玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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∀ガンダム第44話「敵、新たなリ」

脚本・高山治郎 絵コンテ・日高政光 演出・森邦宏 作画監督・戸部敦夫
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words44_TurnA.html
http://www.turn-a-gundam.net/story/44.html

今だに何が新しい敵だったのか判らない第44話、「敵、新たなり」。
今回は物語の序盤からディアナ・ソレルを暗殺しようと暗躍していたアグリッパ・メンテナーとミーム・ミドガルドという二人の悪漢が倒される話。むしろ、一段落する話のようです。
だが、メンテナーが消える事でグェン・サード・ラインフォードとギム・ギンガナムが新たな敵になるだろうという予感がありますなあ。
また、黒歴史の記録映像を見せられたムーンレィスの民衆が(おそらく、地球との戦争のライブ映像と勘違いして、情報統制をおこなっていたアグリッパ派の役人や地球人と行動するハリー達親衛隊に対する不信感が爆発して)暴動を起こしてしまうというのも、新しい敵(民衆全員の闘争本能)の芽生えなのかもしれない。


その黒歴史の映像が月全土に流れてしまったのは、ディアナ様が民衆皆に真実を知ってほしいと思って流したが、民衆には意図が伝わらずに暴動を起こしたので、ディアナ様はアホかと思っていたが、mixiで囚人さんに「あれはターンエーガンダムとターンエックスの共振の影響で他の所にもモニターが開いてしまったのでは。ディアナ様も意図していない放送事故だったのでは」との御意見をいただき、納得です。
視聴者の解釈の余地が大きいですね。
それに、登場人物もうまく状況を理解していないし、視聴者にも説明しないっていうのが、富野アニメらしいですね。イデオンとか。
登場人物が説明セリフを言っているように見せて、それは登場人物の勝手な当て推量で、設定の説明よりも、そういう説明を言ってしまう登場人物を表現しようというのが富野アニメの演劇的なところだ。が、設定も膨大なのだから、変な感じで面白い。
放送事故などは、一言「ターンタイプの影響で市街にもモニターが開いてしまった」とか言えば、視聴者は起きている事象や段取りを納得できていいんだけど。そんなセリフは入れない。
なぜか?
それは段取りに必要なセリフを入れる時間がないくらい、芝居そのものが研ぎ澄まされているからだ。


そう、今回は非常に演劇的な芝居がかった回で面白かったなー。
冬の宮殿でのアグリッパ・ミドガルド・ディアナ&キエル・グェン・リリ達の黒歴史に関する議論が白熱し、二人の女王がアグリッパを刺殺して粛清せんと叫ぶ「死にませぃ!」で盛り上がり、意外なところからの二つの銃声が争いを終息させると。
あー、舞台っぽいなー。長いセリフの応酬で重要なテーマを一気に語って観客が咀嚼する前に勢いで吹き飛ばそうとするし。声優さんのセリフもアニメーションの動きやレイアウトも芝居がかった迫力がある。
グェン卿がアグリッパと女王の戦いの隙に黒歴史のデータを「画面のフレームの外で」コソコソと集めようとしていたのも、中央舞台での女王の芝居の隙に、脇の舞台で小芝居をするような感じだ。
銃声はするけど、発砲そのものは描かないで音響で見せるっていうのも演劇的だ。
こういうのが好きだったから、ぼくは大学で演劇をやったのかもしれないねえ。
いや、演劇自体は小学生のころから好きでしたけど。


まあ、そんな演劇アニメは複数回視聴したり、ビデオを巻き戻してみないと意味が不明だったりするけどな!
意味はわからないけど、何かすごいっていう感覚が残って、10年経っても見直したりするけどな!


いやー、段取りが多いアニメやドラマがほとんどですよね。
「ぼくはきみをまもるんだー」とか。萌え記号のデータベースや、ツンデレという行動様式も、煎じつめれば段取りの陳腐化ですよ。
そういうのは、すごく、意味はわかるんだけど、「ああ、言った言った。やっぱりね」だし、ひどい時には次のセリフや展開が予想通り過ぎて、見ている間、脳が死んでいるときがある。
目に鮮やかな色の絵が移っていることとはわかるが、物語回路が動いていないのだ。
でも、富野アニメは段取りを排除したうえで、物語を動かすので、脳が活発で面白い。

ディアナ 「ソシエさん、この辺りでのモビルスーツ戦はくれぐれも避けてください。あのドームには一千万人の人が冬眠しているのですから」
ソシエ 「そんなの相手の出方次第でしょ」
キエル 「ソシエ、ディアナ様になんという口のきき方なの?」
ソシエ 「ええっ、前にいるのがディアナさん?この際、どちらも私のお姉さまって事にしてくれません?」
グエン 「いいじゃないですか、彼女の元気さは」


↑ここまでは普通のやり取り
 ↓段取りを無視したディアナ様のいきなりの耳打ち


ディアナ 「グエン卿は、わたくしと共に道を行かれる方ではないようですね」
グエン 「そうですか?私は、月の驚嘆すべき技術を地球の平和の為に活用したい、それだけです。地球に帰れたらの話ですがね」

ソシエが元気って言ったグエンに対して、いきなり決別ですよ。
多分、黒歴史を漁っているグエンに対してディアナ様が冬の宮殿を出てから言う機会がなかったからなんとなく会話が始まった時にいきなり言いたくなったとか、ソシエの無邪気な闘争本能を諌めようとせずにヘラっと笑って利用するようなグエンにムカついたとか、そういう気分なんだろうけど。すごいなあ。
普通、小説を書いたり詩を書くときって、段取りに乗ったほうが書きやすいし判りやすいんですけどね。
「僕は」→「君を」→「守りたい」→「強くなりたい」→「愛してる」とか、そういう段取りが楽だし、それに引きずられる。慣用句的な感じで。
富野由悠季井荻麟はそういう予定調和が少ないので面白いね。
そう来たのか!と。アハ体験。


(というか、多分富野アニメも段取りはやっている。段取りセリフを段取りと気付かせないさりげないチラッとした脇役の一声でやったり、段取りセリフを最低限の所で打ち切って次の芝居を入れたりする。
だからやっぱり段取りが気づかれない。これは痛しかゆしなんだが、テンポはいいんだよな)
ミドガルドが部下に「ジャンダルムを入れさせろ」って言って、月面空港のシャッターが閉まるのをギンガナムが見て「往生際の悪い男よ」と言うだけで、
「ジャンダルムが冬の宮殿に侵入し、それに乗り込んだミドガルドがディアナを撃ち殺そうとしている」ということの段取りを済ませると!
なんか、そのものを絵に描かないでリアクションで済ませるというのは、演劇的でもあるし、虫プロ的省力化なのか?(笑)
ジャンダルム出現のショックを演出するためだな。


ああ、もう30分過ぎたから、短く書く。


芝居の心情表現として、「闘争本能に火が付いていない」アグリッパが、闘争本能に火が付いていないゆえにそれを恐れすぎて、闘争する人を全員排除しようとする逆説、変節した闘争本能がとても面白い。
魅力的な人物とは言えないが、温厚で平和を望み恐怖感が強いために暗殺をしようとしたり民衆の自由を奪ったりする、そういう小心なところはちょっと共感します。
ディアナ様に死ねって言われるけど。
まあ、ディアナ様は暗殺されかかったから、殺す権利はあるよね。ラクス・クラインキラ・ヤマトはそれだけで戦争を起こしたくらいだし。


ミドガルドも面白いなあ。人間の器的には、一年戦争フラナガン・ブーンと同じくらいのスパイ将校だから、3回か4回くらいで死ぬと思ったのに、終盤まで生き延びて、暴走するとは!
女王を暗殺しそこない、ギンガナムにも冷遇され、アグリッパも失脚してしまい、行き場所をなくしてしまったミドガルドを死の恐怖が襲う!
自分の器が小さくても自分の体を生かし続けるためには、ディアナを殺し、「勝てば官軍」とならなくては生きていけない。これは理屈ではない。そのためにはジャンダルムで冬の宮殿もろともディアナに爆撃をする。暗殺者として人を殺し続けてきたミドガルドだが、自分の命への執着は強かった。
それに彼が自覚したとき、彼はターンエーの月光蝶を目覚めさせていた!
あああああ。
「わたしはとんでもないことをしている!」
このときのミドガルドの遁走は素晴らしいなあ。


月光蝶のバリアーも素晴らしい。映像的にもすごい!こんな広いメカアクションは演劇ではできない!
だが、ハリウッド映画では映像がメインになってしまって芝居が見えにくい。
だからテレビアニメだな。テレビアニメはいいとこ取りだなあ。


ラストのハリー・オードとキエル・ハイムの会話はものすごくハイセンスで、放送当時からかっこよすぎてすごく印象に残っていた。
女王の剣であるハリーと、女王の盾となったキエルが、ディアナ女王を守り抜いた安堵感と連帯感を持って並び、愛を語る。
ハリーがサングラスをかけている理由が明かされるが、それは「ディアナ様を見守っているふりをしながら色んなご婦人を物色するため」でした。
「守るべきご婦人をたくさん持てる、親衛隊長という役職に誇りを感じています」
変態仮面そのものなんだが、キエルはハリーに物色される自分を感じて「いやしいお方」って言いながら満足げだ。エロティックだなー。
キエルに「女王もご存じですよ」と言われて、ハリー大尉も照れてしまって、「左手の袖を引っ張る、ダンディーなしぐさ」を思いっきりする。スニーカー文庫小説版では離婚歴のある男、ハリー。
ハリーは女王を守ることを誇りに思っているし、そんな自分がとてもかっこいいと思っていて、色んな女性と付き合えるイケメンだから人生がとても楽しいと思っている。
騎士様だなー。
このシーン、すごく好き。
だから、ハリー・オードがマザコンという説には納得がいかない。
http://heitan.blog17.fc2.com/blog-entry-481.html
というか、普通にアニメを見てたら、ハリーはマザコンでは絶対にないってわかる行動をしてるじゃん。
アニメは見てたらいいと思う。
ハリーがギンガナム隊を見限ったのも、多分、ハリーが自分をかっこよくして女にモテたいと思う王子様だったからでしょうな。
ギンガナム隊というのは、月の温厚な統治社会からはみ出して暴力ごっこをしたがるスエッソンのような不良や、運河人以下の下層階級のメリーベルなど、ムーンレィスの社会からはみ出したものの受け皿になっている公的ヤクザというのが歴史的事実っぽい。闘争本能や自己顕示欲の強い不良を軍隊に入れて安定させるという。
ハリーは両親を冬眠事故で亡くした没落貴族なので、やさぐれてギンガナム隊に入るのは当然。
だが、ハリーはヤクザの掟の中で自分の強さを誇示しようとするスエッソンを下劣な奴と言い、それでギンガナム隊を見限って親衛隊へ。
ヤンキーの内輪で「俺が強い」とか言い合って、女王に演習を見てもらうようなレベルでは、ハリーは満足できないくらい自分のかっこよさを誇示したいというスーパーイケメン。
「ディアナと言う母親に認められたい」って言うだけじゃないと思うなー。「ダンディーなしぐさ」をしたり自己満足的な行動も多い。
また、今回もディアナに女王としての衣装を届けることでディアナに民衆への演説を言外に促したり、女王のフォローを的確に行うように自分で考えて女王を導くこともしているぞ。
母親に敬意を払いつつ、母親への恨みや影響下で行動するミドガルドやフィルとは違い、他の女への恋心も持っているというのが健全な成長なんじゃないですかねえ。ロランも結構スケベだし。
あっはっはっはっは。
俺の言うことじゃないな。


まあ、何が言いたいかと言うと、「オタク論」みたいな感じで、マザコンだの母性のディストピアなど、小さいところで、ハリーやシャアをまとめてほしくない。そんな論を超えたものも、本編を見ていれば描かれているし。
ハリーやシャアをカッコ悪いという人とは、僕は誰とでも戦います!
僕はね、僕は富野信者なんです。富野信者なんですよおおおおおおっ!


それにしても、今回もガンダムはテンション高いなあ。