玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野由悠季梅田講演会.新作はガンダムシリーズ確定

先週、2012年11月17日に梅田阪急ビルオフィスタワー17階 のNHKカルチャーで行われた富野由悠季「アニメを通して得た人生観」の雑な記事を書きます。


とりあえず、富野ファンにとって最大の関心事である「新作」については言及があったので、それをまず、記する。(参考:https://twitter.com/Char_Tweet
結論から言うと、富野監督が作業中の作品はガンダムシリーズです。ただ、今回の講演会では「今手掛けている作品」とは言っていたが「Gレコ」や「はじめたいキャピタルGの物語」といった固有名詞はおっしゃられなかったので、タイトルに変更はあるかもしれない。


富野の言葉はかなり伏線、ニュアンス、文脈に左右されるので、前後10分程度の話題を記憶とメモに基づいて書く。新作の話だが、前後の話題を入れておかなければ片手落ちになるので。
ただ、録音を禁止されていたので、細かい文脈は間違っているかもしれません。富野監督はかなり繊細な言葉遣いをするので、声の大きさや表情も含めて解釈しなければ彼の言ってる事はよくわからないのだが、異常な早口と話題の枝葉の立体的な移動をする話法をする人(声帯音声コミュニケーションの限界だよね)なので、メモを取るだけで大変でした。
そういうわけで、以下の言葉づかいはかなり僕が加工した所があるので、ニュアンスが違っていたらすみません。指摘は受け付けて直します。

前略:(先月の京都の講演会でも触れた「人類は巨大な組織を運営する能力が無いのではないか」という話から)
「中野剛志さんのTPP亡国論を読んだ」
「政治家たちは原発以降だと言うのに、再生エネルギーなどの具体的な話はせず、景気浮揚の話ばかりしている。なぜなら、来月の選挙で勝つためには景気の話をするのだ。政治家のレベルであってもリアリズムに物を考えておらず、自分の頭の中にあるフィクション以下の事を語っているだけだ」
「景気を良くしなければならない、喚起しなければならない、それを言い続けなければならない社会とはなんなのか」
「官僚の中にも中野剛志さんのようにかなり優秀な人がいる。しかし理想を説く彼も上手く出世できていない、と言う所がある」(ここらへんは政治的に評価が微妙なので、私:グダちんが上手くニュアンスをくみ取れていなかもしれないという懸念はある)
「ただ、理想論を話している人は、その理想故に原理主義に結び付く危険性がある。ギレン・ザビのように『人類の1/3は死ね』と、極端な考えに行ってしまう場合もある」
「中東の昨今の派閥闘争、内戦を見るに、2千年経っても民族的な紛争を乗り越えて統治をする方法を人々は手に入れていない。宗教的な不寛容さを乗り越えた上でのガバナンスを得ていない。」(ここら辺のニュアンスも私は正しく解釈できていないかもしれない)

「人類は新しい方法論を編み出さねばならないのに編み出せてない。歴史の長さから見れば4、50年で編み出せないのはしかたないが」

「(この数分前に話した”アニメを通じて記号的に思考する”ということから)新しい方法論を見つけるために、物事を記号論の積み重ねで考えを攻めて手法がいいのではないか、と思います。」
「ただし、記号論の原理原則を考えていくと言う事も、原理主義に繋がるのではないのか?という疑問はあります」
「ならば、過去の人類の政治行動原理であった”破壊と再生(200年単位で国家などの統治機構が簒奪繁栄衰亡する歴史)”という考え方の方がいいのではないか?」
「なぜなら、市民が統帥権を持った戦争よりも貴族がコントロールした戦争の方が綺麗だった。トップが狂っていなければ軍事行動も整然としていたのではないか。ならば民主主義よりも、貴族主義、縁故主義で統制された方がいいのではないか?とも思える」
「ただ、これは20世紀までの方法論でしかなく、21世紀以降、地球が有限だと分かったなら新しいガバナンスの方法を見つけるしかない。が、これもすでに理想論で原理主義です」
「原理原則から原理主義に陥らないように、もっとフレキシブルな思考、行動に持って行きたい」
「そのフレキシビリティを考えると、アニミズムが大事になってくる。アニミズム記号論以上に、意味合いや概念を伝達する機能を持っています。それで、アニメーションはその名前の通り、アニミズムを持った媒体ではないだろうかと思います」
「しかし、その記号的性能を持ち、自由自在に画面を構築できるはずのCGを主体にしたアニメーションは面白くありません。と言う事は、我々はアニメーションを使って絵を使う能力を持っていないのではないか?」
「CGを使ったからといって、殆どの作品は以前よりおもしろくなっていない。つまり、動画のコントロールはまだ未熟じゃないのか」



(ここから本題)
ガンダムを離れたシリーズってのはあるんだろうかと本当にこの4年、具体的に考えてきて何度も何度も袋小路にはまりました。」


「(その袋小路から脱却するために)宇宙エレベーター協会と言うオタク的な連中の集まりにも顔を出して参加して来ました。その宇宙エレベーター協会の研究者たちに『宇宙エレベーター軌道エレベーターと言う物が実現できるのか、それを本当に信じているか?』と聞いてみると『いや、あまり信じていない』『実現できるかはかなり怪しい』という答えが返ってきました。だからと言って、それが無意味かどうかと言うと『宇宙エレベーターの基礎研究(軌道計算、素材研究等)を通じて、宇宙エレベーターと言う物を”フック”にして新しい応用を出来るのではないか』という事も聞きましたし、下世話な話ですが『宇宙エレベーターと名乗っておれば、政界や学術振興会などから予算が付く事もある』と言う事を聞きました」
「そういう政治的な話を聞くと、やはり官僚も政治家もリアルに物を考えていないんじゃないか?とも思いますが・・・」


「舞台として宇宙エレベーターを使った物語を作っていこう」
「そこで、宇宙エレベータが舞台として使える様な物語をもう一度作ってみようってなった時に一番困った事が、またガンダムになっちゃうじゃねぇか、やだなぁ、というのがあるんだけれども、これはこれで、世の宿命でしょうがねぇから、これでやっていきたいと思いますので、それが出来上がるまでなんとか余命2年くらいまで生きていたいと思いますので、というのが今の僕の立場です」


つまり、富野監督は「理性的な人類の進歩」VS「”破壊と再生”のエンドレスロンドを繰り返す人類」とか
「フィクション的な原理主義」VS「リアリズムを記号として分析していく理想主義」とか
「CG等の具体的記号論」VS「アニミズム(心象的演芸)」とか
ガンダムシリーズスペースコロニーワールドからの脱却運動」VS「スペースコロニーの代わりに宇宙エレベーターを軸にしたら、それはそれで結局ガンダムになってしまう問題」
という、いくつかの対立する問題を解決しようと思考して行った結果、対立項と思われたものが同類項になってしまい、解が導き出せずに論理が袋小路にハマる、と言うエラーに苦しんだそうで。そこは非常に数理解析的な思考実験だったろうな、と思う。
そのような試行錯誤はあったけど、今のところ、腹を括って「もう、ガンダムで良いから2年くらいで完結させて死にたい。俺、71歳になってしまったし。」という状態になったようで。


僕としては「最初から(白鯨伝説みたいに)リングワールドを原作にしてアレンジしてしまえよ・・・」とも思ったんだが、リングワールドもまたSF界隈で微妙な位置の作品だし版権問題が難しいし、富野監督の理想としては原作権は自分で手に入れたいと言う欲があるんだろう。


ただ、宇宙空間での物理的距離を考えると軌道エレベーターラグランジュポイントスペースコロニー群よりもよっぽど狭いものになってしまうので、みみっちいものになってしまうといやだなー、とは思う。が、スタードライバー輝きのタクト魔法少女まどかマギカマクロスシリーズやエヴァンゲリオンシリーズが宇宙人と関係する話なのに、結局やってる事は割と「主人公たちの住んでる街の中でのドラマ」になってるし、それでもSFアニメとしては成立してる(と、言っておく)ので、宇宙エレベーターにまつわる人々のドラマでも良いのかなあ。
キングゲイナーもシベリアをほとんど横断してバイカル湖を越えてウラジオストックまで来た割に、あんまり舞台が移動して変わった距離感もなく、ヤーパンの天井の町内のドラマという感覚だったし、シベ鉄沿線ドラマが軌道エレベーター沿線ドラマになっても、それはそれで良いのかなー。まあ、物語作品において大事なのは舞台設定よりもドラマや心情のアニミズムだしなあ・・・。


まあ、結局富野監督の新作がどうなるかどうかは作品が出てしまわないとファンとしては評価しようもないんだけど。そういうわけで、富野はあと2年で死ぬかもしれないし、年下の出崎統も荒木伸吾もバタバタ死んでる世の中だし、今敏も急死しちゃうし、近藤喜文さんも千と千尋の前に死んじゃったし、富野もいつ死ぬかわからないけど、生きてる限り活動したいならしてくれ。と言う感じ。

TPP亡国論 (集英社新書)

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リングワールド (ハヤカワ文庫 SF (616))

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