アニメーション監督 出崎統の世界 ---「人間」を描き続けた映像の魔術師
- 作者: 大山くまお,林信行(SLF)
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/03/24
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 8回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
出崎統作品を3割程度しか見てない俺には、杉野昭夫、小林七郎たちのネタバレインタビューを読む資格がない!
だから3大アニメ監督の所だけとりあえず読んだ!
あと、高校生萬画家だった頃の出崎統の書いたマンガも読んだ!既に出崎演出だった!滝とか!Genjiの最終回と同じだろ!!!!三つ子の魂67まで。
そして、3人の(いろんな意味で)大人気アニメ監督の出崎統評にも違いがあると思った。
特に評価が分かれるのは、21世紀、晩年になってからの出崎統について。
俺はブラックジャックはまだ手塚治虫の作品として見ていたから、劇場版AIRでリアルタイムに出崎統のファンになったニワカファンだ。今、ガンバの冒険とか宝島とかおにいさまへ・・・とかをDVDや再放送で見直してる途中なので、21世紀の出崎統はかなりリアルタイムに評価してる。
で、3人のアニメ監督について。
ヤマカンvs會川昇 motto☆派手に3回パン! - さめたパスタとぬるいコーラ
TV版『AIR』は、可能な限り原作を尊重した作りでした。私も当時は若気の至りで自分のテクニックを作品内で披露することに快感を得ている時期でしたが、この作品はそうは行かない、と身を引き締め技工に走ることを封印して作品と真摯に向き合い、誠意を込めて表現する、それを学んだ基調な経験でした。
ただ他方で、多少の違和感があろうと『AIR』を自分色に染め上げた出崎さんを、私は批判する気にはなれません。
アニメとは、周りに合わせる事の出来る器用な職人を、意外なほど冷遇する世界だからです。
「同じ起用ならばコントロールの利く若手を」との意識が強く、ベテランにチャンスを与えられなくなります。よほど「この人の演出スタイルがまた観たい!」とならない限り、ベテラン監督には急激に仕事が回ってこなくなるのです。
その中で出崎さんも奮闘したのだろうと、今は想像できます。決して老害の頑固さとは思えない、多少あったのかも知れませんがそれだけではない。
あれだけの実績を残しながら、現役であり続けようとした演出家、表現者としての、防衛本能だったのだと。私はやはりTV版の方に作り手としての誇りを持っていますし、故に出崎版を手放しに認めるつもりはありません。しかしそのフィルムの向こうに、ひとりの天才演出家の生き様を見るようで、切なくなるのです。
出崎さんの演出手法がパロディーに使われていたり、「出崎さんといえば3回パンだよね」みたいな話があまりにも多いから、「そうじゃない」ということを言いたくてずっと発言しています。
もうひとつ、出崎さんのことを「古い」と言うような声もあったじゃないですか。特に、美少女ものの『劇場版AIR』(05年)や『劇場版CLANNAD〜クラナド〜』(07年)を発表されたときは、(原作の)ファンから批判が多くて、「そうじゃないでしょ」という気持ちになりました。だから、出崎さんについて話すようになったんです。(中略)
そこだけを真似をして、「出崎さんっぽいね」と言われても、たぶんそういうことではないと思うんですよ。1話1話の問題ではなくて、シリーズを通して全体的に出るものですからね。ましてや、そのシーンがどうこうという話ではない。(中略)
出崎さんの場合、作家だから作品が残っていくような気がします。流行り廃りで終わりではない。今の若い人でも観ることができる作品ですよ。そういう名作として残っていくべきであって、“古い”とか“飽きた”だなんて言ってはいけないと思うんです。僕は本当にそれだけです。
ヤマカンvs會川昇 motto☆派手に3回パン! - さめたパスタとぬるいコーラ
統ちゃんは悪戦苦闘していて、「ガンバの冒険」などはその真骨頂になった作品でしょう。(中略)
素材に恵まれなかったのか、我を出し過ぎたのか、バランスをとることが最後までよくわからなくて苦戦していると感じます。
50歳を過ぎてからの監督作を観ると、そういう迷いが明らかで、「ああ、手法に陥ってしまったなあ」って思います。
だけど、そういう作品でも周りの人が褒めるんですよ。
もっと違う素材なりテーマなりで、出崎統はこれなら描けるぞ、っていう企画があって欲しかった。だけどそれに恵まれなかったのは気の毒だ。
それが僕にとっての出崎評であるし、出崎統っていう一つの才能から学んだ事です。
そういう部分での気の付け方をしたので、僕はロボットものの専従者になったんです。それは自分で本意ではないのですが、自分の思っているとおりに人生を全うできる人は一億人に3人いるかいないかでしょう?
いや、だが、僕は富野信者でもあるし、富野監督のアニメは面白いし、好きだ。
だけども、富野監督の出崎評には異論を唱えたい。何故かというと、出崎統を手法の人だと考えるのは本当に辞めてほしいからだ!
どいつもこいつも3回パンとか撮影の話ばかり言いやがって!そんな枝葉末節の事はマンガ家のペン先の癖でしかないんだよ!長谷川裕一先生の萬画は絵は雑だけど面白いじゃん!
で、出崎統のアニメも作画がいい時も悪い時もあるけど、基本的に面白いし見てて魂が震えるじゃないですか!震えるの!俺がそう感じてるんだからそうなの!俺はAIRもCLANNADも映画館で3回見た!Zガンダムは映画館で10回ずつ見た!2005年は富野出崎統ヲタの年だった。あと、新ヱヴァ。
批評とかだと、基本的にみんな理屈やキーワードで面白さを言うけど、そういう事じゃないの!アニメは見て面白かったらいいの!出崎統は手法とかそういうのじゃなくて、もう、全体的な雰囲気なの!すまないが、劇場版CLANNADの渚の演劇シーンは原作では描ききれなかった躍動感に満ち満ちていたという事がわからない人は帰ってくれないか!土に!Bites The Dust!
晩年の出崎統監督は老害だったとか、若いものに負けないように意固地に生き延びようとしたとか、自分の信者だけを相手にしていたとか、手法だけの人だったとか、そういう風には見えない!俺には!
だって、出崎統の晩年の作品はたまに信者でもちょっと微妙な所があった。信者の期待を裏切るようにいろんなジャンルをハム太郎からエロゲーからハリウッドから古典までやりまくった。
でも、それ以上に出崎統は生きた、生きたんだよ!!!その魂の最後の炎の揺らめきをだ!感じないのか!と、君は!
だって、古川渚と岡崎朋也はは脚本が直前まで出来てなくても、学園祭で超すごい一人芝居を完成させただろ!アドリブで!それが、それが出崎統なんだよ!段取りなんかいらないんだ!!!!
見てわからないのか!それが!朋也は見ただけで渚と結婚を決めただろうが!わかれ!
出崎インタビューを引用しておくと
「ところがアニメーションってのは実写とちがって理屈が多いんですよ。
変な伏線張ったりさ。
実際の人間の感情というのは、そんな段取りを超えたところで出てくるものじゃないですか。
映像表現もそうあるべきだし、そのほうが断然面白い。
段取りや論理というのはすべてそのキャラクターの心の中にあるんですよ。
何もそれをわざわざ説明して言い訳する必要はない」
出崎版渚に見る出崎の女性観とスタンス - まっつねのアニメとか作画とか
劇場版クラナドは右脳で見よう〜理屈ではなく感覚で〜 - まっつねのアニメとか作画とか
僕から見て、出崎統は「手法に捕らわれた」とか「生存戦略のために様式を使用した」とは思えない。ただ、俺は出崎統は野獣の本能として出崎統演出がカッコ良くて良い物だと思って、自然にやり続け、生きただけなんだと思うんだ。芸術家とは、論理や技術も持っているが、最後の最後では「自分が良いと思った方に進む」という野性の勘を持っているのではないだろうか。
そういう意味では、出崎統と古河渚は同じなんだよ。実際、既にCLANNADの時から出崎統は闘病してたし。そういう魂の共鳴があるんだ。AIRも044もGenji(の帝)も死に瀕した者たちの生き様だっただろう。いや、あしたのジョーだって、宗方コーチだって、そうなんだよ。それが出崎統だ。
右脳と言うか、魂そのものなんだ!
それが、それがアニメーションのアニミズムだ!
そういう意味で、僕は意見の立ち位置的には新房昭之監督に近いのかもしれない。
- 余談だが
最近、小説を書きたいんで、僕のブログに載せているいまいち進まない小説のファンの人がアマゾン乞食リストから送ってくれた
- 作者: ディーン・R.クーンツ,Dean R. Koontz,大出健
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1996/07
- メディア: 文庫
- 購入: 70人 クリック: 386回
- この商品を含むブログ (93件) を見る
そこで、クーンツ曰く、「自分を一つのジャンルの専従者だと規定するのは可能性を狭める」「SF作家、ミステリ作家という人々の作品は深みが足りない」「本当の深みを持つ人は、SF作家とかミステリ作家ではなく、単に『作家』と呼ばれる」と書いている。
富野由悠季の意見と好対照で面白い。
まあ、富野も出崎統もアニメ界と言う野獣の園で60代後半まで生き延びたので、良いと思う。
でも、富野はさっさとGレコを書くべきだし、ロボットアクションの出てこないファウ・ファウ物語は名作です。(ロボットは出ませんが、天皇は出ます)
そういう私情があるし、富野の出崎統評はそんなにあてにならないと思う。僕は富野の事は好きだが、あまり富野の私的な意見は信用ならないとも思っている。
富野は出崎統が好きだし、立場も近いし、自分と重ねたり、逆に遠ざけたいという気分もあっただろう。だから富野は近年の出崎統を冷静に見れていないのではないか。
身内の評価は冷静にできないってクワトロ大尉も言ってたし。
ただ、本書の富野の出崎統についての言葉は、昔出崎統と一緒に戦った男の言葉としてなら、冷静な批評ではないが、深い。
かつて二人は絵コンテと言うリングの上で確かに交わったんだ・・・。