玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。


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うみものがたりに見る国道沿い文化圏VS魔法少女世界

三個前の軽いパチンコ論文はこのエントリの枕。


うみものがたりを録画して、今更4話まで見た。もう六話くらいだっけ?
忙しいんだよ!
まあ、俺の人生よりアニメの話題を読者は求めてるわけだが(笑)


予算や人手も潤沢で、佐藤順一監督が久々に変身魔法美少女ものを手がけて非常に面白い。

原作パチンコはほっとんど知らないが、海賊船やタコやフグなど、原作のカケラをうまく取り入れて、ストーリーのない原作を旨く物語に組み立てて料理している。
非常に面白い。
おジャ魔女どれみみたいな良い魔女と悪い魔女の因縁、プリンセスチュチュのメルヘン、カレイドスターでの肉感的だが健康で爽やかなギリギリの色気と百合、ARIAで見られた日常空気の面白さ、この十年間のサトジュンの集大成とも言える作品になりそうだ。
(まあ、セーラームーンとかも入ってるが)


しかし、ただ原作をうまく料理して、娯楽作にしたというテクニカルなだけの作品ではないというのがまたすごい!
パチンコ原作というものにカウンターを打ち出しつつ、時代の空気を取り込んでいる。
ゼータガンダム新世紀エヴァンゲリオンにも参加したサトジュンだから時代の病んだ空気をさりげなく敏感に取り入れてる。


それは国道文化である。
コクドウ文化とは!


コクドウ----砂漠よ永遠に - はてなハイク
ここで、id:p_shirokumaさんが頻繁に語っているコクドウ文化のひとつが、パチンコである。

コクドウ----砂漠よ永遠に

 国道沿いには、国道の民が幸せに暮らしていくのに必要なものがすべて揃っている。どこまでも続くアスファルトの交易路に沿って、数珠繋ぎのネオンライトがどこまでも続くこのパラダイスの内側で、祝福された国道の民は、あらゆる快楽、幸福、理想、目標を享受することができる。
 
 
 国道沿いの世界は、自己完結している。スーパーマーケット、カラオケ、ラブホテル、公立学校、パチンコ屋、そしてTSUTAYAブックオフ。洗練された滑らかな文化の皮膜の内側は、正しき国道の民にとって必要十分なクオリティ・オブ・ライフを保障しているかのようだ。ガソリンはガソリンスタンドに掘られた井戸から湧いてくるし、アジアンショップに売られている小物類はいずれも、国道沿いの民の内職者の手によって創られているにも関わらず、魔力を帯びた正真正銘の逸品ばかりだ。
 
 
 国道の外側には世界など存在しない。少なくとも、“正しき国道の民”にとって有意味な世界は存在しない。国道の外側に世界が存在すると考えるのは、既に“正しき国道の民”ではない。
 
 
by id:p_shirokuma 4/9 from web

安かろう悪かろうでも擬似的な都会っぽさを享受して何となく生きてくような物がコクドウ文化だろうか。
シロクマ先生はあまりはっきりとは定義されていないが。
富野信者にわかりやすく言うと、ドームポリスのピープル。
ケータイ小説の舞台になりそうな地方都市というと、よりわかりやすいかな。
そして、パチスロはコクドウ文化において無価値な人生の死を待つ時間を潰しつつ、金銭をコンピュータで無意味に増減させる興奮を、国道の民に与える娯楽装置だ。
マリンちゃんやツインエンジェルやアスカちゃんやレイちゃんはそれに彩りを沿える国道の巫女だ。
海の巫女はパチンコ海物語の世界という愛にあふれた楽しい世界の象徴だ。


だとすると、空の巫女である宮守夏音は国道の民かもしれない。
舞台は国道というよりは沖縄辺りの自然あふれる美しい土地というアレンジが加えられているが、それを夏音は否定的に捉えている。
自然しかない田舎を出てオシャレな大学に行きたいと方言で叫ぶ。
それを親や亀に「陳腐な夢」だと言われる。
すごいコクドウっぽい。
田舎には似つかわしくないパンクファッションを着ているのも、下妻物語のようなコクドウ感覚だ。
家の風呂がきちんとカビたりして薄汚れた感じとか。
元彼からもらった指輪がドンキホーテで売ってそうな感じだったりするのも、国道っぽいし、夏音という名前もヤンキー国道文化っぽいし、夏音がすぐに死にたいとか邪悪な雰囲気になるのは、地方都市の女の子が何となくメンヘルに成るみたいだ。
男にフラれたと思い込んでキレるのもボーダーっぽいし。サトジュンは絶妙にギャグとして描いてるけど。
母子家庭でインチキ占いを仕事にしてるのもギャグっぽいが、統計確率ギャンブルのパチンコのメタファかもしれない。
パチンコ業界の懸賞論文には「母子家庭やニートを雇用するパチンコ店は地域社会再生の要である」という物もあるらしい。


つまり、うみものがたり〜あなたがいてくれたコト〜とはっ!
パチンコを原作にしただけでなく!
陸の人間模様や新キャラクターを通じて、パチンコ業界やパチンコマネーくらいしか経済が盛り上がらない現代日本の国道文化に覆われた現状をも、原作として取り込んでいるのだ!


素晴らしい。
一見、原作キャラクターを拝借しただけの単なる娯楽作と見せかけて、パチンコという物のまとう諸要素を描いている。
パチンコマネー以上に、パチンコ原作である事を昇華している。


多分、これは原作サイドへのカウンターだろうが、原作への直接の皮肉とは見えないという絶妙なバランスであり、スポンサーには気づかれないだろう。
さすが、おもちゃ業界や原作者との折衝を渡り合ってきた佐藤順一監督だ。
限定戦の王者だ。
少女物もロボット物もギャグ漫画もオリジナルもやってきたし、バランス感覚も抜群だ。


スポンサーはとにかく、マリンちゃんをかわいく、愛と幸せにあふれた海の世界=パチスロの画面の中の世界を良いものとして描かせようとするのだろう。
そこでサトジュンたちは
「海の良さを活劇アニメーションで描くには敵とか邪悪も必要ですよー
邪悪を浄化する海の巫女が引き立ちますよ」
とでも言ったんだろう。
原作通りに筋書がない終わりのないドラマのない、海を漂うだけの日常系萌えアニメにしてもよかったのにね。
そう、海の光を引き立たせるために新しく置かれた陸の闇こそが、原作にはないドラマをつくる源で、アニメ版が描こうとしているものかもしれない。
おジャ魔女プリンセスチュチュで「闇を悪だ」とわかりやすく描いた反省かもしれん。
だから、プリキュア的に闇と戦いつつ、主人公の片割れが邪悪体質となってるのかも。(キュアパッションはかわいい)
淋しがり屋が邪悪を喚ぶみたいな、闇について踏み込んで描くのかなー
というと、人間関係の欠如を悪とする富野監督との師弟関係も思い出される。
まあ、そこについては、夏音はおんぷちゃんやるぅちゃんくらいの闇だから、プリンセスチュチュで軽く扱われた大ガラスのような魔女というボス級の闇をどのように描くかだなあ。
レイアースみたいな感じにするんすかねえ。
(人のブログで五話の感想をチラッと読んだら、ピュア100%にこだわりすぎるのも邪悪とか?光と闇は紙一重。ウリンもアニメオリジナルやんなあ)


話が逸れた。



ちなみに、AIRCLANNADもコクドウ的な作品で、これらも国道沿いの小さな都市の中で繰り返される不幸や奇跡を描いた作品なわけだ。
ただ、うみものがたりは若干違う。
それは人魚姫をモチーフにしたエンディングテーマからもわかるように、越境する要素を持つからだ。
シロクマ先生は「国道の外に出るものは正しい国道の民ではない」と言った。
(だから一ノ瀬ことみは幼なじみでもメインヒロインにはなれない。国道から去っていく切なさのヒロインだ)


マリンは海物語の世界から外の空の世界に憧れて来た。
夏音はマリン達、まろうどと出会って国道の外の世界を見る。
ここで、捻れているというか、一筋縄ではいかないところがある。
マリンは愛にあふれた夢の世界(パチスロ)の中の人なのに、国道文化な安いアクセサリーを宝物だと思って陸(現実)に来た。
対して夏音は国道から大学に行く事で外の世界に行くと息巻いていたが、マリンと出会ってから、大学に行きたい気持ちが萎んだみたいだ。
国道から東京の大学に行きたがるのも国道的な価値観だもんなあ。


では、東京の大学が国道の外の世界ではないのなら、外の世界とはどこだろう?
パチスロの画面か?アニメーションの夢か?おとぎの国?
少なくとも、パチンコCR海物語で地中海に行ったつもりになることではないだろう。



そんなところがなかなか興味深いアニメーションだと思います。
光と闇、夢と現実、外とコクドウ。
その越境が生み出す物語が、うみものがたり〜あなたがいてくれたこと〜