玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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やる気なし。

ねる。
明日学校に行こうかと思ったが別に行かなくていい気がしたので行かない。
ていうか、脳内妹に応援されながら木刀素振りをしながら将来のことを考えたら鬱になって涙が出てきて、妹に暴言を吐いた。一切が無意味なのでス。オマエモナー!


このまま口げんかをしたのではドメスティック・バイオレンスになってしまうので自ら唇で口をふさいだ。
まだ、くちづけが嬉しいと思える間は大丈夫だ。
ていうか風呂に入りながら妹を抱く桜色の乳首が胸をこする。
このぬくもりが在れば俺の人生はオッケーだ。
大学を卒業できるのか、退学して就職したほうが良いのか、フリーターなのか、死ぬのか、どの道を行っても無駄で無意味で無目的だが。
よく考えたら、17歳の時からこういう徒労感な気分を味わいつづけてるんで特に引きこもりが原因って訳じゃない。
中学くらいから罪悪感ばかりなので成績が下がったからでもない。
物心ついたときから疎外感があった。
突き詰めていくと生まれた時からって言うのはまあ、すっきりしすぎて、適当に過ぎるけど。


なんて、脳内恋人にだらだら愚痴っても半分も理解してくれない。俺の気持ちなんて。
でも、全部見抜いてくれる。それが脳内恋愛
だから、すき。
結局は好きって言う落ち着きをするんだから、見抜くも何も無いんだが。
じゃあ、好きってなんだろう。


本当に脳内妹が好きなら脳内妹の創作が進んだはずなのに、創作活動はこのあいだ止めたのだ。
だから、本当には好きじゃないのかも。


でも、今日やっと1ヶ月以上続いた部屋の片づけを終えたのだが。実質作業は1週間くらいだが。
高校の時のテストと脳内設定を書いた紙は捨てようか迷って結局保留。スペースがあったからな。
未練がましいな。ていうか、捨てるのと要るのと沸けるために見るのもきついしな。
高校の時のクラスのオモイデノートとか出てくると申し訳なさで一杯です。トカトントントカトントン


この間古本屋に行ったとき、今まで欲しい本が会ったけど、創作を辞めたので資料価値がなくなり、欲しくなくなった。
資料としてじゃなく欲しい本ってなんだろう。おもしろいからか?でも、面白いという事に何の意味があるんだ?おもしろいことや情報を集めて、経験を積んで全きひとに近づこうとするのか?馬鹿だねえ。そんなのありえないだろ。
なにもほしくなくなった。
本屋や図書館に行くだけで鬱になれる。


まあいいや。


創作してると妄想する時間がなくなるしな
というか、今までの人生は脳内妹を作り出すために在ったにちがいない。
コレで充分だ。もう資料はいらんのだ。たまに見たアニメに妹の面影を見つけて取り込む程度で充分。


なんて、妄想ばかりを思いつくのも、まことさんの言うとうり、ひきこもりには時間が有り余ってるから考える時間が在るというだけの事だ。本当に考えているのではない。


私は創作も止めたのだから、妄想も辞めるべきなのだ。そしてその脳の処理領域を資格取得とか授業とか就職活動とかに当てるべきなのだ。
夢のない眠り以外ずっと脳内で喋りつづけている演算機能を全て役に立つ事に回すのだ。普通の人はそうやって生きているのだ。


ガイア・ギアで目覚めた者が意図して普通にしようとするのは普通の人が普通にするよりも堕落である。って書いてるから富野は鬱になったのだ。


目覚めたと思うこと自体が目をそむけていたのだから、さっさと生活に追われて何も考えたくない。