彼は「金の力で女を侍らすのは男の楽しみだ」って萬画のようなことを言う。
だから僕が「女は君の周りにいる振りをしているだけで、貢いでいるのは君のほうじゃないのか?」と言うと、そうかもしれないとの事。
「でも、人間って最後は男と女だけですよ」と、古いエロ小説のようなことを言われた。
「セックスして子供を作るのが人間の本能で、最後の最後はそれだけだ」との事。
だから僕は、「君はセックスして、子供を作る予行演習をするために風俗遊びをしているのか?好きな人がいたり、恋愛をしていたりするのか?」と言うと、そう言うわけでもないらしい。
「遊べるのは今だけだし!それに、接待する時に遊びを知らなかったらハブられるし。自分の後輩に遊び方を教えていかないとダメ」と、仰る。
だから僕は「遊びと言うのは、つまり、仕事の延長で、自分の楽しみのためだけに純粋に遊んでいる訳ではないのですね」と。
たしかに、僕のようにたった一人で、自分ひとりが楽しむためだけに遊ぶのは不自然なのかもしれない。
女を侍らせるのも女のため、セックスするのも仕事をするのも家族を守るため、遊ぶのも人に教えるため。人に気を使って生きて行く事が、社会性のある人間なのだなあ。
そのために一晩で百万円くらい、酒の原価の数十倍の金をばら撒いて、お姉ちゃんに誉められて人のためになる事が大事なのね。
文化や意見の違う人の話を聞くのは楽しい。
僕はオナニーが好きすぎる・・・。自分を無くしている事にも気付かないで、それを快感にするのが下手。いろいろ自分で考えすぎなんだよな。
馬鹿になって金をばら撒けばいいんだ。それが社会なんだ。
人のためだと言い張って行動する事が、自分で自分の責任に押し潰されるよりは健やかなんだろう。
なるほどなあ。
僕は遊びに関しては自分のためだけに遊びたい。でも、社会性のある人は遊びだって人のために行なうのだな。
えらいなあ。
でも、金をばら撒くんなら、フォスタープランに寄付して、少女を買春できないのが私なのだ…。まあ、今は物理的に金が無いんだけどね。
だから、一人でアニメを見て、スゲーーーーッ!って叫ぶ。
それに、我が教祖の富野由悠季は
富野「ここで僕が言っている『気持ちいい』というのは、エクスタシーの話なんです。オーガズムの話をしているんです。なんかちょっと気持ちいいなということとは全然違うのです。
ならばセックスするしかないだろう、と言う人も居るでしょう。もちろんそれも入っていますし、それだとかなり近道でそこへいけるでしょう。しかし、それ以外にもこんなにたくさんの道があるんだということを言いたいのです」
富野「明治の日本の人口は3千万くらいしかいなかったんです。つまり、今の七割方の人間が死んだからって日本と言う国家がなくなるわけじゃないんです。
(中略)
重要なのはどういうふうに軟着陸するかということですから、結婚しない人が増えているのなら、それはめでたいよね」
セックスしたり結婚するのが趣味の人はそうすればいい。
私はセックスや結婚の向こう側のものが怖いので、お気楽に女遊びは出来ない。だから、健やかなる人たちに任せるぜ!
っていうか、俺はイチイチ行動に理由付けをし過ぎ!
女を買って精液を抜くなんてことは当たり前なんだよな。欲望なんだから。その理由なんか、「最後は男と女しかいないから」程度の理屈でいいんだよ。そういう理屈を「矛盾している!」などと論破して、何になるんだ。
俺みたいにイチイチ自分のための理屈をつけようとするのは不健康だ。
どうでもいい。どうでもいいことなんだ・・・。
セックスなんか・・・。子供なんか・・・。
命なんか・・・。
モテとか非モテとか・・・、どうでもいい。
だけど、富野アニメを見たり脳内妹のことを愛していくと、血が騒ぐんだ!血が騒ぐんだよ!
血が騒いでいないと、からだが痛くなって辛いんだよ!
生きるためには!
俺は遊びに生き死にを賭けすぎだ。後が無い。