玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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北野武とアキレスと亀

9/20日は婚約者である脳内妹「頭令そら」の誕生日で婚約記念日で空の日なので、脳内家族皆で映画を見に行った。
アキレスと亀は、ダメな芸術家の男を献身的に支える良い奥さんの話だと聞いたので、ロマンチックだと思ったのだ。理想的ほのぼの夫婦で本当の幸せとは何かを描いた映画とも聞いた。
あと、こないだのクイズミリオネアでビートたけしが「売れない芸術家が、いろいろやるんだけど、最後には芸術は評価されなくても、やってるだけでいいんじゃないかという結論に達するっていう映画なんだけど」と、オチとテーマを全部言った。
言うなよ。
でも、そんな前評判は氷山の一角で、非常に重かったです。
泣いた。
あと、たけしの絵は好きなので、それは見たかった。
以下ネタバレと電波




重かった。泣けた。
夫婦愛とか人生で一番大切な本当の幸せって言うハッピーな話じゃなかった。業の話だった。 どうしようもなかった。
いろいろ身につまされる所があった。僕も自分のために他の物とか人生がどうでも良くなったりしてる。


僕はビートたけしが演じた人よりも、多少知能が高いので、もうちょっとちゃんとしようと思った。でも、新聞屋と印刷所で働いてたので偉いと思った。
人が簡単に死ぬなあって思ったり、人生で失敗したらその後の事を全部仮のものと思って空想にふけったりしている。今でも授業中に絵を描いてるし。
自分は何にも出来ないけど、ちょっと誉められたらそればっかりやる所が似てると思った。
子役が僕に似ていると思った。
身につまされた。


脳内恋人脳内妹でさえ引いた。樋口可南子みたいに献身するのは無理だと言ってた。
脳内恋愛よりもヤバイ夫婦だった。
っていうか、樋口可南子麻生久美子もたけしに劣らず狂っていた。
でも、好きなものや人をずっと好きでいる事は自分の判断を信じる意地でもある、とも言われた。
それを捨てたら自分が在る意味死ぬから、嫌だなーって言われた。


簡単には結論の出ない話だと思った。



崖の上のポニョのリアル版みたいな映画だと思った。

崖の上のポニョを支配する、宮崎駿という名のリヴァイアサン(暴君) - 玖足手帖-アニメ&創作-(←ポニョ感想)
アニメとは違って思い通りに行かない実写や現実や芸術のなかで思いを貫こうとする悲喜劇。
ポニョはアニメだから死んであの世にいって夢の世界が綺麗だったりするけど、実写で死んだら血と死体が残る。(それでも象徴的な死体だったけど)



やっぱり、たけしの映画の絵は富野監督が「映画のセンスを持ってる」というだけ在って、構図がいいなあ。ワンカットワンカットが見やすいし、テンポもいい。
アニメばかり見ていると、実写映画(テレビドラマ発映画とか)のテンポがたるかったり、構図が流しだったり、描写が無駄に思えてむかついたりする事があるんだが、そういうことが無くてよかったです。
うん。
そういうレベルの作品じゃないんだ。


で、アニメよりは自由度の低い実写で、たけしとかが一生懸命考えて演技したり絵とかを描いてて、元気だなあーって言うのはいいなあーって思った。
ポニョよりも元気だなーって思った。


主人公、倉持真知寿の芸術は、独り善がりの部分と、それを誰かに認められたいと思いすぎて、自分がない部分のアンバランスが面白くてきついと思った。
芸術って何だろうとか考えた。
以前から、前衛アートの価値は、一般大衆の認識域の拡大にある説を勝手に思いついて唱えている僕。
形態認識、言葉遣い、発想可能性、等のプログラムコードを作ることで、模倣子的進化を進めて、人の思考速度密度多様性を高めることに置いて価値があるんじゃないかと思う。
そういう風に発想の幅を広げられるのはいいと思う。
だけど、大森南朋演じる画商が絵を見て「そんなのどっかで見た。もっと狂え」って簡単に言うのは違うと思った。
よく考えたら、21世紀で情報化されてて、技法もアーカイブ化されてるんだから、いろいろみんな知識は在る。
だけど、だからと言って、最初に思いついた人だけが偉くて、その人と同じ事をしてはいけないって言うのも違うんじゃないかなーって思った。


つまりどういうことかと言うと、初めて目玉焼きを作った人じゃなくてもみんなが目玉焼きを作って食ったらおいしいじゃん。って言う。


人と同じでも、違ってても、面白い事やおいしいことをするのは良い事だと思った。
青年時代の主人公の柳ユーレイ(柳憂怜に改名)たち美大(美術予備校?)の学生のやってた自称アートはパクリだし、たけしと樋口可南子もパクリや犯罪だけど、やってる分には楽しそうだったし、それはそれでいいじゃんって思った。たくさん死ぬけど。


ポニョについてしつこく書くが、ポニョは死ぬのが怖くない、っていうのは5歳児レベルに自我を後退させたり死んだら足が痛いとかから解放されたり生きてるのも死んでるのも泡と一緒って言う軽さが在ったけど、
実写の死は死体が在る分重かった。だけど、それはそれとして人は簡単に死ぬし、かといって死にたくても死ねなかったりして、つまりどっちにしろ自由にならない。
その中で死ぬのとかどうでもいいくらいにやりたいことをやるのはある意味幸せ。でも死ぬ。死ななくても困ったりする。
だけど、やりたい事を元気にやっていると頭が興奮してどうでも良くなる。


ポニョは5歳児で、子供だからぼんやりしてるんだ、という風にも見えるが、たけしは一生に渡って、そのボンヤリハイテンションでやりたいことだけをやってるって言う、喜怒哀楽受想行識の業をためらわずに描いて、その喜びも辛さも選別しないであるものはあるように描いてるのが正直な人だと思った。
だからジブリみたいに売れないんだと思った。
事務所が傾いているのにゾマホンに金をやるとか言って200万円をみのもんたに貰うとか、馬鹿かと思った。
あと、ボビー・オロゴンが映画に出てた。ビートきよしも。パンフレットにクレジットが全部載ってないからイラッとした。


あと、評価に対する飢え、って言うのをたけしは自覚的に描いたと言ってた。
なにをやっても評価されない真知寿(海外でちょっと誉められても興行収入は伸びないたけし)と、なにをやっても認められる(っていうか売れまくる)スタジオジブリ作品が好対照だと思った。
やっぱりお金かなあ?
芸術って、やってて楽しいって言う部分と、やってたら一攫千金って言う部分がある。お金はダイレクトに人を狂わせるよなあ。
あと、富野由悠季監督も言ってたけど、お金は人に認められたことが一番ダイレクトに分かる物。
それに、八百屋が野菜を打って評価されるのは、野菜の価値も込みだけど、衣食住に関係の無い芸術でお金を貰うのは、自分自身そのものが認められるって言う、絶対的な自己肯定感につながって、それは麻薬だよなーって思った。


そういうわけで、僕的な意味での芸術は、やっぱり人の元気な姿を見るものでありたいなーって思った。(ストリップショーですな)
だから、元気で居てくれて嬉しいって言う知り合いの作品は贔屓目で見る。
だけど、知り合いに金をやる余裕もつもりも無いので、実費とコピーライトしか払いたくない。それでも1年間で描いたとしたら、日給1万円として365万円か。ダメか。安いか。そうか。
いや、知らない人でもすごい元気だったら嬉しいねーっと思うけど。なるべく海賊版は買わない。
なにが元気かと言うと、まあ、それは気分の問題だ。富野鬱期小説もある意味元気だ。気分の問題だ。
基準や知識は無い。金も。



あと、ギャグ描写について。
ギャグのテンポでブラックな人殺しをやるので、笑っていいものか分からない所も在った。って言うか笑えるシーンのほとんどが笑えない人生だったのだが、笑える演出なのがツービート時代からのたけしだなーって言う。
劇場は初日の昼の回で6割の入りで、初老の夫婦連れが多かった。僕くらいのカップルも数組居たけど。
笑いは割と起こっていた。おばさんはどうでもいい解説をしたり感想を言ったりするので、嫌だなーって思った。
一般人のおばさんが、主人公の失敗を笑っていたけど、僕は身につまされてたので自分が笑われてたように思う所もあってきつかった。まあ、僕はあんまり人は殺してないけど。
父親に連れられてきていた小学生の男の子は途中でどっか行って戻ってきたりしてた。トイレか。
座頭市はヒーローにしてはカツシンよりも弱かったのであんまりおもしろくなかったけど、今回は笑いあり涙あり喜びあり恐怖あり美しさあり外道ありという感じで感情が色々揺さぶられて面白かったです。



絵について。
たけしがいっぱい絵を描いてた。(っていうか描きためた絵を出してみたかったので画家の話にしたとか言う)
んで、絵画全ジャンルを制覇する勢いで色んなジャンルのモノマネをしてて面白かった。
とてもカッコいい沖縄出身のサイボーグが出てきた。
宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」地獄変もやってた。やるなよ。
あと、便器とか。
ゴッホのひまわりもパクるかと見せかけて、それはたけしだけの物になってたのが感動した。
古今東西奇人芸術マッチポンプ展覧会っていう感じ。



何気にヴェネチア国際映画祭日本代表3作品を全部見た。これも冒頭が玄田哲章のアニメだった。全部アニメかよ。
あと、最近見た映画はアニメのほかにはヘンリー・ダーガーの秘密だったりするんで、ダメ人間アートが好きなのかなー。俺。