玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

機動武闘伝Gガンダム9強敵!英雄チャップマンの挑戦

この話は、本放送の時に、本当に意味がわからなかった。中学1年生には難しすぎた。
それで、ジェントル・チャップマンと言う人のことが全く分からなかった。
それが、デビルガンダム四天王として復活したのも全く意味がわからなかった。まあ、四天王はマスター・アジア以外は結構やっつけ仕事で集まったメンバーですが。洗脳とか。
今度は分かるといいな、と思って改めて見た。
アダルトだった!
なんてアダルトなんだ!
特にアダルトだと思ったのは、チャップマンの妻であるマノンがドモン・カッシュの事を

マノン:そうね… ね…あの子。

チャップマン:ネオジャパンのファイターの事か?

マノン:ええ。 午後のパーティーに誘ってもいいかしら?

チャップマン:気に入ったのか?

マノン:あなたにそっくり… 特にこのブラウンがかったするどい目付きが…

チャップマン:好きにしろ…

マノン:んふっ…あなただって気に入っているのでしょう?

チャップマン:さあな。それにしてもあんな小僧がガンダム乗りとはおもしろい時代になったものだな…
http://jiyuunomegamihou.hp.infoseek.co.jp/dai-9-wa.html

だなんて!
ランバ・ラルみたい!
チャップマンがダミーモビルスーツやセンサーもレーダーも無効化の霧(ミノフスキー粒子?)を使う卑怯者、と見せかけて、それは妻がチャップマンをチャンピオンで居させつづけようして独断でやった、と言う女の業・・・と、見せかけて、実はチャップマンは妻の所業を全部知っていて、感謝すらしていた!
だが、妻のためのチャンピオンでいつづけるために、チャップマン霧の中でも敵の気配を感じる事の出来る精神強化薬(強化人間!)を飲みすぎて、死んだ!
ハードボイルドすぎる。チャップマンカッコつけすぎ。英国紳士は虚勢を張る。しかし、それも「出会った時からこうなる事は分かっていた」二人の男女の運命だと!
こんな戦場でのロマンスは壮年を迎えたガルマ・ザビイセリナエッシェンバッハのようにも見える。
うーん。
中学1年生には難しすぎです。


チャップマンは何気に「戦いが終わったら火星に行こう。あそこはここよりも温暖だ。」とか言っていてポルカガンダムかよ!未来世紀はやっぱり未来だなあ。
っていうか、裏設定・・・。
精神強化剤を舐めただけで見抜くレインの舌の味蕾はナノマシンプローブで出来ているのか?


んで、この話の絵コンテは謎のコンテマン「菜利戸奈亜子」(DVDのブックレットでは菜利戸菜亜子)である。
id:mattune氏によると阿亜子さんから名前を取ったと言う説もあるんでしたっけね?
んで、謎のコンテマンはこの他に井上草二と忍海知加良がいて、僕はこの二人にはどうやら出崎統の臭いを感じたのだった。
そして今回!
今回はもう、あからさまに特徴的な絵コンテ。
何が?と言うと、顔のアップの止め絵(瞬きや口パクはありますが)を多用しすぎる。危険なほどに!
ピーキーなバランスだ。
それでいて、同じようなアップの繰り返しではなく、角度やフレームの大小の変化、アップから引いたり、引きから寄ったり、バリエーションがあるようにも見える。
レインが驚く顔のアップが多いが、チャップマンがレティクルを覗く目、精神強化剤を噛み砕く顎だけのアップなど、意味性を強調したアップであって、漫然と使っているわけではない。
アクションシーンはモビルトレースしているドモンの顔のアップの角度を変えることで、難しいガンダムを作画しないでもガンダムのポージングを創造させると言う手法であろう。
白眉は、モニターに映ったチャップマンのドアップを背景に、マノンがレインに戦士の業を説くシーン。これはインパクトがあった。
そのように、アップを多用してGガンダムらしいキャラクターの濃い芝居を作っているが、
逆にモビルファイターの戦闘は引き気味の構図が多く背景や群集を入れ込んで、戦場の戦況やガンダムの巨大さを際立たせる構図になっているのも面白い、と感じた。
援護に駆けつけたジョルジュのガンダムローズが高いところから敵を狙い撃つと言う立体感とか。
メリハリにもなっている。
中学1年生の僕が分からなかったのは、そのようにアダルトなキャラクターの心理描写のアップが多く、ロボットプロレスが背景に追いやられて、割と薄味(ジョンブルガンダムはあまり動かないし)になっていたから、かも知れない。


映像の原則でアップについては、

サイズをアップ気味にしない


 アニメーターは、コンテに指定されたフレーミングよりも必ずといってよいほどアップ気味に作画をします。これをするのは、作画が楽になるからです。

 すこしでもバスト・サイズに近くなりますと、カット的意味が明確になってしまいますので、カットの意味が違ってしまいます。被写体の個性を描いてしまいますので、流す画(え)になりません

 サイズごとに、順次、絵としての意味性が被写体中心の表現をするだけのものになっていって、映像的には硬いものになり、映像としての流れが消失していくのです。コマ・マンガ的になるといってよいでしょう。 
 その逆に、カット運びを明確に示すために、これらアニメーターが好きで、書きやすいサイズで書いたものでカットを積み上げれば、カチッとした流れができる、ともいえるのです。
 しかし、その場合、ルーティン(決まりきった=お約束)的な展開になってしまってつまらない感じがするものになることも確かなのです。

 が、それをもう一歩踏み込んで明確にカットの独自性を表現できるサイズと言うのがあります。それは、それぞれのサイズの決まった取り方ではなくもう一歩、寄りサイズにする方法です。
 顔全体が入っているアップ・サイズの上下がフレーミングされない寄りサイズにしますと、明確にそのカットはその被写体の独自性をアピールするカットになってしまいますので、カチンとはまったカットという事になり、
それは目だけのアップで、目の左右の肌が見えるフレーミングにするのか、目の左右ギリギリまでフレームを寄せるか寄せないかでも、カットの意味性は違ってきます。極めて強固なカットになるといってよいでしょう。それは、あらゆるサイズにいえることです。
 そのどれを選ぶかは好き好きではありません。予定した作品に必要なフレーミングか否か、という判断をしなければならないのです。

 映像におけるカットのレイアウトと言うのは、全体的に曖昧な方が良いと言うのは、絶えず劇中の状況を見せながら描いていかなければならないという要素があるからです。
 状況を紹介しなければならないという場合もあるのですから、被写体のみを中心にしたカットと言うのは、よほど被写体の芝居が物語的に強固に突出したものでない限り、被写体だけの絵というものはない、と考えた方が良いのです。
 被写体を中心にしたカットは、それだけのものなのだから”流れのなかの被写体を取り出したものが映像的である”と考える方がまちがいがないのですが、それがよいというのではないということは、覚えておいてください。
 ケースバイケースであり、それぞれの作品によってつかいわけなければならないのが、クリエイターでありアーティストなのですから。

と、ある。
まあ、いろんな場合を想定して、結局ケースバイケースで結論は出ないのが本書の特徴でもあるのだが。一応、富野由悠季監督はこのように考えているらしい。
(それにしても、逆接が多いし、一文が長いな!学術論文の古い翻訳みたいだ。まあ、僕もそうなんだが)


Gガンダムはキャラクター重視、ということでインパクトの在る表情をカーン!と視聴者に叩き込むことで印象を深めようと言う意図か?
と、同時にほとんど紙芝居レベルの作画リソースで芝居をやる、と言う省力化でもあるんだろうな。バンクも多かったし。
アップを多用するのは富野監督が嫌うことか?と言う気もしていたんですけど、アップも使いどころだと割り切れば、使うかな?
Gガンダムはそれまでの「リアルロボット」ガンダムとは質感の違う作品ですが、もともと富野喜幸はこういう「キャラクターアクション」の絵コンテもこなしていたわけだし。


アップのほかには、ティーカップの象徴的な見せ方や、ジョルジュが撃たれる所などの背景オンリーカットの使い方が印象に残りました。



あと、セリフですが、山口亮太氏の脚本でもあるし、Gガンダムは富野アニメとは違って漢くさい言葉使いのアニメです。
ランバ・ラルのパロディーみたいなのも在ったので、それを富野監督が自分でやるか?と言うのは怪しい気もしますし、逆にやりかねない気もします。
ですが、

卑怯者め! 霧に乗じて! 多勢に無勢でぇ!なぶり殺しかっ! 落ちたな! チャップマン! 男なら正々堂々と勝負しろ!

という、アクションにあわせたドモンのセリフのリズミカルに文法を無視した分割の仕方はトミノ臭かったです。


というわけで、謎のコンテマンの中では今回が一番トミーノ臭かったです。
ポルカガンダムの火星設定を出してきたのも臭いです。3大会連続王者と言う栄光にすがりつづける男のプライドによって死んでいく様とかも、当時のトミノの心境に近いとも言えるし。シャア・アズナブルの最後の愚痴にも似ている。


逆に、今川泰宏監督が絵コンテにクレジットされたのが最終回での連名のみ、と言うのも怪しいとは思いますが。今川監督は絵コンテをどの程度のレベルで修正したんでしょうね?
うーん?
謎のコンテマン達は名前を伏せているにしては(だからこそ?)かなり個性の強い演出だったな、と言う印象です。
連名と言う説も捨てきれないですが、やっつけ仕事だから連名、と言うには、上手い。
うーん。若手、中堅監督級、今川総監督、という連名かもしれませんし。
謎では在ります。


でも、僕が本当に力のあるオタクだったら、ドモン・カッシュのように「この絵コンテを書いたのは誰か知っているか!」と、日本刀をもってサンライズに乗り込んで殴りかかって、監督に「殴るなら拳ではなく、絵コンテでだ!」
と言われる、燃えよペン展開。