玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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自死遺族の立場で親に読ませたい、シロクマ先生の著書「若作りうつ」

  • あらすじ

ひょんなことからTSUTAYAで本書のあとがきと結論を立ち読みして、「これは父親への誕生日プレゼントに最適だ」と思い、購入したのであった。


内容はブログで書いてあるので、ネット環境にある人は特に読む必要はないのだが、ネットでおもしろ動画を見てばかりいてあまりネットで文章を読む習慣のない父親に読んでもらうには、書籍と言う形がいいのではないかと思い、購入した。

  • 内容

”「若作りうつ」社会”(シロクマ先生の新著)を読んだ。
「"「若作りうつ」社会"を読んだ。」を読んだ。 | 熊代亨
『「若作りうつ」社会』を出版しました - シロクマの屑籠
「若作りうつ病」 - シロクマの屑籠
コミュニケーション市場から弾き出された人間の余生 ~「若作りうつ」社会(熊代亨)~ - 自意識高い系男子
http://anond.hatelabo.jp/20140302215233
ロスジェネ世代の精神科医・熊代亨氏の新刊『「若作りうつ」社会』より---【最終回】「年の取り方がわからない社会」とサブカルチャー | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

  • 個人的感想

THE IDOLM@STERの映画の感想を書きすぎて時間が無くなったので、この感想は雑に書く。
端的に言うと、インターネット狂人開放病棟はてな村の精神科医のシロクマ先生が、新書業界で飯を食うためにロスジェネ世代の精神科医・熊代亨氏としての名前を売るための新書だ。
私も雑に読んだが、新書なので、内容も雑だ。
まあ、雑な本なんだが、それで彼に金が入るんならそれでいいじゃないか。日本の出版業界やインテリズムは雑な読者の雑な購読に支えられており、その点では新書もゴシップ誌と大差がないのだ。そうやって物書きは日銭を稼げばいいだろ。

  • ここが変だよシロクマ先生!

シロクマ先生は、出版社の売込みかたでは「オタク出身のロスジェネ世代のインターネット発」の「精神科医」と言うのが売り物なので、サブカルチャーから社会を読み解くという文章を書いている。本文をネットに本人が引用した記事を引用する。

ロスジェネ世代の精神科医・熊代亨氏の新刊『「若作りうつ」社会』より---【最終回】「年の取り方がわからない社会」とサブカルチャー | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
日本のサブカルチャーを眺めてみると、「年の取り方がわからない」「成熟がわからない」社会があちこちに反映されているさまがみてとれます。以下に、少年漫画と青年向けアニメの変遷について、ダイジェスト的に紹介してみます。

  • 少年漫画――身を立てる物語から、機転や特殊能力を予め与えられた物語へ

『少年探偵団』や『鉄人28号』のような以前の子供向け作品の多くが、「少年が少年のまま活躍できる物語」だったのに対し、
1960年代後半からスポ根漫画が流行し、『巨人の星』や『あしたのジョー』などがヒットしました。これらの作品は、大人社会への反抗意識こそ希薄ですが、「努力を重ねていっぱしになる」「頑張って身を立てる」といった成長物語としてのニュアンスは濃厚でした。スポ根漫画には、「子どもが子どものままでは活躍できない」「少年少女が努力して一人前にならなければ活躍できない」含みがあり、そのような作風を高度成長期の子ども達は受け入れていました。

ところが1970〜80年代になると、スポ根漫画は廃れ始めます。


少年が少年のままで勝利するようになったことです。そうした変化を象徴していたのは、デフォルメされた体型のままで冒険を続ける前期『ドラゴンボール』の大ヒットです。身を立てるために生き急ぐ物語・脱皮して大人になっていく物語に、青少年は魅了されなくなったのです。


さらに時代が下って1990年代〜2000年代になると、努力や根性にページを割く作品はいよいよ少数派となり、後期『ドラゴンボール』のようなインフレパワーバトル作品、『名探偵コナン』『DEATH NOTE』のような少年の機転をウリにした作品が台頭してきます。より低年齢層をターゲットにしたジャンルでは『ポケットモンスター』『遊☆戯☆王』のような、召喚獣やカードに能力をアウトソースする少年を主人公にした作品が一大市場を形成するようになりました。


論理が循環してる。要約すると、

『少年漫画』では『少年探偵団』のような少年が少年のまま機転で活躍する漫画や、『鉄人28号』のような特殊な力を与えられた少年の活躍を描いた萬画があった。
高度成長期の一時期、スポ根ブームがあったが、
名探偵コナン』のような少年が少年のまま機転で活躍する漫画や、『デスノート』『ポケットモンスター』のような特殊な力を与えられた少年の活躍を描いた少年漫画に戻った。

うん。見事にシロクマ先生は何も言ってないな。
少年が「少年が活躍する漫画」を楽しむのは当たり前だろ!!!


大人になりたいのなら、六法全書か危険物取扱やITパスポートやビジネスマナーや英語の本を読めばいいのであって、漫画は子供を成長させるツールではない。
戦後少年漫画の変遷の一部分を切り取って「以前は大人社会を意識した成長譚が萬画で描かれていましたが、今の子供たちはマンガで成長を学ぶことをしなくなったのです!!!」みたいな論調のシロクマ先生だが、長々と書いて読者を混乱させているが、短く要約すると「少年は少年の活躍する漫画に感情移入して楽しみがち」という事だけである。
うん。そうだね。当たり前だね。おっさんは解体屋ゲンさんとか鷲頭様が地獄からよみがえって活躍する漫画を楽しむよね。うん。だから、何?
それを「若作り鬱」だの「年の取り方を見失った日本人」だの、いたずらに読者の不安を書きたてる理屈をこねて、問題提起して、読者に「この本を買えば問題の解決法が分かるかもしれん」とか思わせて購買させるという手法です。
学校の怪談とかノストラダムスの大予言とかMMRとかといっしょです。
あるいは、「悪の教典」や「新世界より」の貴志祐介先生が「暴力的表現は読者を引きつけさせるためのツールとして、職業作家を生かすものなので、規制してはいけない」と仰ったのと同じです。
単に、読者を怖がらせる手段としてのオカルトや暴力が「精神病」に置き換わっただけです。
文脈的にはコンビニで売ってる「本当にあった闇の世界の怖い話」とかヤクザ実録本とか実話ナックルとかと同レベルです。

  • 個人的感想、赦し

でも、シロクマ先生も生きるために仕方ないんだよ。彼だって結婚して子供もいるんだ。お金が必要なんだよ。泣かせるじゃあないか。
だってよう、シロクマ先生といえば、はてな村ガノタの間では有名な地球連邦軍ジェガン使いだったんだぜ?
そんな彼が

例えば、『銀河鉄道999』は巨大な敵や父親との対立・超克の物語でしたし、『機動戦士ガンダム』は実の父親こそ頼りないにしても、主人公が年上の強い敵と戦い、大人社会に揉まれながら成長し、最後に居場所を見つける物語でした。

ところが1980年代以降は、ガンダムの続編にしても、宮崎駿さんのヒット作にしても、エディプスコンプレックス的な構図からは遠ざかっていきました。

とか書かざるを得ないとか、大人の事情にしてもおかしいですよ!
あんなにガンダムジェガンが好きだったシロクマ先生が、一般読者の知的レベルに合わせるために、ジェガンの出てこないファーストガンダムの話だけをちょっと書いて、企画段階では父親になったアムロを描いた逆襲のシャアとか、三人の父親の死を描いたガンダムF91の話も、父の作った戦場を翔けたVガンダムの話も、父親や歴史的背景を持たない月人が地球の歴史と向き合った∀ガンダムの話もせず、「ガンダムの続編は超能力を持った少年同士の内輪揉めに過ぎませんでした」という1行しか書けなかったというのは、酷過ぎます!
せざるをえなかったのですよ・・・せざるを・・・。


僕ははてな村メンタルヘルス部落から来ました。けど、メンヘラの人と戦います。だけども、出版業界の人とも戦います。ガンダムの命を大事にしない人とは、僕は誰とでも戦います!

でも、新書の限られた文字数と、一般向けという制約の中でガンダムの複雑怪奇で芳醇な物語を記述しつつ現実を語るのは、そりゃあ無理だよ!
でも、シロクマ先生は「オタク出身」「ネット発」と言うのが出版業界での彼の持ち駒とか手持ち武器なので、不完全な形で無意味な論でも、ガンダムサブカルチャーの話をしなくてはいけないのです。
そういう文学者くずれのろくでもない、書かざるを得なかった文章と言う切なさは、憐れんでやらなければかわいそうです。


ちなみに、ガンダムの中での父親像や成長像としては、ガンダムの作者の富野由悠季氏本人が「ガンダムの家族論」というそのものずばりの本を書いているので、そちらを買って読みましょう。そうすれば新作の作画も良くなる(かもね)

「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書)

  • 売れたら正解なのか

しかし、「売れている物語作品を見れば、その時代の精神が分かる」という論法もかなり怪しい。
シロクマ先生は「父親に向き合った作品が少ない。沢山作品があるので例外もあるだろうが、ヒット作には少ない。エヴァンゲリオンが同世代の青少年の心をガッチリと掴んだのは、大人らしい大人不在の状況、成長困難な時代の閉塞感といったものを、きちんと掬い取ったからでしょう」
と、書いているが、父親との確執がテーマだったコードギアス 反逆のルルーシュとか鋼の錬金術師とか、ある・・・。コードギアス鋼の錬金術師は映画にもなったしヒットしたと言える。鋼の錬金術師の作者の荒川弘さん(女性、子持ち)の次回作の銀の匙も農業高校で少年が社会性を身につけながら、父親と確執する話である。これもアニメ化、映画化されたのでヒットしたと言えるだろう。
少女漫画のハチミツとクローバーから青年漫画雑誌ヤングアニマルに移籍した羽海野チカ先生の3月のライオンも少年が父親との将棋対決などをして社会性を身につける話であり、これもヒットしている。
また、最近の少年ジャンプは血統主義であり、父親は重要である。ワンピースもハンター×ハンターもナルトも偉大な父親から力を与えられた、と言う風に主人公の強さに説得力を持たせる演出要素がある。
また、アニメや漫画にはオタク向けアニメ以外にもファミリー向けと言う物があり、そこではサザエさんの波平、クレヨンしんちゃんのとーちゃんヒロシ、ちびまる子の父ヒロシが活躍している。
アニメや漫画や物語作品のにおける父親というのは、「乗り越えるべき目標」や「成熟の手本」や「力の源」だけでなく、色々な役割がある。
ファミリー向けの父親キャラや魔法少女アニメの優しい父親のように「日常を支える人」とか「異能ファンタジーを引き立たせる日常パート」という役割もある。
また、その「守るべき日常」としての家族が弱点とか足枷になるという、さすらいの太陽や寄生獣最終兵器彼女での父親キャラクターもあった。寄生獣最終兵器彼女もヒットしたしアニメになる。シドニアの騎士も。
あと、魔道に墜ちた父と言う、スター・ウォーズのダースベイダーとかカブトボーグのビッグバンとか。
少女漫画でよくある虐待して勝手に捨てて、主人公が目立ったら出てくる親とか、めんどくさいクズとしての親と言うのもある。
物語における親子論というのは奥が深いので、これだけでも数冊の本が書ける。精神科医の書く新書のエッセンス程度で済まされるような軽いものではないのだ。


また、「アニメで父親が出ないから、現実にも父親の影響力が無い」という論旨も結構危険である。「現実に父親の存在感が重荷で不愉快だから、アニメでまで見たくないので父親がアニメに出ない」というすり替えも簡単に行えるのだ。


シロクマ先生は惣流・アスカ・ラングレーが大好きだからガンダムよりも新世紀エヴァンゲリオンに文字数を費やしているが、エヴァンゲリオンが大ヒットしたのは、社会的に心理ニーズをつかんだから、と言うわけではなく単にエヴァンゲリオンが異常なだけだ。
また、シロクマ先生はサブカル好きを我慢してガンダムあしたのジョーくらいの知識しかない一般向けに向けた、と仰ったが、若者を代弁するサブカルが萬画だけと言うのも中途半端だ。
バンドや車やファッションやスポーツや格闘技やお笑いも若者の精神に影響しているだろう。むしろ、オタクじゃない若者の方が多いだろう。
じゃー、なんでそれを書かないでマンガやキャラクターが日本人の精神の歴史を象徴してる、みたいな雑な描き方が出来たのか。それは怠慢であり、所詮新書だからという言い訳であり、ロスジェネ世代のインターネット発のオタクに詳しい精神科医と言うキャラ付けのために過ぎない。
よって、大して読む意味もない。
小説道場の人のタナトスの子供たちの方がまだマシである。

タナトスの子供たち―過剰適応の生態学 (ちくま文庫)

タナトスの子供たち―過剰適応の生態学 (ちくま文庫)

「年の取り方のロールモデルが見当たらない」とシロクマ先生が書いているが、それは子育て中の39歳のシロクマ先生がロールモデルを見失って不安になって欲しているだけの話だ。
そもそも、単一のロールモデルが理想であり、それを目指すという「ロールモデルを必要とする」姿勢こそが間違っている。というか、単一思想で社会が均一化すると外圧に負けて一斉に絶滅しやすくなる。生物の生存競争とかバイオスフィアの観点でもそうだし、経済学でも全部の資本家が全面的に売りや買いに殺到すると破綻します。
なので、個体差はあっていい。
シロクマ先生も最後の方で「色んな年の取り方があっていい」とは書いているのだが。やはり、新世代のロールモデル作りが必要と言う論法は変わらない。
しかし、僕自身の感覚としては、ロールモデル自体が必要とは思えないのだよ。
だが、精神科医は「病気」と「正気」に線を引く仕事であり、そうしなければ自分自身も感染する職業だから、「メンタルヘルスの異常な状態や傾向」に対して「理想的に目指すべきロールモデル」を仮定したがるところがある。その理想化を目指していると自己規定することで、精神科医は我々狂人と向き合いながらも自分を保とうとしているんだな。
だが、私は一介の3級精神障碍者として言えば、正気と狂気の境なんてものは無いんだよ。
確かに私は不眠症で、身体化障害で、自律神経失調症である。だが、それは単に私の神経が破損している不良品というだけの話で、別に社会的心理の風潮なんて関係ない。
そもそも、健全な社会なんてものは有史以来存在したことが無いのだ。


シロクマ先生は患者の発症に対して、「アイデンティティが確立できなかったからだ」と、以下のケースを書いている。

ロスジェネ世代の精神科医・熊代亨氏の新刊『「若作りうつ」社会』より【第1回】年の取り方を間違えるとメンタルが危ない―「若作りうつ」社会がやってきた! | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
思春期心性の赴くままに生き、自分探しを続けてきた結果、メンタルヘルス上の困難に直面してしまったケースです。

【ケース】Aさん 四十歳・男性


Aさんは滋賀県進学校から東京の名門大学に進み、優れた成績で卒業しました。大学卒業後は大手電機メーカーの正社員として就職。二年間は大過なく仕事をこなし、三年目に外資系企業に転職しました。渡米後、現地で頭角を現しはじめ、大きな仕事も任されるようになります。この頃までのAさんの人生は順風満帆そのものでした。

ところがIT系ベンチャー企業に引き抜かれ、外資系企業を三年目に退職。その後、新しい仕事や職場環境に馴染めず数ヵ月で退職を余儀なくされ、やむなく製造業のY社に転職しました。
その後はアルバイトを転々としながら、司法試験の勉強や小説の執筆を続けていました。


この頃からAさんは、身体の不調感とともに「自分がよくわからない」「生きていても虚しい」と憂鬱に感じるようになり、「気分変調症」の診断名でメンタルクリニックに通院しながら、断続的な身体の不調感や憂鬱気分に対する治療を受けています。

こうした、「自分探しが終わらない」的な生きざま

医者として一貫して仕事をしているシロクマ先生は「自分探しをしているからメンタルヘルスを病むのだ」と言う。
まあ、僕も国立大学を出てITベンチャーで過労になって辞めて京都大学で働いた後、辞めて精神障碍者として小説を書いたり書かなかったりしているので、このケースに近い。
だが、転職は大して珍しいことではないし、そこで精神病を発症するかどうかは、周囲の人間関係や会社の業績の上下など、患者本人の性質とは関係のない、偶発的要素も大きい。転職しなくても、昇進に伴う職種の変化で精神を病む管理職は多い。そう考えると、精神病や神経症による身体や精神の破損の原因は、アイデンティティの確立とか生きている充実感という内発的なものだけでなく、外発的な事故やいじめや迫害や生存競争の敗北から発生する面もあるのだ。
そりゃあ、人生が上手く行っている人は「自分のアイデンティティはしっかりしている」「自分は大丈夫だ」と観測するだろう。だが、それはたまたま事故に遭っていないというだけで、錯覚なんだよ。誰だっていつ、どんなきっかけで発狂するかわからない。
僕にとって、人生とは正しいロールモデルを目指したり理想を追う物ではなく、ただ単に昆虫的なセックスから発生し、刹那的に快不快や三大欲求や五感の刺激に左右されて右往左往しているうちに、ランダムに喰われたり飢えたり殺されたり病んだり老いたりして死に至る、ボウフラに毛の生えたような偶然的なものだと思う。


(追記)
そして、そのようにランダムに環境に影響された虫けらは成長し腐肉を食らうようになったり、草食だったり血を吸うようになるが、それは虫けらがロールモデルを目指して成長を達成した成果ではない。単に、遺伝的形質と環境と偶発性によって変化し、適応しただけである。
そこに貴賤はない。
しかし、虫けらの一種である人間に偶発的に生じた、理想のロールモデルではない役割分担であっても、それはロールプレイの役割として、生態系を維持するピースとして機能する。ボウフラから成長した蚊であっても、授粉や捕食、非捕食といった役割を果たし、生存圏の中で役割を果たす。
ゆえに、人間の性格においても、多様性と偶発性による変化は不可避のものであり、かつ全体的には意味のあるものとして許容すべきである。
「どんな者だろうと人にはそれぞれその個性にあった適材適所がある。
 王には王の・・・・・・料理人には料理人の・・・・・・それが生きるという事だ。
スタンドも同様『強い』『弱い』の概念はない」 byディオ・ブランドー



上記の転職で鬱になった患者は、アイデンティティを成熟させなかったから発狂したのではない。単に、運が悪かったのだ。そして、人間はちょっと運が悪いだけで発狂したり死んだりする、儚いものなのだ。その程度のことなんだ。
ボウフラが蚊になれずに捕食されたり、蚊になっても餌に困って死んだりしただけの話である。

ロスジェネ世代の精神科医・熊代亨氏の新刊『「若作りうつ」社会』より---【第2回】「成熟拒否」社会ではなく「成熟がわからない」社会 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
「成熟拒否」ではなく「成熟のわからなくなった」社会
ロールモデルなんて不要だ」という反論もあるでしょうし、その通りかもしれません。ですが、ロールモデルが欠落した状況下でもスタンドアロンに年を取り続けていけるのは、よほどの強さと判断力を持ち合わせた個人だけのような気がするのです――少なくとも「若作り」を巡る今日的状況をみる限り、私にはそのあたりが疑問に思えてなりません。

私には強さも判断力もない。単なる狂人である。
だが、ロールモデルなどというのは幻想だと思う。また、それが精神科医の書いた新書なんかからヒントが得られると思うような感覚こそ幻想だと思う。むしろ、そんな本を読もうとすること自体が「終わらない自分探し」なんじゃないだろうか。
社会的ロールモデルは一時の流行に過ぎないし、生物的な老いとマッチした振る舞いを要求する文化のロールモデルなどは、生物的感覚からの自動的反射行動に過ぎないと、思っている。
新書で学者先生の言葉にすがる行為も自分で考えない虫けらの反射行動で暇つぶしに過ぎない。
そして、私の性格や性質や行動も、状況や年齢、体調や金銭、経験や惰性などの諸条件からの条件反射の組み合わせで規定される偶然性の高いものであり、一つの理想的なロールモデルを期待したりそれに自分を合わせようとすることは、ほとんど達成不能で無意味な行動といえる。そのため、大した期待は自分の人生にしないほうが楽であろう。
そこで成熟したといえるかどうかなどは、たまたま運が良くて快適な環境が手に入るなり、年下世代に影響を与える機会があった時に、自称したりしなかったりすればいいだけのことだ。
私は理想でいえば、もうちょっと勉強を成功させて、単なる労働者ではなく日本の知的インフラに関わる、世の中の役に立つ人材になりたかったが、どうやら私はその能力がなかったようなので、ほかのことをする。それだけのことだ。


シロクマ先生は暫定解として老、死を前提とした人生の再設計を行い、世代間コミュニケーションを大切にすることを説く。

人類史ってやつは、その堆積ではないでしょうか。それでも、ある規範意識が優勢な時代と、次の規範意識が優勢な時代の変わり目には、両方の良い部分が交じり合える可能性があるんじゃないかな、とは思うんです。ヤン・ウェンリー風に願いを表現するなら、「規範意識の交代劇の合間にうまれた、新旧の規範意識がゆるめな一時代は、永遠ではないとしても、単一の規範意識がタイトな時代よりマシじゃないの?」みたいな感じかもしれません。
現代居住環境の制約によって世代間コミュニケーションの導線があまり得られない子ども時代ってのは、手札が少なくて大変だなぁ、親が教え示してきた生き方を逸脱して生ようと思い立った際に、コンフリクトがキツそうではみ出すのも難しそうだなぁ、と思ってしまいます
「"「若作りうつ」社会"を読んだ。」を読んだ。 | 熊代亨

だが、その「色んな人を参考にする」世代間コミュニケーションに於いて、「マシじゃないの?」「キツそう」と感じる自分自身の主観の正しさ、対象から理想と失敗を選り分ける際のシロクマ先生自身の正気は、誰が保証してくれるんだい?
ほら、何もないだろう。単なる快不快から枝分かれした主観の反射的感覚の延長に過ぎない。
金持ちは快適な環境からの反射として自分の人生は正しいと思う。貧乏人は不快な環境からの反射として自分や社会に恨みを抱く。どちらにも自我なんてなく、ただ単に環境に左右される虫けらに過ぎない。
何もないんだよ。人生の規範なんて。
だから、まあ、世代間コミュニケーションだのなんだのと言っても、結局それも偶発的に発生した曖昧な自我の状態のバイアスがかかるものなんだから、なんの正しさもないんだよね。
僕個人としては、世代間コミュニケーションよりも時代間コミュニケーションや地政学的シミュレーションとして、古典や自伝や評伝や紀行風紀や歴史の本を読むことで、色々な環境下における人間の反射パターンを収集出来ると思う。
それは、自分が出会える有限の人間関係とのコミュニケーションよりも情報量としては多いだろう。
だが、日本史だけを見ても土着の原住民と渡来人の諍いから天皇制を敷き、その後の外来宗教に蹂躙され、その反動で鎖国文化主義だった平安時代の反動で武士の時代となり、その破局としての応仁の乱から戦国時代になり、その反動で江戸期に朱子学儒学武士道が生まれ、その破局の反動で明治政府の富国強兵となり、その戦争の破局による戦後民主主義という歴史を見れば、ロールモデルと言うのはやっぱり無く、時代と時代もやはり反射と反復を繰り返す、自動的でつまらないもので、人生論自体が相対的に無意味であると思う。
(だが、僕は精神病で狂っているので、興味本位でニーチェとかカントとか幸田露伴とかジャレド・ダイアモンドとか読む。でも、どの判断も幻想なんだよ。真実は物質的事実にしかない)

  • 世代間コミュニケーション格差

シロクマ先生は世代間コミュニケーションが成熟の分からない現代人への処方箋かもしれません、と言うように書いた。

日本は昔から「年の取り方がわからない」社会だったのでしょうか?そうではなかったはずです。ほんの数十年前まで、日本人の大半にとってエイジングとはもっとわかりやすく、集団的なものでした。

例えば、私が生まれ育った北陸の漁村では、あらゆる年代の顔見知りが同時進行的に年を取り、近所で赤ちゃんが生まれると、あっという間に成長し、まもなく地域行事に組み込まれて年下の知り合いになっていったものです。四十歳を迎えれば立派なおじさんおばさん、六十歳にもなればすっかりおじいさんおばあさんだったと記憶しています。
私達は今、有史以来あり得なかったほど個人の自由に暮らしています。そのこと自体は、とても尊いことです。ただ、家父長的な抑圧やしがらみが無くなり、自由な暮らしが実現してきたなかで、年の取り方と不可分な関係にあった世代間のコミュニケーションや、生と死を巡る様々なファクターは抜け落ちてしまいました。

で、シロクマ先生は戦後の日本では社会的な刺激が欠損したため、成長のレールが敷かれなくなったことを問題視する。
だが、現役の機能不全家族で母親と伯父を自殺させた私の実績から考えれば、そのような家や世間も敵なんだよねえ。
シロクマ先生は社会の中で認められる成熟した人格という役割の箱に自分を入れることを幸福と考えているんだろうか?それは運命の奴隷の演技でしかないように思えるのだが。
で、シロクマ先生は「世代間コミュニケーションによって、色んな人を参考にしましょう」「お年寄りに学びましょう」という、修身の教科書のような、特に内容もない小学生の作文のようなことをチャールズ・マレー著『階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現』とか色んな資料で飾り立てて本に仕立てているのだが。
こういう感想を見た。

コミュニケーション市場から弾き出された人間の余生 ~「若作りうつ」社会(熊代亨)~ - 自意識高い系男子
様々なトピックが取り上げられる本ですが、独身アラフォー男性である私が特に興味を引かれたのは、「コミュニケーション能力の市場化」に関する部分でした。

「年の取り方がわからなくなった社会」と「コミュニケーション能力」
http://www.huffingtonpost.jp/toru-kumashiro/communication-society_b_4844993.html

現代社会ではコミュニケーションが自己選択=自己責任になり、そうした世代間コミュニケーションは与件ではなくなってしまいました。昔の地域共同体や企業共同体では、否応なくコミュニケーションが強制され、それはそれで大きな軋轢を生みだしてもいたのですが、そうした強制的なコミュニケーションがゴッソリ消滅した結果、異なる世代とコミュニケーションしないまま齢を重ねていく人が珍しくなくなりました。
<中略>
問題は、世代間コミュニケーションを【する/しない】が、実際には自由選択ではなく、往々にして個人のコミュニケーション能力によって決定づけられていることです。


「イエ」「身分」等の社会的制約により人生のレールがいまよりずっと強固に敷かれていた時代から、自由に人生を選択できる時代へ。しかしその自由化は、コミュニケーションの「市場化」を伴うものでした。誰からも好かれる人間=市場価値が高い人間は、就職も配偶も豊富な選択肢から思うがまま。逆に市場価値が低い人間は、たとえ望んだとしてもこれら社会的通過儀礼を経験することができず、いつまで経っても「親」や「指導者」といった「大人」になることができない。

  • コミュニケーション市場から弾き出された人間の『孤独』と『虚無』の問題

そうした時代の流れの中、今後問題になってくるのは、コミュニケーション市場から弾き出された中高年が抱える「孤独」と「虚無感」でしょう。もはや自らの人生に新たな希望も見出せず、かといって未来を託す後進もいない彼/彼女たちは、いったい何のために生きていけばいいのでしょうか?

たとえ独身だとしても、友人や仲間に恵まれた人間は幸せなのかも知れません。たとえ孤独だとしても、趣味や仕事など、夢中になれるものがれば幸せなのかも知れません。

しかし、人間はそれほど強くはありません。これらの「資産」は、歳を取れば取るほど失われやすいものです。友人は家族を持ち疎遠になり、趣味や仕事への柔軟な感性と好奇心は失われ、無価値な自分を持て余す。

だ、そうだ。


シロクマ先生の本ではチャールズ・マレー著『階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現』を引用して、戦後日本が社会的コミュニケーションを喪失したのは、アメリカのように自由で個別化した住環境や社会構造から発生しており、コミュニケーションができるのは勝ち組同士にかたまって、コミュニケーションによる助け合いが効果を失っていると、書いてある。

階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

また、社会的環境や家庭環境によって、コミュニケーション能力そのものが発達しなくなった患者などを紹介している。


なのに、シロクマ先生の結論は「世代間コミュニケーションで学び合うことが希望」と末尾に書いてある。
それはおかしくないか?
ただでさえコミュニケーション能力自体が無い、育たなかった、衰えた人間が、境遇や年齢や常識や育ちも違う世代とのコミュニケーションという高度なコミュニケーションができるわけがないのだ。
ボケて自分の健康しか気にならないで健康食品を買いあさる老人、財テクに走る壮年、刹那的快楽を追い求める若年、何もわからない子供、彼らが同じ言葉で話し合うことはない。
シロクマ先生の言っていることは「コミュニケーション能力が育ちにくい社会になったのが問題です。だからコミュニケーションをしたら治ります」と言うことです。当たり前だろ。だが、その当たり前ができない人が発生しているからコミュニケーション不全は起こっているのだ。
コミュニケーション能力のない人間に「君はコミュニケーション能力があったら上手く行くよ」と言うのは、陸上生物に「エラがあれば水中でも息ができるよ」と言うのと同じであり、足の折れた人間に走れと言っているのと同じである。
ならば愚民どもにコミュニケーション能力を授けて見せろ!


また、シロクマ先生が育った田舎の漁村の老人どもはコミュニケーションを取っていたと言えるのか?地域行事に組み込まれて自動的に振舞っていただけではないのか?それを「コミュニケーションだった」と言うのは、シロクマ先生個人のノスタルジーに過ぎないのではないか?

  • シロクマ先生の本のコミュニケーション能力の低さ

ロスジェネ世代の精神科医と言うふれこみの、シロクマ先生の本を買うのは、おそらく私のような30代などの同じようなロスジェネレーション世代であろう。
そして、シロクマ先生が願う年長者とのコミュニケーションには寄与しないであろう。
私はこの本を父親に贈るために買ったので、還暦を過ぎた父親ならこの本をどう読むかと考えて読んだ。おそらく、ほとんど理解できないであろう。あしたのジョーは分かっても、90年代のエヴァンゲリオンのあらすじやクールジャパンと言われるサブカルチャーやおい女子の心理学について、シロクマ先生が期待するほどの理解は私の父親はできないと思われる。
それは、この本の言葉づかいがロスジェネ世代のインターネット発の精神科医の言葉づかい過ぎるからである。
シロクマ先生の言葉は、彼自身の世代の流行言葉で組み立てられているので、壮年世代には届かないだろう。
簡単に言うと、カタカナが多すぎるのである。
また、シロクマ先生の言葉づかいは「エリクソンのライフサイクルを日本にコピーアンドペーストして」とか「民主主義を急速インストール」とか「子どものインストール元に占める家父長的システム」とか「パーソナリティーやコミュニケーションのプロトコル」とか、コンピュータ用語を人間の精神に当てはめた文脈が多い。多すぎる。「生き方のパターンのゴールドスタンダード以外のロールモデルのバリエーションをプリインストールされて成長」とか、ネット社会の方言という感じです。
シロクマ先生はブログやはてなダイアリーと言う、基本的には日記であり、自分が一番の読者になりやすいメディアで文章を書き、同じようにネットリテラシーの高い、ネット用語やコンピューターに詳しい読者に読まれて10年くらい過ごしてきた人だ。元々シューティングゲームおたくだし。
なので、シロクマ先生の文体は、(これは宇野常寛さんとかにも言える問題だが)インターネット世代の流行の言葉づかいで、はてな村の方言の訛りが強すぎる。
これは、同じようなロスジェネ世代のインターネットユーザーには伝わりやすいし、方言故に微妙なニュアンスを圧縮して伝えやすい言語法です。ですが、方言なので、つまり同じような体験やネットリテラシーを共有する似たような人には伝わりやすいが、その共通認識の無い他の世代には逆に意味不明になる。
だから、この本は世代間コミュニケーションを呼びかけているものの、この本の言葉づかいそのものが「違う世代」や「違う考え方の人」に向けての公の言葉になっていないのです。結局、ブログと言うワタクシの言葉づかいに慣れ過ぎた人間の惰性に過ぎないのだ。(この文も微妙にガンダム口調なので、私の言葉づかいも偏っているのである)(←ちなみにこれは究極超人あ〜るのパロディである)


だが、そのコミュニケーション不全こそがシロクマ先生の目論見かもしれんのだ。何しろ、精神科医様のご託宣である。新書を買うような一般人には、専門用語やコンピュータ用語で文脈をかく乱されて少々わかりにくい方が有難味があると思われるかもしれんのだ。愚民どもめ。
そして、この本は小難しい言葉づかいをしているが、結局は不安な現状で読者を煽り、曖昧で可能性の低い世代間コミュニケーションを賛辞して老人を慰撫する、上っ面の言葉でしかないのだ。


でも、新書なんてだいたい上っ面のことしか書いてないので、シロクマ先生の文壇での適応戦略としてはこれでいいと思います。
だいたい、僕のかかりつけの精神科医も10年くらいカウンセリングを受けているが、「適当に処方して薬が偶然効くことがあればいい」みたいな雑な態度だし、実際私のような人格障害者には薬は効きにくい。(ただし、SSRIを切らしたら全身が関節痛になる)
だから、精神科医っていう職業も、割と場当たり的で雑なんだよな。内科や外科のように検査しないし。認知力が低下した鬱病患者の適当な口頭での訴えで診断するので精度が低い。
(ちなみに、昨年頭痛が酷かったので脳外科でMRIと血液検査を受けたが、私は物理的には全く正常であり、私の魂がストレスで腐っているので幻痛が発生するとのことだった。救いはない)
脳の生化学的なプロセスが解明されるまで、精神科診療はしばらくは場当たり的でランダムな多剤投与と、大して論理的な根拠のない自己肯定を促す曖昧なカウンセリングに頼らざるを得ないだろう。
しかし、私は不眠症も患っているが、気圧などによって眠りが浅い日と、寝つきが悪い日と、寝起きが悪い日と寝すぎる日がランダムに襲ってくる。そのため、薬はもっと細かく毎日変えて飲みたいのだが、現在の国家と言う架空の概念の作った法律と言う架空の文言に従っている医療制度(実際は権益に従っている物)は2週間に1回の診察で同じ薬しか出さない。(自立支援医療法では、かかりつけの医療機関は1つに限定されるし、健康保険ネットで診療履歴は監視されているので、精神科の複数利用は金銭がかかるし敬遠される)
何が言いたいのかと言うと、精神科医は厚労省に認可された麻薬の出来損ない(それでもアングラの合成麻薬よりは安定している)の薬の売人に毛の生えたようなものに過ぎんということだ。
そして、その薬が効くかどうかも、ブラックボックスである脳のちょっとした生化学的な未解明の働きの気まぐれであり、博打だ。

人生は博打であり、精神科医療も同じく博打であり、人間はちょっとした運の悪さで病気になり、死ぬ。アイデンティティだの社会的適応だのなんだのと言っても、人はちょっとしたボタンの掛け違いや人間関係のすれ違いや、功利主義的な人間との接触や敗北によって、簡単に不幸になり、壊れ、死ぬ。
生きてる奴はたまたま弾が当たらなかっただけだ。
その点では、砂漠でカラシニコフを撃ちまくるゲリラも、投石する民衆も、空爆におびえる地下のテロリストも、日本で過労死するサラリーマンもアメリカで奴隷のようにつかわれるメキシコ人も、大して変わらないのだ。
銃剣突撃玉砕した日本国軍人も、塹壕の中で砲撃を聞くイギリス軍人も、ビルケナウに送られるユダヤ人も、運命の前では大差なかったのと同じように。
みんなギャンブルなんだよ。正解はない。

  • シロクマ先生へ

本書でシロクマ先生はエリクソンのライフサイクル論を取り入れていたが、コフートの話が少なかったので残念でした。
確かに、世相を煽る本は売れやすい。しかし、シロクマ先生は実際はコフートの話をしたいと言っている。
私がネットで「承認欲求」を使おうと決めた理由 - シロクマの屑籠
なので、世相やロスジェネ世代というキーワードに結び付けず、淡々と、しかし着実な心理学を著述してほしい。まあ、そのためには出版業界への渡りをつけるための内容のない新書を出すことも必要かもしれんが。
しかし、THE IDOLM@STERの映画の登場人物の行動心理の参照資料として、シロクマ先生のホームページは結構役に立ったので、作りかけの汎用適応技術研究 indexを作り直してほしい。
今のままでは、同じようなロスジェネ世代の内輪でも共感に訴えるだけなので、もっとちゃんとした論理と実証によって普遍性を獲得する論考を目指してほしい。


Twitterでシロクマ先生に「買ったよー(ツタヤでアイカツ!のCDを買った次いでにポイントが余ったから)」と報告したら、

https://twitter.com/twit_shirokuma/status/441175981017952256
ありがとうございます。ただ、メンタルに余裕のある時に、醒めた目で眺めて頂ければと思います。それと、nuryougudaさんには、たぶんテンプレ的に映るのかな、とも。

という言葉を賜った。
あいにく、俺のメンタルに余裕のある時などない。俺にあるのはTHE IDOLM@STERの歌を聞くときの刹那的な祝祭的なプリズムの煌めきだけだ。(今、THE IDOLM@STERのアーティストマスター1を聞いてる。やはり新曲のiは名曲だ)
そして俺の目はいつも濁っている…。


まあ、テンプレでしたけどね!でも、新書なんてのは「こんな怖いことがあるぞー」って読者の恐怖心をあおって「こうしたらいいかもしれません」って安い思い付きの意見を末尾に書くテンプレなので、それでいいと思います。
でも、香山リカ先生もそうだけど、精神系の新書って「怖い病状」を羅列してる割に、処方箋は「かもしれません論」ばっかりで、どうでもいいな・・・。
しかも「怖い病状」自体も患者のプライバシーに配慮して、複数の患者さんの奨励や来歴を混ぜてあるので、それも信憑性がない・・・。
いや、まあ、俺、人間の言説や思考力を信じてないから、別に誰が何を言ってもどうでもいいですけど…。

  • 私の母親も若作りうつで自殺した

しかし、年寄りとの世代間コミュニケーションと言うのは本当に困難で苦労が多い割に意味がなく、しかも精神的外傷を負いやすいと実感している。
端的に言えば、私は精神障碍者であり回避性人格障害であり身体化障害で自律神経失調である。
そして母親は自殺した。
そもそも、私の家族は崩壊している。私の父方の祖父は九州の財閥の妾腹で寺に捨て子に出された後、陸軍中野学校でスパイの養成を受け、大陸で戦争犯罪を行い、戦後は名前を変えて公安に勤務した人だ。内閣総理大臣から受勲も受けた。で、その祖父は原子爆弾で先妻を殺され、私の父は後妻の子供であり、父方では次男だが母方では長男と言う人だった。その祖父は私の母親をいびり、父親は祖父を頼った事業に失敗して母親の親戚を頼って転居した。そして祖父は死に、祖母は独居老人となり占いの細木数子と健康食品と悪徳リフォームにハマり、誰もいない家をリフォームして遺産を食いつぶして死んだ。祖母の介護は遠方から私の母がやっていたが、祖母が死んだら叔父の妻に遺産を取られた。その事で夫婦仲が悪化した。
母方の祖母も北陸出身で、やはり妾腹の出身であり親戚と疎遠だったが、曾祖母と同じように妾をやって私の母親を産んだが、正妻に収まることはできず、歳の離れた他の男性と結婚した。私は血の繋がらない人を母方の祖父だと思って育ったのだが、その人が死んだ後、私の母の繋がらない兄であるところの伯父は事業に失敗し自殺した。それで母方の祖母は北陸の家で血縁関係と居場所を失って、私の家に転居してきた。その事で私の両親の夫婦仲がさらに悪化し、その頃に大学受験だった私は過剰に勝ち組になることを求められ、国立大学に合格したものの精神を病んだ。大学時代に受験生のテストの添削のアルバイトをしていたが、それも祖母の介護用品の購入に費やされ、私には金が残らず、運転免許も取れなかった。
で、そんな家庭から逃げたくて東京の六本木ヒルズのKLabに就職したのだが、精神的に不安定であり、KLabの社風の自己責任論に基づく責任の押し付け合いの社内闘争に敗れ、私は過労で死にかけて精神障害者手帳を取得した。それでも家に帰るのが嫌で犯罪都市足立区に隣接するネオ埼玉草加シティーで引きこもっていたが、東日本大震災で安アパートが破損し、隣には下級ヤクザが住んでいて怒号が飛び交い、地震酔いと経済不安などでさらに精神病が悪化して実家に戻ることになった。
実家に戻ると、母親は近隣の塗装業者がシンナーをまき散らした事と、私が母親を見捨てるように実家を離れ、弟も警官になり一時実家を離れたストレスで化学物質過敏症になった。それで、母親は父親が還暦で退職金をもらうと、それを頭金に引っ越すといつも言っていた。ちなみに、その塗装業者がシンナー缶を大量に屋外放置していたので、実家で無職で暇だった私が「異臭がする」と消防署に通報したことで行政処分を受け、移転を余儀なくされた。私は割とあっさり企業を攻撃する。
そういうわけで、シンナーは無くなり母親の化学物質過敏症は治り始めていたのだが、近隣の塗装業者の奥様は同じく近所に住む母方の祖母の腹違いの妹で大叔母で父親の会社の先代社長の妻と親しかったので、私の家と世間との関係が悪化した。また、母親は僕の中学の同級生の母親がやっている小さなコンビニのパートも事業縮小で首になった。それで収入も減り、世間との付き合いが難しくなった。
また、祖母と父親と母親との関係も上手く行かなかったので、母親はさらに大きな家に転居しようとしていて、今の家を売って新しい家を買うという事で頭がいっぱいになっていた。父親は中途入社だが大叔父のゼネコン会社の経理をしており、小泉政権公共事業減らしで収入が減り、自分の退職金が少ないことは知っていたが、プライドがあるため母親に其れは伝えず、母親が家づくりに没頭していることを放置していた。あと、母親は香山リカの「老後がこわい」を読んでいて、「お婆ちゃんが弱っていくのを見るのが怖い」と言っていた。
私は同じ精神病者として母親が自殺に向かっていることを察知していたし、母親の自己否定的な言動が自殺者の自殺する前の言動に似ていると分かっていたが、自分自身が京都大学で慣れない事務職をしていて、糞みたいに少ない給料とぞんざいな扱いを受けていたが、家から離れて働いて家庭逃避できることで母親を無視した。
私はかかりつけの精神科医に母親の精神がおかしく、それが私に跳ね返って気持ちが悪いと訴えたが、主治医は私に「母親のために生きるのは辞めて自立して自活できる収入を得たら治る」「母親の問題に深入りしないように」と、カウンセリングした。また、「死にたい」という人は死なない、とも言われた。私も死にたいのだが。
弟も実家に戻ったが、警官としての収入を趣味に使って家庭内で独立した振る舞いをし、母親の家を買うという言葉を無視していたが、母親は父親と不仲だったし父親は一度九州で事業に失敗しているので、警察官の弟の名義で家を買うためのローンを組んだ。
シロクマ先生の紹介する若作りうつの症例のように、更年期で不安定な体なのに、母親は新居づくりに没頭した。母親は父親よりも、甘い言葉で夢を煽る不動産屋や銀行屋といつも話すようになっていたが、それは父も弟も私も無視していた。祖母はボケていたので、いつも母親に怒鳴られていたが、男たちはそれを無視した。
また、若作りうつらしく、母親は疎遠になった近所の人の代わりに、少し離れた所に住んでいる年上で金持ちの奥様と仲良くなり、グループでジャニーズのコンサートに行くようになった。そして、昔ジュリーのレコードのデザインをしていた職歴のコネを生かしてチケットを手配するとか、そういう無意味な頑張りをしていた。
そうやって母親は疲弊に向かっていたが、私はクズの精神病で、父親は家族から逃げてテレビばかり見ており、弟は警察の仕事を入れまくって家にいなかった。
そして、父親の60歳の誕生日が来て、退職金が少なく、家の頭金が払えず、新居に移転する話は立ち消えになった。だが、すでに土地を購入するために依然建っていた家屋を取り壊す工事は始まってしまっていた。それで金を取られることになった。
母親はまたローンを組んで、取り壊された土地に家を建てようとした。
しかし、その土地は不動産屋に押し付けられたような中途半端な土地で、新しく立てるには建蔽率建築基準法の改正の影響で、今の家よりも狭い建物しか建てられないことが発覚した。
母親が望んだ夢のおうちは手に入りませんでした。
その矢先、祖母が膝の手術から退院して、調子に乗って近所を散歩している間に他の主婦の運転する車と接触して転倒し、また入院した。運転していた人との示談交渉も母親が行った。運転手は農家の奥さんだったのでお詫びの代わりに新鮮な野菜を送ってくれるようになり、押しつけがましかった。母親と祖母の中はさらに悪化した。
また、自分たちがなかなか家を建てられない間に、向かいの農家が潰されて分譲住宅が立ち子育て世代の若い世帯が入居した。彼女たちの幸せそうな若い母ぶりと新しい家、大して古い家で結婚のめどもつかない息子とボケた祖母と老いていく夫を見比べ、母親が劣等感を募らせたことは想像に難くない。
そして、母親は自殺した。
私たちが仕事に出て、祖母がデイケアの介護サービスを受けている間に母親は自宅で首を吊って自殺した。
母親は「お婆ちゃんは義理のお爺ちゃんが戦争に行ったおかげで軍人恩給が受けられて、介護サービスも受けられるけど、私は借金ばかりでみんなの足を引っ張っているし、年金ももらえない」と言い、父親に向けた遺書で「結婚したのは間違いだった」と書き、弟には「大好きでした。あなただけが頼りでした」と書いた。
僕には何の言葉もなかった。
僕が仕事の帰りに精神科の診療を受けて居る間に、大叔父から携帯電話に「母親が家の鍵を開けない。自殺してるかも」という電話があった。僕が前に向かって仕事をはじめようとしていた時に、いつもいつも母親は僕の邪魔をするんだ!


いつも僕は母親の慰め役だったのだが、母親が病気になると、僕がネットで医療知識を調べて診察したりカウンセリングするようなことをしていた。
だが、そんなことは全部無意味だった。僕は生まれるべきではなかった。
僕が切迫流産の時に間違った科学の力で生まれてしまわなければ、あるいは母は父親と離婚して芸能界に復帰して幸せになれたかもしれない。
僕は生まれながらに呪われた存在なんだよ。僕にできるのは人殺しだけだ。
私が精神科から帰って母親の死体を見た時、まだ診察時間だったので、主治医に電話して「母親を殺した。無視して死に追いやった」と伝えた。医者は私に「君が殺したんじゃないんだ。母親の選択だったんだ。それを尊重するように」と言った。
僕が殺したんじゃないとしたら、母親は誰に殺されたんだ?コミュニケーションを拒否するまでにこじれた夫か?親戚か?世間か?夢を煽る不動産屋と銀行屋か?幸せそうな若い新世帯か?金持ちの友人への劣等感か?経済不況か?戦争を起こして人生を狂わせた国家か?それとも戦前の犬の繁殖のような妾腹とそれに冷たかった世間か?そういう精神が歪んで育つように壊れた父方と母方の家族の歴史か?精神が歪んだ父と母を適当に結婚させた親戚か?
全部だよ。
誰のせいでもないってことは、誰のせいでもあるということだ。


シロクマ先生は世代間コミュニケーションで学び合うことが大事と言う。
しかし、私の上記のような実感と事実によると、戦前から人間関係は歪んでいたし、村社会から外れた妾腹は過酷な扱いを受け、親戚といえども、隣近所の友人であろうと、プライドや金銭による優越感や絡み合ったしがらみや恨みつらみや血縁のこじれやコミュニケーション不全はある。
そして人は死ぬ。
そうやって、互いに憎み合い、軽蔑し合い、利用し合う人間たち、多くの年金をもらい自分が正しくて尊敬されるべきだとボケた頭で考える年寄りたち、そしてそんな醜い利己的な年寄りに未来の自分と少ない財産を見て絶望する壮年、それに育てられて自分の人生を見失った私のようなクズニートのロスジェネ、自分の仕事で精いっぱいの若手社会人。
私の観測範囲内では、誰もわかり合わず、コミュニケーションを取ろうとはしなかった。
そして母親は死んだ。
それに対して、当事者の私は社会が悪いとか、文化的な流れだとか言う気はない。
ただ、運が無い奴は死ぬ。
死ぬんだよ。虫けらのようにな。
その虫けらから生まれたクソムシが私だ。
そして、ボケているがゆえに母親が自殺したとは知らされず、事故だと言われた祖母は「過ちは犯してないんじゃの」と言って、今は特別養護老人ホームで優雅な年金(軍人恩給)暮らしだ。特養ホームに入れたのは、直接の血縁者である母親が自殺して扶養家族から外れやすくなったからだ。そういう国のシステムなんだよ。本当に虫けらだなあ。
シロクマ先生は色んな世代の人を参考に、尊敬できるところを取り入れて、見苦しい所は反面教師にしようと言うが、私の観測範囲内では、みんなクズだな。
シロクマ先生は「世代間コミュニケーションには摩擦も伴いますが、学び合えたらいいな、と思います」と言いますが、私の母親はその摩擦ですり切れて自殺した。
そして、お前たちや俺たちはクズで何の救いもなく、ちょっとした運不運で右往左往する虫けらに過ぎず、学者や精神科医の思い付きの理論などは何の救いにもならず、ただ、死んだ人間の不幸な死体だけが物体として現実であるということを思い知るべきだ。
そういうことを伝えるために、僕はブログを書いている。
シロクマ先生のように文壇で名を売ったり、金を取ったりすることはしない。僕は無償で、人に絶望を、僕の有り余る絶望をいくらでも分けてやろう。
世代間コミュニケーションや、階級間の情報交換が大事なら、僕のような家庭や職歴や精神が崩壊している外道が存在を示すことだって、大事だよなあ。さあ、思い知れ!
でも、シロクマ先生は自分の大切な子供さんを育てることが大事だから、自分が悪人だという自己認識は否定するだろうなあ。人間はみんな悪で虫けらで徘徊する獣の一種に過ぎないのになあ。そうやって否認して、幸せでご立派な世界に閉じこもって、高級ワインでも飲んでいればいい。僕は睡眠障害なので、労働者の酒であるドライジンを飲む。睡眠薬の処方は2週間スパンでしか変わらないので、こんな風にいろいろ書きすぎた夜は早く寝るために酒が必要なんだ。


あ、でも、僕はクズで極悪人だけど、アニメは面白いので、それはいいと思いますし、アニメの面白さを紹介するブログも書きたいと思います。アニメの制作環境は地獄だけどな!

  • 父親へ贈るシロクマ

うちの母親は自殺した。
そして、父親はそれ以前にもまして年の取り方が分からないようになり、毎日ぼんやりとクロスワードパズルを解いてマインスイーパーをしている。時間どおりに仕事に行き風呂に入り飯を食うだけのマシーンになった。
そんな年の取り方を見失った父親にこの本を贈ります。
この本には不安をあおるようなことを書いてありますが、多分、母親が自殺するまで母親の気持ちを否認して心を閉じた父親には何の感慨も与えないでしょう。
実際、シロクマ先生は学識や症例をひけらかしているだけで、結局論理は循環していたり、「コミュニケーションが下手な人が増えたので、コミュニケーションを活性化したらいいと思います」という小学生並の夢物語の感想が結論だったので、全く何の意味もない、空虚な本だ。
だから、母親を自殺するまで無視した私たち親子にはふさわしいのである。
シロクマ先生が世代間の成熟の希望を伝えるために書いた本も、僕のような悪意の塊の外道からすると、人間の空虚さを陳列した本に見えるのだ。
人間には正しいコミュニケーションをする能力はなく、絶望しかない。そして、僕はその絶望を何度も確かめるために人へ本や言葉を贈る。そして、誰も僕にはきちんとしたものを返さない。そして僕は絶望する。
そういう絶望で、僕は自分を傷つけたいんだ。母親を自殺させた私は絶望し続けるのが似合いなのだ。
それが僕の心の闇の力を増幅させる。
シロクマ先生は、世代間コミュニケーションで下の世代を育てると、「自分が死んでも世の中は終わらず、バトンが残るという満足感が得られる」と言う。
だったら僕は、「親が死んでも、俺の人生は終わらず、俺には不愉快さが増し、そして、俺のブログからの呪いの言葉も社会に拡散する」という事を願う。
そして、あと、大人が死んでも、核廃棄物の燃料棒も不安定性が露呈したインフラも、教育の劣化もバトンとして何万年も引き継がれます。
2011年3月11日の東日本大震災で失われた荒魂の皆さまそれで満足できますか?
寂しいですか?仲間が欲しいですか?これからも人はどんどん死ぬよ。誰も助からない。

シロクマ先生は「Aという成人もいれば、Bという成人もいる、それがダメでもCという生き方も成立する、という事を知っている子供はラッキー」と言います。
だったら、僕は「でも、AもBもCも、結局は虫けらのように死ぬ運命の奴隷だ」と教えてあげたい。
納得して死ねると思うなよ。虫のように死ぬんだ。お前たちは虫のようなセックスで生まれた有機体に過ぎない。
人生に納得して死にたいのなら、私の母親のように身辺整理を黙って立派にやって、首を吊って死ね。母親はたった5分で死ねたんだよ。死ぬのは簡単で、何の恐れもない。ゆえに絞首刑も何の脅しにもならない。


子持ちのシロクマ先生は、「自由で平等な戦後社会を作ってきた人も、一部の優秀な家庭の子女がコミュニケーションの利益を受けるだけではなく、もっと多くの家庭の子女の幸福を祈ってきたはずです」という。
それがいけないんだよ。医療の発展で乳児死亡率が減り、市場拡大のために人権の平等と言う建前で、本来は淘汰されたはずのクズが、俺のように生き残ってしまった。
高度医療と平和で長寿社会の日本なのに、メンタルヘルスを破損させた人が増えたと、シロクマ先生は言う。だから、それがいけないんだよ。人が増えると、その分クズや不良品も増える。それだけのことだ。
まあ、せっかくの命だ。この世界は殺し合いだが、クズはクズなりに世界のために命を消費しようと思うよ。