前編は、先週の木曜日あたりに書いたけどまた長文はかけなくなった
怖い
だから結論を言うと、富野監督の∀の癒しに、「2000年3月に買った詩集に載っていた、西條八十の『かなりや』を読んだ。幼少期にも読んでいた。これが自分の作劇の原点にして究極。」
検索してかなりやの歌詞を読め
「ストレスの後の、転生的解放」
ロランは司祭になり、徐々に一年間かけてディアナと同じレベルの責任を負った。自分を無くした。
ゆえに俗のソシエからずっと遠くなる。
うたをわすれたかなりやは解放され、人に生き甲斐を与える役目から放たれた女王と司祭が、小さな生き物たちの森の中で、そこから生き甲斐をもらいながら生き延びられたのは幸せだ。
(ディアナは老いたが、また明日と眠る。体を壊してわかるが、明日がある、もしくは良いと思わないとあのように眠れない)
また、あたらしいかなりやのキエルは象牙の船で月夜の海に飛び、新たなディアナとレット隊や人々もわすれたうたを思い出す。
ケータイではこれが限界。
あとは判れ。