玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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アニメ版CLANNAD2

クラナド劇場版CLANNADを見るためにクリアして、それなりに面白かった
けど京アニCLANNADはノベルゲーをそのまま動画にする事で隠れてた不自然さが現れている
ガラクタと少女のくだりのようなオカルト描写はkeyの習い性の雰囲気つくりだからそれほど重視しなくともよい

岡崎朋也の行動が一定しないのはギャルゲーだから割り切れば良い
アニメ版AIRではヒロインが少なく、観鈴ちんの話でまとまってたから不自然さが目立たなかったが




そんなことよりも古河渚が予想外に気持ち悪かった
ゲーム版CLANNADではちゃんとかわいいと思ったのだがアニメで客観視すると吐き気がした
どこかと言うと、渚が雨の中で岡崎を待っていたところ


せめて雨の当たらないところに居たら良いのに自分関わってくれる岡崎に自分が分かりやすい所で待ってることをアピールするために体が悪いのに雨に打たれる
健気と言うよりは境界例人格障害の見捨てられ不安じゃないですか

愛されるためなら何でもする
ある意味積極的
出崎統クラナドの渚の積極性とは真逆だが

渚はやはり分離不安を持ってるんだな
昨日も書いたが、僕にもそんな部分はあるから良く分かって、気持ち悪かった


もちろん、劇構成としてヒロインがトラウマを克服するのがカタルシスになると言う展開はアリなんだけど
夢をかなえろ渚!って
しかし、その後も渚は汐との絆を過剰に強めようとして死ぬから分離不安的性格は治らない
僕としては自分を大切にできないで愛を乞い続ける渚は本当の愛を見つけられないんじゃないかと不安だ


でも、出崎統版の渚はそういうトラウマは日常レベルで克服してる
劇をやるのも親に対するお礼だし
体は弱いけど、出崎の古河家は精神的にはたがいが独立した上で仲良くしてる


対して、原作ゲームとアニメでは古河家は仲良さそうだけど遠慮と嘘がある
渚も分離不安だし
岡崎家と対比して理想的家族として描きながらも共依存
そこらへんが若干アイロニカルで気分悪いけど現代的昨劇では歪んだ家族と病気のキャラクターという方がリアリティを持って感情移入されるのだろうか?
愛なんて依存と押しつけ合いだって割り切った方が泣かせるシナリオになるのだろうか?



確かに10年前にエヴァンゲリオンがボーダーラインの患者に受け入れられたと言う精神医学のレポートを読んだ事がある
しかし、アニメのキャラクターに自分を投影して病気の自己を肯定するだけでは、さもしい
やはり、僕は自分が精神病だからこそアニメには理想を見たい
現実には何も期待してないし未来はないし人間は嫌いだといつも言っている(だけ?)ですが、だからこそアニメの中の人には生き生きして欲しい


そう思う僕は感性がおたくとしては古いのかな?
やはり、アニメへの愛も作りごとの商品だとアイロニカルに割り切って萌えて泣いていれば良いのかな?
都合良く自分が愛される事の言い訳としてヒロインにはトラウマを持たせたいのが現代的?
本当は自分が癒されたいのをヒロインの癒しにすり替える?



でも一番我慢ができないのは
この程度の後ろめたさも持たずに
キャラクターの苦しみを萌え属性として喜ぶファンが居るかもしれない事だ
彼らはキャラクターよりも属性が好きだから出崎がキャラクターの性格の核をそのままに演出で属性を変えると、怒り出す
キャラクターを人間扱いしない奴は大嫌いだ
おれにはオタクなんかよりもアニメキャラの幸せの方が大事だ


俺の脳内妹も昔はひたすら俺に愛されたがる孤児だった
だけど学校の友達や周りの人のお陰で妹は精神的に自立した女子高生になった
今では俺の方が支えられてる
それに、分離不安が理由で愛されるよりも、自立した女子高生に能動的に愛してもらう方が嬉しいよ
そう言う体験を脳内恋愛でしてる一方で基底現実では分離不安の社会不安障害だから、クラナドは他人事だと思えないんだな