玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

宇野常寛、アニメルカの僕の原稿をけなすの巻&宣伝

2010年夏のコミックマーケットで配布されたアニメ批評同人誌、アニメルカvol.2に寄稿したものの第1章を先日、ブログに書いた。


文学フリマでのアニメルカの宣伝
文学フリマでのアニメルカの宣伝 - 玖足手帖-アニメ&創作-
二〇〇〇年代の創造神、富野由悠季のアニメる力 序章・I章 ゼロ年代の土台たる富野由悠季
二〇〇〇年代の創造神、富野由悠季のアニメる力(ちから)』1 - 玖足手帖-アニメ&創作-
が、明日の冬コミ3日目でもアニメルカが売られるそうなので、その宣伝も兼ねて、続きの2章目をアップしてみる。私には一円も入らない。ちなみに、全部で7章ある。
アニメルカvol.1があずまん氏の動物化するポストモダンや、宇野常寛氏のゼロ年代の想像力に追随して、思想的に書かれた内容が多かったので、私はそれを踏まえた上で、社会思想クラスタではなくアニメを楽しむ一匹のアニヲタとして書いてみた。つまり、思想クラスタに対する嫌がらせである。
その結果、宇野常寛氏にはtwitter

@nuryouguda いつもそうだけど、ただ難癖つけたいだけでしょ? そしていつも知力が追いついてないよね。アニメルカ原稿しかり。

7:45 PM Dec 22nd webから nuryouguda宛
http://twitter.com/wakusei2nd/status/17787780675407872


@nuryouguda 富野信者を自称するなら、もう少し修行してください。「富野作品のキャラクター描写には台詞をストレートに受け取れない含みがある」程度のことをさも自分が発見したかのように書いてはしゃいているのはさすがにひどすぎる。
7:47 PM Dec 22nd webから nuryouguda宛
http://twitter.com/wakusei2nd/status/17788288953745408



@nuryouguda かまって欲しそうにいつもつまんないリプを飛ばしてきているけれど、どれも気が利いてなくて退屈です。そろそろブロックします。さよなら。ちなみに、あなたのそのコミュニケーションこそが、富野的なものをまったく吸収していないことを端的に示していると思います。では。
7:50 PM Dec 22nd webから nuryouguda宛
http://twitter.com/wakusei2nd/status/17788996243431424

と、プロのライターさんからの、ありがたいお言葉を頂いて、ブロックされた。
もちろん、これも、いろいろな事情*1*2*3もあるが、所詮は私が有名人にからんで自己承認欲求とブログのコンテンツ価値を高めたいという、私の政治的に下衆な行動である。そんなものに対応してくれ、その上アニメルカも既に読んでくださっていた宇野常寛さんは心が広い人だと思う。
いや、宇野常寛さんは有名人でたくさんフォローされてるので、僕みたいなチンピラに適当にふざけたネタリプライを月に1桁単位で送られても無視するだろうと思ってたんですけど、怒られちゃいました。
俺が知力が追いついてない奴に同人誌の文章で難癖つけられたなら、途中で読むのを辞めて、その時点でtwitterでもブロックするけどな。逆にここまで我慢してくださった事に感動しました。
読んで貰えれば、それで良いと言う岸辺露伴脳。


ちなみに、発端↓

【PRELUDE2011抜粋】【勝手にふるえてろ】【文学オヤジ向け「安全な意地悪さ」 現代的なコミュニケーション過剰に悩む不器用な若者の焦燥を、自虐ユーモアを交えながら繊細さに読み替える……というのは青年/少女漫画の人気ジャンルだが、ロスジェネ世代の女性作家群によって純文学にも
定着しつつある。全編を支配する口当たりのいい「安全な意地悪さ」は漫画基準で考えればヌルいが純文学リーグでは気の利いたほう。「アニメイト」みたいな固有名詞がわかると、自分はまだ若いと安心できちゃう文学オヤジを騙すには十二分。(5点)【宇野常寛
7:34 PM Dec 22nd webから
http://twitter.com/wakusei2nd/status/17784955530641409
http://twitter.com/wakusei2nd/status/17785155250823168


@wakusei2nd 短文書評に多く情報を込めるのは難しい事だと存じますが、もう少し主語を明確にして一文を短くした方が分かりやすいです。「安全な意地悪さ」等の独自造語センスは宇野さんの個性が出ています。(4点)【グダちん】
http://twitter.com/nuryouguda/status/17786070812856320

このやりとりを今読み返すと、宇野常寛さんの書評で問題である部分は、当時の僕が問題視した文章内の単純な主語ではなく、言及対象と、それに対する書き手の態度の不明確さだな。
宇野さんの書き方では「自分がまだ若いと安心できちゃう文学オヤジ」が何歳くらいの「オヤジ」なのかが判り難い。なぜなら、「ロスジェネ世代」と言う物が若いのか老けているのかが不明瞭であるからだ。また、「勝手にふるえてろ」で描かれているらしい「不器用な若者の焦燥」を「繊細さに読み替える」という文章行為が何故「オヤジ」をだます事になるのか?また、騙すと言うのは、オヤジのどのような真実をどのような嘘にすり替える行為なのか?
つけくわえると、言葉の選び方や点数も含めて全体として批判的な雰囲気を感じる書評であるが、「安全で意地悪」である事、「焦燥を繊細さに読み替える」事、「マンガ基準で考えればヌルイ」事が、何故悪いのかという根拠や基準がない。その上、そもそも「勝手にふるえてろ」という小説が悪いと評価しているのかどうかという、書き手の立場の明瞭さすらもないので、書評を読んだ側としては「なんだか『勝手にふるえてろ』に対して悪意のある文章だなあ」という漠然とした感触しか得られず、気持ちが悪いのだ。
でも、短文書評と言うのは、それくらい過程をすっ飛ばしてバッサリと切るのが、評論家としてのカッコよさっぽいと言うのは、僕でも新聞や雑誌を読んでいればわかるので、それはプロのライターの仕事としては大変な事だろうな、と思う。
そういう所を配慮して、宇野常寛さんにはリプライしたつもりだったのだが。
しかし、思い返せば、評論家文壇界での市川氏(私の知らない人物)と宇野常寛氏のツイッター上での紛争に、私がふざけて「また海老蔵がなぐられているでゲソ!」というつまらない事を3週間くらい前に書いた事などが宇野常寛さんの中で炭火のように燃えていて、ストレスになっていたのかも知れん。


まあ、本稿では宇野常寛さんと僕の争いなどは本筋ではない。大事なのは富野である。


では、以下はアニメルカ第二号に掲載された富野論の第二章を、字数制限を気にしないで加筆した物です。僕は文系ではないので、社会論文クラスタのフォーマットにのっとった書き方は出来ていないので、その点は知力が追いついていないと痛感している。

*1:綿矢リサさんは俺の高校の後輩なので、綿矢りささんの小説を宇野常寛さんに先にtwitterでしたり顔で評論されたので

*2:俺が先にヤンキーの先輩のように

*3:「わしの後輩に何をいっとるんじゃい」って感じにからんだという事情