玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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無敵超人ザンボット3第11話 糞作画だがシリーズ構成がすごい前半戦終了!

第11話  決死の爆破作戦 脚本:吉川惣司 演出:四辻たかお 絵コンテ:八尋旭 作画:サンライズスタジオ

  • うわっ糞作画!


前回が金田伊功演出回で作画が良かったスタジオZ回なのに・・・。

同じ1977年のロボットアニメのボルテスVだと

こんなに綺麗!
でもザンボット3の作画がダメな回は本当にとことんダメ。

この落書きのような絵!たぶん、これ、噂に聞こえた「人手が足りなさすぎて富野監督が原画を描いた回」じゃないのか?


テロップ的にも、どうも原画というよりも動画系の人のような気がするぞ。
どうも、「富野監督の絵コンテを原画扱いしてアニメーションにした」というザンボットの都市伝説の回じゃないのかな?(この都市伝説は「闇夜の時代劇・正体を見る」でも見られると、氷川竜介先生が池袋のコミュニティカレッジでおっしゃってた)


ただ、糞作画は糞作画で、無敵王トライゼノンヤシガニ屠る並みの作画崩壊ではあるんだが、どこかプリミティブな躍動感というか強さを感じさせる富野絵である。小学生っぽいとも言うが。まあ、ロボットアニメなんか小学生が観るアニメだからな!



↑「ちっくしょー、こうなったら何もかもぶっ壊してやる!」って敵の基地の中で暴れる主人公ロボ。プリミティブな力強さを感じる。
松本人志の絵のような感じ。


だから、糞作画だけど、アルカイックなパワーはあるかもしれないのだぞ?と、思いますが。どうでしょうか。富野絵コンテじゃないですけど、総監督チェックは、あったかなあ?
まあ、ザンボット3は富野監督の監督4作目だから、そんなに権力はなかったかもしれないけど。
でも、富野監督の絵ってイメージボードとか絵コンテとか、結構こういうプリミティブな感じのものが多いですよね。ちょっと等身が低めでデッサンも狂ってるけど、力強い系の絵です。

機動戦士ガンダムF91のストーリーボード
F91はどんな話になるハズだったんだ? :: 魔ッタリいこうよ。(イ反)|yaplog!(ヤプログ!)byGMO
富野監督の絵はちょっと等身が低くてデッサンがいびつ。(ちょっとでこっぱち気味、体型はずんぐりとしていて子供っぽいが金太郎のようなパワーを感じさせる)ザブングルの絵柄の湖川友謙の画力をアニメーター以下にした感じが富野監督の絵の癖だと思います。
(だからナイーブな永野護とは水と油でもあるんだけど、その分、補い合う部分があったのかなーと。ブレンパワードのアンチボディはデコっぱちでずんぐりですよね。)
キングゲイナーのオーバーマンも割と等身は低いので富野っぽい。むしろ富野が描くとSDガンダムとかガラットやグランゾートみたいになるんじゃないかなーって思う。{だから逆説的にSDガンダムが生まれたのは必然かもしれない。80年代のアラレちゃんとかパロディ漫画文化の文脈の影響もあるでしょうが})
富野監督の絵をブラッシュアップする手法を見せるのがアニメーターだと思うし、そのやり方にも色々と個性があるんで面白いなーって思ってます。


そういうわけで、今回のザンボット3は下手糞作画回ですが、下手くそなら下手くそなりに、逆に監督や絵コンテのニュアンスがストレートに滲み出るという効能もあるのではないのか?というポジティブな面もあることを知っておきたい。
まあ、今回は富野絵コンテじゃないですけど。


以下、ネタバレ



  • 絵コンテのパワーによる物語の迫力の出し方


今まで、敵のボスだと視聴者である僕が思っていたキラー・ザ・ブッチャーは実は中間管理職でしかなく、彼は単に地球を滅ぼす任務のためにサイボーグ手術を受けただけのゴミクズに過ぎず、ブッチャーを操る真のガイゾックそのものがいるというSF的にびっくりな急展開です。
富野監督はスタッフとして、ボスキャラが前半戦終了で入れ替わるコン・バトラーVも経験してきたし、自分自身が勇者ライディーンでプリンス・シャーキンと共に監督降板をくらったという経験もある。
そういうわけで、憎い敵の象徴だったブッチャーが中間管理職に過ぎなかった、ということで世界観に広がりを持たせる構成になっているわけだ。また、毎週同じ敵が同じように主役ロボットに退治されると敵の指揮官が毎回失敗する人になってしまって、敵としての脅威が少なくなり、ドラマの緊張感が失われるので、敵の司令官はちょうどいいタイミングで退場するほうがいい。長浜ロマンシリーズだと美形指揮官は前半でいなくなるし、シャア・アズナブルは一度左遷されて一線から遠のくことで決定的に主人公に敗北することなく1年戦争の間中ライバルであり続けた。(ダンバインのトッド・ギネスやバーン・バニングス、Zガンダムジェリド・メサは入退場をうまくしようとしたが、世界観が膨らみすぎて、ライバルとしては煮え切らなかった印象。マシュマー・セロは再登場して精神改造されたあとの方がシリアスという・・・)
話を戻すと、キラー・ザ・ブッチャーが中間管理職だと露見したということだが。


それを絵としてわかりやすく見せている。


部下をどやしつけて上手からブッチャーがイン←しーの、

部下に「ガイゾック様がお呼びです」と言われーの、

ドアップになりながら、怯えるブッチャーが下手に押しやられーの、

で、ブッチャー↑が下手の下に小さく描かれるという、アップから一転してのドン引きの構図!そこで初めて見える巨大な「ガイゾック」なるもの!恐ろしさが際立つ非常にわかりやすいカット割りですね!
あと、70年代はルパン三世のマモーとかデカイ脳みそが流行ったんですね!最近は巨女ブームですね!プリキュアとかトップ2とか。


また、富野作品は映像の原則に沿った端正なカット割りやレイアウトだけでなく、

このように、奇妙奇天烈なアングルを持ってきたりもする。こういうアングルはラブライブ!ではできないだろー!
ラブライブ4話にみる「富野流」演出術 - まっつねのアニメとか作画とか
やっぱり、富野に影響を受けた最近のアニメよりも富野本人のアニメを見たほうが富野分が強い。
↑の画像は、横倒しになったビルの階段の手すりの上を這って横に移動する人物が「あと2回上がったら屋上です」と言うシーン。ビルの倒壊や移動手段のへんてこさ、「二階上がる」という日常的なセリフなのに、やってる事はがれきを利用して敵陣に近づくという異常事態。このような変なことの組み合わせでゲリラ戦の異常さを醸し出していて、へっぽこ作画なのに緊迫感とハラハラドキドキする娯楽感が盛り込まれている。
この階段の使い方は目眩のようなものをもたらすし、日常が崩壊したという戦闘状態ということを非常に印象づけてくれる。
あと、カウボーイ・ビバップの「スピーク・ライク・ア・チャイルド」の回に似てる。




  • シリーズ構成の意外な巧みさに気づく。


全24話のうち、第11話である。つまり前半の山場である。
今まで戦ってきた敵ロボットを指揮していたキラー・ザ・ブッチャーがガイゾックの親玉ではなく、本物のガイゾックの本体がいるのだ、ということが初めて示された。
ショッキング!
今まで、私は意図的にザンボット3のネタバレを避けて生きてきた。それでもガイゾックの真の目的はうっすらと知っていたんだが、なるべく忘れるように努めてきた。だからガイゾックの真の姿は知らなかった。
だから、実際の作品で見ると、ブッチャーがラスボスではなく謎の脳みそっぽいモノがガイゾックの「意志」だとバーン!と見せられると驚きもひとしおだし、その驚きが面白い。また、敵の宇宙人が何かの帝国とか怪人ではなく「意志」と言われるのは21世紀のアニメオタクの私にとっても結構SF的にかっこいいなーって思います。
意志とかイドの怪物が敵というのは、禁断の惑星路線ですけど。禁断の惑星は正体が原子炉だったので、東日本大震災以降の想像力では「原子炉かよw」って思っちゃうんですけど。イデオンみたいな謎動力の方がスゲーっておもっちゃいますけど。


実態のある敵ではなく「意志」とか「主義主張」の方が本当は恐ろしい敵だ、というのはギレンが死んでもなんとなく逆シャアまでズルズルとやっちゃったジオン共和国を描いた機動戦士ガンダムに通じますね。最近の富野監督は「ハンナ・アレントを読んで、全体主義をテーマにした作品をやりたい」と言ってますけど、アーレントを最近読んだから、というよりは昔からそういうのが好きだったんだと思う。
ザブングルのイノセントもアーサー・ランクという実体を持つ人よりはイノセントとシビリアンの「システム」が問題だったし、ダンバインも「人は殺さない!その怨念を殺す!」だし、∀ガンダムキングゲイナーもリーダーのディアナ・ソレルやミイヤ・ラウジン個人の問題ではなく「帰還」という概念がもたらす紛争でしたからねー。
富野監督は「システムが人を殺すんだよ」っていうテーマがすごい好きっぽいし、ザンボット3みたいな初期作品にもその片鱗がある。海のトリトンオリハルコンの剣もエネルギー生成システムの産物でしたからね。


で、そういう「概念がラスボスだ!」という、子供向けアニメとしては微妙に難しくわかりにくい曖昧模糊としたSFアイディアでありつつも、それを見せるのに2クールアニメの11話を選んだっていうのがシリーズ構成として上手い。
だいたい、ボルテスVとかロボットアニメを見ると、あとプリキュアみたいな子供向けヒーローアニメを見ると、大体第1話で敵が出て2話までに主人公が力を発揮して、4〜5話まででメインキャラを紹介しつつ世界観を提示して、その後は単発の話で主人公やサブキャラを掘り下げる話をいくつかこなして、中盤に盛り上げて、最終回前の3話あたりからまとめる、というのがセオリー。
そういう風に敵と戦う系アニメだと構成がわりと決まってます。(スポーツ・ホビー系アニメでも、だいたい主人公が競技と出会って、メンバーを集めて練習して大会に参加して〜という構成はあります)
なんですけど、ザンボット3は敵であるガイゾックの立場が毎回ごとに変化しているので、非常に面白く、また大河ドラマとしてシームレスな印象があって、毎回楽しみです。
ガイゾックは最初は偵察が目的で(第1話)、
次に宣戦布告して、(第2話)
ザンボットが出現して(第3話)
ガイゾックのメカブーストがザンボット3に負けて(第4話)
ザンボットに対抗する本格的な戦闘用メカブーストを送り込んでパリやロンドンなど世界中を焼き払う(第5話)
その後、ザンボット3のいる日本を中心に神ファミリーの補給を邪魔するように破壊活動をする(6〜9話)
世界を破壊し尽くして飽きたのか、日本人を殺害するのを楽しむために、一時、ガイゾックの前進基地宇宙船バンドックを東京におろして日本国閣僚を殺害(第10話)
地上に降りたところをバンドックに神親子祖父に侵入され、ブッチャーはガイゾック本体から叱責を受け、バンドックは再び宇宙の果てに消える。(今回第11話)


という風に敵のスタンスが序盤も毎回変化していて単純に侵略一辺倒の目的ではないというのが面白いです。毎回、敵のやりたい作戦が変化して面白い。これは作品世界のドラマとしての流動性を感じさせて、先が読めない楽しみがある。また、流動性の反面、1度起こったことが次の回に影響するということでもあり、振り返れば伏線の硬質さを実感する楽しみもある。
で、無敵超人ザンボット3では第3話以降、敵がザンボット3と毎回戦闘をする態勢に入ってからは、今度は神ファミリーが人間から「ガイゾックの手先ではないのか?」と疑われて、迫害を受けて、友達からも殺人未遂攻撃を受けるという展開の変転があります。
それで、敵の存在によって味方であるべき地球人との関係も毎回変化していました。それでもなんとか9話の大滝社長や10話の野崎副首相などをザンボット3が助け、徐々に地球人の理解者を増やして行って、地球人と神ファミリーが連帯するのかな?
といった風に戦闘態勢が決定して膠着してマンネリアニメになるかもしれないという安心感の予感を第10話で視聴者に与えた次の第11話で、いきなり主人公の神親子3世代が侵入して、「ガイゾックの指揮官と会う」「だが、今まで戦っていたブッチャーは前線指揮官にすぎなかった」「ブッチャーの後ろにさらに真のガイゾックがいる」ということを知る!
そしてまた戦闘態勢のパラダイムシフトが起こります。また先が読めなくなる!
そこで、2クールアニメの前半戦が終了する。うまい盛り上げ方だ。
次からは後半戦の序盤で、まずは神北恵子などの各キャラクターを掘り下げる単発話を持ってくる、という構成か?
そう考えると、ザンボット3は富野アニメにしては珍しくシリーズ構成がしっかりしていて、打ち切りとかスポンサーや続編や同時制作作品や若手育成の都合でぶれたりしていない確固たるアニメなのかなと思います。
富野アニメはよく大人の事情で妙な方向転換をしますからね。(もちろんダンバイン地上戦の核戦争などはぎゃくにヤケクソじみていて面白かったし、1stガンダムイデオンは短くなって逆に引き締まった)
ただ、各話で先が読めず、流動的に視聴者が感じられるドラマを描くっていうことは、制作者側は全体像をしっかりと把握して構成している、っていうことですからね。
ザンボット3大河ドラマとしてシームレスに人間関係や世界の状態が動いていくところが実にうまい。まあ、これは若干短い2クールアニメだから、短いからこそ毎回何を盛り込むか明確に製作者が考えることができて、俯瞰ができたことなんだろうなあ。ここら辺は富野の力よりも共同原作者の鈴木良武氏のシリーズ構成力の力かもしれないが、あの悪名高い「人間爆弾」を入れたのは富野のゴリ押しによるものらしい。


機動戦士ガンダムは4クール予定の打ち切り43話でテコ入れなどもあり、シリーズ構成が壊れ気味だったけど、第12話「ジオンの脅威」まではきちんとシリーズ構成が出来ていたと思う。第12話「ジオンの脅威」でアムロが初めてジオン公国ギレン・ザビ総帥をテレビ中継で見て敵の実態を把握するというのは、ザンボット3の11話で勝平がガイゾックの基地に殴りこみをかけてブッチャーと対面したということの変奏で、再整理なんだろうなあ。そう考えると、機動戦士ガンダムア・バオア・クーに侵入したアムロが一兵士にすぎないのに唐突に「本当の敵を叩く」と言ってギレン総帥を暗殺しようという行動に出たのも、ザンボット3で勝平がブッチャーを殺傷しようとしたことから繋がってるんだろうなあ。
富野の頭の中では、敵の城に侵入したらとりあえずヘッドの命を取りに行きます。発想がニンジャですね。富野監督は忍者が好きだからな。ヤーパンニンポー!
富野監督はガンダムでロボットアニメに兵站や補給の概念を持ち込んで、近代戦のリアルロボットアニメを作ったけど、その一方、近代からかけ離れた忍者的暗殺主義戦法がある。
いや、現代の長距離ミサイルやイージス艦人工衛星や無人戦闘機の発達した戦場でも、結局は暗殺が政治的なキーを担っているので、富野の考えはあながち荒唐無稽ではなく、リアルかもしれんのだが・・・。アルジェリアのプラント人質テロリストに強行突入したアルジェリア軍特殊部隊のあだ名が「ニンジャ」ですからね。
アバーッ!アイエエエエ!ナンデ?ニンジャナンデ?


もちろん、富野監督が監督したロボットもの以外のアニメである闇夜の時代劇もニンジャですし、ラ・セーヌの星も女ねずみ小僧でニンジャですし、海のトリトンも短剣使いなので忍者と言えなくもない。富野はロボット以外は、だいたい忍者です。リーンの翼の小説にももちろん忍者が出ます。


敵の基地に隠密侵入するのは上北兵左ェ門と神源五郎の親子(?)の二人だったのだが、彼らが敵基地のバリアーを解除した途端、主人公の神勝平がザンボット3から分離した小型ロボットのザンボエースで突撃侵入した。
そして、身長作を取ろうとする父親と祖父に対して「親玉に会うのよ!」と言って強引に銃を取って敵の兵隊を多数殺害し、キラー・ザ・ブッチャーと対面する。
兵左ェ門の「なぜ、殺す?宇宙の中ではちりにも等しい人類を?」という疑問にブッチャーは「それがガイゾック様の意志だからだ」と答える。問答無用で発泡する勝平。だが、勝平の光線銃はブッチャーの念動力に弾かれる。ブッチャーは真なるガイゾックに呼び出され、勝平から離れる。
それでキレた勝平は「ちっくしょー!こうなったら何もかもぶち壊してやる!」
と敵基地の中で破壊活動をしまくる。


こんな凶悪な主人公の少年はなかなかいない。もちろん、勝平は近所の人をたくさん殺されているし、ガイゾックは人間ではない。
しかし、このように子供であっても暴力衝動が強い神勝平は、ガイゾックが攻めてくる前から小田原で不良として警察に注意されていたが、本当に凶暴かもしれない。
メカブーストに向けて至近距離でムーンアタックを放つことでザンボットもダメージを負った。そんな無茶な攻撃を神江宇宙太や神北恵子はやめるように、止めようとしたのだが、勝平は「危険は承知の上よ!」と叫んでゼロ距離ムーンアタック。なんとかザンボットが壊れることは避けられたが・・・。
この他にも勝平は戦闘狂というか戦闘を楽しんでいる描写が多い。従兄姉が先に出撃したら「あいつらだけで楽しみやがって」などと言う。やばい。
しかし、神勝平の凶暴性は「新世界より」だったら即行で業魔と判定されて処分されるレベルだな・・・。ガイゾックは倫理規定なのだ。
最終回への伏線かもしれない。このような闘争本能を抱いた人間、その象徴としての凶暴な主人公に果たして生きる価値は本当にあるのか?という。闘争本能というテーマは∀ガンダムまで富野の中で重要視されていましたね。
ただ、ザンボット3でおもしろいのは、そのように闘争本能をむき出しにしている純粋かつ凶暴な無邪気な残酷さを備えた子供主人公を「子供向けロボットアニメアニメ」でやっているというところ。「平気で人殺しを楽しむ子供兵士」という描きにくいものをロボットのおもちゃを売るためのアニメで描く。そして、実際おもちゃは売れた。だが、「おもちゃで戦いごっこをするお前ら子供は凶暴なのかもしれんのだぞ」という裏メッセージを孕んだような物語だ。
戦いを弄ぶのは、勝平もブッチャーも同じなのかもしれんのだ。
今回、敵の基地を襲うという作戦は、ブッチャーよりも先に勝平が実行した。勝平たち人類の方がガイゾックのブッチャーよりも戦闘慣れしていて恐ろしいかもしれない・・・。というのはトリトン族とポセイドン族の因縁からの流れを感じる。人間のほうが宇宙人よりも残虐かもしれんのだ。


機動戦士ガンダムアムロア・バオア・クーでギレンを暗殺しようとしたのは「親玉に会うのよ!」といって白兵戦を仕掛けた勝平のようなものなのかもしれない。まあ、本拠地に乗り込んで親玉をぶちのめすのは70年代熱血ロボットアニメや熱血少年バトル漫画の文脈だったら普通にヒーロー性のある展開なので、機動戦士ガンダムもその延長線上にあって、アムロがギレンを討とうとする、という展開に自然になったのかもしれない。機動戦士ガンダムはリアルロボットではあるけど、そういう熱血萬画な部分も取り入れているね。
機動戦士ガンダムでは、闘争本能ではなく、「ニュータイプ能力によって本当の敵が分かった」という超能力的な解釈になっているので、ザンボットとは少し違う。超能力によって敵の親玉を見つけて直接ぶちのめそうとするのは伝説巨神イデオンにつながっている。
やはり、富野監督が同じようなアイディアを作品ごとに練り直したり、興味のあるテーマを何年も温めて使い続けたりという作家性、あるいは癖や型のようなものは感じる。それを思い返しながら見るのもまた、一興。


ちなみに

ドワーフ族路線でザンボット3機動戦士ガンダムAGEにつながっているかもしれないのだが。

ガンダムAGE自体はそんなに富野ガンダムほどの威力はないガンダムだったが、ニュータイプ的なエックスラウンダーについて「人間の封印された獣の部分、凶暴な部分かもしれない」と言った設定自体は通じるものがあるかもしれない。


超合金魂 GX-23 ザンボット3

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  • 身辺雑記・ブロンコ

おにいさまへ…ボルテスVを見たり、親が死んだり鬱病が悪化して、ザンボット3のようなファミリーアニメを見るのは精神的に辛かったし、富野アニメは見ると精神力を削られる面もあるので、避けてたけど、やっぱり富野アニメを見ないと何のために生きてるのかわからなくなって自殺リスクが高くなるので観ます。体調が崩れたり、家事などに追われながら、なんとか土日に感想を書きます・・・。
俺にできるのはアニメを見て感想を書く事だけだ。その時だけ、生きてる感じがする。魂を削って燃やしてアニメを見ている。でも、生まれてしまったから仕方なく働いて納税する、そんな生き方は俺は嫌だ。俺はアニメを見る!
でも、アニメを見ると精神力が削られて、今、すごく顔面神経痛と慢性頭痛と過呼吸パニック障害によって心臓に槍が、指に針が刺さってる幻痛覚に苦しんでる。苦しみながらアニメを解説する。これこそニーチェ的超人である。
しかし、最近、自律神経の崩壊が著しく、文盲気味になってきていて新聞記事などが理解できなくなってきている。だから、僕のこの文章が正しいのかどうか、非常に不安である。だが、書きたいことを書くしか、できないし、やらないのだと思う。
しかし、そんなに必死になっても結局やってることは子供向けアニメの感想文に過ぎないのである。そういう楽しさの中の虚しさみたいなものはありますね。