玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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∀ ガンダム18話「キエルとディアナ」

脚本・高山治郎 絵コンテ・斧谷稔/菱田正和 演出・山口美浩 作画監督佐久間信一
http://www.turn-a-gundam.net/story/18.html
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words18_TurnA.html
お美しい・・・。
ディアナ・ソレルさまもキエル・ハイムお嬢様もソシエ・ハイムお嬢さんもリリ・ボルジャーノ様もテテス・ハレさんもローラ・ローラも着飾って建国式典に出席して目映い。
機動戦士ガンダムSEED機動戦士ガンダム00の方が5年も10年も技術的には先を行っている絵だと思うんだが、∀ガンダムを見ているほうがなぜか美しく感じるのだ・・・。
富野構図かなあ?安田朗氏のターンエーガンダムデザインズでも富野構図がすごいって書いてあったし。それとも、服の配色?デザイン?美術監督池田繁美色彩設計:笠森美代子?の功績?
とにかくどのカットを見ても心地よい・・・。セル画なのに色数が豊富でねえ。
今ほどデジタルじゃないけど、光線処理が上手く視線にメリハリをつけてる照明効果で。あ、そう言えば、光線エフェクトが得意な京都アニメーションが参加する時もありますよね。今回はクレジットされてないけど。
ボルジャーノンが望遠レンズを使って見たら陽炎で視界が波打ってるのは地味にリアルで実写っぽい。
ピントの操作も上手くて、映画的なんだ。雰囲気としては洋画に近いんだな。星山博之氏も「アニメは日本人が作れる洋画」とおっしゃる。
あと、僕が∀ガンダムのキャラが好きで、見てるだけで嬉しくなるって言うのもあるのかも。


ハリー・オードの両親って低層階級だった?オード家って一子相伝のスーパーアイキを伝える親衛隊の家系だったのでは?(月の風)政治的紛争があったんかもしれないし、あきまん氏が面白くするために適当に作ったのかもしれないし、高山さんが面白くするために適当に作ったのかもしれない。

ま、それはそれとして。
それだけじゃなくて今回はディアナ様がロランに入れ替わりを告白したり、テテス・ハレがキエルさんを暗殺未遂する時に月の反ディアナの動きを語ったり、世界観の情報開示として、かなり大きな動きがあったわけだ。
とくにディアナに扮したキエルお嬢様が黒歴史の解釈を織り交ぜつつ、交渉再開演説を行なったのも、情報としては物凄く大きい。
キエルさんがディアナ様以上に月の歴史を勉強し、地球で勉強してきた事とあわせて、語った。
これはディアナ様とロランの理想主義者を感動させる。
だけど、黒歴史の真実がみんなに分かるのはまだまだ先のこと。
月と地球の両方の情報、両方への共感を持たないと分からない視点だからだ。
そう言う訳で、物凄く意味の深い演説を語って、ムーンレィスと地球人の融和を説いても、皆はそう言う大きな視点ではなく、小さな戦術や戦局に対した政治的な発言としか受け取らない。で、キエルさんの真意とは逆に余計戦意を高めてしまう。
これはときた洸一先生の萬画とは違うなあ。ときた先生の萬画だったら「感動的な演説だったなー」で終わるんだが。で、物語のまとまりとしてはむしろコミックボンボン程度に整理した方が分かりやすいんだが。
富野アニメはそこが違うんだなあ。
でも、分かりにくいよね。リアルタイムで見ていた17歳のときは、僕はロランよりもボケナスだったので、そう言うことはまったく分からなかった。
演説の真意もわからないし、黒歴史と言うものも分からんかった。キエルさんが頑張って言って聞かせてくれたことなのに、視聴者もわからんかったのだ。
後半の「衝撃の黒歴史」で世界観の真実を知るまでは。やはり、人は見たものしか信じられないのだ。と言う事を説明ではなく、物語の実感として視聴者にも体験させる、って言うのがターンエーガンダムなのだろうな。
ただし、体験するまで分からないって言うことは、分からないものを毎週見せられるって言うことで、そりゃあ視聴率も伸びないよな(笑)。
エヴァンゲリオンとか、「謎」主導のアニメって言うのは90年代後半に多く在ったのだけれども、それはそれで「時に2015年」とか「ヘテロダインと呼ばれる謎の存在」とか説明はある。説明と言うか「ここが謎ですよー。注目する所ですよー。さあ、みんな推理して下さいー」みたいなポイントはあるわけ。
が、富野監督が90年代に「謎」アニメを作ってみたところ、「謎の物体は出る。しかし、出てるものを見てもわからないということがわからないくらい、平然と謎がほっぽり出されている」っていう、酷いものを。
ブレンパワードとか、全然意味不明な物体じゃないですか。でも、いる。
謎のムーンレイスっていう宇宙人が来てるわけですけど、すごい普通。普通にご飯の心配をしたりしてるし普通に働いてるし。謎の宇宙人のくせに!
黒歴史黒歴史って皆言うけど、「人類補完計画」ほど大仰に言わないで「わー穴掘ったら黒歴史の遺産が出た」とかシド爺さんが日常会話で言うから全然注目しにくい。
そもそも、カプールやザクが掘り出される事がネタなのかマジなのか本放送の時はわからなくて、とにかく戸惑っていた俺。
でも、2周目で再見して思うことは、むしろその、分からなかった、ということがテーマだったんだ。と。


だって、キエルさんに「ワタクシ達は、この目も、鼻も唇も同じです。この体も、地球人、ムーンレィスの違いはありません。同じ、人類だからです」って、壮大に演説されなくっても、そんなの見りゃあ分かるわけです。でも、同じように助け合うべきだ、と言うことは分からない。見て分かる事と、見ても分からない事がある。
ヤーニ軍曹はムーンレィスの士官を騙そうとして芝居を打って一緒に冗談を言って笑ったり、地球人にするみたいに酒を飲ませて酔いつぶれさせたりしてるわけです。
同じ人間だって言うことは分かってるんです。感覚的には。
でも、政治的軍事的な認識、あと生活や隣人を奪われた恨み、ディアナカウンターの側もミリシャの攻撃で死傷者が重なっている恨みと恐れ、そういう気もちが積み重なれば「相手は同じ人間だけど、人間だからこそ、違う人種として殺す」っていう戦争になって行くんだ・・・。

作中の価値観が一つではなく、キャラクターごとに違う事をしてるから、生き生きとした生命力が感じられて、見てて面白いわけです。
作品構成の軸がたくさんあると言うような?
これはコントロール主義のガンダム00には出せないよな。機動戦士ガンダム00だと「アニューが死んでかわいそう」っていうシーンは「かわいそう」っていう意味や価値観しかないシーンになってしまう。だから、ソレスタルビーイングの人は怒ってるロックオンを止めないし、殴られてる刹那をかばったりしないで「かわいそーだなー」みたいな面をさらすだけ。演出家がちょっとティエリアに嫌そうな顔をさせたり、カイ・シデンが「やってらんねえよ!」って叫んだりっていうカウンター気味の芝居を入れたら芝居が豊かになると思うんですけどね。
ターンエーガンダムは富野監督が若手脚本家や演出家の意見をグチャグチャに聞いて、そういうたくさんの価値観の軸を絵コンテでムリクリ統一しちゃってるのが、こういうオーガニックな映画を作ってる一因かもしれないなあ。


ターンエーガンダム、深いです。登場人物も混乱しているけど、視聴者も等しく混乱させて、しかもそれこそがテーマになっている!
やはり、再見して分かる事と言うものは在るな。
アニメでよかった・・・。
現実の戦争はビデオのように何度も見て解釈を改めると言うことはできんからな。アニメでよかった・・・。
でも、1回目で自分の目でちゃんと見て「ケンカはよくない!」って分かってしまうロランやキエルさんこそが真のニュータイプ、戦争なんぞせんですむ人類の事だよ。

そうか!これがニュータイプの分かり方か!グダちんには無理だ!重力に魂を引かれたグダちんには!ボーン!