玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野信者による「ほしのこえ」新海誠の不愉快な感動の感想

なんかすごいすごいと言われていたので、見た。見たいと思ってから平気で8年くらい経つのが俺の時間軸。
普通の学生や社会人にとって8年は人が変わるのに十分だが、ニートにとっては一瞬だ!駆け抜けろ!



http://grail.s55.xrea.com/hoshinokoe.htm
ここが僕よりも深く考察してますです。
へー。ニューエイジなんだ。敵の血の描写とかコックピットはエヴァだねー。
宇宙はトップをねらえ!で、ロボはνガンダムとガーベラテトラとフルメタルパニック!だな。火星の遺跡とかはナデシコ
なるほどー。これが個人の好きな思いで作られた作品か。
別に個人作業が偉いとも思わないけどねー。8年後の目で見ると、これくらいのMADはいくらでもあるし。
しかし、「個人の好き」で作られた割に、それが逆に「元ネタ」のモンタージュツギハギに見えるのは妙な現象だ…。

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つまりどういう事かと言うと、「作者がそれを好きで、それを配置したいと言うのはわかる」だが、「作品内の人間がどういう思想に基づいて、それを配置したのかという哲学が感じられない」と言う事です。
ロボットのメカデザインにも、宇宙〜空中〜地上への汎用機動兵器としての哲学が感じられない!
量産タイプなのか、決戦兵器なのか。歩兵なのか斥候なのか砲兵なのか突撃兵なのか兵種がわからん!
戦闘中にメールを気にするような子供をフォローしないで作戦行動に出すのは、先輩に怒鳴られたりする最終兵器彼女よりも兵站描写が薄いなあ。恋人を出兵させられた男子に対する周囲のフォローが全くないし。
宇宙怪獣によって経済や文化にも影響があるはずなんだけど、なんかメカと怪獣以外は20世紀末のノスタルジアだったし。徹底して「君と僕」に閉じてるのが気持ち悪かったです。
まー、いろいろと設定に余白を作りながら、それっぽいSF描写や精神描写で考えさせるってのはオタク向けアニメ(エウレカセブン)っぽい戦略なのかもしれんけど。ガンダムもそうだけどさー。
でも、富野ガンダムって「余白を残すのは、描く必要がなく、描いた方が野暮だから、分かれ」だし「富野アニメの余白を考えて理解したつもりで、もう一度見たら全て書いてあった」だったりするしなあ。
ショートフィルムと言う意味では、リング・オブ・ガンダムの方が短くて展開も飛躍しまくってるけど、世界の余白を割り切ってなくて、少しでも詰め込もうと補助線を広く張ってます。ものすごく荒っぽい補助線だが。でも、リングコロニーと地球連邦とビューティ・メモリーとガンダムの宇宙と歴史を股にかけた力関係の動的変化が短い時間で貪欲に表現されてる。
それに比べたら「ほしのこえ」は総括ではなくて二人の子供の痴情っていう各論にまとめて落として完成させやがったな、って感じ。
まー、新海誠秒速5センチメートルも閉じてる感じだったし、そう言う作風なのかなー。でも、閉じてる正確な割に軽々しく「別の宇宙への進化」とかいう題材を扱うのは、カルト宗教的な危うさを感じました。
自分に近いコンビニとか学校の事しか大事に思えない奴が天下国家を論じないでほしいと言う事です。
そういう点では、富野由悠季の最新作「はじめたいキャピタルGの物語」の主人公たちは宇宙エレベーターの保守要員の実習生で、それに対して教官が「貴様らは人類繁栄のためのキャピタル・ガードという高貴な職に就く人間なのだ!」って一喝したり、被差別階級のヒロインが高貴な主人公を踊りで応援したりっていうのは、社会的文化的な広がりをたった8頁で表現してて、すっげーセンス・オブ・ワンダーSFだって思った。
ほしのこえが本格SFって言われるんだから、富野作品もSFでいいよね?高千穂ーっ!すくなくともビキニ美女のスペースオペラより。
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機動戦士ガンダムF91クロスボーン・バンガードも「高貴な職業意識を持った革命のさきがけ」だもんなあ。俺も、地球の命運を担う機動兵器の乗り手には高貴な騎士の意識を持って欲しいって思うし、社会も騎士を尊敬すべき。
FSSか。
しかし、ライトノベルレベルの、中流意識を引きずった「感情移入しやすいごく普通の学生」って、ホント、不愉快だよなあ。ロボットを降りろよ。本郷猛レベルのIQになれよ。
でも、ライトノベルとかアニメっていう媒体自体が、舞台演劇観賞やライブ音楽という文化ではなく、無料でテレビの前でぼんやりと見るっていうスタンスの貧者の娯楽だからなー。僕自身も、中流以下だからアニメに走ってるという自覚がある。そりゃあ、そういう視聴者に合わせた作品になるのか。
いや、歌舞伎もそんなに高尚じゃないんだけどねー。大道具も伝統があるけど、21世紀の目で見るとしょぼいし。
中村屋が、舞妓や文化人に向けて水芸を披露して、喝さいを浴びるのはニコニコ動画とあんまり変わらないような下らなさだし。まあ、オーガニック的だし、型の洗練と言う物はあるが…。
だいたい、能や狂言の役者や演者が羽織を着ているのに、髪型がざんぎり頭と言うのを見ると、本当にうんざりする。能面を被るなら髪型も演出しろよ。もっと細部まで意識をいきわたらせろって。
野村萬斎は顔立ちにあの髪形が似合ってるからまだ許せるけど…。



と、富野信者は基本的に富野作品(と富野が憧れてる作家)以外には何にでも文句を付けますよー。
富野作品にも文句付けるけど。劇場版で角が赤くなるガンダムを修正しなかった安彦とか。



そんなふうに、いろんな所が不愉快だし、絵もそんなにうまくない「ほしのこえ」でしたが、綺麗な色遣い、象徴的な背景、うまくはまった音楽とか、キレの良い編集、過去のアニメ作品の見せ場を引用した構図や、古典的な恋愛題材、結末が見えそうで見えないように釣針のテンションを操る恋や事件や事象の連続、っていう強引さに押し切られて、不覚にもちょっと泣けた。
うーん。不愉快だ。動物化だなー。
でも、感動したよ。
物語としては難がありますが、いいムービーでした。