玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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大人を「やる」うちに大人に「なる」人と、大人を「やる」自覚を棄てきれない人

大人は「なる」ものじゃない。大人は「やる」もの。「引き受ける」もの。 - シロクマの屑籠
社会についてどういわれても構わない。だが

ちなみにこの視点で見ると、シャア・アズナブルは対照的です。シャアは、ハンサムな青年将校として颯爽と登場しますが、ブライトとは異なり、作品世界を通してほとんど成長していません。シャアは、自分よりも身の丈の大きな存在に対するレジスタンスの青年のまま歳をとり、あっちこっちをフラフラと彷徨います。そして最後には地球そのものに対して拳を振り上げたのです。

こういう決めつけはいただけない。いただけないねえ。
現代社会程度の物を語る道具としてガンダムの表層を利用するのはずるいです。そういういい方、嫌いです。大人っぽくって。
シャア・アズナブルは成長してないように見えて成長してますよー。
復讐鬼からスペースノイド自治権のために動くクワトロ大尉に成ったじゃないですか。
今、テレビ版のZガンダムを偶然見返してたんですが、クワトロ・バジーナ大尉は序盤はかなり意図的に大人をやろうとしてるんですね。



  • 意外に大人をしているクワトロ

シロクマ先生の言う大人は

次世代をまともに世話して育てられるのは、子どものままの人間ではなく、大人という役割を引き受ける人間だけ

なんですけど、クワトロ大尉は次世代のカミーユに色々とアドバイスをしてるじゃないですか。もちろんすごく不器用で、カミーユともすれ違うんですが、それもドラマの面白みです。
カミーユが遅刻してウォン・リーに殴られるのを見てるだけっていうのも、カミーユに世の中を教えるためでしたし。
カミーユ・ビダンエゥーゴに引き込むのはテロリスト的で良くないですけど、じゃあ、カミーユアーガマに引き入れなかったら、MSを盗んだカミーユティターンズに嬲り殺しに成ってたはず。実際カミーユの両親やファ・ユイリィの親はそうなったし。
アーガマにおいても、カミーユはパイロットをやらなければ居場所を無くして、難民に成るから、才能を生かしてパイロットをさせるっていう判断は厳しいけど大人をやろうとしてる。
ブレックスが「カミーユに人質の確認をさせろ」って残酷な命令をした時「それはよくない」ってカミーユの心を心配してる。
部下を育てようとしてる。ファーストの時はダメダメ使い捨て上司だったけど、クワトロ大尉はアクシズで色々と痛い目に遭ったのか、それなりに部下を使って殺さないようにしてる。アポリーとロベルトもキチンとした人っぽいし。
逆襲のシャアの時の部下のギュネイ・ガスに対してもそれなりに、表面上は優しそうだった。クェスに対しては冷たかったとアムロに言われていたが、それとなくクェスをかわしてギュネイとクェスをくっつけようとする年長者らしさもあった。(まあ、クェス・パラヤがめんどくさいだけだったかもしれんが)


それと、Zガンダム序盤のクワトロ大尉の中間管理職っぷりは素晴らしかった。
クワトロ大尉本人としては確かにレジスタンスの一人のロンリー・ソルジャーとしての戦術的判断から、ティターンズグリプスに潜入して、ティターンズの組織が完成する前に本部のグリプスを攻め落とそうとしてたのだが。
補給線を確保するために月のルナリアン企業・アナハイム・エレクトロニクスをスポンサーにして、その出資者に「グリプスを攻めるより、地球の連邦本部のジャブローを攻めろ」って無理難題を言われて飲まされるのね。
アナハイムやルナリアンとしては戦争を拡大して武器を売りたいとか、宇宙で戦争をさせるより地球で戦争をさせたりジャブローという地球の象徴に対して攻撃するという政治的戦略判断があったっぽい。それが大人というものだ。
で、クワトロはジャブローを攻めると言ってアーガマのクルーやカミーユに「ジャブローを攻めるよりグリプスを攻めた方がいいんじゃないんですか」とか、自分が言った事を言われて、クワトロは「決定事項だから!」と、中間管理職丸出しです。で、グラサンで表情を隠して二の腕がプルプルします。
それでもクワトロが偉いのは、ティターンズのジャマイカンが外様の連邦軍を捨て石にするようなことをせず、自分でジャブロー効果作戦の現場に行くのですね。カミーユに「戦いが好きなだけじゃないのか」って言われたりもしますが、自分がスポンサーに押しつけられた作戦の責任を取ろうという意気込みがあるんですね。
これは、クワトロ大尉の信念らしく、ティターンズに毒ガスで全滅させられたサイド1の30バンチの惨状をカミーユとエマに見せた時に

クワトロ「直接、刃物を持って殺さないからさ。手に血がつかない人殺しでは、痛みは分からんのだ」.
クワトロ「そうだ、ニュータイプをエスパーのように考えているから、.
 いつかそのニュータイプに主権を侵害されるのを怖れているのさ」
カミーユ「それだけの為に、人を殺せるのですか!」.
クワトロ「殺せるさ。ちょっとした借金の為に人を殺すより、よほど理性的な行為と言える」.

と言う。クワトロは確かに一人のレジスタンスかもしれないけど、人を見ずに理性的に人を殺す政治家や軍人など、魂を棄てた人間にはならないようにしている。手を汚すことの重みを知って、それを忘れないようにしながら、あえて手を汚そうとしている。自分が血を流させているという事を忘れては、人を殺す資格がないと思っている潔癖さがある。
これは青年の理想すぎて、大人に成りきれていないと言えるのだろうか?けじめをつけようと考えるのは大人ではないだろうか?
また、クワトロは「大人はちょっとした借金のために人を殺し、その延長線で毒ガス攻撃をする」と、そういう人間観を持っているとも見える。
それでも、スポンサーと現場を行き来して、大人の事情を調整しようと頑張ってる。その中で、一年戦争の英雄ではなく、あくまで組織の一員であるクワトロ・バジーナとして振る舞おうとしてる。これも大人に成ろうとしてる行動ではないか。
でもクワトロは、地上に降りてジャーナリストのカイ・シデンレジスタンスのハヤト・コバヤシに「英雄に成る器量があるのに、英雄や大統領に成らないのはずるい」って、身の丈以上の期待をされて糾弾される。
だが、クワトロは一個人のクワトロとしてあろうとするので、「今の私はクワトロ・バジーナだ。それ以上でもそれ以下でもない」と言ってしまう。
その上カミーユに「そんな大人、修正してやる!」と空手パンチされる。
そして「これが、若さか・・・」と泣く。クワトロは若さを失って大人に成ってしまい、若さを取り戻せない事に泣くのだ。これはオトナ帝国の逆襲のヒロシの涙みたいなものな。


つまり、シャアは一人の大人として振る舞おうとしている。ジオン・ズム・ダイクンの息子のキャスバル・レム・ダイクンや、うっかり一年戦争の英雄に成ってしまったシャアという名前を棄てて、クワトロ・バジーナという普通の大人としての人生をやり直そうとしてる。でも、それでもシャアには理想があるので、生業に付かず、軍人をやってしまう。また、クワトロは「他に食べる方法を知らんからさ。だから未だに嫁さんも貰えん」という理由で軍人をやっていると、半ば自嘲的にカミーユに言っている。
理想もあるし、同時にシャアは自分にパイロット以外の才能が無いという身の丈を把握しているから、軍事関係の仕事をしてしまうのだ。
また、潔癖症だから、当時の連邦軍にもぐりこんで給料泥棒をして退役まで勤めて骨をうずめるのもしない。クワトロと言う軍籍を獲得したのなら、人民のため、87年では困窮したスペースノイドの公益に尽くそうという大人の判断もある。


で、そんな風にエゥーゴをやって、一人の大人の男をやろうとしてるだけなのに、周りの人にいろいろと突きあげられてしまう。
シロクマ先生のいう「自分よりも身の丈の大きな存在に対するレジスタンスの青年のまま歳をとり、あっちこっちをフラフラと彷徨います。」というのも状況としては正しいのだが、シャア一人の判断ではなく、周りにそう仕向けられるという不幸が彼にはある。

ライバルで最強のニュータイプアムロ・レイはそういうシャアをある程度理解していたようだ。
「シャアは俺達と一緒に反連邦政府の連中と戦ったが、あれで地球に残っている連中の実態がわかって、本当に嫌気がさしたんだぜ」
これはティターンズや地球連邦だけでなく、シャアを英雄に祭り上げて自分は変わろうとしない地球人や、利益を追求するルナリアン企業やエゥーゴなど、クワトロの味方の側への嫌気がある。
ガンダムZZ最終回の、ジュドーたちに戦いを任せてネオジオンを放置した連邦軍エゥーゴの遅さと言うものを、シャアはどこかで見ていた。それはセイラも言っている。

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  • 大人を「やる」うちに大人に「なる」人

アムロとブライトはクワトロと共闘していたから、そのような大人の組織の問題点は実感している。
とくに、ブライト・ノア機動戦士ガンダムZZの最終回で大人を代表してジュドー・アーシタに自分を殴らせたし。大人の役割とケジメを引きうけようとしている。
ただ、アムロとブライトは大人としての役割を引きうけているうちに大人に「なった」だから、組織から抜け出せない。
大人の組織の問題点は分かっているが、自分も大人であるので大人の組織を否定するのは自己否定に成るからだ。
また、アムロやブライトよりも精神力が低い大人の大衆はさらにひどい。
逆襲のシャアでのスイート・ウォーターのネオジオン側の人間は流されて生きている大人だし、日々の難民生活を肯定してくれるシャア大佐を無意識に利用して生き延びようとしている。
ネオジオンの政治家たちはシャアを道化にして、連邦政府と大人同士の交渉をする。彼らは主義者と言うよりは難民問題とシャアのカリスマ性を利用する大人だ。だが、同時に大人としての役割、ネオジオンの政治家としての役割の自分を内面化している。ネオジオンでの役割に沿って行動することに疑問を持たない大人たちだ。
地球に隕石を落とそうという軍事行動はシャア・アズナブル一人の能力で出来るものではない。シャアを祭り上げ、全体主義的組織に埋没して責任感を失った大人の大衆たちの意思がそのような状況を用意した事を忘れてはいけない。


つまり、普通の大人と言うのは、自分の役割を自分と同化して、それに沿って行動する、ナチスのアイヒマンのようなものだ。
ビジネスマンは利益を追求する役割のために、政治家は権益を拡大するという役割のために、兵士は命令で殺しをする役割のために、動く自動人形だ。それが大人の役割を自分に取り込んで大人に「なる」と言う事だ。


  • 大人を「やる」自覚を棄てきれないシャア

だが、シャアは仮面の男なので、どんな役割を押しつけられても「これは状況によって引き受けているだけの仮面だ」との癖が抜けきれない。
シャアも大人としての役割は引き受ける。だが、普通の大人は一度大人を引き受けたら、いつの間にか「これが自分の役割だから」という風に無批判に行動するが、シャアはその様に内面化をしない。
内面化をして自分に役割を同化させないで、歳をとっても常に「あえて大人を”やっている”」という意図を棄てきれない。
つまり、シロクマ先生の「大人を引きうける者」という大人を物凄く自覚してるんだな。


同時に、「引き受けた役割は捨てる事が出来る」という仮面らしい癖もある。だから、フラフラと色んな組織を渡り歩く。それはシャアのしようのない所ではある。

  • 理想の大人とは

では、次世代をまともに育てるのが大人だとしたら、「まとも」な大人とは何だろうか。
そう考えるのがシャアだ。
世界で困っている人がたくさんいるなら、世界は「まとも」ではないし、世界の大人の大半は「まとも」ではない。これは判断できるし、実際にシャアはクワトロとして色んな現場を見て、色んな大人のダメな部分を見てきている。
むしろ、大人経験値が高い人が役割に甘んじて次世代の事を考えない、自分の利益追求しかしない世界が本当に嫌になった。
ならば、その様な大人を粛清した方が次世代のために成るのではないか?
人類をまともに育てるために、ニュータイプという、「自覚的に物事をわかる」大人に、人類を成長させるために、まともな大人以外を抹殺する。これは論理的だ。
逃げ出すように警告はしている。また、無辜の民が逃げきれず、連邦政府高官が逃げるのも、シャアの現生人類の大人への怒りの行動力を補強する。故に粛清は止まらない。愚民は死ね!
クェスの言葉だと「その話わかるよ。地球の人って頑固で変わんないくせに、自分の奥さんや旦那さんだけは変えるでしょ。だからシャアはいろいろやって見せてさ、人の可能性見せようとしてんのよ」
大人とはいろんな可能性から自覚的に役割を選んで「やる」者だという事をみんなに分かってもらいたいのだ。
世界の在り方は決して一つではない。シャアは色んな役割を引き受け続けて、役割と言う物の相対性、取り換え可能性を知っている。
ただ、多くの大人は”社会のルールはこうだから、その役割に乗るのが正しい大人”って思って生活している。だが、それは彼らが偶然引き受けた役割に左右されるだけのもので、ある社会や業界のルールが他の場所での非常識に成る。だから、一つの役割だけで考え方を固定する必要はない。そして、その役割で自動的に行動し、自分を顧みないで世界を食いつぶしていく愚民たちは粛清する。それがシャアだ。
だが、それが罪だという事も、人殺しのやり方に矜持を持つシャアは分かっている。


だからシャアはアムロに自分を止めてもらいたかった面もあり、サイコフレームを送ったりして、自分が負ける”可能性”も残しておく。自分が勝つならそれが正しい、負けるなら隕石落としは間違っている。
そういう賭けをするのがシャアのダメな部分であり、傲慢であり、矜持である。
ネオジオンの難民や政治家がシャアに総帥の役割を押しつけたことへの疑問でもあろう。彼らの主張が間違っていたら、世界の意思を体現するアムロが止めてくれるだろうと)
シャアは自分の役割を疑う人だが、自分の行動の正否も最後まで疑っている。仮面の男だから、自分を俯瞰して見る癖がある。一年戦争の頃から独り言の癖が多いし。
もちろん、アムロが気に食わないからボコりたいっていう気持ちもあって、人間は一つの感情だけで生きてるわけではないのだが。


まあ、そういうシャアの意図がどうであれ、アムロ様は超強いからサザビーをボッコボコにして、アクシズも大衆の力を借りずに自分とシャアの命だけで押し戻す。
超強い。
シャアは「みんな大人ニュータイプに成ろうよ」って幼年期の終わりみたいなメッセージを出すけど、究極のニュータイプアムロは「みんながどうだろうと知らん。おれとガンダムが石ころぐらい一人でなんとかする」だからなー。
もう、アムロ様には敵いませんわー。


  • まとめ

大人の役割なんか知るか!気に食わない奴はガンダムで殴ってやる!


で、その時々の人たちは、大人になれる人もいれば、いくつに成ってもダメな人に成長する人もいて構成されている。
それでも数万年後にはディアナ様が幸せになれるので、それで良いと思います。

  • おまけ:役割を棄てるディアナ

女王としての役割を数千年に渡って内面化していたディアナ・ソレル陛下が最後にその大人としての役割を棄てて、若者に継承して休むのが∀ガンダムの感動ポイントだ。


シロクマ先生のエントリは、「大人を引きうける大人一年生」の時点しか書いていない。
大人一年生が、大人を行動規範として内面化して「大人上級生」に成っていく過程と、その理由、そのメリットとデメリット、そして「大人卒業」と言うものも、ガンダムを見れば書いてあって興味深い。
一言でまとめられないガンダムって、本当に素晴らしいですね!
複雑な社会を、言説で単純化する社会学に比べ、なんとガンダムの豊かな事か!
あー、ガンダム最高だわ。


カダフィ大佐は大人卒業をこじらせてる感じですね。
∀ガンダムはムーンレイス三家の滅亡内戦にともなう大人卒業を描いた作品かなあ。
新たにキエルさんやソシエちゃんが大人に成るんだけどね。
ムーンレィス三家では、ディアナ様だけがまともに生き残るのは、ちょっとずるいんだけども、まあ、それはディアナ様がかわいいからだよwww。
あと、役割と言えば、ディアナ様は中盤で女王の役割を放棄して、看護婦の役割やマロングラッセを作るお嬢様の役割とか、いろんな可能性を試していたのも、とてもいいですね。




つまりどういう事かと言うと、ガンダムは可能性なんだ!
ガンダムのいろんな解釈の可能性を固定化する人とは僕は戦います!
社会とかどうでも良いからもう、とにかくガンダムですよ。フヒヒ


でも、一応僕でも子供の前では交通ルールを守るし、駅のホームから人を付き落としたことはないです。
外出するときは着替えるし。だって、不用意に敵対行為をしたら社会に抹殺されるからな。それは戦闘行為の一環としてやりますよ。


あと、ガンダムの大人として紹介されていたブライト・ノアの息子のハサウェイ・ノアがシャア路線に成長した事も色々と示唆的であるな。
ブライトはマフティーの正体を知らなかったけど、Ξガンダムを見て
「いつの時代もガンダムは組織の中にあっても、反骨の精神を持った者が乗っていた」
と言っていた。
大人の組織と、その役割に対する反発の関係をブライトは認めてもいたんだよなあ。