張っていってテレビに出して日本中に本当の歌を教えてやる!」と決意する。
っていうか、オッサンが「悔しい…っ!でも感じちゃう!」をしてるのとか、あれだな。マクロス7のギギル感ある。


そんな風に人の劣等感やプライドや維持という感情や、それを取り巻く芸能界や社会的貧富の差などを描いているさすらいの太陽も、そろそろ終盤なのです。
こういう感情や登場人物のランクの振れ幅が広い作品を富野氏が演出家時代にやっていたことが監督になってから生きたというのはあるでしょうね。